東京発どこ行くツアー~人形町編~|旅人:井門宗之

2014-01-16

 

東京にはとても可愛らしい名前の付いた町がある。
その漢字をぱっと見ただけでほんわかしてしまう様な…。
女性的…と言うか、でも何だか「どんな町なんだろう?」と想像を膨らませてしまう様な…。

 

その町の名は…人形町

 

日本橋エリアのほぼ中央に位置し、
その名の由来は江戸時代に多くの人形遣いが住んでいたからとされている。
現在このエリアは老舗と新しい店がひしめき合い、
いわゆるニューファミリー層も数多く住む都内でも注目のエリアの一つだ。
東野圭吾原作の「新参者」の舞台としても有名で、
ドラマのファンが数多く訪れ、ロケ地巡りをしたなんて話も伝わってきます。
実はJFNのスタジオがある半蔵門からも、半蔵門線で水天宮前まで1本。
(水天宮前駅と人形町駅はとても近いのです)
と言うか、人形町は交通アクセスが優れていて、
銀座も近いし日本橋もあっちゅう間だし、使える路線もたくさん。
そう…井門宗之、前回の西荻窪エリア同様、 


ちょっと住みたいエリアなのです。

 

あっ、聞こえてきたぞ…。
「まさか取材しながら町の下調べする気じゃないだろうな?」って声が。
そ…そ・そ・そ・そ・そんな事するわけないぢゃ(ry

 

という訳で不定期シリーズ。
今回は「東京発!どこ行くツアー人形町編」です!
実はロケの1週間前、人形町で飲んでいた井門P。
一緒に飲んでいた方にこの日も情報を色々教えて貰いながらロケは始まりました。

 

 

 

 

 

町のシンボルともいえる「からくり時計」。
「火消し版」と「落語版」の2基あるのですが、
人形町の名前に相応しく時間になると人形が動き出し、木遣りや町の案内が流れます。
これを見ただけでも人形町の風情に「へぇ~」と溜め息が漏れてしまう。
音の後ろには、人気の卵焼きを売るお惣菜屋さんや老舗が“風景として”広がっているんです。
通りを歩く人もどことなく凛として見える。
粋な町、人形町。

 

そんな町だからこそ、昔ながらのお店も軒を連ねます。 


創業1783年のうぶけやさんもその一つ。

 

 

 

 

 

現在の建物は昭和2年に建てられたものらしいのですが、
それでもお店の歴史は江戸時代からなんて…。

 

矢﨑「もともとウチは関西で商売を始めたんです。
江戸出店の足がかりとして人形町を選んだんですよ。」

 

 

そう応えてくださったのは御主人:﨑豊さん
言葉使いがとても良いんです。何だか江戸言葉なんだけど、下町とも違う…。

 

 

矢﨑「この界隈は山の手ほど上品でもないし、下町ほどチャキチャキではないですから。
人づきあいも良い距離感なんですよ。突き放さないけど、ずけずけ入ってもいかない。」

 

 

きっとそんな町の空気感が矢﨑さんのどことなく上品な雰囲気を作っているのだろう。
そうそう、このうぶけやさんは刃物屋さんであります。
店に入ると、毛抜きから鋏、包丁などが展示品の様に美しく並んでいる。
そう、日用品なんだけど、流石職人が仕立てただけあって美しいのです。

 

 

 

 

 

 

矢﨑「店名の“うぶけや”ってのも、産毛が綺麗に剃れるほどの刃物を…って意味なんです。
よく切れるものばかりですよ。」

 

 

老舗だからこそ、道具の質に嘘はつけない。
どれもこれも本物でないと、目の肥えたお客さんは離れてしまう。
老舗というのは真摯な仕事をしてきた年月とイコールなのだと思う。
矢﨑さんの後ろには息子さんが控えていらっしゃったが、
きっと矢﨑さんにとって頼もしい跡取りなのだろう。
真摯な仕事をする背中を見ているのだ、うぶけやの未来は安泰である。

 

 

矢﨑「面白い商品もありましてね。
この少し小さめな鋏、何だと思います? 


