東京発どこいくツアー 山の手の下町・三軒茶屋編|旅人:井門宗之

2014-11-21

 

三軒茶屋

 

自分が上京してきて何度か「住んでみたいな」と思った街。
きっと人によってはお洒落な飲食店や雑貨屋さんが立ち並び、若者も多い街…
なんてイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。

 

僕が以前下北沢で暮らしていた頃は、
三軒茶屋と下北を結ぶ茶沢通りを歩いてしょっちゅう飲みに来てたっけ。
大体歩くと30分くらい。
この通りを歩くと、意外にもこの界隈に住宅が多い事に気付きます。
路地を入ると子供の遊ぶ声が聞こえてね、神社のお祭りには飴細工の職人さんがいて。
太子堂のあたりに威勢の良い魚屋さんもいたなぁ。今はどうしてるんだろう。
そんな風にしてちょっと前まで遊んでいたこの街ですが、
考えてみるとあまり深くこの街の事を知らない自分がいたりして。
人気のこの街を改めて散策してみる事にしたのが、今回のYAJIKITAでございます!

 

東京発どこ行くツアー!三軒茶屋編!




 

 

 

どうやら三軒茶屋の地名の由来は本当に三軒のお茶屋さんと関係があるらしい…。 


早速向かった駅前すぐの所にあるお店が、その一つ田中屋陶苑さん

御主人の堀江幸男さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

堀江「もともとこの辺りは何にも無かったんですよ。
江戸時代なんて人もそんなに暮らしていなかった。
この辺りに名前を付けるって事になって、
“じゃあお茶屋が三軒あるから【三軒茶屋】にしましょう”というのがそもそもです。」

 

 

あまりにも分かり易い…(笑)
そうなんです、まさにお茶屋が三軒あったから三軒茶屋なのです!
そしてそのお茶屋の一つが田中屋陶苑さん、と。

 

堀江「いま残っているのはウチだけですけどね。
じいさんの代で陶器屋になって、ここで商売を続けています。」

 

 

「三軒茶屋」という独特の名前の秘密を解くのが、
ある意味この旅の主たる目的…。冒頭で早速その謎が解けてしまった(笑)
昔は静かな場所だったとは言え、現在は渋谷からも近く交通の便も良い街。
三軒茶屋はどんな雰囲気の街なんですか?

 

 

堀江「高い建物も少ないですし、
一本入ると住宅街でのんびりした所ですよ!」

 

 

 

 

 

 

やはり…三軒茶屋下町説(誰が言ったんだ)は本当だったのか…。
その辺り、もう少し掘り下げていきましょうか。
三軒茶屋には商店街がいくつもあるのだが、
その中の一つ「エコー仲見世商店街」の会長さんにお話しを伺いました。
その会長さん、商店街ではハンコ屋さんを営まれている。 


長栄堂印房岡野武さんであります。

 

 

 

 

 

 

レトロクラッシックな店構えのこちら、
岡野さんのおじいさまが始めたお店という事ですが…。

 

 

岡野「元々は浅草の方にいたんだけど、関東大震災で焼け出されたんです。
その後、縁があってこの町にやってきたと聞いています。」

 

 

実は三茶も下北沢も、関東大震災の頃に下町から移住してきた方々が多いと聞く。
だからかもしれないがこの辺りのお祭りは、かなりの活気なのだ。
と、言う事は…。

 

 

岡野「この辺りは山手の中でも下町的な場所でしょうね(笑)」

 

 

旅のキーワードとも言うべき言葉が、今回のロケはポンポン飛び出す(笑)
しかも岡野さん、こんな事まで仰る。

 

 

岡野「この町はレトロで売っていますから(笑)」

 

 

 

 

 

 


そ…そうなのか(笑)
確かに路地裏の風情は下町のそれに近く、町の人達も人懐っこい方が多い。
ロケではこの後にエコー仲見世商店街の中をぶらり。
途中で見つけた大野カバン店さんのショーウィンドウに気になる物が。
そう、ワールドカップブラジル大会で審判を務めた、
あの西村雄一さんの審判ユニフォームなのであります。

