東京発どこ行くツアー 芝編|旅人:井門宗之

2014-09-10

――今回のロケは「芝」だから~。
――へっ?「千葉」?
――いやいや、東京の!
――東京の「ちば」?
――いやだから、芝!!ほら、大門とかさ、芝公園とかの!
――あ~、「芝」ね「芝」!最初から言ってくれたらいいのに!
――だから最初から言ってるじゃねぇか!

 

恐らく「芝」という単語を出す場合、上記の様なやりとりはほぼ確実に行われる。
東京都民でさえ港区芝に何があるのか、
正直よく分かっていない人が多いのではないだろうか?
しかし探していくと、あるわあるわ!面白いスポットが!
しかも芝エリアのランドマーク「大門」には、
井門自身も親近感を抱かずにはいられないのであります。

 

…えっ?何故って?
だって、ほらローマ字表記してごらんなさいな。

 

「大門=DAIMON」
「井門=IMON」
⇒DA IMON

ほらね、大門の中に井門がいるっていう。
もうなんか「DA PUMP」みたいになっちゃってるっていうね。 


えっ?ちょっと強引過ぎて、「無理無理無理無理!」って? 


そのギャグが強引過ぎて、「ダメージ!ダメージ!」って?
はい、そういう訳で(強引に進めちゃったー!!)、
今回は芝エリアを散策する東京発どこ行くツアーでござい!

 

 

 

 

 

 

このランドマーク「大門」は徳川の菩提寺である増上寺の総門。
奥には東京タワーが聳え、更にその奥には六本木ヒルズという、
なんともまぁ、東京を象徴するかの様なロケーションなのです。

 

まず我々が向かったのは都営地下鉄「大門」駅から徒歩1分の神社。 


芝大神宮

 

 

 

 

 

 

 

オフィス街のど真ん中にこんなに立派な神社があるなんて!
聞けばこちらは「東京十社」の一つ。 


なんと今から1000年も昔に建てられた神社だとか!
階段を登り、角の生えた狛犬様に驚きながら、 


宮司の勝田博之さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

あっ、そうそう、ちょうどこの日はこちらで結婚式が行われていて。
和装の新郎新婦がとても輝いていたなぁ…。
ですから宮司はこの日、とても多忙だったのです!
なのに笑顔で迎えてくださって、尚且つ笑いも混ぜながら質問に答えて戴きました。

 

 

勝田「もともとは飯倉にあったんですが、
その“飯倉”の地名の由来というのが、
関東に集められた伊勢神宮に奉納する食べ物を集めた場所…という事から来てるんですね。
また御祭神が伊勢神宮の御祭神という事もあり、関東のお伊勢様と呼ばれているんです。」

 

井門「伊勢神宮との関わりもそうですけど、
飯倉って地名がそんな由来だったのは驚きました!
それと鳥居の横には“生姜塚”がありましたが…。」

 

 

 

 

 

 

勝田「生姜というのも神社とは縁がありましてね。
そもそも飯倉の裏手に生姜畑があったこともあるのですが、
生姜は神道の世界でも邪気を払う物とされておりまして、
なので当社に生姜塚を建てているんです。」

 

 

 

 

 

 

宮司のお話しはまさに立て板に水の如し。
千木筥のお話しでは河合さんが目を輝かせ(買ってました、笑)。
これも知らなかったんですけど、
千木=千着になぞらえて、女性が衣装持ちになる意味合いもあるんですってね。
芸能関係の方も多く御参りにいらっしゃるとか。
お話しを伺っていけばいくほど「なるほど!」が詰まっていた芝大神宮。
まぁ、でも一番の驚きは宮司がとてもお茶目な方だったって事かな(笑)

 

生まれも育ちも芝だという宮司。
このエリアの魅力は??

