ものづくりの城下町・高岡めぐり|旅人:井門宗之

2014-12-11

富山の、いやさ北陸地方のリスナーさんから大反響を頂いている富山編。
今週はその第2回なわけでございます。 


我々が選んだ街は…高岡
「ものづくりの街」としても脚光を浴びるこの街、
そうです、あの藤子・F・不二雄先生の故郷。
ですから高岡の駅前にはドラえもんの銅像が並んでいるんですね。
えぇ、えぇ、権利関係で写真は載せられませんけどね、えぇ。
高岡の街、調べていくとかなり面白い。 


その色々を基本から押さえるべく、高岡市立博物館へ。

 

 

 

 

 

お話しを伺ったのは主査学芸員の仁ヶ竹亮介さん
仁ヶ竹さんのお話しがまぁ、面白い!
どのジャンルを聞いても“立て板に水”なのでありますが、
高岡の歴史についても軽妙なトークで教えていただいた。

 

 

 

 

 

 

仁ヶ竹「高岡の街は加賀藩の2代藩主・前田利長が作り、
3代目の利常が繁栄させた街です。
そもそも加賀藩には金沢城がありました。
ところが東の防衛拠点が手薄だったんですね。
代が利長に移りどこか防衛拠点となる所はないだろうか、と考えていたところ、
まず出てきた場所がこの高岡だったわけです。」

 

井門「当時はどんな場所だったんですか?」

 

仁ヶ竹「閑散とした場所だったようですよ。
そこにいきなり“城を作るのだ!”ですから(笑)
時間もかけたくなかったのかもしれません、 


わずか半年でお城を作ってしまったんです。」

 

井門「お坊ちゃまくんか!
いまいる博物館のある場所は古城公園といって城跡ですけど、
かなり堀も立派で広いんですが、ここに半年でお城を建てたんですね?」

 

仁ヶ竹「あっ、この堀も珍しくて、
400年前に城を建てた時に堀も出来たんですけど、
一度も埋め立てられる事なく、そのままの姿で残っているんです。
お濠が400年前の姿そのままって全国的にもここぐらいだと思いますよ。」

 

 

確かに古城公園を散策してみたのだが、
なんとも言えない上品な空気が漂っているのだ。

 

 

仁ヶ竹「ところが完成して5年が経った時に一国一城令が出されまして、
高岡城の天主は取り壊されてしまったんです。
本来城が壊れれば侍は離れていきます。
それに伴って商売をする人間も武士と共に街から離れるのが常だったんですね。
ところが3代目の利常はそれを留めて、高岡の街を産業発展の象徴とした。
ですから高岡の人にとって前田利長と利常は特別な存在なんです。」

 

 

 

 

 

 

 

3代藩主・前田利常公に関しては以前この番組でも取り上げた事がある。
利長公とは31歳も年の離れた弟であるが、非常に有能な人物だったと。
そして自分を藩主に取り立ててくれた利長公に非常に恩義を感じていると。

 

 

仁ヶ竹「ですから高岡には利長公だけを弔うお寺、国宝瑞龍寺があるんです。」

 

井門「利長公ただ一人を弔う為のお寺ですか!?」

 

 

この瑞龍寺もそうだが、高岡には街を代表する4つの場所がある。
古城公園、勝興寺、前田利長墓所、瑞龍寺。
博物館にはその4つの写真もあったりして、所蔵品はかなり面白い。

 

 

仁ヶ竹「語り始めると止まらないくらい、それぞれが面白いんですが…(笑)」

 

 

そう良いながら笑う仁ヶ竹さん。
是非皆さんも高岡市立博物館に足を運んでいただいて、
それから古城公園をゆっくりと散策してみてくださいませ!

 

 

 

 

 

続いて訪れたのは街の中心地。いや、強調してしまう位の中心地(笑)
ここに日本三大大仏のひとつ、高岡大仏があるってんですから!

 

 

 

 

 

 

御住職の北角良粋さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

この大仏さま、以前は木造だったんですね。
随分と由緒と歴史のある仏像だったわけですが、1900年に大火で焼失してしまいました。
ところが地元の方々の強い希望により、高岡の鋳物職人の技術の粋が結集。
1907年よりなんと26年の歳月をかけて今の銅像が出来上がったんです。

 

 

北角「全てが高岡の街の人の手で出来た大仏様ですから、
地元の皆さんの信仰は厚いですよ。
台座部分には皆さんのお名前も刻まれています。
そのお子さん、お孫さんがその名前をご覧になりにいらっしゃいます。」

 

 

