地吹雪体験!青森県金木は真冬だって楽しい|旅人:井門宗之

2018-02-15

 

気が付けばここにやって来ていた。

真冬だからこそ、敢えての厳寒の地。

地元の方に聞くと、

『昨日はね、最低気温がマイナス13℃だったんだよ。はっはっはっ!』

・・・いや、はっはっはっ!って。

 

『今日は最高気温が2℃だから気温差15℃だね。はっはっはっ!』

・・・いや、だから、はっはっはっ!って。

 

寒さに対するこの朗らかさに、僕は自分が北海道で暮らしていた事を思い出したのです。

そうそう、寒さに対してはこういう感じだったなぁ、って(笑)

顔に当たる寒風に『俺はどうやってスキーしてたんだっけ?』と本気で思ったりしたけど、

ちがう、ちがう、この場所ではこれが「当たり前」なのです。

そしてその寒さの中に楽しさすら見出す逞しさが、

ここ、青森の人にはあるのです!

 

という訳で今回の旅は青森県五所川原市金木町

真冬の青森の中でも風が強く、聞けば『地吹雪』も有名な場所。

 

 

親分「今回は地吹雪体験ツアーにも参加するからね。」

 

横山「いやぁ、どうなるかなぁ。今は晴れているからねぇ。」

 

井門「僕ぁね、この地吹雪体験ツアーを楽しみにしていたんだよぉ~…。」

 

 

津軽鉄道の金木駅に降り立つと流石に風が強く、

既に井門Pはカタカタと震えている…(おい、道産子)。

 

 

 

 

 

 

 

 

地吹雪体験ツアーはさておき(さておいた)、

まず我々は金木町の有名人、太宰治の生家『斜陽館』へと向かうことに。

 

太宰治に関してはかつてこの番組でもテーマとして取り上げました。

戦前から戦後に活躍した文豪であり、後世の作家達に多大な影響を及ぼした人物。

リスナーさんの中にも彼の作品を読んだことがあるという方は多いでしょう。

その太宰が13歳までを過ごしたのがこの斜陽館。

青森ヒバをふんだんに使った、国の重要文化財建造物にも指定される大豪邸です。

 

 

井門「今はどれくらいの広さがあるんですか?」

 

髙橋「現在は敷地がおよそ660坪で1階に11室、2階に8室ございます。

入口を入るとすぐ左手に63畳の大広間があって、

弘前や青森から芸妓さんを呼んで大騒ぎしたこともあったようですよ(笑)」

 

 

斜陽館を案内してくださったのは髙橋良子さん

髙橋さんのお話しから、当時の津島家(太宰の本名)の凄さを窺い知る事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

髙橋「660坪というのは今の広さでして、昔は2600坪もあったと言われています。

津島家の人間が15人、更に当時働いていた使用人が15人で、

常に30人の人間がここで寝起きしていた事になりますね。」

 

 

明治40年に建てられ、一度も建て直しを行っていない斜陽館。

だからこそ、そこかしこに貴重なものが残されています。

 

 

髙橋「こちらの仏壇ですが、24金で輪島塗で出来ています。

今の値段でいうと2500万円くらいでしょうか。」

 

井門「凄いですね…!!御先祖様も恐縮しちゃうんじゃないかなぁ(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

また館内は和洋折衷の造作で、その絶妙なバランスも美しい。

階段や踊り場の雰囲気はあの鹿鳴館をイメージしたらしく、

なんでもない天井には職人がその技術力をアピールするかの様な寄せ木細工が施してある。

 

 

 

 

 

 

 

 

髙橋「こちらは金屏風の間と呼ばれていまして、

父・源衛門が東京からお客さんを連れて来た時に通した部屋になります。

因みにこの隣にお客さんのお連れの方(部下)を通す部屋があるのですが、

こちらも襖絵や欄間が贅沢な造りの部屋になっています。」

 

井門「やっぱり豪華な部屋でおもてなしをする事で、

“津島さん凄ぇ!!”と思わせたいんでしょうかね。」

 

髙橋「えぇ、そういった側面もあったのかもしれませんね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

髙橋「こちらの部屋にソファーがあるのが見えますよね?