 

 

勝田「神田・深川・芝。
ここは花のお江戸と呼ばれたエリアですけどね、
神田の様な華やかさはないんですよ。
その代わり職人が多く住んだ町で。その雰囲気が残っているのが魅力ですね。」

 

 

勿論、いまは昔から暮らす方の数も少なくなってはいるが、
どこか町の匂いはその名残を感じさせるものなのだ。
宮司、貴重なお話し有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

さて芝大明神の参道を曲がると芝神明商店街に当たるのですが、
ここに耳慣れた老舗の和菓子屋さんがございまして。
アタクシ、日本橋に用事があると結構な頻度で顔を出すんでやんすが、
それと屋号が一緒っていうね。 


芝神明 榮太楼

 

 

 

 

 

 

取材の日はお休みだって言うのにも関わらずお店を開けてくださいまして、 


お話しを伺ったのは4代目の内田吉彦さんでございます。

 

 

 

 

 

 

井門「榮太楼と言えば日本橋の総本舗ですけど、こちらは…。」

 

内田「はい日本橋から暖簾分けしたお店でございます。
なので創業もそんなに古くはなく、明治18年なんです。」

 

井門「いやいや、明治18年創業は十分老舗じゃないですか!?」

 

内田「創業100年を超える老舗なんて沢山ありますから!
まだまだですよ(笑)」

 

 

とはいえこちらのお店、凄い物が沢山なのであります。
まずはお店の看板、随分と特徴のある書体ですけど…。

 

 

 

 

 

 

内田「はい、これは岡本太郎先生によるものです。」

 

井門「!!!
なるほど、確かに岡本太郎さんの作品の特徴が出てますね! 


榮太楼は爆発だ!ってな事で?(←謎な質問)」

 

内田「いえ、実は岡本先生とウチの先代が戦地で一緒、 


つまり戦友だったんですね。それがあって一筆描いてくれまして…。」

 

 

その他にも看板菓子である「江の嶋」という最中。
こちらの文字も…

 

 

内田「はい、尾崎紅葉直筆のものになります。」

 

 

 

 

 

 

もう…老舗ならではの凄い名前がぽんぽん出てくるじゃないですか!
ただやはり御苦労もある様で、
芝の辺りは昔から暮らす人がどんどんいなくなっているそうです。
老舗として暖簾を守ってはいるけれど、
小学生からずっとこの辺りで暮らす仲間も、もう片手で数えるほどなんだとか。
う~ん、確かにこの辺で暮らすと普段の買い物はどうするんだろうとか考えてしまう。
でも何とか残っている老舗で、この街の匂いを残していって欲しいってのは勝手なのかなぁ。
一口サイズの「江の嶋最中」も明治35年から続く味。
折角なので戴くことに…。

 

 

 

 

 

 

丁度いいサイズの最中は、少し焼いた皮の香ばしさが際立っていて、
餡も甘すぎなくて爽やかで…。一人で2個、3個はいけそう(笑)
内田さん、美味しい最中、ごちそうさまでした!

 

 

 

 

 

 

さて一行はここからしばしのぶらり旅。
まずは大門をくぐり抜けて増上寺へ!
増上寺はこの辺りのランドマークですが、なんと言ってもその門。
(今回は門マニアにはたまらない…!?) 


三解脱門

 

 

 



 

 

徳川将軍家菩提寺である増上寺は1393年創建の浄土宗の大本山。
なんせ15人の将軍の内、6人が埋葬されているわけです。
その入口にそびえるのがこちらの門。 


いいですか?こちらの門は東日本最大級なんですってよ!

 

 

井門「こちらの門は“むさぼり”“いかり”“おろかさ”から解脱出来る門なんだって。
どうするの?もちろん潜るんだよね?」

 

河合「(無言で首を横に振る)」

 

井門「えっ!?せっかくの煩悩から解脱出来るチャンスなのに?」

 

河合「(“何を煩悩だらけの男が言うか”ってな目で首を横に振る)」

 

井門「ちぇっ!分かりましたよぅ、先を急ぎましょ。」

 

 

左手に日比谷通りを見ながら一行は先へと進む事に。

 

 

 

 

 

 

ゴル「この日比谷通り、東京マラソンのコースですから、
見た事があるって方もいるかもしれませんね!」

 

井門「そうか…本当に東京の名所を駆け抜けるわけだもんね。
気持ちいいだろうなぁ…。」

 

 

東京マラソンに思いを馳せながら、
我々は晩夏の風に吹かれつつ次なる門へ! 


