素晴らしき伝統にふれる兵庫の旅|旅人:井門宗之
2015-01-28
さぁ、第4コーナーを回って、先頭は!?
おぉっと、ゴルッチ出た、ゴルッチ出た!!参道では息子のヘルツ君も手を振っています!
その後ろにピタっとつけているのは、鳥取が生んだ奇跡、新婚のTETSU-YA!!
26歳で見事綺麗な奥さんと契りを結んだTETSU-YA!!鼻息も荒くゴルッチを追う!
この2人のデットヒートの様相を…い…いや違う!!
その後ろから猛烈なスパートを見せるのが我らがIMONP!!
2015年に入ってからというもの毎週怪我をしているこの男、意気込みが違う!
うん?何か叫びながらスパートしているようだが…何々?
IMONP「か△◆×○たいっ!!!」
え??
IMONP「かえ◆×きたいっ!!!」
なんだって??
IMONP「返り咲きたいっ!!!!」
お~っと!!何かの念をたっぷり込めて最後の猛烈なスパートだ~!!
TETSU-YAを抜いて、ゴルッチも抜いて、見事なゴール!!
「かイモン」神事福男選び、見事栄冠を勝ち取ったのはIMONPでした~!
では、また来年お会いしましょう!さようなら!
旅日記・完
ゴンッ!!!!!!!!!!
痛っ、痛い痛い、ヤメテっ!物は投げないで、物は!
完しないから、ね?ちゃんと始めるから、旅日記!
ってな訳で今週もはじまりました「8時だJ」!ゴンッ!!!!!!!!!!
いや、違う「YAJIKITA ON THE ROAD」でございます。
冒頭は勝手な妄想神事ですけど、今回の旅のスタートはその本家本元。
毎年1月10日に「開門神事福男選び」が行われる西宮神社であります。
この神社はなんてったって商売繁盛の神様・恵比寿様の総本社。
最も“恵比寿パワー”がある神社と言っても過言ではありません。
今回の旅はこちらの神社からスタートしつつ、
素晴らしき兵庫県の伝統に触れていこうじゃないかと、そういう趣旨でございます。
井門「兵庫県って言えばさ、あれだよね(ジュルル)」
テツヤ「そうでやんす、あれでやんすよねぇ…(ジュルル)」
河合「はい、そこの酒バカ二人!
分かってますよぉ、河合はちゃんと分かってます!
沢の鶴に行きますよ!」
“沢の鶴”と聞いて、かなりの人数がCMのあのフレーズを思い浮かべたことでしょう!
灘の酒、沢の鶴と言えばもはや全国的に知らない人はいないんじゃないかという銘柄。
元々は両替商で藩のお米を扱っていたので、副業で酒を造り始めたのがきっかけとか。
我々はその沢の鶴の資料館、その名も沢の鶴資料館でお話しを伺いました。
昭和53年まで実際に酒蔵として機能していたものを資料館にしたこちら。
全国でも初めての酒蔵の公開資料館という。
事務局課長の飯田知彦さんにご案内頂きながら、試飲もさせて頂く事に(幸せ)。
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飯田「酒樽ひとつの量ですけど、例えば毎日3合を呑んだとしても、
飲み干すのに3年かかります(笑)」
毎日3合で3年かかる量…。
お酒が苦手な方が聞いたらうんざりするかもしれないが、
酒バカ二人は目を輝かせて飯田さんのお話しを聴いている…。
井門「灘の男酒っていう言葉がありますけど、
灘の酒の味の特徴はなんですか??」
飯田「この辺りは灘五郷と呼ばれていまして、
酒造りに使う水は宮水という西宮の水を使用します。
これが硬水で酒造りに適しているんですが、どちらかというと辛口の味になります。」
「灘の男酒、伏見の女酒」なんてぇ色っぽい言葉がありやすが、
灘の酒の特徴はキリっと辛口。後を引かねぇ、男っぷりの良い酒でござんす。
一口飲めば男っぷりも上がるってもんだ。どうでしょ?ここらで一気に試飲なんてなぁ…。
河合「まだです。(キリっと)」
こちらの資料館には酒造りに関する道具の展示もされているんですが、
元々あった物は20年前の震災でほとんど消失してしまいました。
今の展示物は全国から集められた物と、残っていた物。でもそれが面白い。
井門「酒造りの道具ってのも色々な種類がありますねぇ。
しかもそれぞれの名前が面白い。
“かりかり”“すずめ”“うぐいす”って、なんでこんな名前が付いたんですか?」
飯田「多分道具を使った時の“音”から来ているとは思うんですけど、
