伝統芸能、桧枝岐歌舞伎にふれる旅|旅人:井門宗之
2015-08-21
東京から電車に揺られることおよそ3時間。
「会津高原尾瀬口駅」を降りると、そこに広がるのはどこまでも無垢な自然だった。
駅の周りの、夏の濃い緑に覆われた山々。傾き始めの太陽に照らされた紫陽花。
駅の有線から流れる誰もが知るJ-POPの名曲も、
この長閑な風景を前にすると不釣り合いなほどに浮いてしまう。
自然と大きく息を吸い込んでいた僕に、親分が声をかけた。
親分「井門君、深呼吸する気持ちも分かるけど、
取材する檜枝岐村はここから更に車で1時間くらいの場所だからね(笑)」
今回の旅の舞台は福島県南会津に位置する村、檜枝岐村。
人口およそ600人強のこの村には江戸時代から伝わる伝統芸能と、名物の郷土料理があるという。
我々は穏やかに広がる田園風景を走りながら、檜枝岐村を目指した。
檜枝岐村は全国的に有名な尾瀬国立公園の玄関口でもあり、温泉地。
その為村内には30近くの民宿があるのだが、
今回はその中の一軒「山びこ山荘」に我々もお世話になりました。
御夫婦で営むこちらでは、檜枝岐村の伝統料理「山人料理」を味わう事が出来るのだが…。
ん??山…人…??やまんちゅ??さんじん??
星「これは“やもーど”料理って読むんですよ(笑)」
そう言って料理の説明をしてくださったのは奥様の星としよさん。
テキパキとした説明に、隣にいた常連のお客さんから歓声が上がる(笑)
星「元々は山に入って作業をする山の男達の為の料理だったんです。
最近は観光客の為にこの土地の名産でもある“裁ち蕎麦”も入れますが、
そもそもは“腹持ちが良くて傷みにくい”料理が山人料理と呼ばれていたんですよ。」
山間の集落である檜枝岐村は日照時間が少なく米がとれない。
そこで土地の人は蕎麦をよく作り、食べたのだという。
かつては『福島で蕎麦を食べるなら、檜枝岐!』と言われた時代もあったそうだ。
今回は伝統の山人料理と、土地の名物でもある「裁ち蕎麦」をいただく事に。
まず登場したのが、サンショウウオの炭焼き(いきなりか)。
流石、自然豊かな村であります。近くを清流が流れ、そこでは沢山の川魚が獲れるとか。
この日の料理の中にも岩魚の刺身があり、
「岩魚を刺身で食べられるなんて!!」と皆を感動させていたのですが…。
星「このサンショウウオの炭焼きも栄養満点ですよ!
お腹の張ってるのがメス、ヘコんでるのがオスです。
ガブっと召し上がってください(笑)」
井門「ちょっ、星さん何でちょっと笑って言うんですか!
こ・こ・これは本当に皆さん食べられるんですよね!?」
星「勿論です!隣のご婦人方もペロりと召し上がってましたよ!」
御婦人方「美味しかったですよ~♪」
井門「そうですか~♪って、言うてる場合かっ!
ほ…本当に食べるんですよね?た…食べられるんですよね?」
ゴル&親分「(無言で頷く)」
井門「では…いただきます!(ガブっ!! モグモグモグモグ…)
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あぁ~っ!これ、美味しいですね!
なんだろう、シシャモみたいな味と食感で…旨いです!」
宇宙人の子供の様な見た目とは裏腹に、香ばしくて美味しいサンショウウオ。
メスの方も卵が濃厚でなかなかの珍味であります。
この料理こそ、山の中で栄養を摂る為の先人達の工夫(豪快だけどさ)なのかもしれません。
他には蕎麦粉ともち米を「1:1」で練ったはっとうという料理。
昔これを偉い人に出したところ、あまりの美味しさに、
「平民はこれを食べるのは御法度(ごはっと)ですよ。」と言った事に由来しているとか。
ってどんだけ強権発動なんだよ!
