東北復興シリーズ~明日へ歩む人たち。岩手県陸前高田~大船渡編|旅人:井門宗之

2017-03-09

 

井門「前に来た時は夜でしたもんね。。。」

 

河合「そうでしたね、周りの雰囲気も少し変わりましたね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

車を降りて我々が向かっていたのは『奇跡の一本松』でした。

岩手県陸前高田市には震災前に7万本もの松が植えられた高田松原があり、

津波によって奇跡的に残った一本の松が復興のシンボルとして今も保存されています。

3年前に訪れた時とは周りの風景も変わっていました。

盛土を運ぶベルトコンベアも無くなり、防潮堤も完成。

造成された土地には多くの重機も入り、新たな町作りが行われようとしています。

 

東日本大震災から6年が経ちました。

変わりゆく町、変わらずにそこにあり続ける人の心。

この6年、時間の流れはどう動いていったのか。

今回も我々は、明日へ歩む人たちに会いに行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡の一本松から車でおよそ10分程度の場所に、

「高田大隅つどいの丘商店街」はあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この商店街で先頭切って走り続けるのが太田明成さん

カフェフードバー「わいわい」の御主人です。

お邪魔したのはお昼少し前だったのですが、お店にはランチを楽しむ地元の方も。

 

 

 

 

 

 

 

 

太田「わいわいがやがや、って所からお店の名前を付けたんですけど、

やっぱり人が集まる所はわいわいがやがやしてますもんね。

震災の年、お盆の頃にはやっぱりお酒を(供養の為に)飲みたいって方も多くて。

お店の外も賑わっているような状況でした。

始めの頃は市外からのお客さんや工事関係者の方も多かったです。」

 

 

そうした状況は少しずつ変化していきます。

 

 

太田「最初の年から言われていたんですけど、勝負は4年目だって。

でもその通りでしたね。徐々にお客さんが少なくなっていって、

ここ1年は下がり方が急激です。」

 

 

震災から5年が経過した昨年。

僕らも東北で言われたっけ「5年経ったらマスコミは来なくなりますよ。」って。

発信者が減れば、受信者は減る。当たり前のことだけど、

その結果が「前に進む力」を削いでしまうこともあるのです。

 

 

太田「いま新しい町を造っていますよね。

僕も最初はそっちに行きたいと思ったんです。

それで色々と見積もりを計算していたら、新たに借金が1千万円になる。

悩みました、悩んでウチの奥さんに相談したんです。

そしたら奥さんの一言。

― もう借金はしたくない ―って。この一言で決めました。」

 

『つどいの丘商店街』には現在15室あります。

太田さんはここでの営業を続けていくにあたり会社組織にしていく決断をしました。

会社組織にする事で守れることもある、大きなイベントも出来るかもしれない。

志を同じくする人と、新たに事業を展開する事もし易くなるかもしれません。

 

 

太田「だからと言って新しい町と喧嘩しようとかじゃないんです、勿論。

想いは“新しい町”です。新しい商店街が盛り上がるように、

こちらの商店街も出来る事はやりますし、一緒に考えていきたい。

そうして町が盛り上がる事こそ、市が存続していく事に繋がるんです。」

 

 

その盛り上がりの一端を太田さんのお店では『食』で担っています。

店の入口にも何やら美味しそうな写真付きメニューがあったのですが…。

 

 

井門「この“なっちく”ってのは何ですか?」

 

太田「チクワに納豆を詰めてフライにした物です!

以前いたお店でも納豆料理のリクエストが多かったんですね。

そんな時にたまたまTVで納豆に何かを詰めているのを見たんです。

これだ!と(笑)納豆をチクワに詰めてみよう、と。

こうすると意外と保存もききますし、食べてみると美味しい。

そうして出来たのが“なっちく”なんです。」

 

 

こうして生まれたアイデア料理が“なっちく”。

揚げたて熱々のところを…いっただっきまーす!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「(サクッ!)はふはふはふ…旨~いっ!!

揚げてあるので香ばしさも良いですし、これはビールが欲しくなるなぁ!!」

 

太田「有り難うございます。いずれは冷凍して配送も可能に出来ればいいんですけど。

全国になっちくを配送出来る様にして、なっちく御殿を建てたいです(笑)」

 

ちょうどインタビューを終えた時間がランチタイムだったので、

我々一行も『わいわい』さんでランチを頂きました。

全員が“なっちくカレー”だったんですけど(笑)

スパイシーなカレーになっちくがトッピングされていて、

これもまた美味しいのなんの!!

 

 

橋本「これはなっちく(納得)の味ですね!