なんでそんな名前が付けられたのか、実は定かではないんです(笑)
職人が呼びやすいように付けたんでしょうけどね。」
展示品の中には美しい酒器なども並ぶ。
中には外で酒を燗する為の道具まで!(日本人はお酒を美味しく呑む為に貪欲だったのだ)
飯田「実は3年くらい前から、社員が酒米の田植えからやってるんですよ(笑)」
井門「では実際にそのお酒も製造・販売がされているんですか?」
飯田「実際に自分達で植えた酒米で日本酒を造るって事で、
社員たちの気持ちも全然違うようなんです。
そのお酒の名前が【実楽】。実りを楽しむと書くんです。」
何とも洒落の効いた名前でありましょうか。
この実楽、東京に持ち帰って飲んだんですが、山田錦のふくよかな香りがなんとも言えず。
飲み口のすっきりと綺麗な日本酒で、飲んでるこっちが【楽しく】なるお酒でした。
展示室の一角にある室(むろ)も見せて貰ったのだが、
飯田さんはしっかり、明瞭に、良い日本酒造りのポイントを一つだけ教えてくださった。
飯田「いかに良い麹を作るか、それだけです。」
灘はそもそもが酒造りに適している。
海が近いこと、山から吹いてくる六甲おろしが酒造りに丁度いいこと、
かつては水車で米を精米していたこと…。
そんな中で最も重要なのが麹作りだと言う。
現在は温度管理など機械に出来ることもあるが、
昔は全て、杜氏の経験で作られていた灘の酒造り。
灘の酒造りの伝統を守りながら、今も新たなチャレンジを続けるのが「沢の鶴」なのである。
飯田「では試飲へと参りましょう!」
酒バカ「ひゃっほっほ~いっ!!!」(←どうなんだ、コレ)
沢の鶴資料館のミュージアムショップにはこちらで作られた様々な酒が並ぶ。
勿論試飲スペースもあって、観光で訪れた方を楽しませているのだが、
我々が今回試飲させていただいたのは3種類のお酒。
○本醸造生原酒
○純米酒仕込み梅酒
○純米大吟醸敏馬の浦
どれも酒バカが唸る流石の味であった事は言うまでもありません。
生原酒の豊潤な香り、純米酒で仕込む梅酒のまろやかな甘味、
そして純米大吟醸であるにも関わらず飲み疲れのしないスッキリとした喉越し…。
はぁ~、思い出しただけでも喉が鳴ってしまいます(笑)
飯田「ウチは丹波杜氏の伝統を受け継いでいます。
その伝統を是非味わいにいらしてください!」
灘は酒も男っぷりが良いですけど、そこで働く人も男っぷりが良かったのでありました。
ところ変わって続いての伝統は…というと。
突然ですが、皆さんお家でろうそくって使いますか?
あっ、変な意味じゃないんだからね(赤面)!!普通にお家で使うかってこと!
例えば停電した時とか、そういう時用に持ってますか??
現在使われている一般的なロウソクはキャンドル的な側面で使われる事が多いかもしれません。
でも江戸時代なんかは立派な灯りとして使われていたわけで。
その最たるものが「和ろうそく」なのであります。
当初姫路藩の藩業として隆盛した「和ろうそく」。後に大阪に移動し、戦後西宮に移りました。
ただ現在、その西宮で「和ろうそく」の製造を行っているのは1店舗しかありません。
それが今回お邪魔した松本商店。
兵庫県伝統工芸にも指定されている「和ろうそく」の真髄を味わおうと、
店主である4代目・松本恭和さんを訪ねました。
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創業明治10年という松本商店さん。
今も伝統の和ろうそく作りにこだわり、この地で販売している。
松本「和ろうそくって言うのは電気が無い時代の照明器具です。
分業制で作られるんですけどね、関わる人の手の温もりが伝わるんですよ。」
確かに原料の製造から絵付けまで、一貫して手作業にこだわるのが和ろうそく作りだ。
1本1本を眺めていても、その豊かな表情は決して飽きることはない。
1人前の職人になるには、相当な努力が必要になってくるだろう。
松本「ウチのおじいちゃんなんかは“一生修行だ”ってよく言ってましたよ。」
店内に並ぶ色とりどりのロウソク。
中には浄土真宗で使われる赤いロウソクや(七回忌、年忌、めでたい時に灯すのだとか)、
「おーい!お茶」の製造段階で出る茶殻を再利用したロウソクなども。
松本「よく時代劇なんか見てると、和室の隅でゆらゆら炎が揺れているロウソクありますよね?
