東京発どこいくツアー 個性豊かな街・蒲田編|旅人:井門宗之

2015-02-06

 

いつもの会議室、いつものメンバー。
この会議では2015年最初の「東京発どこ行くツアー」の取材地の選考が行われていた。

 

 

井門P「西東京の方はどうだろう?」

 

吉武「そうでゲスなぁ。府中で1本作れるでゲスが…今年は未年。
去年だったら午年でなんとか競馬場も繋がりが出来たでゲスが…。」

 

親分「ほなここらでいっちょ、ディープゾーンいこか。
ワシと永尾君が得意そうな方面でどないやろ?」

 

一同「親分と永尾さんが得意そうな方面…!?」

 

親分「新年最初のどこ行く、 


1発目は蒲田、2発目は五反田でいこやないか!」

 

 

こうして妙な勢いで決まった今回のロケ地。
蒲田担当は親分だから良いものの、順番的に五反田担当になった河合さんが項垂れている…。
息まく親分が蒲田のどこにスポットを当てるのか?
今回のサブテーマが「個性豊か街・蒲田」でありまして、
「へへへ“個性豊かな”とかさ、便利な言葉なんだよね」と黒い笑みを浮かべる親分が怖い。

 

そんな蒲田でありますが、
例えば羽田空港から京急線を利用して東京に来る方にとっては、耳馴染みもあるかもですね。
何てったって羽田空港から電車で10分くらい。非常にアクセスが良いのが特徴。
更に工場も多く、町全体の活気もどことなく下町風情であります。

 

 

 

 

 

 

この町を舞台に映画も多く作られました。
少し前は「梅ちゃん先生」で話題にも。 


そんな蒲田でまず向かったのは東急プラザ蒲田の屋上にある「かまたえん」。
昔ながらの屋上施設って言ったらいいのかな。
よくありましたよね?百貨店の屋上の遊具施設。
ゲームコーナーがあって、軽食スペースがあって。
昔の百貨店の屋上には子供の笑い声が常に響いていたものです。
でもこちちらの「かまたえん」では、今でも子供達の笑い声を聞く事が出来る。
その理由の一つがこちら!!

 

 

 

 

 

 

馬場「こちらはプラザが開業当時からある屋上観覧車です。 


その名も“幸せの観覧車”です!」

 

 

屋上独特の風が吹くなか、明るくお答え頂いたのは馬場貴子さん
開業当時からあるという事は昭和43年からここにあるという事だ。

 

 

馬場「ですので、親子3代でこの観覧車に乗られているってご家族もいらっしゃいます!
一時休業していた時もお客様からの“我々の想い出はどこに行っちゃうの?”という声で、
こうして存続が決まりました。」

 

 

まさに蒲田のランドマークであり、この辺りに暮らす人達の想い出の観覧車なのだ。
聞けば“幸せの観覧車”という名前も一般公募で決まったという。
目の前を悠々と回る姿はどこか愛に溢れていて、蒲田の人達を見守っている様にも見える。
そもそも屋上観覧車というスタイル、今でこそ都内唯一であるが、
かつては百貨店の上に遊具があるスタイルこそ一般的だった。
通常であれば廃れていくそのスタイルを今でも保てているという事自体が、
この場所が地元の人に愛されている証拠なのだろうと思う。今も響く、子供達の声。

 

 

馬場「開業当時の初代から、平成元年に二代目になり、
昨年10月9日にリニューアルしたので現在は三代目の観覧車です。
実は…私もまだ乗った事がなくて(笑)」

 

井門「それならご一緒に!ぜひ!」

 

 

という訳で何故か馬場さんも一緒に乗り込む事になった観覧車。
乗り込んだポッドはチューリップの花の形。
中は円形になっていて、ひとつに大人4人が最大人数だという。

 

 

係員「晴れていれば遠くに富士山も見られますよ!
さっきのお客様も富士山見えたって仰ってましたから!」

 

 

