震災から3年 三陸復興応援の旅!岩手編|旅人:井門宗之

2014-02-27

 

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から3年が経とうとしている。
番組でもこれまで様々な場所へ伺い、
東北の方々の想いを全国に届けてきました。
勿論被災地の取材はこれからも続けていきますし、
この取材に終わりは無いのだという事も分かっています。
ただ結論から言えば、今回の取材が終わった時に今までとは違う感想を持ちました。
それはほんの僅かではあるけど、光が差し始めているような…。
光の大きさは人それぞれだけど、
その光は被災地の方々を少しずつ照らしているような、そんな気がしたのです。
確かにまだまだの場所も数多く残されています。
でも苦しい状況の中でも強くあろうと、暮らしている方も数多くいらっしゃる。
今回は三陸復興応援の旅、岩手編。
昨年の宮城編に近いかな…久しぶりの方へ“お元気でしたか?”、
“お変わりありませんか?”を言いに行く旅です。

 

 

 

 

 

 

オープンニングを録った「おおふなと夢商店街」。
完成したのは震災の年の12月と言います。
日用品を売るお店や飲食店などが並び、地域と共に歩んでいる印象。
そう言えば今回の取材は雪と風の影響を随分と受けたんですけど、
こちらの商店街を訪れた時もやはり雪で…普段の賑わいとは少し趣が違いました。
(同行の河合女史は写真を撮影しながら雪まみれに…)

 

そうそう、今回のメンバーですが、作家は雪女の称号を授けられた河合女史。
Dは何度も東北の取材を一緒に行っているゴルッチ。
カメラマンは以前一緒に岩手の取材にも来た、テツヤ。

 

 

井門「大船渡って言えば、あの復興居酒屋だなぁ…。」

 

テツヤ「もうあの味は忘れられないですもん。」

 

河合「今回はそこにもお邪魔します!
きっと良い再会になるんじゃないでしょうか?」

 

 

前回訪れて、社長のパワーに圧倒された復興居酒屋。
そうか、今回も行けるって事はこの街で元気に営業中なんだ…。
再会を心待ちにしながら、まずは最初の場所へ。
大船渡と言えばサンマの水揚げ量が全国でも有数な場所。 


そのサンマを使った街おこしメニューが「さんまラーメン」であります。 


プロジェクト自体は2010年の秋にスタート。
最初は10店舗でそれぞれ独自の“さんまを使ったラーメン”を出していたのですが、
震災で2店舗が減ってしまい、現在は8店舗が大船渡自慢のさんまでラーメンを出してます。
僕ら訪れたお店はそんな中でも元祖のお店。 


創業40年以上の老舗萬来食堂さんです。

 

 

 

 

 

 

下船渡にあるこちらのお店は街の中にある、大衆中華の食堂。
風情がもう既に美味しそうなのです。
引き戸をがらがらと開けて中に入ると、
そこはなんだか懐かしい、誰もが思い出の中にある様な中華食堂。
TVがあって、漫画が置いてあって、壁には手書きのメニューがずらーっと。
ラーメンだけじゃなくて、子供も大好きな丼物やカレーだって並ぶ。
その価格だって良心的で、きっと厨房からは優しそうなおじさんが現れるだろうなぁ…、
そう思っていたら…

 

 

千葉「はい、ようこそいらっしゃいました。
遠い所をありがとうございます。」

 

 

 

 

 

 

予想通りの優しそうな御主人(笑)


この方が萬来食堂の千葉常雄さん
他にお店を切り盛りするのは、奥様ともう一人の店員さん。
どうやら3人でやられているようで、皆さんが役割をテキパキとこなしてらっしゃる。

 

 

千葉「私が喋るんですか??大丈夫でしょうか…。」

 

 

東北の男性が時折見せるシャイな表情。
東北に取材で来た時に僕はこういう表情を見て、なんだかホッとするのです。
“録音ですから大丈夫ですよ~”と伝えるゴルッチの表情も何だか優しい。
こうして始まったインタビューだったが、
御主人の口からは、この店に来てくださった方への感謝の言葉が溢れた。

 

 

千葉「震災後、やっぱり水が不足しました。
飲食店なので水はどうしても多く使わなくてはいけません。
するとどこかでそれを…多分TVだと思うんですけど、観た方がいらっしゃって。 


なんと静岡から車で水を運んできてくれたんです。」

 

井門「静岡からですか!?」

 

千葉「はい…本当にありがたくて。
タンクに詰めた水をいくつも。“静岡の水です。どうぞ使ってください。”って。
その方は今でも年に1回程度は来てくださいます。」

 