そしてつなぎを入れない蕎麦粉100%の名物「裁ち蕎麦」。
裁断の「裁」の字を使うのは、
普通の蕎麦と違い切る時に生地を重ねて布を裁つように切る事からきているそう。
想像していたのは田舎蕎麦の様な黒っぽい色のお蕎麦だったんですが、
とても上品で喉越しの良いお蕎麦。蕎麦の香りも素晴らしいです。
山人料理だけではなく、山びこ山荘で供される料理はそのどれもが美しく、新鮮。
思わず溜め息が出る程の山菜料理は、噛みしめると山菜本来の旨味が飛び出してくる。
また岩魚の塩焼も、そのふくよかな白身の旨味が素晴らしい。
一品一品のシンプルさの中に力強さを感じるのは、この土地の力とも言えるのかもしれない。
こうしてそれぞれの料理に舌鼓を打ち、
身動きできなくなるほどお腹一杯になった後は、温泉である。
こじんまりとした山荘の温泉は、十分過ぎる程の休息を身体に与えてくれた。
いつもならついつい遅くまで飲んでしまう我等も、
珍しく温泉に浸かった後は早めの就寝。
部屋の外から聞こえてくる虫たちの声と川のせせらぎ。
ずっと聴いていたいなぁ…とぼんやり考えていたら、あっという間に夢の中へ…。
翌朝。
これまたたっぷりの朝ご飯を頂いていると、
山びこ山荘の御主人が僕の番組のリスナーさんだった事が判明!
記帳名簿の名前を見て「はっ!」とお気付きになったそうな。
記念に写真を撮って、御礼と共に再会を誓う。
山荘を後にする我々にずっと手を振り続けてくださった御夫婦、本当にお世話になりました!
檜枝岐村の郷土料理に続いては、この地に伝わる伝統芸能であります。
御案内頂いたのは星昭二さん。
星「この村は殆どが“星姓”か“平野姓”か“橘姓”なんですよ(笑)
星というのは藤原金晴が“星の里”という場所からこの地に移り住んだ事に由来するそうです。」
それが794年の事らしい。その後844年に、藤原常衡・大友師門・熊谷勘解由の三人が、
この檜枝岐村を開いたと伝えられている。
まずは村の歴史を辿るべく、歴史民俗資料館へ。
資料館の中へ入ると、この村に伝わる伝統芸能が何なのかすぐに知る事が出来る。
井門「立派な歌舞伎役者の等身大人形ですね!」
檜枝岐歌舞伎。
これこそが江戸時代から伝わる伝統芸能である。
星「この村に残っている一番古い浄瑠璃本が270年前の物ですから、
檜枝岐歌舞伎には270年の歴史がある事になります。」
檜枝岐はその漢字が表す通り、山での仕事を生業とする者が多かった。
冬は深い雪に閉ざされる山間の村。隣村に出るのもかつては一苦労だったという…。
――江戸時代のある時、村の者が連れ立って「お伊勢参り」に出掛けた。
その帰途、江戸に立ち寄った村人達はそこで衝撃的な出会いをする事になる。
星「それが当時江戸で流行していた歌舞伎でした。
村人は浄瑠璃本を手に入れて村に持ち帰り、
この娯楽を村でも楽しみたいと、恐らく最初は手探りで始めたんだと思います。」
衣装やカツラは当然手作りだが、演目の中身は土地の物ではなく、
中央のポピュラーな演目をそのまま上演した。神社に奉納する「奉納歌舞伎」として。
星「始まった当初から檜枝岐歌舞伎は地歌舞伎とは言えアレンジを加えません。
中央の歌舞伎に沿ってやっているんです。」
檜枝岐歌舞伎を牽引するのは「千葉之家花駒座」。
およそ30名程で構成されているそうだが、
なんと星さんも花駒座の役者というではありませんか!?
井門「まさに今ボクはスター(星)と話しているわけですねw」
星「あっはっは!役者と言っても人数が少ないので裏方も全部やるんですよ。
しかも今は年寄りの役しか回ってこないですから(笑)」
星さんは中央の歌舞伎に沿って…と仰ったが、
実は檜枝岐村には檜枝岐独特の方言がある位、土地の言葉にも個性があるそうだ。
例えば…
「でえじい」⇒「お金持ち」
「ずるい」⇒「遅い」などなど。
星「この村には平家の落人伝説もありましてね。
最初に話した3つの姓の内、平野姓があるでしょう?
平野の家紋が平家と同じ揚羽蝶なんです。」
井門「あぁ…確かに“平野”という漢字も平家と言われるとそうですもんね…。」
星「それだけじゃない。
檜枝岐の方言にはね、京訛りがあるんですよ。」
平家の落人伝説は日本各地にあるけれど、
檜枝岐村のこの話はちょっと鳥肌が立ってしまいました。
星さん、流石に役者もやられているだけあってお話しも面白い!
歴史資料館を案内頂いたあとは、檜枝岐村をぶらり。
奈良の正倉院と同じ造りだという板造りの倉は、金具は一切使用していないもの。
また六地蔵はかつて凶作だった年に多くの子供が犠牲になった事に由来している。
小さな村とは言うものの、流石に歴史を刻んでいるだけに興味深いものが多い。
そんな中でもYAJIKITA班がもっとも食いついたのが…こちら!
