徳川家康公没後400年、ゆかりの地を訪ねて…|旅人:本幸拓真

2015-05-07

どうも!どうもどうも!!旅人の本幸拓真です。

またまたやってきましたヤジキタの旅。
まだまだ初心者マークの外せない旅人ですが今回もしっかりたのしみますよぉ!

 

ヤジキタの旅に出るにあたって前回の旅の時にスタッフさんが教えてくれてくた事があります。
「構成作家が河合さんだと天気が心配・・・」
そういえばこだまの旅part②でも最後の最後で土砂降りになったなぁ。

 

でも、そんなことないでしょー。天気を操るってX-MENじゃあるまいし。
なんて思っていましたが駅に降りた瞬間、それは確信に変わりました。

 

 

 

 

 

 

結構な量の雨が降る中、新幹線が到着したのは静岡駅
ここが今回の旅のスタート地点です。
なんと今年は、 徳川家康が亡くなって400年なのです!


静岡駅の周りでは、徳川家康公400年祭で盛り上がっています。

 

 

 

 

 


という事で今回は、


「徳川家康公没後400年 ゆかりの地を訪ねて・・・」

みなさん、徳川家康と聞いてどんなイメージをお持ちですか?
信長とか秀吉はいろんなエピソード(いわゆるすべらない話)があったりして
キャラが立ってるけど家康のイメージってあんまりないものぉ。
学生時代は基本的に年号とかできごととかばかりしか勉強してないし、
もう10年以上昔の事だから案外忘れちゃってます!

 

だーかーら! 今回の旅では教科書では教えてくれない事を
リスナーのみなさんと勉強するわけです。

 

まず向かったのは駿府城(今は、駿府城公園になっています)。
静岡駅から歩いて15分くらいのところにあります。


ご案内してくださったのは、静岡市公園整備課の山本宏司さん

 

 

 

 

 

 

実際にお城はなく、二の丸東御門から巽櫓が復元されています。

 

 

 

 

 


ゆくゆくは天守閣まで再建しようという動きもあるそうです。
中は資料館になっていて、家康が人質の時に勉学に励んだ臨済寺 
手習いの間が復元されています。




 

 

 

 

資料館の中で圧巻だったのは、駿府城の城下町の模型。

 

 

 

 

 

 


上にも書いたように駿府城は東御門しか復元されていないのでその全景を模型で見る事が出来ます。
町割りは碁盤の目のようになっていて職種によってスペースが分けられていて見るからに住みやすそうで町中には水路が流れていて上流からせき止めて水を道路にあふれさせて埃が上がるのを防いだりもしているアイデアも採用されています。あとメインストリートから駿府城の正面に立つと天守閣のとなりに富士山が見えるように設計されているんですって。 
この城下町は海外からも評価されていて徳川家康はなかなかのアイデアマンだったんですね。

 

 

 

 

 


駿府城の水路の周りを歩いていると、
おや?何かあるぞ?・・・あれ!?なんでこんなところに弥次さん喜多さんがいるの!?
なんと、東海道中膝栗毛の作者の十返舎一九。この方は実は駿府の生まれだそうです。 
旅の先輩方と写真を撮らせてもらいお二人のエールを受けて次の目的地へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

次に向かったのは久能山東照宮

 

 

 

 

 


正式な参拝路は、久能海岸から石段を登るコースでその段数は、1159。(いちいちご苦労さん)と呼ばれています。
一般の人は大体、15分から20分くらいかかります。
階段の途中で振り返ると駿河湾が一望できる絶景ポイントになっていて
ほんとはこっちのコースで行きたかったんですけど、
雨が降っていたので残念ながらロープウェイを使いました。

 

 

 

 

 


あーぁ、絶景を見たかった!(笑)←メンバーの中で一番体力がないクセに、

 

実際晴れているとこんな感じ。

 

 

 

 

 


注!!!これは写真です。 ←写真をカメラに収めるなんて(笑)

 

神主さんや巫女さんは毎朝1159段を上って毎日東照宮に出勤していて
早い人で7~8分で到着する人もいるんだとか、 
ここに就職したら絶対にやせられる自信があります。

 

日本平からロープウェイに乗って久能山東照宮に向かいます。
カゴをイメージしてラッピングされているロープウェイにのって到着した久能山東照宮。 
東照宮とは、徳川家康を祀っている場所の事で(←これは知らなかった)全国にありますが、久能山東照宮は、徳川家康の遺言で建てられ、家康がこの場所に埋葬されたと言われています。

 

 

 

 

 


お話を伺ったのは宮司の落合偉洲さんです。
建物は極彩色(赤や青、緑や金を使って)彫刻も細部まで作られていて、周りの木々の緑とマッチしてとてもきれいなのです。 
この日は雨でしたがその雨の効果もあってとても神聖な空気が漂っています。

 

 

 

 

 

 

 

社殿のちょうど真後ろ神廟(遺骸が埋葬されている場所)があって遺言で西に向けて建てられています。

 

 

 

 

 

 

西になにがあるのかというと、徳川家康が生まれた岡崎城、


そして京都の方向でこのラインを「太陽の道」と言うそうです。
聖なるラインはもう一本あって、久能山東照宮から富士山、日光東照宮を結ぶ


「不死の道」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

お話にもありましたが、社殿の屋根の下にある葵の御紋が逆さになっているものがあるのでみんなで探しました。 
これは、完成したものはあとは朽ちていくだけ。
だから紋を逆さにしてまだ完成していないという意味を持たせているのだそうです。

