新潟!伝統の技に酔いしれる旅!|旅人:井門宗之

2014-08-20

 

燕三条に参上!!(ドヤァ!!)




 

 

 

いや、言いますよね?
ほら、ソースの話をしてる時に「そーっすね!」って言うみたいな。
ほら、阿蘇山の話をしてる時に「あっ、そー?」って言うみたいな。
だから、ほら、言うよね?言っちゃいますよね?

 

燕三条に参上!!(しつこい)




 

 

 

ってな訳で今回は新潟の旅でございます。
僕が新潟を訪れるのはとても久しぶりなんですけど、
今年は中越大震災から10年という事もあり、新潟を旅することに決めました。
(来週が中越大震災から10年の旅の模様をお送りします!)

 

で、今回の旅なんですけどね。
皆さんご存知でしょうか?(特に県外の方) 


新潟県は国指定の重要有形民俗文化財の数が全国1位なんです。
ほら、驚いた。驚いた顔が見えます!
いやいや、まだあるんですよ。 


伝統工芸品の指定件数も、京都に次いで全国2位!!

ほうら驚いたでしょ?
そうなんです、新潟は職人の技が光っているのです。
じっと日本地図を見てたら新潟だけピカって輝いてるかもしれない。
じゃあそんな伝統の技、何に出会えるのか??
気になるでしょう??奥さ~ん、知ってるでしょう~?
井門宗之でぇございます! 


職人の技見ねぇか!?

 

という訳で今回の旅のテーマは「新潟!伝統の技に酔いしれる旅!」。
私もかつて「匠のことば」という5分番組を立ち上げ、
ディレクターを務めていた過去がございます。
職人にはちょっとうるさい。 


そして今回のDはラジオ界の至宝、音の匠ゴルちゃんであります。
(音の匠は次回放送の取材中にミラクルを起こすので、そちらもお楽しみに。)

 

 

匠「儂も音にはうるさいからのぅ。
孫も生まれたばかり。はりきっちゃうぞよ。」
(孫じゃない)

 

 

まず我らが向かったのは燕市産業史料館

 

 

 

 

 

 

洋食器の街、燕市の「何で洋食器の街なの?」がここに来れば全て解ける場所!
ね?そうですよね? 


主任学芸員の齋藤優介さん?謎を教えてくれるんですよね?

 

 

齋藤「いやです。

 

井門「教えてくれねぇのかよ!

 

 

ってな訳で冒頭からひと悶着あった訳ですが(笑)


この齋藤さんがスプーン愛に溢れた最高の人だったんですよ!
もうね、スプーンLOVE過ぎる。スプーンおじさん(ごめんなさい)。

 

 

 

 

 

 

燕市で洋食器が作られ始めてから103年の歴史があるんですってね。
元々は江戸時代に金属を扱う職人さんが数多く暮らしていた燕市。

 

 

 

 

 

 

 

齋藤「信濃川の氾濫のせいで農業を産業とするには厳しかった。
そこで別の産業を…というので金属加工業が発展していったのです。」

 

 

それは分かりました。
その後に洋食器の街として発展していったのは…??

 

 

齋藤「それが…第一次世界大戦の影響なんですよ。」

 

 

100年前に起こった第一次世界大戦。
その当時、世界規模で洋食器を輸出していた国がドイツなんですね。
だがしかし、大戦の影響でドイツから洋食器の輸出が停まってしまった。
そこで依頼が来たのが我が国、日本だったのです。
しかもその数…

 

 

齋藤「1日200ダースだったそうです。」

 

 

日本の中でも金属を扱う職人が多かった燕。
必然的に燕で洋食器を生産することになりました。
しかし当時は全てが手作業です。そんな1日に200ダースなんて無理。
無理、無理、無理、無理!(DA PUMP風に)
なので人をかき集めて、人海戦術に出たのですね、燕市は。
そこでこういう公式が出来る。

 

第一次世界大戦⇒ドイツの洋食器の輸出がSTOP⇒日本に依頼
⇒金属加工職人が多くいた燕にお鉢がまわる⇒依頼数が多いので人がかき集められる
⇒洋食器職人が増える

 

⇒燕市が日本を代表する洋食器の街に!←イマココ

 

齋藤「( ´,_ゝ`)(ドヤァ)」

 

 

めっちゃドヤ顔してる!この人、めっちゃドヤ顔してる!