確かに下から大仏様を見上げると、とても優しい目で「見守られている」感じがする。
今までの何かを許されたような、不思議な感覚だ。
この大仏様は昭和7年に完成されたそうだが、
歌人・与謝野晶子は高岡大仏を見て「日本一の美男」と言ったとか、言わなかったとか。
歌人の鋭い感性をもってしても日本一と言わしめる。
やはり全体から漂う雰囲気だろうか。

 

しかし改めて見るとすぐ近くには一般住宅もあるし、
見上げたその先には駅前のホテルを臨むことも出来る。
ここまで街の真ん中に鎮座する大仏様も珍しいのだろう。

 

 

北角「ですから高岡の街の皆さんにとっては、
いつでもここにいらっしゃる大切な存在なんです。
良い時もそうじゃない時も、大仏様は見守ってくださるんです。」

 

 

大仏様の台座の下は回廊になっている。
ここには焼失前の木造大仏の顔のレリーフが飾られている。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの日、特別に台座の部分へと上がらせていただいた。
少し高い場所から、大仏様と同じ景色を見る。
きっと街の住人の方だろう、どこかへの道すがらここに立ち寄り、熱心に経をあげる。
高岡大仏は間違いなく「皆の大仏様」なんだろうけど、
高岡の方にとってはとても「個人的な大仏様」でもあるのだと思う。
そしてそれで良いのだとも思うのだ。祈りは平等なのだから。

 

 

 

 

 

 

高岡市立博物館で仁ヶ竹さんのお話しを伺って、
かなり気になっていたのが「国宝 瑞龍寺」。
入口で御住職に「井門宗之さんですか?ラジオ、聴いてますよ!」と言われた場所(笑)


ボランティアガイドの塩谷美和子さんにガイドをしてもらいながら巡りました!

 

 

 

 

 

 

 




塩谷「江戸時代から“禅宗伽藍を見るなら高岡瑞龍寺!”と言われていたくらい、
この伽藍は美しいんです。基本中の基本の形で、
建仁寺派正統派の様式とも言われています。」

 

 

 

 

 

 

今現在、富山県内で唯一の国宝。
3代目藩主・前田利常は9年かけて伽藍の整備を整えたそうだ。
利長公は半年で高岡城を作り、その弟は兄を弔う為だけの寺を9年かけて整備した。
なんだか対照的な話ではあるけど、その物語はとても興味深い。

 

 

 

 

 

 

瑞龍寺の後は職人の町、金屋町へ!
ここは高岡鋳物発祥の町で、最も古い地域であります。
石畳の路地や格子作りの家の佇まいなど、なんとも言えず風情がある。

 

 

 

 

 

 

そんな町の中、訪れたのは一軒の鋳物工房。 


鋳物工房 利三郎
お店では奥さんの神初良子さんにお話しを伺う。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの旅のクライマックス(そうなのか??) 


鋳物作り体験であります!!
お店の奥が工房になっていて、数多くの芸能人もここで体験したそうな。 


先生は神初祐二さん
錫を使って箸置き作りにチャレンジ!!

 

まずは箸置きに入れる模様を書いていく。
絵柄が決まったらそれを土台に刻んでいきます!

 

 

 

 

 

 

一心不乱に彫り進めていく作業は、かなり楽しい!
彫れたら型同士を合わせ、ついに錫の登場。
これをバーナーの物凄い火力で溶かしていきます。

 

 

 

 

 

 

溶けたら型に流し込んで…と。

 

 

 

 

 

 

あっという間に固まるそうで、
型に流したらものの数分でパカっと割って、はい、形は完成!

 

 

 

 

 

 

最後は神初先生に磨いてもらったら、出来上がり!!

 

 

 

 

 

 

いやぁ、感動しました!
ほんの少しの時間で、自分で錫の箸置きが作れるなんて!
しかも聞けばこれで3000円だって言うじゃないですか!?安い!
歴史ある高岡金屋の町で鋳物作り体験、オススメです! 

 

 


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町のあちらこちらに職人の息吹を感じる、高岡。
北陸はいま若き職人達が伝統を次世代へ繋げている真っ最中です。
来年北陸新幹線が開通すれば、そんな若い感性がもっともっと羽ばたく環境が整うでしょう。
その時が、きっと高岡が全国に更に名を馳せるタイミングなのかもしれません。

 

前田利常の時代、
高岡の職人も商人も、全国へ向けてどこよりも早く販路を拡大していったと言います。
そう、高岡の歴史の中には、
ローカルが全国に展開して成功を収めたという素晴らしい歴史があるんです。
この美しい町並みや文化を訪ねに、沢山の方が訪れますように!

 

個人的にはFMとやまパーソナリティーのゆっきーと久和さんと、
お腹がよじれるまで笑って飲んだ高岡の夜が忘れられません(笑)
2人とも、また富山に遊びに行った時は一緒に飲んでください(最後私信か!)