醤油発祥の地、和歌山県湯浅町の旅|旅人:井門宗之

2014-06-27

 

井門「やっぱりさ、日本の食文化って凄いよね。」

 

一同「(どうしたんだコイツ)そ・そうですね…。」

 

井門「この食文化に欠かせないのがやっぱり調味料でしょう?」

 

一同「(何を言い出すんだコイツ)そ・そうですね…。」

 

井門「醤油のルーツって和歌山なの知ってる?」

 

一同「それは知らなかったなぁ。
あっ、まさかYAJIKITAで醤油のルーツを探る旅をしたい?」

 

井門「しょうゆうことっ!
(うわぁ…)

 

ある日の会議でそんな企画が立ちあがったYAJIKITA。
井門Pの言う事も一理ある。
なんせ「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたのだ。
世界中の人々が和食に注目する中で、
その大切な味の決め手となる「醤油」に注目するのも悪くない。
いや、むしろ相当面白そうだ。(めっちゃ俯瞰して書いてますけど、書いてるのも井門です)

 

そんな訳で今回は日本食に欠かせない調味料、醤油のルーツを探る旅。
一行が向かったのは和歌山県湯浅町でありました。

 

 

 

 

 

 

この湯浅町、町並みが素晴らしく美しいのです!
それもその筈、平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に指定され、
行政によってその町並みが守られている地区でもあるからなのです。
通りを歩けばその風情は江戸時代そのもの。
ベタな言い方だけど、これしか浮かばないから言うよ。 


まさにタイムスリップしたみたいなのであります。

 

 

 

 

 

 

 

それに加えてこの町の方々が非常に人懐っこい(笑)
マイクやカメラを構えて通りを歩いていると、
「なんの収録ですか!?」なんて気軽に話しかけてきてくださる。
時間の流れが緩やかな分、人柄も穏やかな方が多そう。
我々はまず町のお話しを…と思いまして、役場の方にインタビューです。 


湯浅町役場産業観光課の吉川幸宏さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

吉川さんにお話しを伺った場所は今年4月23日にOPENした、 


まちなみ交流館という場所。
ここは観光客をおもてなししたり、地域の方々の交流の場になったり、
ある意味で拠点とも言うべき場所なのであります。
それが証拠に机の上にはお菓子やお漬物等が並び、
我々もすっかり田舎のじいちゃん・ばあちゃん家に来た感じに…。

 

 

 

 

 

 

井門「町の風情も人柄も良いですね!」

 

吉川「湯浅町は人が本当に懐っこいんですよ(笑)
元々は熊野古道の影響で宿場町として発展していた町ですから、
外から来る方を受け入れる気質は備わっているのかもしれませんね。」

 

 

そんな湯浅の産業の一つが醤油であります。
湯浅醤油としてのブランドが確立したのが室町時代とも言われており、 


江戸時代には湯浅町になんと92もの醤油蔵があったとか。

 

 

吉川「現在はただ1軒のみになってしまいましたけどね。
でもこの湯浅が醤油発祥なので、
ここから小豆島や千葉に醤油の技術が広がっていったんですよ!」

 

井門「そうか!我々も小豆島の醤油蔵に取材に行きましたけど、
あれも湯浅醤油が無いと成立しなかったんですね!?」

 

吉川「そうです。
恐らく職人がその地に渡って、そのまま移り住んだケースもあったでしょう。
ですから湯浅に多い名字が、千葉や小豆島にも多い事があるんですよ。」

 

 

技術は人が伝えていくという良い例だ。
虫を介して花粉が飛んでいく様に、人が醤油の技術を湯浅から運んでいく。
そしてそれが各地に根付いたお陰で、醤油が日本を代表する調味料になっていったのだ。
(余談ですが、それはやはり日本の水が美味しかったんだと思いますよ。
湯浅も湯浅の水が醤油造りのキーになっていたらしいですから)

 

 

吉川「湯浅は人も町並みも良いですが、
海が近いので魚がとても美味しい。
山も近いので山の幸も豊富に獲れます。四季折々で楽しんで戴きたいです!」

 

良いなぁ。地元の食材を、地元で作られた醤油で戴く。
物凄い贅沢だと思いません??
で、ですね、折角なので素晴らしい景観の湯浅町をぶらりしてみたのですが…。
もう素敵!!セイロのギャラリーなんかも点在していて、良い!

 

 

 

 

 

 

魚屋さんは軒先で立派な鮭を捌いていて、
ガラスケースには新鮮な魚や美味しそうな干物の数々が並んでいるわけです。 


こうした海の幸に地元の醤油…たまらん!!
もう、辛抱、たまらん!!