ゆっくりと蒲田の空に上がっていく観覧車。
1周はどれくらいか聞くと、3分半~4分弱だという。
「かまたえん」がビルの8階部分だから、頂点までいけば10階くらいの高さ。
目線が上がるにつれて眼下に見える東急とJRの線路。
駅に入線してくる電車と、ここから出発していく電車。
出たり入ったりを繰り返す駅ビルのその屋上には、
こうして同じ所をぐるぐると回る観覧車があって。なんかそれも不思議だ。

 

 

 

 

 

 

馬場「ちょうどこの辺りが頂点ですかね~。
綺麗な景色ですね~!」

 

 

晴れていたのも手伝って、蒲田の町が一望出来た。
高い建物はそんなに多く無いけど、やっぱり住宅が多い蒲田。
ここから見える建物で暮らす人達が、この観覧車の存続を救ったのだ。
一日中回る観覧車は、やっぱりここから蒲田の人達を見守っているのだろう。
初めて乗ったという馬場さんも、ここからの景色を目を輝かせながら見ている。

 

 

井門「きっとここで沢山の人達が、
この景色を眺めながら愛の言葉を囁いたんでしょうね(笑)」

 

馬場「夜も綺麗ですから、間違いないでしょうね!(笑)」

 

 

思いがけず最初の取材先で蒲田の街並みを知る事が出来たYAJIKITA一行。
その旅の最初は、高い場所からってのも悪くないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

そうそう、蒲田といえば「蒲田行進曲」などの映画も有名ですが、
そもそもこの街に映画の撮影所があったのはご存知でしたか? 


その名も松竹キネマ蒲田撮影所
いいっすね、キネマって響きが。
1920年~1936年まで蒲田は映画の撮影所がある街として輝いたのです。
現在はその跡地の一角に「大田区民ホール アプリコ」があるのだけが、
その地下に面白いものがあるというので入ってみることに。

 

 

 

 

 

 

こちらでお話しを伺ったのは大田区文化振興協会の平澤勘蔵さん

 

 

平澤「これが当時の松竹キネマ蒲田撮影所のジオラマになります。
この場所におよそ3万haの敷地で撮影所が出来たのが1920年。
当時はもちろん無声映画でした。」

 

 

目の前には当時を再現したジオラマ。
そこには撮影隊の姿や、映画のセット、大きな屋内スタジオが。
ここに撮影所があった16年間で、およそ1200本もの映画が作られたという。

 

 

平澤「撮影所が移転した時期と、映画がトーキーに移行した時期には実は関係があるんです。」

 

井門「それはどんな?」

 

平澤「当時の撮影ってのはその場で全てを録音・撮影でしたからね。
音楽も近くに楽隊がいて生で演奏するんですよ(笑)だから失敗出来ない。
それと同時に周辺が煩くなってくると撮影の時に他の音が入って邪魔になる。
ここから移転するって頃の蒲田は周辺に工場も建っていて、
音が相当やかましかったんでしょうね。そういう理由から1936年に大船に移転したんです。」

 

 

 

 

 

 

当時の映画撮影方法のダイナミックなことと言ったら(笑)
この時代に我らが音の匠ことゴルちゃんがいたらどうなっただろう…。
でも夢がある話しばかりでしたよ!
当時は近隣に俳優・女優さんも多く暮らしていたこともあって、 


流行は蒲田から!」なんて言われていたんですって。

 

 

平澤「東洋のハリウッドを目指していたんでしょうねぇ。」

 

 

当時は「映画館街」なんて言われる場所も存在した蒲田。
現在はその地に映画館は1館も無いそうですが、当時のこの街の活気は凄かったんだろうなぁ。
そもそも何で蒲田に映画の撮影所が合ったかって言うと、簡単に言えば「地の利」ですね。
多摩川も近いし、海も山もある。駅もあって交通の便に恵まれていたし、
当時は土地も安かったんでしょう。
戦災や震災で当時の名残はほとんど残っていないそうですが、
一つだけここに遺されている物があるんです。

 

 

 

 

 

 