これは食用鋏と言ってね。」

 

 

 

 

 

そう言いながら矢﨑さんが説明してくれたこの鋏。
実は人形町は江戸でも有数の花柳街だった。
町には見番があり芸者さんも沢山いたのだという。
この食用鋏はそんな芸者さんが懐に入れて持ち歩いていたもの。
旦那衆が食事をする時に大きくて食べにくそうな物を、
そっとこの鋏で切って小さくしてあげるのであります。
そうそう、新参者でも「うぶけやの食用鋏」のエピソードありましたね!
でもその為だけに使う鋏って、なんだかやっぱり粋だよなぁ。
道具が持つ物語に思わずうっとり。そんな風に道具と向き合いたいものです。

 

店内で行われたインタビューは美しい品々に囲まれてのもの。
あまりに美しかったので親分も一品購入。
矢﨑さんのお話しも面白かったなぁ。
人形町には封切り映画館が4館もあったとか、人形町末広亭っていう寄席があったとか。
江戸時代には“うぶけや”さん同様、関西から出店してきた老舗が沢山あったとか。
貴重なお話し、有り難うございました!

 

 

 

 

 

人形町を水天宮方面に歩いていくと、
ある意味この町のメインストリートに当たります。
この横丁の名前がまた良いんだ。

 

甘酒横丁

 

 

 

 

 

親分メモによると、
明治の初めに、この横丁の入り口の南側に「尾張屋」という甘酒屋があったそうな。
そのことから昔は『甘酒屋横丁』と呼ばれていたと。
当時の横丁は今より南に位置しており、道幅もせまかったというのだが、
今でもその名残はあるように思う。
道の両脇には老舗も新しいお店も点在しており、
明治座の方へ進んでいくとマンションなどの住宅なども多い。
町の匂いが、なんだかとても良い。

 

良いな、良いなと思っていたら…本当に良い匂いが。 


店先で甘酒を売っているのが双葉商店さん。
創業は明治40年の老舗であります。
店内には油揚げやお豆腐などが並ぶ、そう、ここはお豆腐屋さん。

 

 

 

 

 

御主人の田中実さんにお話しを伺いました。
田中さんは僕と年齢も一つしか違わない御主人。
生まれも育ちも人形町であり、この町をこよなく愛していらっしゃる。
僕らの取材に応じてくださいながらも、
地元のお客さんが顔を覗かせると笑顔で迎える。この笑顔がとても良いのです。
町の雰囲気は、その町に暮らす人、その町で商売をする人が作る。
そう言えば人形町で働いている方々は、みんな素敵な笑顔をしているのだ。

 

 

 

 

 

田中「せっかくなので甘酒も飲んでいってください!
今日は寒いですから温まりますよ。麹の甘さが優しい甘酒です。」

 

 

一杯200円の甘酒は、コップからもうもうと湯気が立ちいかにも熱そう。
それをふーふーと冷ましながら少しずつ味わう。
熱々の甘酒が喉を過ぎていくと、冷えた身体がプツプツと音を立てるかの様だ。
まるで人形町の様な、優しい甘さが沁み渡っていく。
「あぁ、これは人形町の味なんだ。」
そんな風に思えてくる。優しい甘さ、それ自体が人形町の味。

 

 

 

 

 

 

井門「とっても、美味しいです。」

 

 

溜め息まじりにホッとした顔で言うと、田中さんも嬉しそうだった。
スタッフ全員の甘酒まで御馳走になって、有り難うございました!

 

双葉商店を後にし、甘酒横丁を明治座の方へと進んでいく。
間もなく見えてきたのは「人形焼き」の看板。 


ここも老舗であります。人形町 亀井堂

 

 

 

 

 

御主人の佐々木顯二さんにお話しを伺いました。
亀井堂自体はもともと神戸元町に総本店がある。
人形町の亀井堂はそこから昭和4年にのれん分けされたお店であります。
ところがのれん分けされた佐々木さんの家というのが、非常に由緒正しき御家柄。
平安時代より続く宇多源氏の名族だというではありませんか!?

