復興応援SP 女川、ふるさと再生への一歩|旅人:井門宗之

2014-07-24

 

一度会ったら忘れられない人、という人がいる。
一度会ったら忘れられない味、という味がある。
一度行ったら忘れられない街、という街がある。

 

僕にとっては宮城県女川町にその全てが詰まっている気がする。
震災からこれまで、縁あって個人的にも女川の皆さんとは繋がる事が出来たし、
YAJIKITAでも2年前に女川町を訪れた。
会いたい人ばかりの女川町。

 

 

井門「今回のロケでまた会いに行こう!」

 

永尾「おかせいの女川丼、本場で食べなきゃだよ、井門君(笑)」

 

 

永尾Dは何度も東北に足を運んでいて、
おかせいの女川丼も本場で堪能済み。
被災地の悲しさも喜びも、現地で何度も見てきた人だ。
ミラクルさんも最初の取材から一緒に被災地を見てきた人。
テツヤにとっては2年前の女川が、初めての被災地取材だった。
前回の石巻同様、このメンバーの復興応援にかける想いは、とても強い。 


今回の女川の旅もオープニングは「輝望の丘」からスタートした。

 

 

 

 

 

 

永尾「最初は町の今の話とか聞きたくてさ、
ちょうどこの辺で待ち合わせているんだけど…あの車そうかな?」

 

 

輝望の丘を車で下りた所に停まっていた1台の車。
その横につけると運転席と助手席に若いカップルが座っている。
ついつい反射的に“どうも!”なんて笑顔で会釈したは良いものの、
“あれぇ?若いカップルさんだし、違うかなぁ”なんて永尾さんが言いだす。
“そんなぁ、俺達みんな、超笑顔で会釈しちゃったよ”と車内はザワつく(笑)
でもそんな心配も杞憂だったようで、 


このカップルの女性こそ女川福幸丸代表:佐藤友視さん
そう、女川の音楽イベント「我歴stock」を企画・運営する団体の代表なのです!
お隣に座っていたのは旦那様。
しかも佐藤さん、お腹には6カ月になる赤ちゃんが!

 

 

佐藤「震災から3年4カ月が経って、
私の様に新たな命を授かる友人も出てきています。
この子たちに震災の何を伝えていくのか、大切だと思います。」

 

 

笑顔で、でもしっかりとした眼差しで語る佐藤さん。
愛おしそうにお腹をさする姿は、今でも忘れません。

 

 

 

 

 

 

井門「どうして女川で音楽のイベントをやろうと思ったんですか?」

 

佐藤「震災で町のほとんどがやられてしまって、
皆どうして良いか分からず本当に暗い気持ちだったんです。
そんな時に何気なくつけていたラジオから音楽が流れてきて。
その音楽に思いのほか勇気づけられたんですよね…。
音楽の力って凄いなぁ~って純粋に感じて。
それで音楽の力で町を元気に出来ないかって、そう思ったんです。」

 

 

とは言え、どうすれば音楽イベントが出来るのかすら分からない状態。
まさに1からのスタートである。

 

 

佐藤「最初はもう何して良いか分からなくて(笑)
完全に手探りでスタートしたんです。」

 

 

こうして船出した佐藤さん達、女川福幸丸のメンバー。
様々な方の協力によりついに、2011年10月30日、1回目の開催となった。 


その名も『我歴stock in onagawa ~福興編~』。

 

 

佐藤「その頃“瓦礫”って言葉に色んなネガティブな想いもあって、
瓦礫はただの瓦礫じゃないよねって。
私達やどこかの誰かの大切な歴史がそこにあるんだよねって。
だから漢字を“我歴”にしてイベントの名前に冠したんです。」

 

 

今年の6月に開催された4回目の我歴stockには、
なんとナオト・インティライミさんが登場。女川の町が大いに沸いた。
佐藤さんはこうして無事に4回目を迎えられたのも、
福幸丸の熱い気持ちがあればこそだし、女川の町の人のお陰だとも話す。

 

 