平澤「撮影所の正門前に逆川という川が流れていたんですが、 


その川に架けられていた松竹橋親柱です。」

 

 

それが現在アプリコ1階に静かに設置されています。
どうやら昔のフィルムなんかもほとんど残っていないそう。
大らかな時代だったんでしょうね…そして映画が大量に作られた時代でもあった。
そのため「アーカイブして遺そう!」って意識がほとんど無かったようです。
映画のタイトルは残っていても、作品はほとんど残されていないとか。
今から思えば勿体ない!!ですけど、当時は考えもしなかったんだろうなぁ。

 

 

平澤「だからこそって言うのもありますが、
ぜひ往時を偲んで街を歩いて欲しいです。
今の蒲田があるのは、あの撮影所があったお陰ですから!」

 

 

 

 

 

 

そんな風に話す平澤さんの表情はどこか誇らしげだ。
当時の地図を片手に蒲田の街を散策するのも楽しいかもしれませんね!

 

このアプリコの隣に「ニッセイアロマスクエア」という建物があるのだが、
続いての蒲田の個性はここにある。日本最大の香料メーカー高砂香料工業株式会社である。
身の回りに色んな香りのする製品(例えばボディソープとか)、
色んなフレーバーの製品(歯磨き粉とか第3のビールとか)、ありますね?
それらの多くを手掛けているのがこちらの会社なのであります。
こちらに面白いコレクションがあると聞いてやってきた一行。
お話しは広報の南ゆかさんが答えてくださいました。

 

 

南「こちらのコレクションには、
世界各国の香水の瓶や貴重な時代の香道の道具などを展示しています。」

 

 

 

 

 

 

我々の日常には“香り”は欠かせない存在。
皆さんの中にも香水を付けている方は多いと思います。
この“身体に香りを付ける”という行為はなんと紀元前から存在するとのこと。
アフリカやエジプトで始まったらしいのですが…。

 

 

南「古代エジプトでは日差しが強かった為に、
皮膚を保護する意味で香りのする油を塗っていたようです。
それと身体に良い匂いをさせるって、神様と交信する為の儀式みたいな側面もあったとか。」

 

 

 

 

 

 

高砂香料工業株式会社も創業は1920年。そう松竹の撮影所と同じなんです。
しかも創業当時はお隣同士だったとか。
その後、撮影所の跡地も買い取って工場と研究所を作ったとか。
コレクションの展示ブースには当時の年譜なんかも展示されています。
そしてその下のケースの中には何やら気になる物が…。

 

 

井門「“昭和天皇献上香水”って書かれてありますが…。
全部で12本あるこの香水瓶(中身も入っている)これは何ですか?」

 

南「昭和天皇が即位された際に企業がその会社にまつわる物を献上品として出したんです。
弊社は香料の会社なので1年12カ月をイメージした香水を献上しました。」

 

 

 

 

 

 

それぞれの香りのイメージがボトルに記載されているのだけど、
1月「ハッピー」2月「東風」ってのがイメージ出来ない!(笑)
南さんによると、かなり強い香りらしく、いまもこのケースを開けると香りがするそうな。
他にもぐるりと展示スペースを歩いていると、貴重な物がたくさん。

 

 

 

 

 

 

またコレクションブースの外にも展示コーナーがあり、
そこには珍しい「アンバーグリース」(マッコウクジラの結石)なんかも展示してある。
香りは身近なもの。その香りのトリビアを探しにこちらを訪れてみませんか?

 

 

 

 

 

 

突然ですが、蒲田と言えば餃子なんです! 


えっ?なんでって?いやいや、問答無用に餃子なんだってば!
しかも羽根付き餃子発祥の地が蒲田と言われているんです。
東京で暮らしていて餃子が好きなら一度は蒲田に餃子を食べにいった事があるでしょう。 


それくらい蒲田は実は餃子の聖地なのです! 


