復興応援SP 女川町で食う、寝る、遊ぶ!|旅人:井門宗之

2015-03-12

 

親分「そう言えば女川のトレーラーハウスって泊まった事あったっけ?」

 

 

きっかけは構成作家:親分のそんな言葉だったような気もする。
女川は我々も縁があって何度もお邪魔している場所。
その女川に宿泊施設「EL FARO(エルファロ)」が出来たのは2012年12月のことだった。

 

 

佐々木「そう言われると、泊まった事は無かったですね。」

 

井門「出来た当初は別の番組でも取り上げたりしていたけど、
確かに僕らが“女川に泊まった事”は無かったなぁ。」

 

佐々木「女川に泊まりましょうよ?

 

 

ずっとEL FAROの事は気になっていました。
ただ完成直後はやはりボランティアの方や作業員の方が使うべき、
そんな想いから“僕らが行っても良いのかな?”という気持ちがどこかにありました。
でもこの瞬間「女川に泊まる」と決まった瞬間から、それが楽しみで仕方なくなったのです。

 

 

井門「折角だから女川に泊まって、美味しい物を食べて、 


逢いたい人にまた逢いに行こう。

 

こうして決まった宮城県牡鹿郡女川町の旅。
3月21日にはいよいよJR女川駅も再開します。
「浦宿行き」だった電車は、震災から4年が経ってようやく「女川行き」になるのです!
今回のYAJIKITAはD:佐々木君の提案で少しだけいつもと違う構成にしました。
我々が旅をしながら“自然に出てきた声”を大切にしようと、そんな作りにしたのです。

 

初めて泊まるエルファロに着いた時に自然に出てくる声、
お馴染の美味しい物を皆で食べている時の声、車中の何気ない会話、etc.

 

きっと皆さんも旅をして、自然と出てくる声がそうであるように、
ここに“改めまして“を作る事を、敢えてやめにしました。
旅の行程は仙台⇒小牛田⇒石巻を電車で移動して、そこから女川まではレンタカーです。
金曜の夜18時頃石巻に到着した我々は、まず腹ごしらえだろうと、 


実は前回お邪魔した「いまむら」でご飯を頂いてきたのですっ!!
7カ月ぶりの訪問でしたが今村さんも覚えてらっしゃって(良かった、笑)。
今回が「いまむら」初訪となった親分と佐々木君は、
今村さんが作る見事な料理にずっと「旨いっ!」を連呼(笑)
何度か足を運ぶことで、こうして「あの店で食べたい!」が生まれるのは嬉しい。
何より連れてきた仲間が「美味しい!」と言ってくれるのが嬉しくて。
こんな風にして東北の宣伝が、少しでも出来ていれば良いなぁと思うのです。

 

こうして先ずは石巻で食事をした我々は一路、女川へ。
夜の女川の風景はいつもとまた違う印象を受けます。
震災遺構として遺す交番以外、
前に見た建物はほとんど重機によって撤去されたからなのか…。

 

――2012年に来た時にはこの辺りはまだこんな風だったね。――
――佐々木君が女川さいがいFMのお手伝いで来た時はどうだったんだっけ?――

 

車中で交わされる、そんな会話。
記憶の中の風景と今の風景を照らし合わせる。
頭の中にある過去の引き出しの景色を今に更新していく。
駅前を進み、車はより内陸の方へ。
道の両側にうず高く積まれていた“瓦礫”はすっかり無くなっていた。

 

――ここも道の両側は見上げる程の高さだったよね…――

 

そこは重機で造成された土地になり、新たな表情を見せ始めていた。
こうして進むこと10分程度。
灯りに照らされた色とりどりのトレーラーハウスが見えてきた。

 

 

 

 

 

 

ピンクやスカイブルー、エメラルドグリーンのトレーラーハウスがいくつも並ぶ。 


ここが「EL FARO」、スペイン語で「灯台」を意味する宿泊施設だ。
このエルファロにはいくつか部屋のタイプがあるのだが、
僕らが泊まった部屋はツインルームのタイプ。
中に入るとシングルベッド2つ、ソファにローテーブル、
32型液晶TVに化粧台に椅子、もちろんシャワーにトイレ。
とてもゆったりした広さで清潔感に溢れている。
これで朝食が付いて2名1室、1名5,700円で宿泊出来るのです!