 

震災直後、様々な場所でこういう事は行われたんだろう。
それでも人の力って、想いの力って凄いんだと改めて感じる。

 

――この“想う力”、
いまどれぐらいの人が被災地への想う力を持っているんだろう…?――

 

 

井門「ではお店には遠くからも沢山の方がいらっしゃってるんですね?」

 

千葉「はい。つい先日もね、 


山口から軽自動車女性がいらっしゃって。」

 

井門「山口から軽自動車で!?
女性が一人でですか!?」

 

千葉「はい、あの自動車の中に寝袋積んでましたから…。
それでウチのさんまラーメンを食べて、また山口にお帰りになるって。」

 

井門「という事は萬来食堂さんが目的地の一つだったって事か…。」

 

千葉「車のナンバーを見ると、関西の方、東京の方、
県外から沢山の方がいらっしゃいます。この街は人口は減りました。
だけど、さんまラーメンのお陰で全国から人が集まってくれるんです。
有り難いことです。」

 

 

県外だけじゃありません。
実はインタビューの収録をしている時だって、
地元の方々が何人も入れ替わりでお店を訪れていたんですから。
味自慢だからこそ、県外にもその噂が流れるんでしょう。

 

先程大船渡でさんまラーメンを提供しているのは8店舗と書きました。
ではそれが横並びで同じかと言うと…違うんです。同じなのは650円という値段だけ。
あっ、後はちゃんと地物のサンマを使っているかどうかだけ。
それぞれの店舗が工夫を凝らして、
それぞれのさんまラーメンを提供しているんです。
だから大船渡に来たのなら「さんまラーメン食べ歩き」もして欲しい!!

 

 

千葉「ウチのはサンマを骨まで軟らかく煮込んだ切り身を載せてます。
スープは豚骨ベース。そこにサッパリさせる為の梅干しと輪切りレモンが入ってます。」

 

井門「(もう待ちきれなくてウズウズしてる)
あの…こちらの“さんまうめ~めん”戴けますか?」

 

千葉「勿論です!少々お待ち下さい。」

 

 

千葉さんの話によると各店舗では1年中「さんまラーメン」を提供出来るよう、
季節になったらちゃんとストックして急速冷凍で保存しておくそうな。
だからどの季節に行っても自慢の美味しいさんまラーメンが味わえると。

 

 

千葉「お待たせしました~!」

 

 

 

 

 

 

ざわめくスタッフ(笑)
なるとにメンマ、葱に…柔らかく煮込まれたサンマの切り身、そして梅にレモン。
丼がゆれるとスープにとろみがあるのが分かる。
では、とスープを一口…

 

 

井門「あ~っ!これはサッパリしていて美味い!!!
でもちゃんと濃厚で…サンマも戴こう… 


うわっ!なんて柔らかいんですか!?そして味が濃い!!
麺と合わせると…やっぱり美味い~!」

 

 

美味しい、美味しいと食べすすめると、千葉さんの顔もほころんでいく。
今回はお腹を空かせたヤジキタ一行全員がうめ~めんを戴きました。 


その全員が絶賛!!

 

最後の方で千葉さんは笑顔でこんな風に仰いました。

 

 

――さんまラーメンに助けられました。――

 

 

まだまだ知らない味がある。
まだまだ出会ってなかった素敵な笑顔がある。
千葉さん、萬来食堂の皆さん、ごちそうさまでした!また来ます!

 

 

 

 

 

 

すっかり堪能した一行。車内でしばらく“さんまラーメン談義”に花が咲く。
なんせ他にも7店舗あるわけで…他のお店のさんまラーメンはどんなだろう…と(笑)

 

 

河合「でも次のお店はいよいよ、あのお店ですよ♪」

 

井門・テツヤ「まさか…!?」

 

 

 

 

 

 

復興居酒屋 がんばっぺし
以前訪れた時は海の近くだったが、昨年もう少し街の方に移転したとのこと。
でも店の特徴でもある“明るさ”は健在!!
漁火の様な明かりが何だか見てるだけでも元気を与えてくれるのです。

 

 

井門「酔仙の瓶が店の前に並んでるのも、何だか良いね。
(酔仙酒造も前回の岩手取材の際にお世話になった場所)
中に社長は…いらっしゃるかな??こんばんは~!」

 

鎌田「井門さん、お久しぶりです!!御無沙汰してました!」

 

 

 

 

 

 

