東京下町散歩!蔵前から浅草橋まで、老舗巡り!|旅人:井門宗之
2017-09-08
蔵前の駅前であります。(分かってるよ!とは言わないで…)
ん??前回の旅も蔵前だっただろって?
いや、蔵前のエリアは新旧相まってそれはそれは魅力的な場所が多いんです!
*都内ロケで節約したいからでは決して、断じて、無い!(必死)
前回のロケスタートが大江戸線の蔵前駅付近だったのに対し、
今回のスタート地点は都営浅草線の蔵前駅前。
大江戸線の蔵前駅は『両国』と『新御徒町』に挟まれておりますが、
浅草線の蔵前駅は『浅草』と『浅草橋』に挟まれております。
そして地方にいるとなかなかに分かり難いのですが、
『浅草橋』と『浅草』は結構離れております。知らないで歩くと20分位かかります。
今回は『蔵前』から『浅草橋』というエリアを南下していく旅。
井門P「この辺は問屋さんがいっぱいあって、
レポーター時代はよく取材に来ましたねぇ。」
と、Pが話すくらい右も左も問屋さんだらけ。
しかも玩具問屋の数が多いのなんの。
まずは江戸通りを進むとすぐ、蔵前一丁目の交差点の角に何やら雰囲気のある暖簾が。
物凄く大きな暖簾には『花火』と記されております。
こちらが創業大正3年の老舗、山縣商店さんです。
蔵前にあって純国産線香花火を復活させた立役者が、
代表の山縣常浩さん。沢山の花火に囲まれながらお話しを伺いました。
そもそも純国産の線香花火はいつごろ廃れてしまったのでしょう?
山縣「昭和39年頃までは線香花火も100%純国産だったんですよ。
それが昭和50年代に入り中国から安い花火が入ってくるようになると、
段々と国産の花火が廃れていってしまうんです。」
線香花火の大きな産地は3つ。信州、岡崎、北九州だったのだが、
昭和から平成へと時代が変わっていく中で次々と店が廃業。
純国産の線香花火を作る店が、ついにこの世からなくなってしまったのです。
山縣「これはいけないと思いました。
そこで仲間とお金を出し合い、試行錯誤の末に大江戸牡丹が出来上がったんです。」
線香花火って先端に火薬が0.1gしか入ってないんですってね。
その量が多くても火の玉が大きくなり過ぎてすぐに落ちてしまう。
勿論少なくても綺麗な花は開かない。当然ですが花火を撚るのも手作業です。
和紙だって、火薬だって、それを撚る人の人件費だってお金がかかる。
中国産の線香花火が1本1円とか2円の世界で、
この純国産の線香花火は原価を考えると1本50円で売らないとどうしようもない。
そこで10本セットにしてワンコインの500円で売り出した。
因みに名前の大江戸牡丹は発売のタイミングが都営大江戸線の開通と一緒だったからだ。
山縣「メディアにも取り上げられて、お陰様で話題になりました。
現在はワンコインではなく10本で600円で発売しています。」
山縣さんのお話しを伺うと10本600円も安く感じてしまいますが、
実際にその大江戸牡丹を触らせて頂きました。
山縣「こっちの束が中国産の線香花火です。
そしてこっちが大江戸牡丹。触ってみると違いがよく分かりますよ(笑)」
井門P「あ~本当だ!全然触り心地が違うじゃないですか!
石鹸で洗った髪の毛とトリートメントした髪の毛くらい差がありますよ!」
この違いであります。
丁寧な仕事が綺麗な火花を生みだす。
線香花火は人生と同じ様に変化していきます。
最初の炎を「牡丹」、続いて「松葉」、「柳」になって「散り菊」となる。
私は年齢的に「柳」に入ったばかりでしょうかね…。
線香花火を芸術だと語る山縣さん。
最後に線香花火が長持ちする火の点け方も教えてくださいました!