佐藤「女川の色ってあるんですよ!
人が温かくて、大好きなんです!(笑)
私もそうですけど、ウチの旦那は私よりも若くて。
そういう若い人が頑張れば、きっとまた人は戻ってくると思うんです!」

 

 

目をキラキラさせながら、最後まで笑顔で語る佐藤さん。
その姿を少し離れた所から優しそうに見つめる旦那様。
凄く素敵な御夫婦で、やっぱり忘れられない(笑)


しかも佐藤さん、女川さいがいFMの妖艶魅力の持ち主、
そう!あの“さいじゅ”ちゃんの学校の先輩だと言うではないですか!?
こうやって人と人は繋がっていくんです。
そして繋がると人は強くなっていく。
佐藤さん、また会いにきますから、元気な赤ちゃん産んでくださいね!

 

 

 

 

 

 

続いて向かったのは女川きぼうのかね商店街。
こちらの商店街もお店が変わったりと、少しずつ変化している。 


こちらでスプレーアーティストD-BONSさんを訪ねました。

 

 

 

 

 

 

女川出身のD-BONSさんは地元漁師が漁具などを置くコンテナに大漁旗を描こうと、
ボランティア団体の企画に参加して、
牡鹿半島を中心にコンテナにスプレー缶を使い大漁旗を制作。
こうしたスプレーアートを通じて女川という町を外に向けてアピールしてきた。
震災から3年4カ月の今の気持ちを、真っすぐにこう話してくださった。

 

 

D-BONS「震災直後と違って、もう女川に来て旨い物食って、
楽しんでくれればそれで良いんです。被災地だから可哀そうだとか、
もうそういう時期ではなくて。」

 

井門「女川にD-BONSさんみたいに面白そうな事をしている人がいて、
その人に会いに女川に来る、その先に女川がある、そういう事ですか?」

 

D-BONS「そうです。もう俺の気持ちもそっちにシフトチェンジしてる。
女川はね、良くも悪くも縦の繋がりが物凄く強いんです。
そして俺達の世代、20代後半~40代くらいの人達が面白い!
俺の先輩なんかも愛すべきバカばっかで(笑)
でもいざとなったら普段はバカな話しかしない癖に、物凄く頼りになる。」

 

井門「その力が“我歴stock”だったりするんでしょうね!」

 

D-BONS「俺は震災の後に3カ月くらい外国を周りました。
ジャマイカでLIVEペイントやったり。
向こうはレスポンスが早いんですよ~!
LIVEペイントやってたら、“俺の車にも描いてくれ!”なんてね(笑)
でもどんな場所に行っても“女川がやっぱり良いな”って思いました。」

 

井門「食べる物も美味しいですしね!」

 

D-BONS「そうですよ!俺なんて毎日“今日は何食おうかなぁ~”って悩むもん。
女川の飯はほんとに旨い、最高です!」

 

インタビューの時にD-BONSさんが着ていたTシャツもオリジナルの物。
そこに書かれていた文字は「ONAGAWA SOLDER」。
他にもお話しを伺ったお店には、D-BONSさんの先輩や仲間が作った作品が並ぶ。
ご自身も東北を中心にLIVEペイントであちこち飛び回り、精力的に活動を続けている。

 

ところがそんなD-BONSさんにも、少し不安を感じるところがあるという。

 

 

D-BONS「俺達の世代は良いんですよ。
酒飲みながら熱い話をしたりして、その気持ちは共有出来てますから。
気になるのは10代後半~20代前半の子達です。
彼らの世代にこの気持ちがちゃんと伝わってるかなって。
ちゃんと女川の町に誇りを持ててるかなって、それを伝えられてるかなって。
なんだかんだ言って20年後、30年後の女川を支えるのはその世代の子。
彼らに“女川って楽しいんだぞ!”をちゃんと伝えるのが僕らの仕事です。」

 

 

本当にそうなのだと思う。
町の個性は勝手に作られるものではない。
そこに暮らす人が作っていくものなのだ。
D-BONSさんや福幸丸の佐藤さんの熱い気持ちが、
どうか力強く繋がっていきますように…。

 

 

永尾「今日の午前中に一応電話で伝えたから。」

 

井門「何を?」

 

永尾「おかせいに、“取材もさせて頂くけど、特選も4人前お願いします”って。」

 

一同「流石や!この人、抜かりなしやで!!」

 

 

念願叶うとはこのことか…。
ついに聖地「おかせい」へとやって来た一行。

 

 

 

 

 

 

店の前の駐車場には他県ナンバーの車も多く停まっている。
中には徳島ナンバーの車まで!! 