あれは全部和ろうそくなんです。炎が揺らぐのが一番の特徴。
その表情はとっても豊かなんですよ!」
この伝統的な和ろうそくの世界、実は手軽に楽しむ事が出来るのであります!
それが「和ろうそくの絵付け体験」!!(キター!!!!!!)
体験物と言えば、私!私と言えば、体験物であります。
最近は第三勢力の棚橋なんちゃらにその座を奪われておりますが、今回は違う。
しっかりと絵付けさせていただこうじゃありませんんか!!
ホラ、何を笑ってるの!?松本さんまで!?
さぁさぁ、用意しなさいよ!工房の2階で体験させて貰おうじゃないの(←偉そう)。
一般的なサイズの和ろうそくに、自由に絵を描き込んでいきます。
アクリル絵具を使って、デザインも色も、自由です。
ゴル「井門さん、何すか?その青いの?」
井門「水玉だろぅ!青で描いて、より水玉感を出してるんじゃないか!」
河合「その金のヒトデみたいなのは…??」
井門「オーナメントで言ったらアレだ、ベツレヘムの星だ!
これでよりゴージャス感を出してるんだよぉ!
(描き上げたと思ったら)
あっ、もう少しスペースがあるから足しとこう(カキカキ…)」
テツヤ「うわっ、また描いた…。」
井門「おいテツヤ、お前いま“うわっ”て言ったよな?
渾身の絵柄を描いている人に向かって“うわっ”て言ったよなぁ?」
テツヤ「いえ、言ってないっす!ただ、斬新だなぁって思って…つい。」
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井門「よし!完成だ!先生、これ何点ですか?」
先生「そうですね、90点でしょう(笑)
敢えて言うなら、もうちょっと色を使っても良かったのかな…。」
こうして完成した現代アート、水玉和ろうそくがコチラ!
松本「お~~、これは良く出来ているじゃないですか!
絵付けの感じも良いですよ、これはなかなか上手だ!」
少し前にどこかで聴いた事がある。
芸術は否定しても伸びない、縦横無尽に伸びるその芸術の芽を、
ある一方からの価値観で否定すると、それは枯れて2度と生える事はないのだ。
松本さん…僕の芸術の芽を伸ばそうとしてくれたんですね…。
でも安心してください。僕の芸術の芽は、小3の頃にズタズタにされていますから…。
とはいえ一心不乱に絵付けに没頭する事なんて、大人になってから無くて。
そう言うと、やっぱり大人が夢中になるんですよ、なんて笑って仰っていた。
松本「ロウソクは決して主役にはなりません。あくまでも灯りというのは引き立て役です。
でも美しい和ろうそくの灯りは、そんな中でも名脇役だと思っています。
どうか、灯りを楽しんでください!」
素敵な言葉ですよね、灯りを楽しむ。
テーブルの上に置かれたロウソクの灯りが女性を美しく見せたり、
間接照明の灯りがインテリアを魅力的に見せたり。
日常生活の中でも灯りは使い方次第。
そんな灯りの中に「和ろうそく」を取り入れた生活ってのも良いのかもしれません。
松本さん、有り難うございました。
伝統の旅、続いては焼物です。
兵庫県唯一の焼物の産地と呼ばれる兵庫県篠山市今田町。
800年以上の歴史を持つこの町に、丹波焼最古の登り窯があるのです。
丹波焼のあれこれと、その登り窯をご案内してくださったのが、
丹波立杭焼伝統工芸士・源右衛門窯の 市野晃司さんです。
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驚きなのはこの町に、なんと54軒の窯元がある。
しかもそれが2km圏内だと言うじゃありませんか!?