檜枝岐歌舞伎の舞台へと続く参道途中にある石仏、それが橋場のばんば。
前歯が1本欠けていて、歯を出して笑っている。
星「橋場のばんばは縁結びと縁切りの神様なんです。
ばんばの横に大きな和鋏があるでしょう?綺麗な鋏と錆びている鋏。
綺麗な鋏のところに新品の鋏を納めると、縁切りになる。
錆びている鋏の方に切れない鋏を納めると、縁結びになるんです。」
井門「ほほぅ…どうやら…縁切りを願う人の方が多いみたいですなぁ…。
ばんばの頭にお椀が乗せられているのは、どうしてですか?」
星「あぁ、縁切りや縁結びとは別に、
お椀を乗せるとあらゆる願いを叶えてくれるんです!」
井門「ばんば無敵かっ!」
ばんばの先には歌舞伎伝承館「千葉之家」がある。
ここは檜枝岐村の歌舞伎の歴史を資料と共に展示している場所。
改めて檜枝岐の歌舞伎を深く知る事が出来る。
星「かつて奥会津には歌舞伎の一座が43組もありました。」
確かに展示されている福島の地図を見てみると、
かつてはどの地域にも歌舞伎の一座があった事を知る事が出来る。
檜枝岐歌舞伎は現在も続くその代表というところだろう。
星「檜枝岐村では11演目が行われています。
それを年に3回公演する。私が始めたのは25歳の頃でした。
最初は青年団に所属していて、歌舞伎役者の世話役をしていたんです。
そしたら出てみないかと誘われて、
最初は台詞のない座っているだけの家来の役から始めました(笑)」
実は伝承館の館長は花駒座の8代目の座長。
なんと歌舞伎を50年も続けていると言う。
館長「50年続けてるけどね、楽しいと思った事ないよ!
まぁ、スポット浴びると悪い気はしないけどねぇ(笑)」
親分「この中に星さんが写っている写真は無いんですか?」
館長「あるよ!この写真がそう!」
時は平成11年5月12日、舞殿火災が起る。
幸いすぐに消す事が出来、けが人もいなかったのだが、
なんとこの時、舞台に立つ予定だったのが星さんだったのだ!!
星「最初はお客さんも演出だと思ったみたいですよ(笑)
原因は電気系統だったみたいですが、その時の写真がここに飾られているんです。」
代々伝わるからこそ色んなエピソードがある。
いまの悩みは若手の育成だそうだ。
星「村には高校がなくて、やはり若者は就職で外に出てしまいます。
そうなると歌舞伎をやる若者も減ってしまいます。
いま中学生に歌舞伎指導をやっているんですが、ここで歌舞伎の面白さを知ってくれたら…と。」
写真で見る限り、村の中学生達は歌舞伎を楽しんでいるようだった。
いつか彼らをあの立派な舞台の上で観る日が来ると良いのだが…。
伝承館を出て更に進むと、いよいよ檜枝岐歌舞伎の舞台であります。
明治時代に火事で一度焼けてしまいますが、江戸時代からこの場所にある舞台。
御鎮守の前に凛と佇む姿は、山の景色と相まってとても美しい。
客席となる石段は、山肌に張り付くように作られてある。
多い時はこの会場に1200名もの観客が集まったのだとか。
星「僕らからすれば、ここは聖地です。やはり緊張します。
目の前には神様が見ててくれ、先祖にも守られていると感じます。
そもそも人口が少ないこの村で、歌舞伎が残ってきた事自体が凄いことだと思います。」
村の少子高齢化。人口減少…。
考えなければならない事は沢山あるだろう。でも星さんはこう語る。
星「先達が閉ざさないできてくれました。
ここで僕らが無くしては御先祖に申し訳が立たない。」
270年に渡り続いている檜枝岐歌舞伎。
最初に270年と聞いて、伝統を重んじ、その責任を感じながらあるのかと思いきや、
勿論その側面はあるんだけど、ここに携わる人達はもっと軽やかに、
もっと柔軟に、何より楽しんで歌舞伎と関わっているのが印象的でした。
きっとそれは檜枝岐の人達が、
雄大な自然と共に生きてきたからこそ生まれてきた感覚なのかもしれません。
伝統と言うよりも、先祖が残したこの自然と共に歌舞伎文化が生きている。
最初にこの村に浄瑠璃本を持って帰ってきた先達が、
いまの檜枝岐村を見たらなんて言うでしょう。
きっとその技術と演技に、江戸のものと見紛うかもしれません。
僕もいつか、この自然の中で檜枝岐歌舞伎を観てみたいなぁ…。
そんな事を考えていると、トンボが2匹、舞台の前を横切ったのでした。