特攻の母、トメさんが伝えたかったこと…。|旅人:吉村民

2013-12-20

 

YAJIKITA on the road
旅人の吉村 民です。


今回は鹿児島県の知覧をめぐりました。
今はお茶畑が広がり、趣のある武家屋敷が建ち並ぶ
のどかな、緑が綺麗な町ですが
ここは太平洋戦争末期、多くの若者たちが、
陸軍の特攻隊として飛びたった場所でもあります。


10年ほど前に軍の検閲を受けていない特攻隊員の遺書を知り、
彼らの表に出すことのできない本音の気持ちを知ったときの
自分が思っていたものとは全く違い衝撃を昨日のことのように覚えています。
本当の彼らは喜んで特攻隊した訳ではない。

 

でも、本気で家族や愛する人、そして日本のために、
1つしかない命をかけて戦ってくれた。
そのことを、今の日本人が知り、後世にもしっかり引き継いでいきたい、
そんな想いを抱きながら、巡りました。

 

 

 

 

 

 

 

まず最初に訪れたのは知覧特攻平和会館です。
涙涙で旅人として話すのがやっとでした。
壁一面には特攻隊の方達の遺影、遺品や遺書が沢山ありました。


何よりも辛くて悲しかったのは記者さんが撮られたと思われる
特攻隊員たちの笑顔の写真です。
近所にいたという生まれたばかりの子犬を抱っこして微笑む姿は
あどけない少年の姿でした。


隊員同士で寝転びながら話している様子はこれから特攻をするのではなく、
学校の授業の休憩中にしか見えませんでした。
笑顔で最後の時を過ごせるなんてなんて、立派なのだろう、
そう思いながら見ていたのですが、、、

 

 

 

 


ホタル館 富屋食堂 鳥濱明久館長


館内では、館長自ら当時のエピソードを語る。

 

 

特攻隊員たちが母のように慕っていたトメさんが切り盛りをしていた富屋食堂を訪れ
トメさんのお孫さんにお話を伺うと、そういう風に感じた私は大馬鹿者だと気付かされました。


当時の軍隊には軍隊から手紙や写真を出すには
厳しいチェックがあります。
世に残っているもののほとんどは、そこを通過したもの=本心ではないのです。
笑って楽しそうにしている写真は軍から許可が出た記者さんが撮り、世に出したもの。
表面的な彼らの姿しか見ていなかったことを知りました。


富屋食堂には
トメさんと特攻隊たちの間でやり取りされた軍の検閲を受けていない有りのままの姿がわかるような
沢山のエピソードが残っています。
トメさんと一緒に泣きながら故郷の歌を歌った話・・・。


特攻することを親にも伝えてはいけなかった環境のなか、
自分が飛び立ったら両親に伝えてほしいと、住所と手紙を託していったと言う話・・・。
自分が死んだら、蛍になって帰ってくるからと飛び立ち、
その日の夜に一匹の蛍が富屋食堂に戻ってきた、という話など・・・。

 

 

 

 

 

 

沢山の遺書や写真と共に
トメさんと特攻隊員たちのエピソードが紹介されています。
富屋食堂にある手紙――、
エピソードには16才から20代前半の若者たちの本当の気持ちに近い思いが沢山詰まっていました。
遺書の中に書かれていたのは 



お母さん、お父さん、兄弟、に対する感謝の気持ち・・・。
自分が先に逝くことへの、侘びる気持ち・・・。
大事な人を守るために覚悟を決めた気持ち・・・が書かれていました。

 

お国のために、喜んで!天皇の為に!などと書かれてはいないのです。
自分がいなくなっても、未来の日本の人達がきっといい国にしてくれます。
その様なことが書いてあった遺書もありました。


私は
彼らの気持ちを、しっかり受け取っていなかったと、
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
彼らが大事な命をかけてよかった、と思っているような日本に
今、なっているのだろうか、、、
と疑問をもってしまいました。


彼らの命はたった1つ。
何をしても戻ってきません。


だから彼らが
もし、天国から見ることができるのなら、自分が命をかけて、よかった。
みんな自分たちの気持ちを受け継いでくれて嬉しい。
そんな風に思ってもらえるようにしっかり知って、彼らのことを後世に伝えていきたいと思いました。


知覧特攻平和会館の語り部の方がこうおっしゃっていました。


「みなさんは、平和がずっと続くと思ってるでしょ。
私はそうは思わない。
私たち、戦争経験者がみんな死んでしまったら
平和が続くとは言い切れない世の中になると思うよ。
だから、しっかり知って語り継いでいかなければならないと思うよ」と。


戦争経験者はあと数十年したら、いなくなってしまいます。


2度と戦争をしないように、
1つしかない命を大切にできる世の中を続けていけるように、
特攻隊として飛び立っていった若者たちを何年たっても、忘れないでいたいですね。


YAJIKITAon the road
旅人は吉村 民でした。

 

 

 


特攻隊員たちが最後に見た日本の景色…。「開聞岳」