山縣「火薬の入っている少し上の部分をもう一回撚るんですよ。
そうすると紙が強さを増してなかなか落ちなくなる。
あと、火を点ける時も炎に対して線香花火が斜め45度になる角度で火を点けます。
そうすると火の玉の重みがいきなり線香花火にかからないので長持ちしますよ。」
お邪魔したKIKI-TABIスタッフ全員、大江戸牡丹を購入しました(笑)
その晩、私も息子と一緒に線香花火をやってみたんですが…、
これが凄いのなんの!全く落ちる事なく、綺麗にその命を全うしていきました。
純国産線香花火、これは是非一度体験してみて欲しいなぁ。線香花火で感動しますよ。
老舗を巡るのが今回の旅のテーマなのですが、
「東京・老舗」となると食べ物屋さんの存在も忘れちゃいけない。
そして東京の老舗の食べ物屋さんというと…必然、天ぷら屋、鰻屋、蕎麦屋となる。
一行が目指したのは創業が嘉永年間の1854年という老舗、
江戸そば手打ち處・あさださんであります。
現在お店を切り盛りするのは8代目(!)の粕谷育功さん。
お店のお忙しい時間にも関わらず、丁寧に取材に応じてくださいました。
まずはお店の看板にも掲げられた「江戸そば」ですが、
その江戸のお蕎麦の特徴とは…?
粕谷「細めで喉越しが良いのが何よりの特徴でしょうね。
蕎麦を食べる事を“蕎麦を手繰る”なんて言いますけど、まさにそういった感じです。」
井門P「蕎麦を手繰る!使ってみたいけど、使えないなぁ…(笑)」
粕谷「僕も使った事ないですよ(笑)」
ちょうど取材の時期が新蕎麦の季節。
使っている蕎麦粉は北海道産のものでした。
粕谷「9月の半ば頃までは北海道産です。そこからまた産地が変わってくるんです。
産地が違うと品種が違う、成分も違う。蕎麦は涼しい所から出来てくるんです。」
井門P「あぁ、だから北海道産なんですね!」
粕谷「そうです。昔は新蕎麦の季節はもう少し後だったんですけど、
夏に収穫できるように品種も改良されていきまして。」
蕎麦を語る時の御主人の顔は真剣そのもの。
蕎麦の品種は勿論、出汁も水も、こだわり抜いた物しか使わない徹底ぶり。
しかもその徹底ぶりは蕎麦だけにとどまらないようで…。
井門P「何やらメニューを見ていると美味しそうな肴も沢山ありますよね?」
粕谷「はい、蕎麦屋は江戸時代に居酒屋として使われていました。
それを現代でも活かしたいと酒肴もこだわっています。」
井門P「さらに河合メモ(構成作家)によりますと、
利き酒師の資格も取得されたとか??」
粕谷「えぇ(笑)私もお酒は好きなんですけど、
お客さんの方が飲み歴が長くて日本酒なんかは詳しいんです。
お店でお客さんに教わってばかりだったので、
だったら勉強して利き酒師の資格を取ろうと思いました。」
粕谷さん、それだけじゃないんです。
器の修復にも興味を持たれ、金継ぎの教室にも通われたとか。
蕎麦に関する事、酒肴、お酒、そして器。
そしてもう一つ書かせてください。何よりもお人柄です。
実は粕谷さん、最初は取材を断ろうと思われていたそうです。
ところがKIKI-TABIが放送されているネット局を見てそこに“ある局”を発見。
粕谷「うちのスタッフにその県出身の人間がおりまして。
そういう事であれば、このお話しをお引き受けしようと思ったんです(笑)」
仕事に真摯でスタッフに優しい。
そんな粕谷さんが打つ蕎麦が美味しくないわけありません!
頂いたセイロがこちら!
新蕎麦の清冽な香りが、喉越しの良い蕎麦と共にすっと入っていく…。
江戸蕎麦特有のしっかりとしたそばつゆと相まって、なんとも言えず旨いのです!
粕谷「蕎麦の風味も残しつつ、出汁の味も残さなきゃいけない。
そのバランスに気をつけています。」
なんせ江戸時代から続く老舗。
お客さんだって毎日通われる方もいらっしゃる。
粕谷「先代の頃から通われている方も多いんです。
それこそ私が子供の頃から通っている方もいて(笑)
お客さんは土地柄気兼ねなく色々と言ってくださいます。
それが本当に有り難いんです。」
粕谷さんが様々な事に挑戦されているのは、
その先にお客様がちゃんといるから。
そしてこれまで味を守ってきた店の伝統があるからなんです。
実は我々、取材の後にお昼も戴いたのですが、
天ぷら御膳の天ぷらも本当に美味しかったですもん!