旧台徳院霊廟惣門

 

 

 

 

 

 

こちらも貴重な文化財で1632年に建立されたものだとか。
そもそもは2代将軍秀忠公の霊廟にあった門だったのだが、霊廟は空襲で焼失。
この門だけが奇跡的に残り、いまもこの地にあるそうな。
で、この隣に区立の芝公園があり、さらにこのエリアを囲むようにして、都立芝公園がある。

 

 

ゴル「なんか都立芝公園が飛び地みたいに増上寺を囲んでるんですね。」

 

 

確かに地図で見るとそんな感じだ。 


更にその隣には芝東照宮が。

 

 

 

 

 

 

井門「えっと、なになに…。
この東照宮は日光、久能山、上野の東照宮と並び四大東照宮の一つとされる。
中には徳川家康公が植樹したと伝えられる御神木がある…と。
ほほ~!!これは興味深いね!
ここは勿論、中に入るんだよね??」

 

河合「(“何言ってんだ、スケジュールがタイトなんだよ”ってな目で首を横に振る)」

 

井門「(ノω・、)

 

 

ってな訳で、我々は都立芝公園の中を散策することに。

 

 

 

 

 

 

中は随分と広い敷地で、ベンチでは会社員が休んでいたりするので、
近隣の方にとっては貴重な緑のオアシスなのだろう。
階段も昇りつつ、少しずつ奥へ奥へと入っていく。

 

 

 

 

 

しばらくいくとお稲荷さんと、何かの碑が。

 

 

 

 

 

井門「え~っと… 


東京都指定史跡:芝丸山古墳
えっ!?ここ古墳なの!?」
BGM C.I.-「古墳へGO!/レキシ」

 

そうなんです。
ここには都内では最大級の古墳があるのです。 


その大きさ、全長106m
いやあ、さっきから階段を上っていたのは、この古墳の頂点を目指していたんですね。
汗をかきながら、かなりの高さにある頂点へ!いざいざ。

 

 

 

 

 

 

井門「頂上まで上ってきたけどさ…。 


特に面白くないねぇ…。」

 

 

うん…そうなんですよね。
特に夏は緑が茂っている分、周りの景色が見えるってわけじゃないですし。
これから秋が深くなっていって、夜に来ると、
近くの東京タワーが綺麗に見えて、ここは穴場のデートスポットになるかもしれません!

 

 

 

 

 

 

そう言えば以前YAJIKITAの会議で永尾Dがこんな事を言っていた。

 

 

永尾「芝には“どぶろく”を作っている醸造所があるんだよね。
まだ清酒の免許は下りてないらしいんだけど、良いお酒なんだよ。」

 

 

そんな事を言われて、酒バカ井門が行かない訳にはいきません!(笑)
訪れたのは芝公園から歩いて10分くらいの場所にある、 


東京港醸造 若松屋さん




 

 


こちらの7代目齊藤俊一さんと、

 

 

 



 

 

杜氏の寺澤善実さんにお話しを伺いました。

 

 

 



 

 

こちらの看板には「創業文化9年」と書かれています。かなりの老舗なのでは…。

 

 

斉藤「そうなんですけど、
実は1912年に一度廃業しているんですよ。
で、私の代でもう一度…と思って2011年に約100年ぶりに復活させました。」

 

井門「という事はお酒の造り方も当時のままでって事ですか?」

 

斉藤「いえ(笑) 実は造り方も何も、資料が残ってなかったんです。
残っていたのはウチが昔酒蔵だったって事ぐらいで。」

 

井門「では一からお酒造りを勉強されたんですか?」

 

斎藤「えぇ、周りからは道楽者なんて言われますけどね(笑)」

 

 

 

 

 

 


朗らかに笑う斎藤さんだが、
どうしても「ものづくり」がしたかったのだと仰る。
だったらここにあるスペースを活かして、家業であった「酒造り」がしたかったと。
沢山の御苦労もあった筈なのだけど、
杜氏の寺澤さんや息子さんである8代目と共に夢を追い続けた結果、 


現在の「どぶろく:江戸開城」が完成したのだ。

 

 

 

 

 

 

江戸開城。名前の由来は若松屋が当時、薩摩藩邸の出入り業者だったこと、
更に無血開城の立役者である西郷隆盛や勝海舟も若松屋を訪れていたことに由来する。
そう、若松屋はあの時代になくてはならない場所だったのだ!