我々は特選女川丼を頂く前に、代表取締役:岡誠さんにお話しを伺った。

 

 

岡「うちは元々魚屋なんですよ。
震災の後、女川に地元の魚を食べさせる店が津波で無くなってしまいました。
でも、地元の人の“女川の魚が食べたい”って声が多かったんです。
それならウチで始めようって、2011年10月に店舗営業を再開しました。」

 

 

今でこそ「おかせい」と言えば豪華な海鮮丼が知られるようになったが、
当時は握りも丼も1000円で始めたそうだ。

 

 

岡「コンビニ弁当が400円~500円くらいでしょ?
ウチも気軽に食べて貰えるように、最初はそのくらいでやってたんです。
でもそのうちネタもどんどん豪華にしちゃえってんで、
色んな丼を増やす様になりました。」

 

 

“地元の新鮮な魚介を低価格で!” 


おかせいのこの姿勢はまさに“女川の心意気”なのである。
恐らくは同じ内容の海鮮丼を東京で食べたら6000円は下らないと思う。
つい先日東京のあるレストランで貧相な海鮮丼に3000円の値段が付いていて、
メニューを破り捨てたくなったものだ(笑)

 

 

井門「今はお昼時に行列ですし、
今日も県外から車でいらっしゃってますもんね!」

 

岡「はい…もうなんと言うか、責任重大です。
でも来てくださるお客さんに満足して頂けるように、頑張っていきます。」

 

 

 

 

 

 

永尾「じゃ、皆で特選、いきますか!」

 

一同「おおお~~!!!」

 

 

特選女川丼はこの日、ネタが14種類も入って2600円。
アラ汁も既に“アラ”ではない(笑)


では、竜宮城とも言われる特選女川丼をどうぞ!

 

 

 

 

 

 

もう言う事はないのではないだろうか…。
食レポしたんですけどね、一応(笑)
「凄い!」しか出てこないんです、この特選女川丼。
あっ、更に言うと元々魚屋さんなので新鮮なお魚も売っています。
しかもメチャ安で!この日も立派な黒そいが3尾で300円だったもんなぁ…。

 

おかせいさん!
本当に御馳走さまでした!!必ずまた来ますからね!!

 

YAJIKITA復興応援SP、最後に向かったのは女川町の北、雄勝町。
石巻市街地の北東に位置する雄勝町は、「雄勝石」の産地。

 

かつては日本製の硯の90%を生産していたといわれる雄勝の硯産業は、
昭和の後半から産業が衰退しはじめ、東日本大震災で壊滅的な打撃を受けました。
雄勝石は、昨年リニューアルした東京駅の屋根にも使われています。
そんな雄勝石でつくられた伝統工芸品が、「雄勝硯」。


我々は雄勝町の硯職人の髙橋頼雄さんにお話しを伺いました。

 

 

髙橋「震災の後、瓦礫の中から使える雄勝石をひとつひとつ拾い集め、
手で泥を洗い落としてまたスタートしました。」

 

 

我々がお話しを伺った工房には至る所に美しい漆黒の雄勝石。
硯もさることながら、雄勝石で作ったお皿の素晴らしいこと…。

 

 

 

 

 

 

髙橋「東京の有名店でも雄勝石を使ったお皿を使って戴いてるんですよ!
この黒ってのが逆に珍しいんじゃないでしょうか?」

 

井門「店舗に雄勝石のお皿に載ったお寿司の写真がありましたけど、
鮮やかな魚介の色がお皿の黒で更に映えてましたもんね!」

 