 

 

 


ロフト無しタイプ


ロフト有りタイプ

 

 

 

初めての女川泊、この部屋で本当に快適な夜を過ごす事が出来ました。
翌日の朝ごはんもたっぷりと頂いて、いよいよインタビューです。 


お話しを伺ったのは佐々木里子さん
佐々木さんは元々ご両親が女川で旅館業を営んでいました。
小さい頃から旅館と共に生きてきた佐々木さんは、
その拠り所でもあった旅館と御両親を津波で失ってしまいます。

 

 

佐々木さん「暗い話になって申し訳ないんですけど、
両親を失ってしばらく泣いてばっかりだったんです。でもそれじゃ子供達に悪いなって。
自分は旅館に育てられたから、やっぱり旅館をもう一度やろうって思ったんです。」

 

 

こうして女川にあった旅館業者が手を取り合い、再び「灯台」に光が灯り始めた。

 

 

佐々木さん「今は海に沈んでいますけど、女川には赤と白の灯台がありました。
漁業の町だったこの町は、船を照らす灯台のお陰で活気に溢れていたんです。
女川は津波によって町の8割が壊滅的な被害を受けています。マイナスからのスタートです。
でもあの時、全国から寄せられた支援はまるで灯台のようでした…。
そうです、女川を活気溢れる町へと導いた、あの灯台の灯りのようだったんです。
ここに“灯台”の名前を付けたのは、その感謝の想いを込めたかったからなんです。」

 

 

「灯台」という名前、そこに込められた想い、
あの時の希望の灯りは、こうして女川を訪れる人を迎える強い光となった。

 

 

佐々木さん「オープンした頃はボランティアの方や作業員の方から、
“今までは車に寝泊まりしてた”とか“テントに泊まってた”なんて話を聞きました。
エルファロのオープンは2012年12月です。12月にオープンしたのには理由があって…。
震災後、町民の多くは仮設住宅で暮らしていたんです。
そうすると年末に親戚が集まっても女川に泊まれなかったんですよね…。
そんな町の人の為に、親戚が来ても大丈夫なようにと、
お正月に間に合う様に年末にオープンさせたんです。」

 

 

 

 

 

 

 

旅館で育ち、旅館に育てられた佐々木さんは、今も休みなく働き続ける。
ご両親を手伝っていた頃の“大変さ”は、“経験”となって身体の中に生きている。

 

 

佐々木さん「朝早く出掛ける方にはお握りも作って、寝るのもお客さんが帰ってきてから。
お客さんが出掛けてからシャワーを浴びて少し仮眠、
すぐにまたお客さんを迎える準備…そんな生活でした。
だからかもしれません、動いてないと落ち着かないんですよね(笑)」

 

 

これまでの経験を、外に向けて語る機会も多い佐々木さん。
震災から4年が経ち“ある罪悪感”を持つ人もいるのだという。

 

 

佐々木さん「4年間被災地に来られなかった人が、
“今更行って良いのか?”って考えて罪悪感を持ってしまうんですね…。
でもそんな人にはこう言うんです。 


“これから被災地に来る人は、復興の目撃者になってください。”って。」

 

 

――毎日少しずつ風景が変わっていく女川町、
その姿を一緒に見て行って欲しい――
佐々木さんの想いはそうなのだ。
とは言うものの、町自体はあまり変わって欲しくないとも。
元々女川町はあまり便利な場所にあるわけではない。
でもそうやって辿り着いた場所に、美しい港町の風景があって、
美味しい食べ物がある。それで良いのではないか、と。
今まで通りの女川町で良いのではないか、と。

 

 

佐々木さん「強いて言うなら女川は町民が魅力的ですね(笑)
個性豊かで、協力的な人が多いんです。だから、是非町の人に触れて欲しいです。」

 

 

EL FAROは今や女川の灯台だと思う。
そしてそこにいて、誰よりも明るく迎えてくれる佐々木さん。
今の女川に欠かせない2つの灯台は、これからもここで輝き続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

我々は7カ月前に女川福幸丸の代表佐藤友視さんにお会いした。
旦那さんといらっしゃった佐藤さんはお腹に新たな命を宿していた。

 

 

親分「女川小のとこで佐藤さんと待ち合わせてるからね。」

 

佐々木「最初に女川さいがいFMがあった場所ですね!」

 

 

車を校舎の隣に停めてグラウンドへと進む一行。
高台にある小学校のグラウンドからは新しい女川駅の後ろ姿と、その先の女川港が見渡せる。
広がる景色からは沢山の重機の音が響いていた。

 

 

佐藤さん「お久しぶりです~♪」

 

 

元気で明るい声と共に佐藤さんが現れた。
隣には同じ福幸丸のメンバー:遠藤ひかりさん。

 

 

井門「あれっ?お腹、すっきりしたね?もしかして…?」

 

佐藤さん「はい、スッと産まれました(笑)」

 

