東京発どこ行くツアー 深川エリアそぞろ歩き編|旅人:井門宗之

2015-11-26

 

隅田川を大川と呼んだ時代、神田や浅草と並んで活気にあふれた職人の町がありました。

21世紀に入り、そのエリアは下町の懐かしさを残しつつも、

サードウェーブコーヒーの人気店などもオープンし、

若者も集まる場所へと少しずつ変化を遂げています。そのエリアこそ、深川

今回のぶらりは深川エリアをそぞろ歩きという事で、

駅で言ったら3駅分を散策してきました!

今回巡ったのは「森下」駅から隅田川を西に見ながら南下。

「新大橋通り」と「清澄通り」が交差する場所からスタートしたのですが、

既にこの交差点の四隅に火消しの纏がありましてね。下町感がこれでもかと言う程出ています(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

まずはここから歩いて約10分。

江東区芭蕉記念館へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

江東区と芭蕉の関係について

芭蕉記念館の次長・横浜文孝さんに伺いました。

 

 

横浜「芭蕉は深川に草庵を建てそこを活動の拠点にします。

41歳から51歳で亡くなるまで芭蕉は旅をしますが、

旅を終えると芭蕉は必ずこの草庵に戻ってくるんです。」

 

なるほど、だからこそ江東区と芭蕉は縁が深いと。

更に森下のエリアから門前仲町までを散策すると沢山の史跡が残っているそうで、

このエリアではそこかしこで芭蕉の見た景色に触れる事が出来るのです。

そう言えば「芭蕉」と言う名前も草庵にいた頃に門人より芭蕉の株を贈られ、

それが生い茂った事から庵号と俳号の由来となったんだとか。

横浜さんにお話しを伺ったのは記念館にある図書室。

この図書室にも数多くの芭蕉に関する本が並んでいますが、

どうしてここまで芭蕉と言う人は後世で論じられるようになったのでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜「俳句を文学の域にまで高めたのが芭蕉だからです。

『おくの細道』文学作品ですからね。」

 

 

それこそ『おくの細道』に描かれている事と、

その旅に同行した弟子の曾良の旅日記を照らし合わせると色々と矛盾が生まれるらしい。

有る程度の脚色の元に描かれているのが『おくの細道』であり、

だからこその『文学作品』という位置づけなのです。

 

 

横浜「記念館にも展示していますが、『芭蕉遺愛の石の蛙』が出土した、

芭蕉稲荷神社もすぐ近くにありますので、行ってみましょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

大正6年、この地を高潮が襲った際、

現在の常盤1丁目から芭蕉が愛でたと言われる石の蛙が出土しました。

それを受け、地元の方々の尽力により建てられたのが芭蕉稲荷神社。

さらに東京府は大正10年、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定。

それから現在に至るまで、地元の方々によって大切に護られているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

芭蕉稲荷神社から隅田川の方へ1分も行けば、隅田川を見下ろす場所に芭蕉像。

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜「この像は夕方になると回転し、隅田川の方を向きます。

芭蕉のいた頃は髙い建物もありませんでしたから、

この場所からは江戸の街並みを眺める事も出来たかもしれませんね。」

 

 

21世紀の今は晴れていればスカイツリーや富士山を望む事も出来るとか。

確かにここに立って大きな隅田川を眺めていると、

気持ちも大きくなって何となく旅に出たくなってしまいます(笑)

 

さぁ、芭蕉の気持ちになって(笑)我々は深川そぞろ歩きでございます!

続いては清住白河にある都会のオアシス『清澄庭園』。

生憎の雨模様でしたが、その雨が庭園の緑を深くしていて美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

東京9庭園の一つに数えられるこちらは、

元々はかの豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷があったとも伝えられ、

その後は下総国関宿藩主・久世大和守の下屋敷だったそう。

それを明治年間に三菱創始者の岩崎彌太郎が買い取り、

岩崎家は三代に渡り庭園を作り上げていったそうな。その後、庭園は大正13年に東京市に寄付。

庭園のあちこちに全国から集めた名石の数々があり、

それもあって清澄庭園は名石の庭とも呼ばれているんです。

 

お話しは河野雄作さん

そもそも岩崎彌太郎さんは何故に庭園を造ったのですか??

 

 

 

 

 

 

 

 

河野「簡単に言うと三菱社員の福利厚生の一環だったようです。

庭園の形式は真ん中に大きな池を配した回遊式林泉庭園となっていて、

一周をぐるっと歩いて回ると大体30分~40分くらいかかります。」

 

 

庭園のあちらこちらにある名石もさることながら、

四季折々に変化する木々も庭園の魅力の一つ。中でも松の木は200本もあるのだとか!

他にも富士山に見立てた築山や、池の南側にある「涼亭」など、

都会の中にあって優雅な時間を味わうことが出来る貴重な場所が清澄庭園なのです。

 

 

河野「毎日いらっしゃる方もいるんですよ。」

 

 

庭園の真ん中にある大きな池には立派な鯉が泳いでおり、

時間は決まっているもののエサをあげる事も出来るんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「あのぅ…まさか池に落ちる方はいらっしゃいませんよね??」

 

河野「それが…年間で数人いらっしゃるんです(笑)

ほとんど小さなお子さんなんですけどね、鯉のエサやりで身を乗り出して…。

一応、お子さん用の着替えは用意してあるんですけど(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

年間パスはなんと600円、65歳以上だと280円です(!!)