 

ここで伝統を守り続ける。
並大抵のことではないだろうと思います。
髙橋さんが仰るのは「少しでも多くの方に見に来て戴きたい」ということ。
雄勝の町も津波により甚大な被害を受けた町です。
決して大きくない町で、それでも力強く雄勝石の伝統を守る髙橋さん。
是非今回のYAJIKITAを聴いたリスナーさんにも、
雄勝石の美しさを見て戴きたいです!(永尾Dはお土産で買っていってました)

 

ちなみに今回の取材で雄勝石の研磨作業を体験。

 

 

 

 

 

 

また、大きく立派な一枚岩も見せて頂きました。

 

髙橋さん、貴重なお話しを有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

そうそう、このロケの最中にあの人からtwitterでDMが届いたんです。
「ちょっとでも会いたいです!」って。
送り主は髙政の髙橋正樹さん。嬉しかったなぁ。
どっちにしろ僕らも取材が終わったら髙政に寄って蒲鉾を買うつもりだったから、
急いで髙橋さんがいるという輝望の丘へ。

 

 

髙橋「井門さん、ようこそ女川へ!」

 

井門「下北沢のイベント以来ですね~!」

 

 

以前下北沢で行われた女川の特産品のイベント。
そこで髙橋さんと某ちゃんに久しぶりに会っていて。
でも女川で髙橋さんに会うってのがとても特別な事のように思えて、胸が熱くなる。

 

髙橋さんが言う。
“地域医療センターの裏からの眺めをどうしても見て欲しい”と。
いまの女川がどれだけ前に進んでいるか、よく分かるからと。

 

 

 

 

 

 

そこに広がっていたのは、
綺麗に造成が進む新しい女川駅周辺の姿だった。
何台ものダンプカーが土を運び、ブルドーザーがそれを均し。
その光景がひっきりなしに目の前で繰り返されている。

 

 

髙橋「半年前に比べても物凄くここからの景色は変わりました。
来年の女川駅再開に向けて、確実に造成が進んでいるんです。」

 

井門「もう駅前の動線やどんな風に店舗を作っていくかは決まっているんですか?」

 

髙橋「動線はもう既に決まっています。
ちょうど丘の上に女川駅を作るんですが、
そうですね、女川港の方に太陽が出るんですが、
日の出の光が女川駅を照らす様に作られるんです。」

 

井門「そうなんですか…。」

 

髙橋「井門さん、きっと1年後の景色はもっともっと違います!
またここに来てください!
女川駅が出来たら、その風景をここからまた一緒に眺めましょう!」

 

井門「はいっ!もちろんです!」

 

 

髙橋さんとはまだまだ色んな事を話しました。
でも今回は僕の胸に留めておきます。
髙橋さんが現在進めているプロジェクトがあって、
それはまた改めてちゃんと皆さんにご紹介したいから。
でもきっとこの人は「大きな形」にするんだろうなぁ。

 

 

 

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ふるさと再生の為に、町には毎日重機の音がこだまする。
その音は震災直後の音とは違う響きで、町に暮らす人の心に届く。

 

震災で町のおよそ8割を失った女川町。
しかしここで生きる人達は、前に進む力を失わずにここまでやってきた。
ここに残って活動を続ける人達は、力強く女川を前に動かしているのだ。

 

来年3月に再開する、女川駅。
その時の町の様子はどんな風になっているだろう。
女川港の先から昇る朝日は、新しい女川をどんな風に照らすだろう。

 

女川町地域医療センター前。 
通称「輝望の丘」。

 

また、この場所に来よう。
その時に見下ろす女川の町が、名前の通り「輝望」で溢れるものでありますように。
そうだ!その時は一緒に景色を眺めるんでしたよね? で、一緒に喜びあうんだ。
例のタラコの話は、きっと自慢話になってると思うから(笑)、
たくさん、たくさん、自慢のタラコの話を聞かせてください!
僕はまた必ず、女川に帰ってきます。
大きな声で「ただいま!」って言いながら。