 

 

齋藤「ちなみに最初に入ってきたスプーンの大きさ、見て下さい。」

 

 

 

 

 

 

齋藤「この大きさだと日本人のサイズに合わない。 


日本でいま使っているカレースプーンサイズありますよね? 


あれ、海外だとデザートスプーンって呼ばれるんですよ。」

 

 

やっぱり体格が違うって事だろうなぁ。
あれっ?となるとスプーンの今の規格を作ってのも…燕の職人達??

 

 

齋藤「( ´,_ゝ`)(ドヤァ)」

 

 

また、めっちゃドヤ顔してる!この人、再びめっちゃドヤ顔してるよ!
このドヤに対して、うちの音の匠も負けてはいないだろう?
どうだろう、ちょっと音の匠の様子を見てみるか…。

 

 

ゴル「( ,,-` 。´-)ヘェ…

 

 

めっちゃ納得してる!めっちゃ匠、納得してる!

 

 

でもしょうがない、齋藤さんのお話し面白いんだもん。

 

 

齋藤「日本のスプーンの約95%が燕市産です。
家に100本のスプーンがあったとしたら95本が燕市の物なんです!」

 

 

スプーン自慢をさせたらもう止まらない齋藤さん。
館内の展示も相当面白い。
最初の展示コーナーはスプーンの歴史が分かる部屋なのだが、
続いての部屋は金属加工職人への敬意溢れる部屋。

 

 

 

 

 

 

 

そしてある意味メインイベント!
スプーン作りの体験が出来る場所へ!

 

 

 

 

 

 

こちらで作れるのは小指サイズの小さなスプーンですが、
完成までの工程は実際のスプーン作りと違わない。
それでは井門の作ったスプーンを工程の画像を共にどうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

出来上がったスプーン、可愛いんだよなぁ…。
な~んてホクホクしていると、一番奥の部屋へ誘うスプーンおじさん。
ここが世界的にも価値の高いスプーンのコレクション展示室。 


伊東豊成コレクション 世界のスプーン館

 

医師であり画家でもあったスプーンコレクター、伊東豊成氏の、
それはそれは貴重なスプーンコレクションを展示する部屋であります。
なんとこちらはEUの方が視察で燕市を訪れた時に、
「こんな展示はヨーロッパにもない!」と感嘆していたんだとか…。

 

 

齋藤「スプーンの本場の方が驚くんですから、 


こちらの展示室は世界一ですよ!」

 

 

スプーンというより、もはや芸術品と言えるプリカジュール。
イギリスのラブスプーンにアフリカの魔除けのスプーン。

 

 

 

 

 

 

 

そしてここにきて、齋藤さんのスプーンうんちくは止まらない。

 

 

齋藤「“さじ”って外来語なんですよ。
本来は“かい”って呼ばれていた。
これはホタテ貝に木の枝をくくりつけていたものです。
さじは薬をより分ける物だったんですね。
だから諺の“さじ加減”も“さじを投げる”も薬の話からきてるでしょう?」

 

一同「( ,,-` 。´-)ヘェ…

 

齋藤「ちなみにスプーンの文化は箸と一緒に日本に入ってきてます。 


およそ1500年前でしょうか。」

 

井門「えっ!!そんなに昔から?
なのに定着はしなかったんですね??」

 

齋藤「まぁ、金属が高価な物だったので庶民には定着しなかった。
一部の高貴な身分の人のものだったということでしょう。」

 

一同「( ,,-` 。´-)ヘェ…

 

 

スプーンって身近な物過ぎて、ちゃんと考えたことも無かった。
でもそれを掘り下げていくと面白い話がいっぱい。

 

 

 

 

 

 

齋藤「ここに来れば全世界のスプーンの歴史が補完出来ます。
博物館の名前に“産業”と入れているのも、
地場産業への敬意の表れなんです。」

 

井門「齋藤さん、スプーン大好きでしょ?」

 

齋藤「大っっっ好きですね!