粕谷さん、お忙しい中、本当に本当に有り難うございました!
さて、続いての老舗はあさだのまさに目と鼻の先。
堂々たる看板を掲げた佃煮の名店鮒佐さんであります。
看板には大野佐吉 創業文久二年とあります。
店内に入るとそこは外の喧騒とはかけ離れた、
まさに江戸時代にタイムスリップしたかの様な感覚。
ガラス棚に並んだ鮒佐の佃煮はその存在感がなんとも言えずに凄い。
普段は入る事の出来ない佃煮の仕込み場で、
こちらの5代目御主人大野佐吉さんにお話しを伺いました。
そもそも佃煮とは江戸の佃島で雑魚を一緒くたに塩で煮た物のことを指していたそう。
佃島の雑魚の塩煮⇒佃煮になったとか。
それが今の佃煮の形(醤油で煮て、素材も別々に煮る)になったのは、
鮒佐の初代の考案だったそうな。
大野「ウチの初代は最初、鮒のスズメ焼きを売っていました。
その初代が佃島の塩煮、いわゆる佃煮に出会ったんですね。
初代は船橋の出身だったんですけど、船橋の御当地の物と言えば醤油。
当時船橋ではその土地の物を売り出していなかったってのもあり、
地元の特産品である醤油に目を付けて、
素材ごとに醤油で分けて煮ようと。こうして出来たのが鮒佐の佃煮だったんです。」
当時は醤油も高級品。そんな醤油で、しかも素材を分けて煮るという手間暇。
だからこそ鮒佐の佃煮はあっと言う間に評判になり、元祖佃煮と呼ばれる様になったのです。
因みに屋号の『鮒佐』は初代が鮒屋の佐吉と名乗っていた事に由来するとか。
今でも釜で薪を使って素材を煮るという5代目。
この日も午前中は釜に火を入れていたそうで、
その釜を冷ます為に張った水もまだお湯の様に熱々でした。
5代目のお話しを伺う前に店舗で商品を眺めていたのですが、
どれも醤油の色に染まっていてなんとも長時間煮た感じが出ています。
大野「皆さん長い時間煮込んでいると思われるんですよね(笑)
実際はどれくらいだと思いますか?」
井門P「えっ、でも流石に半日・・とかですか?」
大野「いえ、実は煮る時間は20分なんです。」
素材の味を最大限に引き出すのが肝であり、
その為に長時間煮るのは禁物なのだとか。
お店で現在出されているのは5種類の佃煮(期間限定の物を含め年間7種類)。
この日は昆布、浅蜊、牛蒡、シラス、芝エビ。
特別に試食をさせて頂きましたが、そのどれもがツヤツヤと輝いているではありませんか!
これが文久二年から受け継がれた元祖・佃煮であります。
井門P「代々大野家で受け継がれる家訓はあるんですか?」
大野「家業に誠実たれ。
人任せにせず、必ず自分で作りなさいという事です。」
井門P「という事は大野さんが必ず自ら仕込みを?」
大野「そうです。
そしてこの大野佐吉という名前も襲名制なんですが、
歌舞伎や落語の世界と違い、ウチは戸籍上から名前を完全に変えてしまいます。」
井門P「戸籍上から変えてしまうんですか!