 

一行「…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車中で橋本君の『なんか最近親父ギャグが平気で言えるんですよ!』話を聞きつつ、

続いて向かった先は一関市。

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらにあるのが創業200年を超える歴史を持つ醸造業『八木澤商店』の工場です。

店舗兼本社は陸前高田市にあるのですが、4年前に念願の自社工場での製造を再開。

こちらで作られる『奇跡の』は全国的にも有名で、ご存知の方も多いかもしれません。

実はYAJIKITA時代、震災の年にも八木澤商店さんにはお邪魔しているのですが、

今回改めて、6年が経った今の八木澤商店のお話しをお伺いしました。

 

 

河野「ここに来るまで多くの方に助けて頂きました。

最初は、作る事も売る事も出来なかったんですから…。

でもそんな時に支えてくれたのが、同じ東北の同業者の方々なんです。

普通だったらライバル関係なんですけど、ウチで作ってそれを売れば良いからって…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

9代目の河野通洋さんが社長に就任したのは震災直後のことでした。

河野さん曰く「多少食い気味に“やります!”って。ここは若さだろ、と(笑)」。

そして社長に就任すると、働く人の為に雇用を守る、給料も全額を支払う、と宣言。

そこから走り続けた6年だったと仰います。

 

 

河野「震災の1カ月前だったかな、釜石にある微生物研究所から、

“御宅のもろみを研究用に分けて欲しい”と連絡があったんで預けたんです。

もちろん釜石の研究所も津波の被害にあってるんですけど、

施設自体は残ってて、するとその中に培養していた“もろみ”が生き残っていたんです。」

 

 

200年を超える歴史を持つ八木澤商店も震災でその殆どを失ってしまいました。

被害総額は2億円を超え、残されたのはトラック2台のみ。

八木澤商店の味を伝える物は何も無くなったかのように思えた、その矢先。

 

 

河野「残った“もろみ”を拡大培養するからと連絡があったんです。

ウチの工場が再開するまで、拡大培養して準備しておくからって。」

 

 

こうして2013年に自社工場による製造を再開、

震災前のもろみを使用した醤油『奇跡の醤』が無事に出荷されました。

現在は陸前高田の店舗でも『奇跡の醤』や他の商品が多数並びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河野「いま新しい町を作っている最中ですけど、

その都市計画の中で町の人も一緒になって市と話し合いをしてきたんです。

“新しい町に何が欲しい”って。

その中で上位だったのが図書館、そしてカフェでした。

今まで、震災から6年、陸前高田には人がゆっくり集まれて、

未来の話が出来る場所が無かったんですから!」

 

 

来月オープンするその市立図書館に併設する形で、

八木澤商店が手掛けるスイーツを提供するカフェをオープンさせるのだとか。

 

 

河野「とは言うものの、まだ売り上げは震災前の7割弱です。

でも大丈夫です!海外に売れば良いんですから。販路は沢山あります。

陸前高田は震災による津波で9割の会社が全壊、流出しました。

でもこの町は小さな会社が人の生業を作っていった町です。

確かに人口は20%減り、人手不足の状態です。

でも実は20歳~24歳の人口が震災直後から2年前で1.4倍増えたんです。

出生率も1.8で国の目標を越えています。

震災後ぼく達は世界中の人から支えられて、お世話になりました。

現在この町に人が少なくなっているのであれば、

そりゃ色んな意見はあると思いますけど、

移民の定住型の特区にしたらどうかって思うんですよね。

これからの町の姿を考えた時に、多様性のある町にしていきたいです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、肝心のお醤油のお話し。

僕もスタッフも『奇跡の醤』や他の商品も購入して帰ってきました。

『奇跡の醤』は調理に使うのではなく、

例えばステーキを焼いて仕上げに垂らすと最高と教えて頂いたので帰京後さっそく。

はい、もう感動ものです!(笑) 旨過ぎて笑っちゃったもの。

僕は料理が趣味でよく作るのですが、

河野さん曰く『醤油には300種類位のフレーバーが入ってる』そうで、

だからこそ世界中の人に受け入れられるようになったのだとか。

 

 

河野「そしてウチの醤油のお客さんは食べる人じゃなくて、

料理を作る人なんです。料理を作る人はいかに美味しい料理を作るかが目的。

それを食べた人をいかに喜ばせられるか、だと思うんです。

その演出を醤油でどこまで出来るか?それが我々が醤油造りで考えている事です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

続いては大船渡へ…っとその前に、

時間の都合でお店で『奇跡の醤』を購入出来なかった作家の河合さん。

ところが新幹線発車ギリギリで、一ノ関の駅の売店で発見!

無事に購入する事が出来ました。

店舗は勿論、ネットでも購入可能ですので、気になった方は是非チェックしてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

大船渡でお邪魔したのは「大船渡 屋形船 潮騒」さん。

お話しをお伺いしたのは総括マネージャーの及川東さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

及川「震災後に“復興の役に立てれば”と譲り受けました。

元々は隅田川で走っていた船なんですけど、海路で4日かけて運んだんです。」

 

 

海と山に恵まれた大船渡。

その海を情緒あふれる屋形船で巡るのです。

2015年にオープンし、今では地元の方も親戚が集まった際に利用されるとか。

 

 

及川「船内でお子さんがはしゃいだり、展望デッキに登ったり、賑やかですよ(笑)

後は内陸の方、観光客の方、地元の企業の皆さんにもご利用頂いています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