 

 

佐々木「今はせんべい屋ですけどね(笑)」

 

 

そんな風に佐々木さんは笑うが、
亀井堂も人形町の老舗として地元の方のみならず遠方からのお客様にも愛される名店だ。
こちらの人形焼きが本当に美味しかった(笑)
いまこの旅日記を書きながら思い出してるんだけど、
今すぐに人形町に行って買ってきたい味。
だって一口戴いた時に、その懐かしい味に泣きそうになったんですよ(苦笑)

 

こちらの人形焼き、素朴です。
なんせ牛乳もバターも使わないんですもん。
和風カステラの中にあんこがたっぷり入っている。
生地が薄めなので、あんこの味わいが口いっぱいに広がる。
しかもその生地自体が優しい甘さでしつこくなく、いくらでも食べられちゃう。

 

 

 

 

 

佐々木「普通の人形焼きと違う、ってお客様に言われることも嬉しいです。
噛みごたえがある、とかね(笑)」

 

 

『老舗の味を守り続ける』
一言で言うのは簡単なことだ。だが、ことは商売である。
佐々木さんも商売的には難しいんです、と笑う。

 

 

佐々木「95%のお客様が分かってくださらなくても、
分かって下さる5%のお客様を満足させることが信念なんです。
守っていく事が、生きがいです。」

 

 

佐々木さんの言葉がじーんと胸に広がっていった。
この言葉は人形町で生まれ、この町を愛しているから出てくる言葉。

 

 

佐々木「えぇ、人形町が大好きです。
この町に生まれてきて良かった。人のぬくもりがあるんですよね。」

 

 

 

 

 

たっぷりお土産も戴いた揚句、
人形焼きのジェラートも御馳走になった我々。
このジェラートも、アイスを包む最中もとても美味しくて…。
うん、やっぱり今度の休みに亀井堂の人形焼きとか買ってこよう(笑)

 

甘酒横丁ぶらりは続く。 

 

並ぶ老舗の中にあって「へぇ~」だったのが、 


三味線の修理を専門に扱うお店:ばち英さん

 

 

 

 

 

大正5年から営業を続ける老舗であり、
今も日本の純粋楽器である三味線を様々な想いを込めて扱っていらっしゃる。 


御主人は小林英介さん
お話しを伺っていて意外だったのは、修理を依頼するお客さんの層。
7割が一般の方で、3割がプロの方だとおっしゃるのです。
もっともっとプロの方の依頼が多いのかと思いきや、これは意外でした。
そして小林さんが危惧する、三味線演奏人口の減少。
今は歌舞伎の世界も若い人が出てきて盛り上がってはいるが、
その演目を支える三味線奏者が減少してしまっては意味が無い…と。
歌舞伎の存続の為にこそ、もっともっと若い人も三味線を知って欲しいと。

 

最初お話しを伺う前は静かな方なのかな?と思っていたんですが、
お話しを伺うにつれて内に秘めた熱い思いがどんどん溢れて…。
何とか携わる人が増えていくことを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

甘酒横丁をぶらりしながら、
人形町の“匂い”をいっぱいに吸い込んで、ゴールの明治座へ。

 

 

 

 

 

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日本橋人形町。
僕はこの町にちょっとした思い入れがあって。
レポーターをやって東京中を飛び回っていた頃、
人形町出身の大物ブルースシンガーと一緒にこの町を歩いたんです。
もちろん番組の収録ですよ。でもとてもリラックスした収録だったなぁ。

 

今は立ち食い蕎麦屋さんになってしまったけど、
老舗の喫茶店で分厚いパンケーキを戴いたり、重盛の人形焼きの出来たてを戴いたりして。
BGMはブルースシンガーの昔話とアメリカでのエピソード。
それが人形町の風景と不思議とマッチしてね。

 

エンディングは夕暮れの水天宮の石段で、2人で横並びに座りながら、
この町のことや音楽への想いを伺ったっけ…。
こうして人形町を取材で歩いていると、あの頃と同じ匂いがして、
当時の自分がフラッシュバックするのです。

 

変わらないもの、変わらない気持。
変わってしまったもの、もう戻れない過去への憧憬。

 

古きよき風景と新しい風景が混在する人形町だからこそ、
そんなノスタルジーに浸ってしまうのかな(笑)
なんにせよ、ここはとても素敵な町です。

 

人形町は江戸と東京の交差点。
東京発どこ行くツアー、次はどこ行く?