 

 

井門「沢山の想いが結実して、いまの“江戸開城”に繋がるんですね!」

 

斎藤「えぇ…そうなんです…。」

 

 

斎藤さんや寺澤さんにはまだまだ夢がある。
これから清酒の免許を3年以内に取って、
東京オリンピックの頃には純米吟醸とか大吟醸を並べたいのだ。

 

 

寺澤「キッチンカ―を作って都内を回って広めたり、
将来的には醸造設備を船に積み込んで世界中をサーカスみたいに周るのが夢です!(笑)」

 

 

100年の夢の先にある、更に大きな夢。
「江戸」は名前を「東京」としたが、21世紀に「江戸」の名を持つ酒が生まれた。
その味わいは酸がキリっと効いていて、溜め息が出るほど、旨い。
未来の吟醸酒に思いを馳せながら、夢の余韻はいつまでも口中に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

井門「とても素敵なお話しだったね。」

 

ゴル「3年後に免許か…その先が楽しみですね!」

 

井門「酒バカとしては、また芝にこなきゃね!ははは(笑)」

 

河合「井門さん、芝って以前YAJIKITAで来てるんですよね?
なんか激辛の時に商店街に来てるとか…。」

 

井門「はっ!!!(急に現実に引き戻されるP) 


せやった、せやったで!あの激辛商店街の事は忘れもせぇへんわ!」

 

テツヤ「井門さん、身体が“くの字”に折れ曲がってましたもんね…。」

 

井門「アホーっ!!!(バチーンっ!!お決まりの平手打ち)
ワシが負けたみたいな言い方すな!
そんなん言うたら今日ここにおらんサリーや鈴木さんに申し訳が立たんやろ!」

 

テツヤ「井…井門のアニキ…あんたやっぱり負けは認めてないんですね…?」

 

井門「当たり前や!あれはたまたま、あの日の体調が優れんかっただけや!
で、河合はん。あんた何でその話題をぶり返したんや?」

 

河合「い、いえ!芝に来てるんだったら、
あの、その、げ…」

 

井門&テツヤ「げ?

 

河合「げ…激辛を盛り込もうと思って!」

 

井門&テツヤ「な・なんやてー!!?」

 

 

…そう、あれは2012年の事である。
「激辛でまちおこしを!」の旗印を芝商店街が掲げているとの情報を聞きつけた我々は、
当時の名物企画であった「都内激辛探訪の旅」のターゲットにこの街を選んだ。 


決戦の舞台は「芝の鳥一代」。
当時の旅日記を抜粋してみよう。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 


(以下抜粋)

 

鈴木「ここの激辛メニューが先日京都で開かれたKARA-1グランプリで、 
地元以外からの出店では唯一3位入賞を果たしたんですよ!」 
井門「へぇ~。って何そのKARA-1グランプリって!?」

 

このイベントは今年3月に京都で行われたものなのだが、 
実はイベントだけではなく、ここ芝商店街も激辛商店街へと姿を変えているらしい。 
しかもそのきっかけが「芝の鳥一代」さんだというではないか!? 
って、そこで笑顔で我々を見つめる、そう、そこのあなた! 
あなたがそのきっかけ作りをした店の店長ですね?

 

福岡「はい!店長の福岡孝司です。」

 

見た目は爽やか、かなり活発な元気印店長だ。 
この店長が商店街の目玉を作りたいと、芝商店街を激辛商店街へと変化させたという。 
「激辛参鶏湯」もそんな想いから生まれた、いわば情熱のメニューなのだ!

 

鈴木「僕も京都に取材に行きましたけど、 
あまり辛そうぢゃありませんでしたよ。旨そうでしたけど。(不敵な笑み)」

 

やめろって、鈴木!なに勝手に挑発してんだよ! 
一人で激辛魂に火がついてる場合じゃねぇ! 
こっちは「ヤジ気」すら抜けてんだぞ! 
ほら見ろ、もう吉武なんかは隣のテーブル行っちゃってるぢゃねぇか!