そしてその中に伝統工芸士は8名。市野さんはこの地域を代表する窯元なのです。
まず市野さんには丹波焼を総合的に見学する事が出来る、
丹波焼伝統工芸公園「立杭 陶の郷」でお話しを伺いました。
こちら陶の郷は伝統工芸の丹波焼を見て、楽しんで、体験する総合施設。
丹波焼のファンが数多く訪れる人気のスポットでもあるのである。
まずは丹波焼の名品が並ぶ伝産会館へ。
市野「丹波焼の特徴の一つに“土味を活かしている”ってのがあります。
丹波の土ってね、使いづらいんですよ(笑)でもだからこそ味がある。」
並ぶ作品を眺めるとその個性に驚かされる。
とはいえ丹波焼は日常生活で使う事が多いので、どれも使い勝手が良さそう。
聞くと丹波の土には鉄分が多いので焼き締めるとメタルの様な風合いが出るのだとか。
54軒もの窯元がありながら、それぞれの登り窯も多くあり、作家の個性が出るという。
市野「中には女性の窯元も4~5軒あるかな。作風はやっぱり優しいですよ。
職人っていうと年配のイメージもありますが、ここの組合の平均年齢も45歳くらい。
自分もそうだけど代替わりしていますから、若いですよ。」
井門「窯元巡りも楽しそうですけど、いきなり行ったら怒られるイメージが(笑)
職人さんって怖そうなイメージがありますから…。」
市野「全然そんな事はありませんよ!いらっしゃってくださって大丈夫。
我々は開かれた産地を目座していますから(笑)」
伝産会館の中には丹波を代表する伝統工芸士の作品が並ぶ部屋も。
そこには勿論、市野さんの作品も並ぶ。
市野「それぞれが個性的ですけど、土が悪い分、技法が発展していったんでしょうね。
作品を作る時に大切にしている事は“気持ちを込める”、それだけです。」
市野さんくらいになると≪土の声≫が聞こえる事もあるのだろうか。
そんな事を聞いてみたら、笑いながら市野さんはこう仰った。
市野「土の声が聞こえてくるような事はありますよ。
しっかりせえよ!と言われている気がします(笑)」
ちなみに伝統工芸士って国家資格なんですね。
その産地で20年~30年経験を積んだ方がその試験を受ける事が出来る。
まさに「その土地を背負って立つ職人」という事なんです。
さっき職人さんは怖いイメージって言っちゃいましたけど、
よく考えたら市野さんが凄くニコニコしてるじゃないですか(笑)
実は市野さん、息子さんも職人さん。市野太郎さんと言って、作品も展示されてました。
ちなみに、ちーなーみーに、井門Pも取材後に太郎さんの作品を購入。
小鉢を2つほどだったんですが、すっかり愛用品になっております(笑)
そう、こちら陶の郷にはショッピングも出来る場所があってここが凄いんです!
54の窯元が出店しているアンテナショップの様になっていて、
横丁に窯元のブースが並び、購入する事が出来る。
中には「窯元にもいらっしゃって!」みたいな貼り紙をしているブースもあって、
なるほど窯元との距離が近いというのを感じます。
更には丹波焼作りを体験出来るスペースもあって、
年間4万人の方が陶芸体験しているとか!
井門「いやぁ、皆さん良い時間の過ごし方をされているねぇ。」
テツヤ「そうですねぇ。僕も将来子供を連れてきてみたいなぁ。」
まだ子供がいないテツヤすらそんな妄想をしてしまう程、
こちらの施設は充実している。のんびり親子で時間を過ごすにはぴったりかもしれない。
そうしてホクホクしている僕らを、市野さんはある場所へと連れていってくれた。
それが50mにもなろうかという登り窯であります。
登り窯はこの土地の窯元さんも使う焼き窯なのだが、この登り窯は大きさ(長さ)が違う。
基本的に焼きにはガス窯を使う事が多いようなのだが、
年に2回~3回位、登り窯を使用して作品を焼くのだとか。
市野「最高で温度も1300℃になります。
焼成には大体3日かかりますから、夜も寝ずの番ですね。体力勝負ですよ。」
そうして完成しても、やはり2割~3割はロスが出てしまうという。
それでも良い作品を作ろうという、職人さん達の想いは強いのだ。
因みにこの50mの登り窯、今年の秋には55の窯元の作品を焼く為に火を入れるそうだ。
この規模の登り窯に火が入る様子、相当な迫力なんだろうなぁ。
そんな風に想いを馳せていると、里山ならではの風が鼻をくすぐる。
市野「丹波焼ってのは、きっとこの自然の中だからこそ、
この気候、風土、景色の中だからこそ、やり続ける事が出来たんだと思います。」
自然と歴史が育んだ丹波焼。
その風合いはなんとも言えません。今度もまた窯元さんの顔を見に、再訪したい!