だとすると5代目を襲名した時の感慨も相当なものがあったでしょうね…。」
大野「はい。初代の想いを全て受け継いだという気持ちですね。」
まさに一子相伝の佃煮。
その味は濃厚な醤油の味の中に、
見事に素材の味をギリギリまで引き出した、まさに絶品の味。
しかもエビは芝エビを使用しているとの事で、これも頭のミソの部分が濃厚の一言。
塩気は強いのだが、なかなか箸が止まらず、お茶をのみつつまた箸を伸ばすと…。
大野「井門さん、いまお茶を飲んでから最後にシラスを召しあがりましたね?」
井門P「えぇ…それがどうかされましたか?」
大野「偶然ですが、実はシラスだけ味付けを変えているんです。
そもそも塩気のあるものなので、他の食材と同じ方法だと濃くなりすぎてしまいます。
なので少しだけ味付けを変えているんですね。
シラスを召しあがる前にお茶を飲まれたのは、理にかなっているんですよ(笑)」
井門P「おぉ~!偶然ですけど、より味の違いが分かる食べ方だったんですね!」
*この旅日記を読んでいる皆さん、是非このくだりを覚えていて欲しい・・・。
“佃煮は脇役でしかない。あくまでもお酒や御飯のお供なんです。”
と謙虚に話された大野さん。でもその家業への真摯な姿勢こそ、
江戸から今日に至るまで途切れることなく続く、この味の全てに表されているのでしょう。
聞けば今は息子さんも修行に入っているとのこと。
井門P「それは頼もしいですね!」
大野「レシピなんかもあれば良いんでしょうけど、そういう物は無いので。
しかも味見もしませんからね。」
井門P「えっ!?味見しないんですか?」
大野「味を見るという事は、自分の体調に随分と左右されてしまうという事です。
昨日と今日で味が変わってはいけない、その教えから味見はせずに感覚で仕込んでいます。」
ただただ誠実に守られている味。家の味。
だからこそ味見はしない。敢えて味見はしない。
それで作りだされる完璧な佃煮。
ここに伝統の凄さを垣間見た気がします。僕らはとんでもない佃煮を食べたのです。
………はい、本編のインタビューはこんな感じで終わっていったのですが、
大野さん“折角なので”とスタッフ全員に味見を勧めてくださいました。
お話しをお伺いした後なので、より佃煮への畏敬の念が生まれている一行。
…の筈なのですが、このお父さん、仏の横山だけは違いました。
横ちゃんはしょっぱい物とジャンクフードが大好き。
還暦を迎え、味覚はイケイケです(笑)
収録を終えて味見の段になって、おもむろにお箸で牛蒡をつまむ横ちゃん。
するとなんと言う事でしょう!
横ちゃん「よっ、牛蒡にシラスを乗っけて…と。
(パクリ)うん、おいしい!」
全員「ちょいちょいちょ~いっ!!」
横ちゃん「えっ?どうしたの?」
井門P「さっき大野さんが言ってたばかりでしょ!
シラスだけ味付けを微妙に変えてるんだって!!
なんで牛蒡と一緒に食べちゃうの!?(笑)」
横ちゃん「あっ・・・(赤面)
だって好きなんだもん(テヘペロ)」
全員「テヘペロじゃねぇわ!」
そんな騒動がありつつも(笑)無事に取材を終えた我々。
大野さん、お騒がせしましたが、貴重なお話しとお時間、有り難うございました!
尚、通常はお店での味見は行っておりません。
今回はラジオの取材の為に特別に味見をさせて頂いた事を御理解ください。
さて最後の老舗は鮒佐さんのこれまたすぐ近く。
やっぱりこのエリアはギュッとした中に昔ながらの老舗が多く残っているんですねぇ。
…とは言え、外観からは老舗感はしないんですけど??
そんな老舗の油屋さんが金田油店です。
創業自体は明治3年、現在は世界中の油を揃える老舗の油屋さんで、
店長の青木絵麻さんにお話しをお伺いしました。
なんせこちらのお店の油のラインナップが凄い!
(油のラインナップってなかなか言わない)
金田油店のオリジナルである寿油(五味一体)もそうですが、
オリーブオイルや椿油、米油は勿論、アボカド油、マカダミアンオイル…etc.
棚に並ぶ商品の中には初めて目にする油ばかり!
しかも青木さん、油に関する知識が物凄い!
青木「人間の脳も65%は油ですからね。(サラリ)」
油なのに、サラリと言った~!!!!
えぇ、上手いか上手くないかは別として…。
そんな青木さんの知識の元、お店オススメの油を味見する事も出来るんです!