 

福岡「一応京都のはイベントですので、ジョロキアの量は抑えたと思います。 
色んなお客さんが召し上がるのを考慮して。 
でも店で出す分には…ねぇ?(不敵な笑み返し)」 
鈴木「ほう、そりゃあ楽しみだ。(不敵な笑み返し返し)」

 

なにこの山岡vs海原みたいな流れ。 
俺も食うんですけどっ!! 
下手に挑発してそのジョロキアっつったっけ? 
ジョロキアの量を増や…。 
…え?いまジョロキアっつった?

 

井門「ジョロキアやて――――!!?」

 

ここで説明しよう! 
ジョロキアとはタバスコの数百倍の辛さを持ち、 
悪魔の辛みを持つ食材として恐れられている。 
ここの参鶏湯にはその「ジョロキア」がふんだんに用いられているのだ!

 

福岡「あっ、大丈夫ですよ。 
辛さが1~5まで選べますから。どうしますか?(明らかに鈴木さんを挑発しながら)」
  
ジョロ木「もちろん辛さは5でしょう!」 
  



参鶏湯(サムゲタン)5辛

 

 

見た目はかなり旨そうな参鶏湯。 
韓国では寒い時、身体の調子が悪い時などに食べると、 
もう一発で体調不良も治る万能鍋である。 
見てもらったら分かるように、辛そうなジャケでは無い。 
むしろ優等生タイプの参鶏湯だ。 
あっ、ちなみに辛さ5の参鶏湯をスープまで完食すると、何と無料になるとの事。 
チャレンジしてみても良いよ思うよ。まぁ、大変な事になるけど…。

 

鈴木「ではいっただっきまーす!!(元気) 
*今日は鈴木さんが食べる時、全てこのテンション…と思うなかれ。 

おぅ、ほふほふ、あ~、これはこれは…辛いですねぇ。」 

全員「辛いんかいっ!!」

 

福岡店長曰く、KARA-1グランプリに出店した時は辛さを抑えたのだろう。 
しかしここは店、いわばホームグラウンド(いわばになって無い)。 
更には目の前に辛さを挑発してきたジョロ木が座っている。 
店長もスタッフも本気で向かってきたのだ。 
ここは俺も男だ、プロデューサーだ! 
何か“さすがは参鶏湯の旨い店!鶏の旨さが素晴らしい!”とかジョロ木が言っている。

 

井門「これは食えるでしょ。では、いっただっきまーす!(パクり)」

 

!!!!!!!!!!!!!!!!!

井門「ヴェッホ、エッホ、エッッホォオォォ!!!!×5」 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

ここに綴られたのは男達の戦いの記録である。
そうなのだ、完全に負けていたのだ…(負けてたんかい!)
過去の全ての激辛の戦いを振り返ってみても、
店を出てからあんなに“やられた”事は無い。
そう…芝商店街は、激辛に本気なのである。

 

 

井門「(カタカタカタ…)
か・河合さんさぁ、べ・別に今回は激辛探訪じゃないんだから、
そんなセレクトはしなくても良かったんじゃないの??」

 

河合「だってぇ、井門さんって言ったら激辛は外せないと思って(テヘペロ)」

 

 

くっ、散々雨女だの雪女だのと名付けたリベンジを…こんな形で…。

 

 

 

 

 

 

とは言え今回セレクトしたお店は何やら激辛の感じがしない。 


nico kitchen」というカフェダイニングだ。

 

 

 

 

 


入口にはテラス席もあるし、ラスカルが「We are open!」なんて可愛く言ってやがる。
あ~、でも入口に張り出されたメニューに書いてあるな。
「激辛チキン ジョロキア ハニー ウイング」。
はいはい、あれね。
ブートジョロキアね。
はいはいはい、タバスコの400倍のやつね。

 

うーん。

 

うーん。


うーん。

 

 

井門「ダメだ、テツヤ!
おれ、なんか悪い予感がする! 