 

 

 

 

 

 

齋藤さん、面白かったなぁ。
伝統の技もしっかり触れられたし、音の匠も満足している。
…あれっ?音の匠がなんかごにょごにょ言ってるぞ。なんだろう?

 

 

匠「ソバとかすする音が録りたい…。ゴニョゴニョ…。

 

河合「よしっ、小千谷に行くよっ!ついてきな!」

 

 

河合さんの鶴の一声で我々は小千谷市へ。
(ごめんね河合さん、ふわっとしたキャラ設定で)
何故に小千谷かと言うと、この街にも伝統の技が光る「お蕎麦」があるのです。 


それが「へぎそば」
なんでもその歴史は江戸時代から続くとか。 


「へぎそば」のあれこれを伺いに、小千谷名物へぎそば わたやさんへ。

 

 

 

 

 

 

こちらの「わたや」さん、大人気のお店!
11時開店前には既に行列が出来ちゃうんだから凄い! 


そんな人気店でお話しを伺ったのは、代表取締役の和田正樹さん

 

 

 

 

 

 

元々織物の街だった小千谷。
蕎麦のつなぎに使っているのが、麻織物を作る時に使った“ふのり”という海藻で。
これが普通のそばとへぎそばの一番の違いでしょうか。
通常は蕎麦粉だけとか、小麦粉をつなぎに使ったりしますもんね。

 

 

和田「そもそもへぎそばの“へぎ”というのは木で出来た大きな入れ物のことです。
ここに食べ易い用に1個ずつ並べて入れるのが“へぎそば”なんですね。」

 

 

そうそう、蕎麦を1個って仰るんですよ(笑)
1人前なら7個入っている。
最もポピュラーなのが4人前との事で、我々も早速4人前を注文することに。

 

 

和田「もともとこの辺はお米がとれる地域です。
他の土地と比べて“お米がある事が当たり前”だった文化圏なんですね。 


ですから逆にソバ有り難い物として食べたと。」

 

井門「ソバは育てやすいから色んな地域で植えられましたけど、
小千谷のソバは少し意味合いが違うんですね?」

 

和田「はい。どちらかと言えば冠婚葬祭的な要素が強かったです。 


しかも皆で食べるメインディッシュ(笑)」

 

井門「メインディッシュ!?

 

 

更に面白いのはその薬味。 


小千谷スタンダードは薬味に「キンピラゴボウ」を入れる。
しかもそばつゆには和芥子を溶くってんだから。
どんな味だろうとドキドキしている所へ、ついに登場!

 

 

 

 

 

 

整然と並べられたお蕎麦はどことなく青みがかっていて、
表面にはツヤがある。“ふのり”をつなぎに使う特徴であります。
そして薬味に並ぶ、ネギ、山葵、和芥子、キンピラゴボウ。

 

 

和田「キンピラはまず蕎麦をつゆにつけて、その上に乗せて食べてください。
食感も面白いですよ!」

 

 

ってなレクチャーを受けながら、いっただっきまーす!
ズルッズルズルズル~~~~!!

 

 

 

 

 

 

井門「旨いっ!!!
麺の喉越しが“ふのり”を使ってる事によって際立つ!
しかもキンピラのおかげであっさりとしたつゆにコクが生まれるんですね!」

 

和田「味も変わって美味しいですよね?
あっ、あと芥子ですがつゆにそのまま溶いて食べてください。
山葵は麺につけて食べますけど、芥子は直接つゆで大丈夫です。」

 

井門「はいはい、では芥子も溶いて…ズルズルズルズル~! 


これも旨いっ!!!
和風のつゆに合うんですねぇ…。爽やかな辛さが生まれるわ。」

 

 

 

 

 

 

へぎそばの喉越しも手伝ってか、
4人前をヤジキタスタッフ4人であっという間に完食(笑)
伝統のへぎそば、和田さん、ごちそうさまでした!!