 

 

 

 

 

 

実は吉川さんとのお話しの中に、
「醤油のルーツは中国から伝わった金山寺味噌」ってのがありまして。
その金山寺味噌を作っているお店が湯浅にあると言うのです。
この町並のどこにそんなお店が…?

 

 

 

 

 

 

お店の中に入ると甘く香ばしいお味噌の香りが漂う。
それもその筈、入るとすぐに商品ケースがあり、
社長の奥さまが一つ一つ丁寧に容器にお味噌を入れている最中だったのです。

 

 

社長「ウチは夫婦2人でやっている小さな店だからねぇ(笑)」

 

 

そんな風に笑う御主人こそこちらの社長:太田庄輔さん
本編でお伝えした通り、お味噌の味も最高に美味しいんですよ。
でもね、何よりもこちらの御夫婦が本当に仲が良くて(笑)
二人三脚で支え合いながら店を切り盛りしているのが物凄く伝わってくる。
お店を出る前に仰ってましたからね、今年結婚40周年だって。
どうやらインタビューの後半はのろけだった…のかも!?

 

こちらのお店「太田久助吟製」さん、元々は醤油蔵でした。
現在もその名残が店の裏手には残ります。
(火入れをする為の竃)

 

 

 

 

 

 

そもそも金山寺味噌が醤油のルーツというのはどういう事なのでしょうか?
中国の臨済宗のお寺に径山寺という寺院がありまして、
そこで作られていた味噌(金山寺味噌)の製法が海を渡ってこの地にやってきたと。
で、味噌の上澄みをなめてみると美味しいのでそれを商品にしよう、と。
伝わったのが鎌倉時代と言いますから、相当の歴史を持つ調味料なのです。

 

 

太田「嘗味噌ですから、中に胡瓜や茄子の刻んだ物も一緒に入れるんです。
味噌自体は米麹、麦、大豆が主体。
刻んだ野菜から浸透圧で汁が出るんだけど、それを舐めてみると旨いってんで、
そこが醤油のルーツになったみたいですね。」

 

 

こちらで作る金山寺味噌、75kg入るタルに金山寺味噌がたっぷりだったんですが、
太田さん曰く「底と表面で味も違うし、季節、温度、湿度でも味は変化していく。」
とても難しい調味料なのだそうで。
やはり生きている麹菌相手の商売、
毎回工夫をしていかなくてはならないという事でしょう。

 

 

 

 

 

 

太田「ウチは夏は40日、冬は80日の長期熟成です。
塩のカドが取れるまで最低でも1カ月はかかる。 


商品として鼈甲色になるまでは出荷しません。」

 

 

僕らも実は熟成中のタルに浮かんできた上澄みの汁を舐めさせて貰ったんですが…。
これが「みたらし団子」のように濃厚な甘さで旨いんです!
でもね、みたらし団子なのは熟成し始めた味噌で、
出荷直前の味噌の上澄みは「コクのある味噌の風味」がいっぱいに広がります。

 

人間も味噌も熟成っちゅうのは大事な期間だって事ですな。うん。

 

もちろん太田さん自慢の金山寺味噌、味見させていただきました!
凄いんです、このお味噌。
普通の味噌だといきなり塩辛さがくると思うんですが、ここのは違う。

 

いきなりしょっぱく無い。
ふわ~っと甘じょっぱさが広がっていくんです!

 

 

 

 

 

 

ちゃっかりお土産で金山寺味噌を頂いたのですが、
家に帰ってから色々と試しました。
炊きたての白米に金山寺味噌…米の甘さが際立って最高!
生の胡瓜につけてガブリ…野菜の旨さが引き立って最高!
えぇ、えぇ、もう言うこと無しの旨さだったのです!
味噌造りは体力勝負。これを御夫婦二人でやられている凄さ。
お二人ともお元気で、美味しい金山寺味噌をこれからも作ってくださいね!