ってか悪い予感しかしねぇ!!

 

テツヤ「井門さんもですか!?
ボクも…ここは悪い予感しかしないんです。
外観のキッチュさとラスカルの感じ、これは…ガチのが来るかもしれません…。」

 

 

オーナーは浦野好一さん
とても優しそうな、料理も好きそうな見た目である。

 

 

 

 

 

 

井門「浦野さんも辛い物が好きなんですか?」

 

浦野「いえ…僕は苦手なので、
辛さの度合いに関してはスタッフに手伝って貰いました。
僕が味見して悶絶する物をメニューにしているんです(笑)」

 

井門「メニューにあるジョロキア・ハニー・ウイングの他に激辛は?」

 

浦野「えぇ、ホットアイっていうジョロキアが入ったカクテルがあります!」

 

井門「(カタカタカタ…)じゃ、じゃあそれ、くだちゃい…。」

 

 

「ジョロキア・ハニー・ウイング」は手羽先を揚げて、
そこに甘辛いタレを絡めた物なのだが、 


一番辛いものは「デス辛」と呼ばれている。
もうこれは「ハニー・ウイング」ではなく「デビル・ウイング」なのだ。
悪魔の力を身に付ける為のウイングなのだ。

 

 

ふと厨房まで撮影しに行ったテツヤの方を見る。むせている。

 

 

じっとり、手に汗をかいてきた。

 

 

おれ、ここで果てるかもしれない。

 

 

お母さん、最近会えなくて、ごめん。

 

 

浦野「お待ちどうさまでした!デス辛です~!」

 

 

 

 

 

 

やっぱり…手袋が置かれている…。
しかも仕上げにジョロキアのパウダーかけたよ、この人…。
手袋しなきゃ危険なんだよね、知ってる知ってる!
いままでそんな感じのチキン、食べたことあるもん。
今日はね、あのとき隣にいてくれた人がいないんだ。
でもきっと僕は名前を叫ぶと思うよ。 


だって、これ、絶対に辛いもん!!
じゃあ…いっただっきまーす!!
もぐもぐもぐ…

 

 

井門「…ギャアッッッッ!!!!!!!!!!!

痛ぇ、痛ぇよぉっ!!!!!

 

あぅ…く~っ…かぁ~~~~っ、

 

………………

 

あふぉね、僕の上の歯茎のところにね、
ジョロキアのパウダーが…こう…ぺたーってくっついてるんだ…
痛い…痛いんあよれぇ…

 

 

 

 

 

 

 

まさに激辛の惨劇であります。
しかも一口目だけじゃない、しばらくすると辛さの揺り戻しがある。
そしてこの感じは僕だけじゃなかった。

 

テツヤも……!!

 

 

 

 

 

 

ゴルッチも……!!





 

 

 

結局3人がYAJI気を失い、
「苦手だから」という理由で食べなかった河合さんの勝利に。
浦野さんは終始笑顔でしたが、心の中では何を思っていたのでしょう…。
今では知る術もありませんが、ただ一つ言えるのは、
「今度はカフェメニューを食いにきます!」という事だけです…。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

河合「今日は辛い中、お疲れ様でした~!

 

ゴル「そんな挨拶、聞いた事ねぇよっ!

 

 

そう、ロケ終了直後の一幕である。
久々に訪れた芝。その印象は変わったのかどうか、台本にはそんな事が書いてあった。
書いてあったのだが、ちっとも印象は変わらなかった…(笑)
むしろ変わらずにいてくれたのが嬉しい(激辛限定だけどさ)

 

ただこのエリアはまた東京オリンピックに向けて様々に表情を変えていくだろう。
6年後、一体どんな町になっているのか。
それも気になるが、僕はやっぱり男達の夢の続きが見たい。
芝で作られた日本酒を、激辛商店街でも出せば良いのだ。
その日本酒を使った激辛料理を…いや、違う違う。
日本酒を使った地元ならではの料理を出せば良いのだ。

 

歴史と個性が溢れる町、芝。
未来の芝も、笑顔と激辛で溢れていますように(笑)