 

 

 

 

 

 

河合「産業、食文化、ときたら…芸術ね!
芸術に触れにいくわよ!!ついてきな!」

 

一同「へいっ!姐さん!」
(…河合さん)

 

ここ新潟には東洋のミケランジェロと評された人物が存在した。 


その人の名は…石川雲蝶
今年生誕200年にあたる雲蝶は幕末から明治にかけて活躍した木彫りの名工である。
元々は東京、雑司ヶ谷で暮らしていたのだが、
ある依頼を受けて新潟の地に入ってからというもの、この地を愛し、移り住んだそうな。
そんな東洋のミケランジェロが作った作品があるという場所に。 


西福寺開山堂

 

 

 

 

 

 

 

茅葺の二重構造の建物は夏の空気の中で凛と佇んでいた。
この建物の至る所に雲蝶さんの手によるものがあるのだ。
まず入口の彫刻に目がいってしまう。
あれは烏天狗…かな??

 

 

櫻井「はい、そうです。
特に仏教的な意味合いはここには無いですけど、
どことなく愛嬌がある作品ですよね?」

 

 

 

 

 


お話しを伺ったのは西福寺開山堂の櫻井恵美子さん
聞けば雲蝶さんはこちらの23代目の住職に請われて、
開山堂の彫刻を手掛ける事になったのだとか。
それにしても細工が素晴らしい。
烏天狗や象の様な像もあるけど、どことなく愛嬌があって。

 

 

櫻井「そうですね、雲蝶さんの作品の特徴の一つなんですけど、
目にガラス玉が入っているんです。
どことなく愛嬌のある表情ですけど、
それはここが子供達の通う寺子屋だったからかもしれませんね。」

 

井門「そうか、子供達はいつもこの像を見ながら中に入るわけですから、
少し表情なども柔らかくしたのかもしれませんね。」

 

 

圧巻なのは開山堂の中である。 


6の時を費やし雲蝶が心血を注いだ彫刻が我々を迎えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

櫻井「ここにある作品は道元禅師の修行中の物語をモチーフに作られているんですけど、
天井の作品は道元禅師猛虎調伏の図と言います。
修行中に虎に襲われそうになった道元様が龍神にお守りいただいたという逸話です。
良く見ると虎の尻尾が巻かれていたりするんですよね(笑)」

 

 

1857年に完成をみたという開山堂。
この天井の色も見事な色彩だが、
完成以来一度も絵具の塗り直しはしていないんだという。
岩絵の鮮やかさが、作品に躍動感を生んでいる。
他にも正面には三枚の木彫り彫刻が。
こちらも道元禅師の修行中のエピソードだとか。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても雲蝶という名前はどういう意図があって付けたんでしょう。

 

 

櫻井「自由に、気ままに暮らしていたいという想いから、
雲の様に、蝶の様に、と雲蝶にしたそうです。
石川雲蝶に関する資料は実はほとんど残っていないんですね。
ですから伝わる雲蝶像は様々だというのが今に伝わるところです。」

 

井門「にしても良いなぁ。
雲の様に、蝶の様に…かぁ。気ままに生きてみたいなぁ。」

 

ゴル「名乗っちゃえばどうですか? 


DJ ウンチョウ。」

 

井門「いや、なんか色々だめな気がする…。
森○丁みたいなニュアンスも感じる(笑)」




 

 

 

さて、開山堂もさることながら、
西福寺の本堂には雲蝶さんの手による襖絵も。

 

 

 

 

 

 

面白いのは「埋め木細工」という技術。
補修する場所に細工を施して、そうとは見せない工夫がしてあるのです。

 

 

 

 

 

 

さすが東洋のミケランジェロというだけあり多才。
そしてその技術のレベルがどれも物凄い。
恐らくは新潟の土地の暮らしやすさ、
人の気質などが雲蝶さんの作品に良い糧となったのだろう。
まさに伝統に触れられた貴重な時間でした。

 

 

 

 

 

 

酒バカ「井門さん、そろそろ…ホラ、 


新潟って言ったら美味しい日本酒じゃないで酒(しゅ)か?

 

井門「おうテツヤ、そろそろそう言ってくる頃だと思ったで酒(しゅ)。

姐さん、勿論、行くんで酒(しゅ)よね?

 

河合「勿論サ!アタイについてきな!」

 

一同「へいっ!」
(…河合さ…)

 

 

向かった先は銘酒八海山で全国的に有名な八海醸造さんであります。

 

 

 

 

 

 

なんでもこちらに昨年新たな貯蔵施設が誕生したとか?? 