 

 

 

 

 

 

実は大野カバン店さん、アポイントはとっていなかったのだけど、
作家の親分が物欲しげに見ていたら、御主人が快く取材をOKしてくださって。
笑顔で「どうぞどうぞ!なんでも見て触っていってください!」なんて…。
お言葉に甘えてホイッスルやシューズ、メダルなどなど、実際に見せてもらっちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

西村さんと大野カバン店さんのお付き合いも深く、
海外遠征前には必ずこちらに立ち寄られるそうです。
選手ではなく、審判の、その凄まじいまでの試合への想いに触れたい方。 


是非大野カバン店へお立ち寄りください!

 

エコー仲見世商店街は他にも個性的なお店がいっぱいです。
最近は若い世代が親の世代から店を譲り受け、
新たな発想でお店を運営する事も多いのだそう。
旧き良きものを守りながら、ヴィヴィッドな色を加えていく。
だからこそ三茶の色って面白いのかもしれないなぁ。
そんな事を考えながら、続いて、世田谷通り沿いにある何やら可愛らしい外観のお店へ。

 

 

ここがジェラートと木のおもちゃの店「ウディック」さん。

 

 

 

 

 


ドアを開けると右手にジェラートのショーケース、左手におもちゃが並べられた棚。
そして店舗奥には飲食スペースとキッズスペース。
思わず心が和む空間が広がっている。 


オーナーはこちらも優しそうな出来裕治さん
子供の頃から「木のおもちゃ」が大好きだったと言う。

 

 

出来「会社勤めをやめてこのお店をオープンさせたんですけど、
それまでお店をやった事が無かったんです。
だけど想いが勝ってオープンすることが出来ました(笑)」

 

 

そう言いながら照れ笑いする出来さん。
ご自身の愛する物だけで整えられた空間で、
お母さんに連れられてきた男の子が楽しそうに遊んでいる。
それを眺めてまた嬉しそうにする出来さん。
どうせお店をオープンするなら、
子供の頃から好きだった「木のおもちゃ」でと考えたようだ。

 

 

出来「人間の五感の内、木のおもちゃはその四つを満たす事が出来ます。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚。ところが味覚だけは埋められない。
だったら後のもう一つは、こちらも自分が大好きなジェラートで埋めたいと。
ジェラートと木のおもちゃの店を作る事を決めたんです!」

 

 

 

 

 

 

平日は幼稚園帰りの親子連れ、
休日は遠方からもお客さんが訪れるという。
大好きな物に囲まれているからこそ、少しずつ手直しをしながらの日々。
オープン当初に来たお客さんは、
「あれ?最初と全然雰囲気が違う」と驚かれることもあるそうだ。
それでも、味にこだわり抜いたジェラートや気の温もりに触れようと、
リピーターは後を絶たない。

 

 

出来「木のおもちゃって世界中にありますけど、
子供が遊び方を自由に発想出来るんです。それが良いですよね。
そしてここに来た子供達がそれぞれのやり方で一緒に遊んでいるのを見ると、
本当に嬉しくなります。」

 

 

アニメのキャラでも漫画のキャラでもない。
そこに息吹きを吹き込むのは、子供自身なのだ。
好きな設定、好きなルールで木の温もりに触れれば、
これまでとは違う面白さに出会えるはず。そしてそれが出来さんの意図でもあるのだろう。

 

――三軒茶屋は下町の風情が残る町。

 

そう仰る出来さん。
だからこそ、そこにいる子供達を繋ぐ接着剤は必要なのだ。
かつてはそれが駄菓子屋だったのかもしれない。
でも今はウディックがその役目を担っている。
とびきり美味しいジェラートと共に。

 

 

 

 

 

 

井門「やっぱりこの町は下町なんだね?」

 

親分「ぼくもここまでとは思わなかったなぁ…。」

 

 

道中そんな言葉が飛び交いながら、
続いて我々が向かったのはディープな路地裏。
「この先は異界へと繋がっているのかも?」
と怪しげな風情にドキドキしてしまう場所に目的のお店がある。 