 

 

 

 

 

 

湯浅に現在残る醤油蔵はただ1軒のみ。 


その1軒が角長さんです。

 

 

 

 

 

 

現代にただ1軒残る醤油蔵、訪れない訳にはいきません!
まず昔の醤油造りに欠かせなかった道具などを展示してある職人蔵へ。 


お話しを伺ったのは御主人の加納恒儀さん

 

 

 

 

 

 

 

角長の創業は1841年。幕末になります。
そこから現在に至るまで醤油の製造を続けてきた老舗。
その醤油蔵も見学させて戴きましたが、24個もの巨大な樽が並ぶ様は圧巻。

 

 

加納「耳を澄ますと麹の生きている音がするんですよ。」

 

 

 

 

 

 

こちらで作られた醤油は実際に購入する事も出来るのですが、 


僕らが頂いたのは「濁り醤」という醤油。
火を入れていない醤油との事で…

 

 

井門「こちらは何に合わせたら美味しいですか?」

 

加納「肉ですね!(キッパリ)
お刺身だとお醤油の味に魚が負けてしまうんです。」

 

 

はいはい、東京に戻ってから試しましたよ!
肉に合わせるとその旨味が増していくのがよく分かります。
「濁り醤」にかなりのパンチ力があるので、確かにお刺身では負けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

昔ながらの製法を守り続ける事で完成された角長の醤油。
その味わいは醤油発祥の町の醤油に相応しく、味わい深いものでした!

 

角長を後にした一行は、続いて「甚風呂」という場所に。
なんと幕末から昭和60年まで営業を続けていた公衆浴場が甚風呂。
現在は建物内部を保存・復元し、往時の生活様式を伝える資料館になっています。

 

 

 



 

 

こちらでお話しを伺ったのは山本郁美さん

 

 

山本「もともとここは甚蔵さんのお風呂屋さん、
言う事で“甚風呂”と呼ばれる様になったんですよ。」

 

井門「今は浴場も含めて資料館として開放してあるんですよね?」

 

山本「えぇ、そうなんです。あちらの壁を見てください!
浴室の壁に昭和の懐かしい映画ポスターが貼ってあるでしょ?
昔もこんな風に貼られていたんですけどね、
当時は人が最も交流するのが銭湯だったんです。
湯浅には昔、映画館が2つありまして。
その宣伝は人が最も交流する銭湯でしょうって事で、
こうして映画のポスターが貼られていたみたいですよ!」

 

 

 

 

 

 

こちらの甚風呂は当時の経営者が実際に暮らしながら営んでいたようで、
銭湯の建物の裏は住居になっているんですね。
現在はその住居スペースを利用して湯浅の暮らしの歴史を、
様々な物を通して紹介しているんです。

 

山本「こちらにある古い道具などは、
町の人達から寄贈されたものなんです。ですから色んな物がありますよ。」

 

 

 

 

 

 

山本さんも仰っていた湯浅の人の特徴。 


とにかく人懐っこい
とても明るく話してくださる山本さんを見ながら、
“そうだよなぁ”と強く納得するYAJIKITA一行なのでした(笑)

 

 

 

 

 

 

我々が最後に訪れたのは、お待ちかねの湯浅グルメ!
湯浅は海が近いので美味しい海の幸に恵まれています。
湯浅湾には豊富なプランクトンがいるのですが、それを食べに魚が集まると。 


中でも水揚げ量が県下一なのが「シラス」でございます! 


駅から程近く、シラス丼の幟が目印の「かどや食堂」さんにお邪魔しました。 


御主人の宮井功さん曰く、
湯浅には釜揚げ工場がある為にシラスが名物になったのでは…との事。
こちらで頂くシラス丼の定食が…絶品でした。
かなり大きなサイズのシラスがご飯の上いっぱいにかかっていて、
その上には大葉と海苔が刻まれている。他にも新鮮なお刺身が付いて…。

 

 

 

 

 

 

いやぁ、幸せな味でしたねぇ(しみじみ)。
更に我々、生のシラスも頂いたのですが、こちらの舌の上でとろけるネットリ感。
ポン酢のジュレで頂く生のシラスの旨いこと、濃厚なこと。
地元で獲れたシラスを、地元の湯浅醤油でいただく幸せ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

歴史が色濃く残る町並みって、日本各地にあります。
じゃあ湯浅の町並みは何が違うのかっていうと、
コンパクトな町の中でそこに暮らす人達がマイペースに守ってきた、
その温かさみたいなものまで感じられるって所なのかもしれない。
だからこそこの町で暮らす方々は人懐っこくて、笑顔が素敵で。

 

今回は取材だったので町の方々と交流する機会も少なかったのですが、
でもすれ違う観光客と町の人がにこやかに談笑する姿はあちこちで見かけました。
どの顔もとても嬉しそうだったのが印象的です。

 

醤油のルーツ、それを守る職人達。
そして、地元を自慢に想う人達。
湯浅町には訪れる人をほっとさせる何かがあります。
ひょっとしたらそれは、
町からほんのり香る醤油の香りが、そうさせるのかも?しれませんね。