河合「お酒に和ろうそくに丹波焼。
でも丹波って言ったら合言葉の様に出てくるアレがありますよね?
はい、テツヤ君、丹波と言えば??」
テツヤ「哲郎!」
河合「死後の世界~!って言うてる場合か!
違うでしょ、懐かし過ぎて平成生まれがおいてけぼりだわ!
はい、井門さん、丹波と言えば??」
井門「哲郎!」
河合「死んだら驚いた!って【大霊界2】か!サブタイトルか!
なにこの丹波哲郎しばり!!そうじゃなくて、丹波と言ったら黒豆でしょ?」
そうなのであります。
丹波と言えば黒豆!黒豆と言えば丹波なのです。
我々はそんな伝統の丹波黒豆の中でも老舗、小田垣商店にお邪魔しました。
こちら建物自体に物凄く風格が…。
それもそのはず、2007年に登録有形文化財に指定されているのだ。
通された部屋には吉川英治先生からの注文ハガキがあったり、
何気なくそこにある物が店の歴史を表している。
那須「全部で10の建物があるんですが、有形文化財に登録されています。」
今回ご案内して頂いたのは営業の那須信太朗さん。
丹波の黒豆の素晴らしさに誇りを持っていらっしゃるのが伝わってきます。
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那須「黒豆にも何十という種類があるんですが、
その中でも丹波のものは大きいんです!」
小田垣商店の歴史は古く、創業は1734年。
始めは鋳物商だったのだが、明治元年に種苗店に転業し、今に至るのだとか。
現在のお店の主力は黒豆と大納言小豆。堂々とお店に並んでいる。
僕らも商品のいくつかを試食させて頂いたのだけど、
驚くほどふくよかな味がして美味しいのだ。
テツヤ「ヤバいっす、これ止まらないっす!」
テツヤがワナワナしていたのは蒸し豆。【黒豆ドライパック 丹波黒】。
粒の大きい黒豆を蒸して、薄く塩味をつけてあるのだが…これが旨い!
さらに【丹波黒しぼり豆】という甘納豆がまた…ジュルル。
那須「小さい頃から黒豆あっての丹波…。
その黒豆に携わる事が出来て、誇りに思っています。」
那須さんはまさに黒豆のプロ!
そのプロに黒豆の簡単な炊き方を聞いてみた。
那須「水に一晩漬けなきゃいけないとか、黒豆の下処理は面倒くさいものも多い。
それで調理を敬遠しちゃう方もいらっしゃると思うんですけど、
圧力鍋を使えば簡単に柔らかく炊けますよ!お試しください。」
江戸時代には既にお正月料理として並んでいたという黒豆。
せっかく黒豆を煮るんだったら、丹波産の黒豆で贅沢にいってみませんか?
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エンディングは城下町で(笑)
いかにも伝統の息遣いが聞こえる町「河原町妻入商家群」です。
ここは篠山城下の城下町。瓦屋根に白塗りの壁が並ぶ、なんとも美しい町並みが広がります。
現在は600mほどの間に雑貨店やカフェなども並ぶエリアで、
多くの観光客が足を運びます。(美味しいお蕎麦屋さんもあったよ♪)
「素晴らしき伝統に触れる兵庫の旅」
今までYAJIKITAでは日本各地の伝統工芸や芸能に触れてきました。
それぞれの町にはそれぞれの個性が勿論あるんですが、
関西圏兵庫ならではなのかなぁ…物凄く「開かれた伝統」を感じたんですよね。
――機会があれば誰でも入っておいで!その為に間口は広くしておくから!
そんな声も聴こえてきそうなくらい、
皆さん人懐っこくて、大きな声で笑うのです。
そんな土地で育まれた伝統はやっぱり楽しくて。
日本酒も焼き物も豆もロウソクも、僕らはすっかりファンになってしまいました。
足を運べば見えてくる、その素晴らしさは“人が造る”ということにある。
何やらそんな≪原点≫が見えてきた今回の旅。
今は僕の家に並ぶ市野さんの窯で作られた丹波焼。
これを使う度に、僕はすぐに市野さんの笑顔を思い出す事が出来る。
会いに行くこと、その大切さ。
これだから、旅はやめられないのです!