都会のオアシスでのんびり…贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょう?

 

清住白河をぶらりしながら、続いてはです!!

江戸時代、深川は辺り一面が海。この辺りは漁師町でもあり、必然、漁師飯が生まれました。

その一つが深川伝統の「深川めし」。

今の時代にその味を伝えるお店が、深川江戸資料館の目の前にあります。

それが深川宿

 

 

 

 

 

 

 

 

日東寺麻紀さんにお話しを伺いました。

 

 

日東寺「元々この深川は漁師町で、江戸時代には船が沈むほどアサリが獲れたそうです(笑)

そのアサリを美味しく、手早く食べられないか??という所から深川飯は生まれました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代は醤油が高価だったそうで、

当時は味噌汁にアサリを入れてひと煮立ちさせ、ご飯にぶっかけて食べていたんだとか。

それこそが「深川めし」の原型。

 

 

井門「ではこちらのお店も相当な老舗なんですか?」

 

日東寺「江戸前って言葉がありますよね?

お寿司も天ぷらも元々は屋台料理から始まっています。

深川めしもそうで、元々は屋台で食べられていました。

だから『深川めし』に関しては老舗が無いんです。

この店も30年程前に店のオーナーが“せっかくの深川伝統の料理を復活させよう!”

という事でオープンさせたんです。」

 

 

江戸時代にはぶっかけ飯だった「深川めし」も、明治期に入りアサリの炊き込みご飯へと変化。

職人が多いこのエリアの職人さんの為のお弁当として親しまれていたそうです。

実は深川宿さんでは、江戸時代と明治期の両方の「深川めし」を楽しめるとか!

その名も「辰巳好み」という贅沢なセットを頂きました!

 

 

 

 

 

 

 

 

ご飯の他にも煮物や糠漬けなど、自家製の副菜も良い味で、

何よりも「深川めし」は絶品!!






 

 

 

 

噛みしめると海の味がする深川めしを味わいながら、気分は既に深川っ子(笑)

その余韻に浸りながら、深川エリアを象徴する神社・富岡八幡宮へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

参道の脇には伊能忠敬の像や大関力士碑などが建てられている。

果たしてどうしてこの場所に…??

その謎は権禰宜松木伸也さんが解いてくださいました。

 

 

松木「伊能忠敬は測量に出る際、必ず富岡八幡宮にお参りにきたそうです。

ご本人も門前仲町に暮らしていたので、その御縁で像が建てられております。

また富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地ですので、

大関力士碑と横綱力士碑が建てられているんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

富岡八幡宮の創建は1627年、徳川家光の時代だ。

当時この地は永代島という島だったそうで、まさにこの深川を守るために創建されたのであります。

 

 

松木「当時“江戸前”と言えば深川~品川で獲れた魚介の事を指しました。

深川の漁師は江戸っ子の食を守る大切な存在。

更に近くの木場には日本中から材木が集まり、深川には職人さんも多く暮らしていました。

まさに江戸の暮らしを支える町が深川だったのです。

その大切な町・深川をお守りするのが富岡八幡宮であり、

江戸の昔から“深川の八幡さま”と呼ばれて親しまれてきたんです。」

 

 

そして富岡八幡宮を語る上で外すことの出来ないのが「祭り」だ。

江戸三大祭りの一つとして、深川の町が大いに沸くのだという。

重さ約2t、担ぎ手が200人にもなるという大神輿が出る祭、

50数基の神輿が練り歩く祭、子供神輿が主役となる祭。

3年周期でそれらの祭が巡ってくるまさに祭の町、それが深川なのです!

 

 

松木「御神輿の掛け声も深川は“わっしょい”なんです。

“わっしょい”には“人の和”という意味も込められていると言います。

3年に1度子供神輿の祭をするのも、地域が子供を育てる為でもあるんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

富岡八幡宮は深川の人にとって『心の拠り所』。

そんな言葉がぴったりの場所でした。松木さん、有り難うございました!

 

 

 


 

 

 

清住白河から門前仲町へと歩いている途中、

いま話題のサードウェーブコーヒーの超人気店を見かけました。

住宅街や町工場が並ぶ場所にドンと建っているお店目がけて、

どこから集まってきたのか、若者が行列を作っています。

我々一行はそのすぐ近くに店を出すアライズ・コーヒー・ロースターズで、

丁寧に淹れられたコーヒーの香りに束の間癒されました。

 

かつては海の香りがした深川は、

今やコーヒーの香りのする町へと変貌してしまったんでしょうか?

いやいや、そんな事はありません。

町を歩けば江戸の風情も残しつつ、浅草や神田とは違う下町の雰囲気を楽しむ事が出来ます。

新たな文化が入ってきても、きっとこのエリアの雰囲気は変わらないのでしょう。

こうした器の大きさも、東京の下町ならでは。

ドリップしたてのコーヒー片手に、江戸の風情残る深川を散策してみませんか?

東京発どこ行くツアー、次はどこ行く!?