船内で頂けるのは大船渡の海の幸。

牡蠣をメインにしたコースも味わえます。

 

 

及川「お昼は1時間半、夜は2時間半楽しんで頂けます。

大船渡湾は幅が2km、長さが5kmあります。

船から眺める大船渡の自然も楽しんで頂ければと。

また大船渡には名勝の碁石海岸もありますので、

そちらを船から眺める事も出来ます。

船からの景色を眺めて大船渡の復興を感じて欲しいです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

『明日へ歩む人達』

それは言いかえれば『明日を信じて歩む人達』なんだと思います。

未来は分からないけど、この土地を信じて、

この土地の人達を信じて歩む人がもう一人、ここ大船渡にいらっしゃいました。

大船渡産のワイン造りを目指す、及川武宏さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

及川「目の前にあるのがリンゴの樹なんですけど、

中には樹齢100年なんて樹もあるんです。

普通はそれだけの年齢の樹でリンゴを作らないんですけど、

この樹で作ったリンゴは甘くなるんです!」

 

井門「そもそも及川さんはリンゴやブドウ作りの経験は…?」

 

及川「震災前は地元を離れて全然別の仕事をしていたんです(笑)

でも東日本大震災があって、なんとか地元の為に出来る事はないかと。

大船渡も含めて三陸に人を呼びたいなぁ、と考えてワインナリーを作ろうと。

昔からこの辺りはリンゴの生産が盛んで、リンゴを使って何か出来ないか…、

そうだ、ブドウでワインを作る様に、リンゴでシードルを作ろう、と。」

 

井門「それでお仕事を辞めて帰郷されたんですか?

ご家族はなんと…??」

 

及川「黙って付いてきてくれました。

あまり言わせる環境を作らなかったんです(笑)」

 

 

太陽でキラキラに輝くリンゴ農園の真ん中で、そう言って微笑む及川さん。

大船渡が好きで、この土地の為に何かやりたいとずっと思っていて、

そこに起こってしまった東日本大震災。

東京で震災復興の支援活動を続けながら、及川さんの想いは強くなっていきます。

家族を連れて地元に戻り、リンゴ農園を借りたのが4年前。

現在は及川さんの御両親も一緒に農園を切り盛りしています。

 

 

及川「4年前にワイン用のブドウを植えたんです。

シャルドネとソーヴィニヨン・ブランです。

それが今年の秋に初めて収獲になるんです。」

 

 

震災から6年。

及川さんが大船渡産のワインを作ろうと考えて行動を始めてから4年。

やっと、その想いが形となるんです。

 

 

及川「自分が地元をなんとか…という想いがありました。

6年…、長い時間だなとは思うんです。でも震災復興も少しずつ進んでいます。

これからも更に頑張らないとな、と。」

 

 

スリーピークスワイナリー。

何とも熱く、そして楽しみなワイナリーじゃないですか!

そんなワイナリーで作られたシードルを、僕も頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

キリッとしていて、スッキリしていて。

三陸の牡蠣や魚介と合わせたかったので、ドライに造ったというシードル。

リンゴの香りがふわ~っと抜けていく、なんとも贅沢なシードル。

熱い男が造った、どこまでもドライなシードル。

 

 

及川「今年工場を作って、最初のワインになります。

いつか三陸沿岸にワイナリーが沢山出来て、ワインツーリズムが出来る、

そんな日が来ると良いなと思います。

そしていつか、子供達が描いた夢を実現出来る様な場所にしていきたい。

その最初の一歩として、今年最初のワイン造りをしっかりやっていきたいです!」

 

 

このワイナリーが出発点となり三陸でワインツーリズムか…。

良い!!物凄く、良いじゃないですか!!

僕が何歳になっているか分からないけど、

子供が酒を飲める年齢になったら実現していると良いなぁ。

三陸の未来に、また一つ楽しみが出来るお話しでした。

及川さん、まずは今年のワインを楽しみにしています!

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

震災から6年が経過しました。

私事になりますが、2011年に生まれた自分の息子も、今年で6歳になります。

息子の成長を眺めていると、その月日の流れを考えずにはいられません。

これまでも様々な方々とお会いして、お話しを伺って、そして、6年です。

でも6年が経っても我々の、僕の気持ちは何も変わりません。

その気持ちをもう一度思い出す為に…、じゃないな。

ある意味での『決意表明』の為に、

震災後、最初の取材を終えた旅日記の最後の言葉を記します。

 

 

 

 

『笑顔を取り戻すには、人の笑顔が必要だ。 
人の笑顔が増えるには、被災地に住む人だけでは足りない。

 

今いる場所に全てがあるわけじゃない。 
今みている場所が全てじゃない。

 

あなたの笑顔はきっと、被災地の皆さんの笑顔を取り戻す為の、大切な支援になるのだろう。 
出来る範囲で構わない、続けていく事が何よりも大切なのだ。』

 

 

 

 

続けていきましょう、これからも。

誰かを笑顔にするのは、きっとあなたの笑顔なのだから。