その餃子の聖地における元祖のお店がニーハオさん。

 

 

 

 

 

 

2代目の八木毅さんにお話しを伺いました。

 

 

八木「初代がお店を始めたのが30年位前になります。
元々は大工さんでしたが料理学校に通って、お店を始めました。
日本では餃子は水餃子より焼き餃子でしょ?(笑)
美味しい焼き餃子を、と工夫に工夫を重ねて羽根付き餃子が生まれたんです。」

 

 

元は大工さんと仰っているが、中国では男性が料理をするのが当たり前。
初代も家では人に振舞う程の腕前だったそうだ。
だがお店を始めるとなると話が変わってくる。その腕前を磨く為に学校に入り、お店を建てた。
蒲田に店を構えたのは土地が安かったことと、
中国人でも店を構えやすかったからだという。
30年前、いまでは想像も出来ない御苦労もあったことだろう。
しかし今ではニーハオの餃子食べたさに日本中からお客さんが集まるまでになった。

 

 

 

 

 

 

八木「ここは空港が近いでしょ?
羽田に着いて家に帰る前にここに寄っていく人もいますよ(笑)
逆に東京を離れる前にここに寄っていく方もいます。
キャリーバックを持ってくる人も多いから、
店の入口がキャリーバックだらけになることもあるよ(笑)」

 

 

今は「ニーハオ後援会」も出来ている程の人気店。
後援会が出来るのはファンが多い証拠であり、真摯に営業を続けいる証。
お店もそれに応えるかのように…

 

 

八木「餃子の値段は創業時から変えていません
6個で300円。厳しいけど、これは守っていかなきゃと思って続けいます。」

 

 

ここまで愛されるニーハオの羽根付き餃子。
早速2代目に焼いていただくことに!待つこと数分。

 

 

 

 

 

 

羽根を纏った餃子のなんと美しいことよ!
箸を入れるとパリパリっと音がして、餃子の表面はモチっとしている。
持ちあげた重みで、中身がたっぷりなのが分かる。
焼き立ての熱々を…いっただっきまーす!!

 

 

 

 

 

 

井門「(サクっ、モグモグ…ジュワ~)旨い~~!!
皮と餡のバランスも最高ですけど、餡の中の野菜がまたジューシー! 


野菜が多めなので、さっぱりしていて…何個でも食える!!

 

 

周りのスタッフの「早くレポート終わらせて俺達にも食わせろオーラ」が半端ない…(笑)
焼き立てをハフハフ言いながら食べる我々を、八木さんは嬉しそうに眺めている。
蒲田の地で30年以上に渡り愛されてきた羽根付き餃子。
初代は成功を収めた後に、この地に兄弟を呼び寄せた。
そして同じ様に中華のお店を開いているのだ。
僕はそちらのお店も行ったことありますけど、最高に旨いっすよ!
蒲田に来たら、美味しい餃子をハシゴするのも堪りませんね♪
はぁ…この餃子でビール飲みたかったなぁ…。

 

 

 

 

 

 

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蒲田ってやっぱりディープな街のイメージがある。
でもそれは良い意味で「奥深く」「個性豊か」というイメージ。
色んな文化を内包していて、それでも街の個性を損なわない、器の大きさ。
東京はモザイクの様に、その街その街で色が違う。
かつて僕はそれを「パズルのピース」と呼んだ事がある。
バラバラな形でもピースを合わせると巨大な「東京」という絵が出来るのだ。

 

東京都大田区蒲田。

 

ともすれば、一つ角を曲がっただけでも表情がガラッと違う。
でもここも「東京」というパズルのピースの一つ。
東京の器が大きいのか、それともこの街の器が大きいのか。
間違いなく言えるのは、大きな器の中では、人がのびのびと暮らす事が出来る。
のびのびと暮らす人が多いからこそ、豊かな個性が生まれるのだろう。
個性豊かな街、蒲田。決して便利な言葉なんかじゃありませんよ。
そこにはちゃあんと、豊かな個性が詰まっていたのだから。

 

東京発どこ行くツアー!次は、どこ行く?
(次は五反田だよっ!)