 

「あれじゃないですか?」
「あれは屋根の斜めの部分についてるからそうみえるだけじゃない?」
「えー。じゃどれなんでしょうね?」 
なんてやりとりをしてたら近くにいた神主さんが教えてくれました。

 

 

 

 

 


みなさんも行かれた際は探してみてくださいね。

 

 

続いては、徳川家康が29歳~45歳まで住んでいた浜松市にある浜松城です。

 

 

 

 

 

 

その後家康が天下人になったことから「出世城」とよばれているお城です。
浜松城公園の中には当時の徳川家康の石造が建てられています。 やはり全盛期の姿はりりしくてかっこいいです。

 

 

 

 

 

 


浜松城をご案内してくださったのは、館長の幸田春雪さんです。

 

 

 

 

 

 

「出世城って言われてますけど、御利益はありますか?」
「はい!!あります」
満面の笑みで迎えてくれた幸田さん、
昔から残っている浜松城の石垣、下から天守閣を見上げると立体感のある石垣です。
野面(のづら)積みと呼ばれる積み方で、一見雑に見えますが、
とても丈夫で昔からずっとあるそうです。(←雑って言ってごめんなさい!)
色々なお城を見てきましたが、石垣の作り方が城によって違うから、
その時々にブームやトレンドみたいなのがあったのかな?

 

 

 

 

 

 

かわら版とかに、「今年のトレンド石垣はこれだ!」みたいに特集されてたりして(笑)

 

 

 

 

 

 

最後は徳川家康が生まれたお城、愛知県岡崎市にある岡崎城です。

 

 

 

 

 

 


ご案内していただいたのは、岡崎城の杉浦斉さんです。

 

天守閣を見上げるとすっきりしていて規模はそんなに大きくないように思いましたが、
江戸時代は東西1キロ、南北は0.9キロと日本で4番目に広いお城だったそうです。
展望台からは岡崎の街が一望できます。

 

 

 

 

 


それぞれの方向に家康ゆかりの場所があり、
床には昔の地図が広がっていて今と比べる事が出来ます。

 

 

 

 

 

 

北側には、大樹寺と呼ばれるお寺があって


岡崎城とこの大樹寺は「ビスタライン」と呼ばれています。 
この間には今でもこのラインを遮る建物は作れないそうです。
ただ、昔は法律とか条例がなかったのに住民の協力でこのラインが保たれていたのは、
家康の存在の大きさを感じさせられました。

 

 

 

 

 

 

天守閣に入ると直径1.5メートルくらいの楚石と呼ばれるものがあります。
この天守閣の一番大事な柱が建てられた場所です。
ここから岡崎城がスタートしたんですね。
触っておくと、天下人になった家康の御利益にあやかれるかもしれないので、しっかり触っておきました。

 

 

 

 

 

 

岡崎城の周りには家康ゆかりの場所がたくさんありますが、


岡崎城から西へ870メートル 8丁の距離のところにある八丁蔵通りにも行ってきました。江戸時代から伝わる八丁味噌が生まれた場所です。

 

 

 

 

 

 

二軒の老舗の味噌蔵があって石垣と黒い板壁、屋根は高くてとても風情のある通りです。
徳川家康が愛した八丁味噌、戦の時には縄に塗って保存食として持って行ったそうです。空腹の時に舐めたり兜を火にかけてその味噌をといて味噌汁にしたなんて話もあります。

 

 

 

 

 

 

味噌を仕込むとても大きな樽がたくさんあって(一樽で6トンの味噌ができる)重しにのせる石は約3トン、この石を積み上げるのも熟練の職人さんが行っていて一人前になるには10年くらいかかるそうです。

 

八丁味噌が生まれた場所でランチに食べた味噌煮込みうどんと味噌田楽は絶品でした。
昔から味は変わってないから家康が食べた味噌に舌鼓♪

 

あと、八丁味噌ソフトクリームも食べました。これは江戸時代にはないでしょ~。
味噌とバニラのバランスが絶妙で甘しょっぱくておいしかったですよ!

 

 

という事で、徳川家康ゆかりの場所を巡りました。

 

今回の旅ではそれぞれの場所で、徳川家康に対するイメージを伺ってみました。


静岡 「家康公は神様のような存在です。」奉るイメージ
浜松 「うちの家康はこうなんだよ。」というフランクなイメージ
岡崎 「家康は愛知県岡崎で生まれたんだよ!みんな名古屋っていうけど、
ほんとは岡崎なんだよ。」なかなか主張ができない控え目なイメージ

 

場所によって全然違うんですね。

 

学校の授業では知ることのできない徳川家康を今回の旅で知ることができました。
年表をただおぼえるだけじゃなくて、その背景にどんなことがあったかを知ることで、
頭にもすっと入ってくるので、学生さんもフィールドワークとして使えば、勉強がもっと楽しくなるんじゃないかな。

 

今年は徳川家康が亡くなって400年という節目の年。
ぜひみなさんもゆかりの場所に脚を運んでみてくださいね。

 

次も楽しい旅に出られますように!
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

 

旅人の本幸拓真でした。

 

 

 


出世神社「元城町東照宮」(浜松市)