終戦70年…人間国宝・井上萬二が語る戦争の記憶|旅人:吉村民

2015-08-07

 

YAJIKITA ON THE ROAD 旅人の吉村 民です!

今回は有田焼・白磁の陶芸家で人間国宝の井上萬二先生を訪ねる旅です。

 

 

陶磁器が好きな私は

井上萬二さんの真っ白で綺麗な作品を知り、すぐに魅了されました。

そして、萬二さんの作品が欲しいと検索をしていたある日、海軍予科練出身だと言うことを知り、興味は更に深まり、、、

人間国宝でありながら、戦争を経験しているという萬二さんに

お会いしてお話を聞きたい!と思うようになりました。

 

そんな気持ちを抱いて向った佐賀県有田。

 

スタートは陶山神社から!

焼き物の町 有田を見渡せる高台にあり

境内の所には陶器で出来た狛犬やお皿などが飾られていて

とても素敵な神社でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

井上萬二さんはどんな方なのだろうか?と数日前からドキドキ、ワクワクしていた私ですが、

 

素敵な笑顔と気さくなお言葉で迎えてくださりました。

 

 

 

 

 

 

 

まず最初にお聴きしたのは

萬二さんが若かった頃のお話。

なぜ、海軍予科練に入られたのかー

 

それは時代というものもあり、

当時の少年たちの夢は、海軍大将、陸軍大将で、

萬二さんは飛行機乗りにあこがれて海軍予科練へ入られたそうです。

 

予科練では勉強勉強の毎日。

ミスすると上官 から殴られることも珍しくなかったそうですが、そんな厳しい予科練時代も今思えば良い修練の場だったとおっしゃっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして萬二さんがいらっしゃった鹿屋、串良基地からは特攻隊が、飛び立つようになりました。

当時は命をかけて戦うということが当たり前の時代。

 

 

萬二さんも自分も特攻に行くのが当たり前だと思っていたようです。

 

 

20歳に満たない青年たちが命令を受けてから

出撃する日までを過ごすという特攻という行為を

 

萬二さんは

戦争は絶対にしてはならないのだけど、

特攻に向かった青年たちの精神はとても偉大だと言っていました。

 

覚悟を決めた方たちの背中を見送り

自分もいつかは、と覚悟を決められていた、

そのような経験をされていたということが

 

萬二さんの人生にも大きな影響を与えているのだと感じました。

 

萬二さんは特攻することなく終戦を迎え

今度は親の望むように生きようと

稼業でもある陶芸の道へ

 

 

 

 

 

 

 

 

26年間もの間修業をされて

さらにはアメリカのペンシルバニア州で講師をされ、

今では世界中に200人以上の外国人のお弟子さんがいらっしゃるそうです。

 

『やる以上は人に負けない努力をしよう』と考えられていたという言葉がとても印象的でした。

 

私も戦争は絶対にいけないとは思いますが、

頑張り抜いた時間があり、

命をかける覚悟をされたことがあるということが

何をするにしても、

成功に近づける精神力に繋がったのだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、伝統や技術をしっかり受け継ぎながらも

自分の感性を旅などをして養い、

自分ならではの美を表現しているそうです。

 

だから50年も人生の先輩である萬二さんの作品は

私の心を奪ったのだ、と納得できた瞬間でした。

 

萬二さんの人生で起こったお話、

想い抱いていらっしゃる情熱

 

何を聴かせていただいても

素敵すぎて、、、

それが作品にも現れていて、、、

 

ますます井上萬二さんに、萬二さんな作品に魅了されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は有田焼400年。

萬二さんは400種類の形の作品を制作されているということですが、

 

有田焼を造られてきた先人の汗の上に成り立ったものを

後世に伝えていきたいとおっしゃっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅では

井上萬二さんという1人の方、萬二さんの作品を通して

 

戦前、戦中の日本人の精神を教えていただき、

その方たちが敗戦と言う辛く大変な過去を乗り越え

 

今の日本を作ってくださったということ

 

そして、400年続いている有田焼という日本の伝統の素晴らしさについて

 

教えていただけました。

 

 

井上萬二さん、

素敵な方に違いないとおもっていたのですが、

私の想像よりも更に魅力的で素敵な方でした。

 

いつか萬二さんの作品をGETしたいと思います!

 

YAJIKITA ON THE ROAD

旅人は吉村 民でした。