青木「そうですねぇ、まずはレモンオリーブオイル、
そして寿油、面白いところでポドルピスタチオオイルはどうですか?」
井門P「へっ?ピスタチオのオイルですか??」
青木「そうです。基本的に種がある物は油が搾れますから、
ピスタチオでも油は出来るんですよ。」
井門P「ちょっとお高いですが…\4,644!!」
こちらに置いてある商品、勿論値段は様々だが、
このピスタチオのオイルは中でも高級な部類に入る様です。
そんなピスタチオオイルも含めて色々と味見をさせて頂きました!
まずいきなり驚いたのはレモンオリーブオイル!
オリーブオイルの中に爽やかなレモンの香りが勢いよく抜けていくんです!
井門P「レモンの果汁じゃなくて、レモンピールの爽やかさです!」
青木「イタリアの風、吹きました?」
井門P「吹いたっ!」
そして高級品のピスタチオ~ですっ!(白目←もう古い)
井門P「おぉ~っ!!なんて濃いんだろう!」
青木「これは焼いた羊にかけたり、牛肉にかけたり。
いちじくとチーズに合わせたりしても絶品ですよ。」
井門P「それ、間違いなく美味しいやーつー!!」
止まらない、青木さんのソムリエールっぷりが止まらない。
油の特徴を捉えつつ、瞬時にベストマッチな食べ物が出てくる辺り、
さすが店長、いや、油長!(そんな肩書は無い。)
それぞれのオイルの味に悶絶していると、青木さんが再び違うものを出してきた。
青木「このマカダミアオイルも凄いですよ。」
井門P「おぉっ!これも濃厚!ハワイ!!アラモアナショッピングセンター!!」
もはや感想が謎過ぎる。
しかしこの日の味見で最も良い反応を示したのは、構成作家の河合さんだろう。
河合「私も良いですか?このピスタチオのオイル…(ペロリ)。
いや~ん!!」
横ちゃんといい、河合さんといい、どうしてこんなに面白いのだ!(笑)
油の奥深さに気付かされながら、
すっかり楽しい時間を過ごしてしまいました。
長居してしまいましたが、青木さん、有り難うございました!
老舗巡りをしながらのぶらり旅、エンディングは浅草橋駅前。
こちらも駅のすぐ近くに、人形の久月や吉徳といった老舗が看板を掲げている。
隅田川を越えると両国であり、首都高を挟んで反対側は秋葉原、
また神田川を越えると馬喰町があったりもする。
そのどこにも無い佇まいが浅草橋にはあって、路地裏なんかを歩くのも面白い。
蔵前から浅草橋まで直線で歩けば15分かからないくらいだろうか。
それだけの距離の中に江戸時代から続く伝統がそこかしこに残っていて、
今も大切にその『守ってきた時間』を技に託して今に伝えている。
東京という街は時代が新しくなるに連れて輪郭が薄れていく様な気がするのだけど、
こうした老舗の多い街を改めて歩いてみて、
その店の御主人と話をしていくと、自分の中の東京の輪郭がぐっと濃くなっていくのです。
ともすれば自分が余所者だという意識がちゃんと芽生えてくる。
かつて誰かに聞いた話だけど、東京は地方出身者が6割程度いて、
その人達が行政に携わったりすると平気で昔からある物を「不便だから」と変えてしまう。
街の様子がどんどん変わっていってしまうんだけど、
自分達が定年してしまうと、逆にさっさと故郷に帰ってしまうんだ、って。
たまにはね、自分が「東京に来た人間」だって事を認識しないと。
郷に入りては郷に従え。
この言葉の本質は、そこに昔からあるものを敬い、
大切にしなさいという事なんじゃないかなと、そんな風に思うのです。
ぶらり旅ってのは「東京の濃さ」を感じさせてくれる旅の方法。
う~ん、やっぱりぶらり旅、好きだなぁ。
って、いつもぶらり旅の最後は同じ様な事を書いている気がします(笑)。
まだまだ東京の色んな表情を見てみたい。
皆さんにも知って欲しい。
そう思うから、KIKI-TABIはこれからも東京ぶらり旅を続けます!
*この旅日記の最初の4行目に戻る。