井門「前にお話しを伺った時に“新しく産まれてくる世代に震災をどう伝えるか”、
そんな事を仰ってたじゃないですか。今はどんな気持ちですか?」

 

佐藤さん「子供の名前に“結”の一文字を入れたんです。
今は変わっていく女川を、この子と一緒に見て行きたいです。」

 

 

女川は間違いなく日々変化している。
ここから見渡しただけでも、本当に数多くの重機が作業中なのだ。
そしてそれは震災直後の重機の音とは意味合いが違う。 


いま鳴り響く重機の音は復興の音なのだから。

 

 

 

 

 

 

佐藤さん「目の前に見える駅は鳥をイメージしているそうです。
板茂先生のデザインで、その先に女川港を綺麗に見渡せるようになっています。」

 

井門「建物は何階建てに?」

 

佐藤さん「3階建で、2階に“ゆぽっぽ”って温泉施設、3階は展望台です。
もともとの女川駅にも“ゆぽっぽ”はあったんですけどね。
私も行きましたけど、地域の方の憩いの場なんです(笑)」

 

 

新駅は以前よりも約200mほど内陸寄りに建てられた。
日の光に照らされた駅舎の屋根を見ていると、女川町の皆さんの希望の光にも見えてくる。

 

 

遠藤さん「本当に1年、1年変わっていく女川を見ていて、
10年先が楽しみです!!」

 

佐藤さん「おっ、さすが若いね(笑)
彼女はいま25歳で私が福幸丸を始めた頃の年齢なんです。
福幸丸も若手が増えてますよ!10代のスタッフなんて、凄くしっかりしてますもん。」

 

そんな福幸丸の皆さんが力を注いでいるイベントと言えば、 


我歴stock in 女川であります。
音楽で人の心に灯りを…と始まったこのイベントも今年で5回目。
復興に10年かかると言われた、今年はその折り返しでもある。

 

 

 


www.facebook.com/gareki.stock

 

 

 

佐藤さん「10年計画であと5年、来てもらう度に進化するイベントです。 


今年は6月7日“我歴stock in 女川-新時代-”と銘打って開催します!」

 

井門「今の段階で言える事は…なにかありますか?」

 

佐藤・遠藤「まだ言えません(笑)
ぜひ楽しみにしていてください!!」

 

 

女川を引っ張る若い福幸丸の面々は、女川に気軽に来て欲しいと締めくくった。
沢山の人に来て欲しい、と。1日、2日で変化する女川を見に来て欲しい、と。

 

 

 

 

 

 

石巻方面から女川へ入ると、町の入口に大きな市場が目に入る。 


マリンパル女川おさかな市場だ。




 

 

 

震災で甚大な被害を受けた水産加工物や海産物の複合施設の中で、
魚市場を移転させて仮でオープンさせているのがこちらの施設。 


理事長の山田雅裕さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

山田さん「今日は“あんこう祭り”をやってますけどね、
震災前から毎月イベントをやってるんですよ。タラとか雲丹とかサンマとかね。」

 

 

以前の旅日記でも記した事があるが、
宮城県東部、太平洋に突き出た牡鹿半島の付け根に位置する女川町は、 
宮城県内の四大漁港の一つでもあり、 
カキやホタテ、ギンザケなどの養殖に加え、サンマなどの沿岸漁業も盛んな町だ。
その為、女川の海産物を目当てにやってくる近隣の観光客も多い。
この日の“あんこう祭り”も大盛況で、なんとあんこう汁を無料で振舞っているではないか!

 

 

山田さん「いやいや、これは美味しかったら募金をお願いしますって事です。
そこに募金箱が置いてあるでしょ?」

 

井門「このあんこう汁、どのくらいのあんこうを使っているんですか?」

 

山田さん「どのくらいって言うより、あんこうの身だけで5kg使ってます。
しかも肝も入ってるんですよ!この肝が高価なんです。」

 

 

あんこう汁、山田さんの仰る通りたっぷりの身と肝、
味噌仕立てのあんこう汁を寒風の中でいただく至福!!

 

 

 

 

 

 

 

仮設での営業、続けていくのは大変な御苦労もおありだろう。

 

 

山田さん「大変なんですよ、続けていくの!
僕が5億くらい持ってりゃいいんだけど、5円しかないから(笑)」

 

 

山田さんも間違いなく“女川の人”でした(笑)
大らかで気風が良くて、ちゃんとユーモアがあって。
こちらの「マリンパル女川おさかな市場」は、まさに女川の入口。
ここに来れば「女川の旬のもの」を買う事が出来ます。
しかも浜から直接仕入れているから、そのどれもが安い!間違いありません。
ちなみにこうしたお祭りは毎月第2土曜、日曜に開催中との事で、
来月4月は「しらす祭り」で5月は「ほや祭り」だそうです!ほや祭り行きたい!!