大きな声で優しく笑う。
この人は変わらないなぁ…きっと地元の若い子達に相当慕われているだろうなぁ。
僕はねこの人に会うと毎回そんな事を思うんです。 


社長の鎌田直樹さん
前に訪れたのは2012年の11月でした。
お店は移転しましたが、中の元気な雰囲気は全く変わらず。
鎌田さんは今でもこの土地の若者に夢を説いてます。

 

 

鎌田「やっぱりね、若いヤツが地元で夢を持てないとだめなんですよ!
その為には飲食店も様々なアイデアを出して、外から人を呼ばないと。
競合したらダメになるんじゃなくて、
切磋琢磨から良いものを(アイデアや商品など)生みだしていかないと!」

 

井門「あれから3年ですが、街の様子は変わりましたか?」

 

鎌田「大船渡は津波の被害で何にもなくなった場所です。
でもそれが幸か不幸か、震災の記憶を薄れさせているのも事実です。
中には前の風景を思い出すのも難しいって言う人間も出てくるくらい。」

 

井門「街の様相が一変したって事ですもんね。
でも各地で問題になっているのは震災の遺構を残すのか、どうするのか?
鎌田さんはそういった遺構を残した方が良いと?」

 

鎌田「震災の記憶を風化させないため。
それは悲しむ為じゃないんです。
前に進むためにあの日の記憶を留める何かはあっても良いような気もするんですよ。」

 

 

確かに津波で壊れた建物を見た時に、
家族のどなたかがその影響で亡くなってしまった場合もあるわけで。
それを見た遺族の想いは複雑でしょう。
でも一方であの震災を風化させない為に、何かを残すという考え方も分かるんです。
結局のところそのど真ん中にいない自分に、答えは出せない訳ですが…。

 

人口も少なくなっている大船渡において、
それでも鎌田さんはこの街を活性化しようと、必死になってやっています。

 

 

鎌田「実は横浜でずーっと口説いていた焼鳥屋さんがいて…。
数年かかりましたけど、大船渡でお店を出して貰う事になったんです!」

 

井門「それっ、凄いじゃないですか!?」

 

鎌田「そうやって新しい味が入ってくる事によって、
地元の人ももっともっと頑張ると思うんですよね!」

 

 

やっぱりこの人の熱さは心地いい。
地元を愛して愛して、愛し抜いているんだ。
そうする事で苦難も数多くあるのだけど、それでも何か出来ないか?
真っすぐに無骨に、そしてとんでもない常識破りな事もしながら頑張ってる。
鎌田さんの発言で何度僕らが驚かされたか…。
ここでは書けないけれど、この人ほんと凄いんだよ!

 

 

鎌田「ウチの店に来たら是非、名物も食べてってください!
前には無かった新メニューがあるんですよ!」

 

 

そうして出されたのは目の前の網で新鮮な魚介を焼く磯焼き!
更にこれも凄いのだけど、鮮度の高いホルモンを使用したもつ鍋!!

 

 

 

 

 

 

鎌田「このホルモンも探すのに苦労したんです!
でも鮮度はめちゃくちゃ自信ありますから!本当に旨いですよ!」

 

井門「確かにプリップリですもんね!
ではでは…いっただっきまーす…モグモグ… 


うっまーい!!!
歯ごたえと脂の旨味が最高ですね!」

 

 

モツ鍋に感動した後は磯焼きであります。
この日はホタテ、白ハマグリ、サザエ、ツブ貝、海老。
直火で焼かれたそれぞれに、特製の醤油ダレをジュワっとかけて…。
立ち上る煙はいつまでも吸い込んでいたい、磯のアロマ(笑)
目の前でマイクやカメラを持つスタッフが小声で言うのです。
「…っく、うっまそ…」

 

 

鎌田「このホタテもね、僕が子供の頃はこの一回りか二回りくらい大きかったです。
でも漁師さんが言ってましたよ!
あと1年くらいで元の大きさに戻るんじゃないか?って(笑)」

 

 

今でも大きいこのホタテが、来年には更に美味しそうなサイズになるなんて…。
ではこちらもいっただっきまーす!!!!

 

 

 

 

 

 

 

井門「うっまーい!!!!!