それが「東京三軒茶屋 ラヂオ焼」さん。

 

 

 

 

 

 

今年の12月に7周年を迎える小体な店構えのこちらは、
そのレトロさから昭和の駄菓子屋さんを彷彿させる。
お店でお話ししてくださったのはこちらの村田由美さんだ。
どうやらラヂオ焼はたこ焼の源流になる食べ物らしい。

 

 

村田「そもそも1933年に出汁の効いた生地に、
牛スジやコンニャクを入れて焼いたのが始まりって言われています。
なんせこの生地の出汁が決め手になるんですよ!
生地の味がしっかりしているから、冷めても美味しい。
持ち帰って次の日の朝、わざと冷めた状態で食べる常連さんもいるくらい(笑)」

 

 

味もシンプルだがそれに比例するようにお店の作りもシンプルだ。
カウンターの中にはラヂオ焼を焼く鉄板しか無いようにも見える。
だけどカウンター越しという近い距離で、
村田さんの笑顔と手さばきを眺めるのも楽しい。
手持無沙汰になったらカウンターに並ぶ駄菓子をつまみに飲んで待っていればOK。

 

 

村田「そうそう、常連さんは勝手につまんで飲んでるの(笑)
皆さん気安くて良いお客さんばかりですから。」

 

 

そもそも何故「ラヂオ焼」と呼ぶのだろう?

 

 

村田「ラヂオ焼が生まれた時代はラジオがとてもハイカラな物だったんです。
そのラジオのダイヤルが丸かったんですね。そこにあやかった。
当時のお洒落の最先端だったんですよ!」

 

 

そうかぁ。身近でハイカラな物にあやかって名付けるって、なんか良い時代。
それがダサく無いのはきっと昔の日本人の心に、まだキャパがあったからだろう。
許容。受け容れて、許す。
だからこそ自由にタコを入れたり。アレンジが加わり発展していったのだと思うのだ。

 

村田さんはそんな風に話してくれながらも、ラヂオ焼をあっという間に完成させる。
ネギがたっぷりとかけられたラヂオ焼、香りも最高だ。

 

 

 

 

 

 

一も二も無く熱々のところを頬張ると、
「アチッ、ハフハフッ!」となりながら鼻に抜けていく出汁の良い香り。
生地にしっかりと出汁の味がついているから、味わいが豊かなのです。
なんでここにビールが無いんだろう…そっか、俺まだ仕事中だ(笑)
ロケで来ているのに、そんな風に思わず思えるほど店の雰囲気が柔らかい。
三茶という土地柄、お客さんに教わる事が多いと言う村田さん。
でもその姿勢だからこそラヂオ焼もお店も長く愛されているんだと思う。
まるで駄菓子の様な、それでいて本当に美味しいラヂオ焼。
下町感溢れる三茶だからこそ愛されるその理由が、分かった気がした。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 


「住みたい街ランキング上位!」
「オシャレなお店が多い街!」「芸能人が数多く暮らす街!」
「ミュージシャンや音楽関係者がいっぱいいる街!」
三茶はそんなイメージで語られる事が本当に多いし、実際そういう側面もあるだろう。
しかし今回の旅を通じて、違う三茶もイメージ出来たに違いないと思うのです。
夕焼けに照らされて、買い物袋を下げるおばあちゃん。
古き良きアーケード商店街。気さくな商店街会長。路地裏の居酒屋。

 

三茶は愛すべき下町。
肩肘張らずに、カウンターの隣に座った人とすぐに仲良くなれる町。
きっと「街」ではなく「町」。

 

都会の中で誰にも邪魔されず、ゆっくり文化を守ってきた町、三軒茶屋。
どんな文化なのかは、地元の人と話しをしてみればすぐに分かる。
あっ、でもそれを飲み屋さんでやる時はご注意を。
懐っこい三茶の方々と話が弾んで、
思わず深いお酒に…なんて事もあるかもしれませんから。