 

 

 

 

 

 

 

取材を終えて山田さんと話していると…

 

 

山田さん「そう言えばお昼は食べたの?」

 

井門「これから“おかせい”に行こうと思ってて。」

 

山田さん「ははは(笑)女川の“盛り”の怖さ、あるよ!
地元の人間でも“おぉ~っ!!”って思うもん(笑)」

 

 

山田さんのその一言で我々の期待は膨らむ…。
いや、もうお馴染なんですけどね(笑) 我らは一路、竜宮城を目指しました!

 

 

 

 

 

 

井門「いやぁ、昼時は過ぎているのに混雑してますね!」

 

佐々木「あれ?テーブルにそれぞれのサイズのご飯の量が書いてある(笑)」

 

井門「えっとミニでも300g弱あって…大盛りだと、670gですって!!?」

 

親分「テツヤ、お前、大盛りいっちゃいなよ。」

 

テツヤ「いやいや、流石に厳しいっす!」

 

佐々木「それはお前アレだろ、さっきマリンパルで一人ホタテを食べたからだろ!」

 

親分「お前、一口いかがですか?って一回も聞かなかったよな?」

 

テツヤ「いや、ちょっ…だって自分の金だしっ!!」

 

 

という器の“ちゃいちい”(小さい)なやり取りをしながら女川丼を待つ一行。
女川丼とはまさに海の宝石箱の様な海鮮丼であり、
その盛りの凄さとネタの素晴らしさから“竜宮城”とも呼ばれる海鮮丼なのだ。

 

 

店員さん「お待たせしました~!」

 

 

 

 

 

 

女川丼はこれにあら汁が付いて…1300なのである!!
しかもあら汁自体が「おい、お前“あら”じゃないぞ!立派な“身”だぞ!」って代物なのだ。
全員が全員、夢中で丼をかっこむ。そのネタの一つ一つが新鮮で旨い!

 

 

 

 

 

 

 

結局大盛りではなく中盛り(それでもご飯500g程度ある)にしたテツヤも含め、
大満足でおかせいを後にしたYAJIKITA一行(旅日記を書きながらまた食べたくなってきた)
女川で食う、寝る、遊ぶ――と題した今回の取材、
続いては「きぼうのかね商店街」で遊ぶことに!
こちらの復興商店街も何度も訪れている場所だが、…遊ぶ??

 

 

親分「エルファロのそれぞれの入口に綺麗なタイルが貼り付けてあったでしょ?
あれを作っている工房がきぼうのかね商店街に入ってるんだよ。 


今回はそのスペインタイルの絵付けをやってもらいます!」

 

 

ここ最近のYAJIKITAの体験物で巨匠っぷりを発揮している井門P。
絵付け体験と聞いて神戸の絵付けろうそくが頭をよぎる。俄然、燃えてきた…。

 

 

 

 

 

 

お邪魔したのは「みなとまちセラミカ工房」。
中に入ると色鮮やかなスペインタイルが並んでいる。
色を失ってしまった女川の街を彩りたい――そんな想いから生まれたこちらの工房。

 

 

 

 

 

 

今回の先生、木村美雪さんのご指導の元、
さっそくスペインタイルの絵付け体験へ!
僕が選んだのはタイルの四隅に花びらがあしらわれたモチーフ。
カーボン紙の上からなぞって下絵を付けて、それをシャープペンシルでなぞっていく。
なぞるというか、少し浅く削っていくのですね。
その溝で挟まれた部分にスポイトで釉薬を垂らしていくわけです。

 

 

 

 

 

 

 

木村さん「おっ、かなり良いですね!コツをすぐに掴んでますね!」

 

親分「なんだよ、ちょっと失敗とかしろよ!」

 

井門「なんでだよ!不幸を望むなよ!」

 

 

そんなこんなで井門P、必死になり過ぎて制作中は殆ど喋らないという…(笑)


佐々木君に「ちょっとは喋りなさいよ!」とドヤされる始末…。
でもタイルに線が入っていく様子とか、釉薬が流れていく様子とか、
凄く集中しちゃうんですよね~!
タイルに釉薬を流し込んだら、980℃で9時間かけて焼くそうで。

 

 

木村さん「出来上がりまでにはまだ少し時間がかかりますけど、 


見た感じはここに飾りたいくらいの良さ!なんだか女性らしいですね~!

 

親分「チッ、女々しいんだよ。

 

井門「なんだよっ!