 

 

もうね、がんばっぺしの魚介は間違いないから。
お刺身も戴いたんですけど、その身の歯ごたえ、味の濃さ、
これは地元を愛する鎌田さんが太鼓判を捺す訳ですから間違いないんです。
我々はこの後お言葉に甘えて、
酔仙酒造さんが出している「がんばっぺし」というお酒まで戴き、
鎌田さんと熱く「また来ますからね!」と約束を交わしお店を後にしました。

 

さっきも少しだけ書きましたけど、
鎌田さんには鎌田さんの深い深い悩みもあります。
でもそれはこれを読んでいる方に解消のお手伝いも出来るんです。
すなわちそれは、大船渡に行き、がんばっぺしで飲むこと。
その人数が少しずつでも増えていけば、
そしてその人達が他のお店にも足を運ぶようになれば、
大船渡の漁火はまた煌煌と照らされる日が来るんじゃないか、僕はそう思うんです。
鎌田さん、また必ず来ますからね!
その時はまた美味い酒を酌み交わしましょう!

 

 

 

 

 

 

あの震災から今年で3年。
その年月の中で様々なものが変化しました。
前に進むものもあれば、そうじゃないものも当然あります。
以前岩手を訪れた際、僕らは沿岸地域のシンボルでもある三陸鉄道に乗りました。
そう、あまちゃんでもお馴染み、三陸鉄道北リアス線です。
実はこの三陸鉄道、南リアス線がついに今年の4月5日に開通する事になったんです!
それを受けて我々は岩手を訪れる前に、
東京で三陸鉄道の望月社長に電話インタビューを行いました。
開通を前にした望月社長の嬉しそうな声が、忘れられません。

 

事前に望月社長にオススメの駅も聞いたので、 


それを踏まえて開通前ではありますが、ヤジキタも南リアス線に乗車!

 

 

 

 

 

 

 

三陸鉄道の駅舎って、なんだかアットホームで良いんですよね。
盛駅は入るとストーブがあったかくて、
ホームに向かう階段には手袋がアート作品として吊るされていたり、
壁には今までのボランティア報告の記事や写真が沢山貼られていたりもします。
僕らを迎えてくれたのは、一両編成の可愛らしい車両。

 

 

 

 

 

 

中に入ると向かい合わせのシートが旅情を誘います。
ゆったりと進むその速度も何だか心地いい。
望月社長のオススメは盛駅から3つ目の「恋し浜駅」。
ここは昔から盛んにホタテの養殖が行われており、
その貝殻を絵馬にしたものがこの駅の待合室に吊るされているのです!
しかも「恋し浜」だけに、恋愛成就のパワースポットだとか!?
どれどれ…その待合室とやらを覗いてみると…

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ…天井から吊るされた貝殻の数ったら…アナタ…。
凄い数じゃないですか!?ここに若い女の子や地元の男の子がこっそり来て、
こっそり絵馬を吊るしたりするのかなぁ…。
なんだかその姿を想像すると、甘酸っぱい気持ちになってしまうのです(照)

 

恋し浜を出ると電車はゆっくりと北上していきます。
取材日はまだ開通前なので、南リアス線は「盛駅~吉浜駅」まで。

 

 

 

 

 

 

吉浜駅から釜石までは車での移動となりました。
釜石駅に到着すると、待合室に鉄道ジオラマが!

 

 

 

 

 

 

 

実はここ、カフェなんです。
三陸鉄道の券売機はカフェの券売機になっていて、
現在は、コーヒーなどを楽しむ事が出来る場所。
この感じもアットホームな三陸鉄道ならでは、という気もするんだよなぁ。

 

ちなみに、4月5日の全線開通以降もジオラマやカフェはそのまま。
発券機は、鉄道の発券機に戻るそうです。 

 

 


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震災復興応援スペシャルと題した東北の旅、
僕ももう何度も東北を訪れる機会を戴きました。
でもやっぱり最後に喋る事は毎回同じなんです。

 

――沢山の方に、この地を訪れて戴きたい。――

 

震災から時が経つにつれ、風化という言葉も言われる様になりました。
確かに人の記憶は薄れていってしまうもの。
だけど、ここに来れば、何かしら胸に落ちる物はある筈なんです。
そして気付く事が出来る筈なんです。
まだ自分にも何か出来る事があるってことを。

 

今回も被災地を訪れた初回の旅日記からの抜粋で締めくくります。
あの時の旅日記はこんな言葉で締められています。

 

『笑顔を取り戻すには、人の笑顔が必要だ。  
人の笑顔が増えるには、被災地に住む人だけでは足りない。(中略) 
あなたの笑顔はきっと、被災地の皆さんの笑顔を取り戻す為の、大切な支援になるのだろう。 
出来る範囲で構わない、続けていく事が何よりも大切なのだ。 』

 

想い続けましょう。
そして東北の方々の笑顔を見に行きましょう!
あなたの笑顔が、きっと何よりの力になると、僕は信じています。