戸田誠さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

戸田「北国ならではの貯蔵法に雪室というのがありまして、
こちらの日本酒を貯蔵する方法として使えないかと考えたんです。」

 

 

雪室とはその名の通り雪を利用した天然の貯蔵法。
それを日本酒に利用する為に、大きな貯蔵施設を八海醸造さんは作ったのです。
この施設の中にはおよそ1000tの雪が蓄えられています。
壁には3層の断熱材を入れる事で、夏も冬も一定の温度を保つ事が出来るのだとか。

 

 

 

 

 

 

戸田「およそ5℃という気温を保ってます。」

 

井門「雪室の中、やっぱりヒンヤリしま酒(しゅ)ね~!
今日は外の気温が35℃だから、外気と30℃も違うんだ…。」

 

戸田「ですが冬も5℃以下にはならないんですよ。
冷え過ぎず、暑くならず、やはり天然の雪の力は凄いです。 


まさに雪国ならではの伝統の技ですね!」

 

 

 

 

 

 

伝統と言えば大正11年創業の八海醸造さん。
作っているのは日本酒だけではありません。
雪室を出ると大きなオーク樽が並ぶ場所へと…。

 

 

 

 

 

 

戸田「こちらは米焼酎になります。
樽に印字されていますけど、
“八海醸造株式会社 八海山本格米焼酎 黄麹三段仕込み 減圧蒸留”という焼酎です。
ここには全部で30樽ありますね。」

 

井門「その向かい側に並ぶ焼酎の瓶は…なんですか?」

 

戸田「これはメモリアル焼酎です。
こちらでご購入戴いた焼酎をここでお預かりしているんです。
最長5年預かって、お客さまの元にお届けする、と。」

 

井門「あ~、だから瓶にメッセージが書かれているんですね!
過去の自分からのプレゼントって、なんだか素敵だなぁ。」

 

 

中には70歳の御夫婦のものも。
「75歳になっても一緒に飲もう!」なんて、素敵なメッセージじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

テ酒ヤ「い…いもんさん…奥にあるカウンター、
試飲カウンターじゃないで酒(しゅ)か!?」

 

酒門「ほ…ほんとだ!!
銘酒八海山が飲める試飲カウンターで酒(しゅ)!」

 

戸田「(笑)こちらでは八海醸造で作っている、 


およそ15種類のお酒を試飲する事が出来ますよ。」

 

 

 

 

 

 

もちろんここで井門も日本酒「魚沼で候」と米焼酎を試飲。
焼酎は40度という度数でありながら涼しい顔して飲む井門に、
戸田さんにぼそっと「お好きなんですね(笑)」と笑われてしまう。
でもね、戸田さんに聞いたんですよ。
「お酒、お好きですか?」って。
そしたら物凄く良い笑顔で、「毎晩の晩酌は欠かせません!」なんて仰る。
日本酒のど真ん中に携わる方が酒好きで良かった(当たり前か)。
これで僕も安心して毎晩飲めます!

 

 

戸田「ちなみに雪室で貯蔵している日本酒が出荷されるのは、 


品質にもよりますがおよそ3年後くらいだと思います。
我々も誰もその味が分からないので、今から楽しみなんですよ!」

 

 

ここで出会った素敵な人が心待ちにする、日本酒。
3年後かぁ…これは僕も楽しみに待つことにしよう!
戸田さん!美味しい日本酒、待ってますからね!

 

 

 

 

 

 

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伝統の技…字面にすると何だか難しそうではあります。
でもそこに携わる人達はシンプルにその伝統を愛していて。
その“愛”そのものを、強く感じた旅でした。
本編でも言いましたが、
伝統って、イコールそれが存在する長さで、
でも長ければ長いほど“当たり前にそこにある物”だから、
それの成り立ちってあまり気にしなかったりします。

 

でもスプーンもそうだけど、長く存在するものにはちゃんと理由があるんだ。
そしてその理由がとっても面白い。
今回の旅を聴いたあなた!まずやる事は分かってますね?

 

そうです! 


家にあるスプーンを裏返しましょう(笑)
そこには職人達の誇りが隠されているのだから。