 

 

 

 

 

 

う…うん、なんか思ってたんと違うけど、それもまた楽しい!
この絵付け体験、2000円と消費税で出来ます!間違いなく楽しいので、是非に!

 

そしてこの旅の最後は「女川さいがいFM」です。
井門Pは以前こちらの「この人さ聞いてみっちゃ」に出演させてもらった事もあり、
佐々木君は自分の機材をこちらに提供しているほど、我々にとってとても縁がある場所です。 


今回お話しを伺ったのは石森充さん
元々病院で働いていた石森さん。震災後は病院にお湯を配る仕事をしていたとか。
さいがいFMは何気なく覗きに行き、差し入れ応援隊から携わるようになったそうです。
今は「おながわなう」のミキサーを担当するニックネーム:もりもりさん。
そんな石森さんには、これまでの女川町の変化はどんな風に映っているんでしょう。

 

 

 

 

 

 

石森さん「復興はまだしていないと…自分は思ってるんですね。
復旧はしてきたとは思っているんですが。」

 

井門「もう少ししたら駅も再開しますもんね!」

 

 

町は目に見えて土地がどんどん造成されていっている。
それでもまだ決して復興ではない、石森さんはそう感じている。
均した上に建物を作っていくというフェーズに、女川町は入っているのだ。

 

今年も3月22日に女川町復幸祭2015が行われるのだが、 


その前日には「津波伝承 女川復幸男」が開催される。
あの震災の津波を忘れない為、大地震が来たら高台へ避難する事を忘れない為、
津波が到達した午後3時32分にスタート時間を合わせ、
参加者がゴールを目指し駆け抜けるという行事だ。

 

 

 


onagawa-town.com/fes/

 

 

 

石森さん「復幸祭当日は特産品を扱ったブースなども出ますし、
女川さいがいFMではお祭りの様子を生中継しようと考えてます!」

 

 

立ち上げの最初の頃からこの場所を守ってきた石森さんの目はどこか優しく。
さいがいFMでの今までのエピーソードなんかも色々とお話ししてくださいました。
ももクロちゃんの話、遠藤ミチロウさんの話、訪れた数多くの著名人のお話。
そうそう、さいがいFMの建物の後ろには、
もう消えかけているけど、ももクロのメンバーのサインもあったりして。
未曾有の震災を経て、災害情報を発信する事の重要性を誰よりも感じているであろう石森さん。

 

 

石森さん「一度(町を)出て行った人たちも戻ってきて暮らして欲しいですね…。」

 

石森さんはこの町を心から愛しているんだと思う。
――町民が温かくて、新鮮な魚が獲れて、子供を育てながら生活するには良い町ですよ!
そんな風に仰っていた姿が印象的だ。

 

 

 

 

 

 

石森さんにお話しを伺った後、我々はブースを出て輝望の丘の上からJR女川駅を眺めた。
7カ月前に見た景色とは全く違う。
そこにはこの町の新たな輝きが、もうあと少しの所まで出来上がっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

よくよく考えてみると、ここまで4年がかかっている。
「女川の復旧・復興は早い」と言われる。だが、それでも4年の月日を費やしているのだ。

 

東日本大震災発生から、4年。その4年間にはそれぞれの被災地の歩みがある。
その歩みを、多くの方に忘れて欲しくないのです。
被災地の復旧・復興にはまだまだ時間がかかる事も、忘れて欲しくないのです。
その為に改めて、いま僕らが出来ることはなんだろうか?
まずは心を寄せること。耳を傾け、目を向けること。
そうするときっと見えてくる、東北の美しい景色や、素敵な人達の表情。
僕らも皆さんにすぐそんな風景や人を思い出して貰える様に、今年もまた東北へお邪魔します。

 

最後はこの言葉で締めようと思います。
自分にも言い聞かせるつもりで、改めて。
被災地応援SPの1回目の旅日記で、最後に綴った言葉です。

 

「今いる場所に全てがあるわけじゃない。 
今みている場所が全てじゃない。

 

あなたの笑顔はきっと、被災地の皆さんの笑顔を取り戻す為の、大切な支援になるのだろう。 
出来る範囲で構わない、続けていく事が何よりも大切なのだ。」

 

想い続けましょう。今年も、これからも、いつまでも。

 

 

 

 

 

「女川ポスター展」

商店のポスターを見て、訪ねて、応援する!
2015年2月21日~5月31日まで女川で開催。

 

女川ポスター展は、震災で大きな被害を受けた女川町を応援しようと、女川の商店、企業のポスターを、東北を中心としたクリエーターたちにボランティアで作ってもらい、元気になってもらおうという企画です。
全てのポスターが見たい方は女川へ。