あのソファーが小説『津軽』にも出てくるもので、

あそこで太宰は寝そべりながらサイダーを飲んでいたそうです。」

 

井門「当時サイダーも特別な物だったでしょうに、

こんな贅沢なソファーに寝そべりながらサイダーだなんて…。ちっ!」

 

髙橋「(失笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

2階には他にも襖に漢詩が書かれた『斜陽の間』と呼ばれる部屋や、

女中さん達が過ごした部屋などがあるのだけど、どの部屋もそれぞれに素晴らしい。

斜陽の間はかつては太宰の母であるたねさんの居室であったそうで、

襖の漢詩に『斜陽』の文字が見える事から、

旅館時代に太宰ファンから『斜陽の間』と呼ばれていたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして再び1階へと降りて、広間へ戻ると…。

 

髙橋「この広間から少しずつ段が下がっていくのが分かりますか?」

 

井門「あ、本当だ。これはどうしてですか?」

 

髙橋「えぇ、これは一番高い場所が家の主が食事をする場所で、

奥さんや子供はその下で食べるという事なんです。

そして更にその下の段が台所で使用人達の場所。

家長がいる場所に子供が上がろうとすると、かなり強く叱責されたそうです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰の父である津島源衛門は県下でも有数の大地主であり貴族院の議員まで務めた人物。

太宰自身さぞ自分の家柄には自負があったのか…と思いきや、

実はあまり家の事をよくは思っていなかったよう。

その辺りの心の機微や葛藤は太宰の作品に触れていただきたいのだけど、

でもそんな心の変化が実際にこの家の中であったのかと思うと、

改めて太宰の作品を読み直してみたくなります。

 

 

髙橋「そうですね、実際に小説津軽の中に出てくるものもあり、

太宰の作品を読んでから足を運んで頂きたいですね。」

 

 

太宰ファンには勿論、建物としての価値も非常に高い「斜陽館」。

個人的には旅館だった時に来てみたかったですけど、

(昭和25年~平成8年迄旅館として営業)

今は太宰にまつわる貴重な展示物も見る事が出来ます。

是非ここで、在りし日の太宰治に想いを馳せてみてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

親分「金木は文豪を生んだ町でもあるんだけど、

あの楽器の発祥の地でもあるんだよ。知ってた?」

 

井門「あの楽器…って??」

 

親分「津軽で楽器と言えばアナタ、アレですよ!」

 

という訳でやって来たのが津軽三味線会館

津軽三味線の歴史や展示品、そして生演奏も体験出来る場所という事で、

ミュージシャンの端くれ(大嘘だ)井門もそわそわしながら中へ!

お話しを伺ったのは特定非営利活動法人、

かなぎ元気倶楽部の桜庭湯香子さん

 

 

桜庭「津軽三味線のルーツは金木町出身の仁太坊さんと言われております。

目が不自由だった仁太坊さんは、風も強い金木において音が風にかき消されない様、

三味線の太鼓も大きくして、棹も太くし、弾き方も独特のものを確立します。

それがお弟子さんへと受け継がれ、

最後の弟子の白川軍八郎は津軽三味線の神様とまで言われるようになるのです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

館内には沖縄の三線の他に長唄で使用する三味線なども展示されているのだけど、

確かに津軽三味線は他の三味線よりも大きいのです。

この大きさがなんとも迫力のあるあの音を生み出すんだなぁ…。

あ、こちらには津軽三味線の他にも金木さなぶり荒馬や嘉瀬の奴踊りなど、

地元に残るお祭りの資料も展示されていて、

そのお祭りに関しての桜庭さんのお話しが、なんとも興味深いものでした。

 

 

桜庭「荒馬にしてもねぶた祭りの跳人にしてもそうなんすけど、

踊る時に跳ねまわるのが特徴です。

ところが日本のお祭りの踊りは基本的に地面から足を離しません。

東北は冬が長く、雪に閉ざされる期間が長い為、

お祭りの時にその喜びを体全部で表すということなのかもしれませんね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「おぉ…なるほどなぁ。

特に東北の方は寡黙でシャイな方が多い印象ですから、

お祭りで喜びの感情を爆発させているのかもしれませんね。」

 

桜庭「確かに物静かな印象かもしれませんけどね(笑)

でも明るくて元気な方は多いんですよ。

金木町は津軽三味線の神様である白川軍八郎が生まれた町であり、

実はその同じ年に文豪・太宰治が生まれているんです。

ですから金木は音楽と文学の町なんですよ!」

 

なるほどなぁ、音楽と文学の町かぁ。

それはこの町で生きる方々にとっても誇りなんだろうと思う。

時代と環境が生んだ文豪、太宰治。

厳しい気候がその音を生んだ、津軽三味線。

桜庭さんのお話しを伺った後は、つ・い・に!!津軽三味線生演奏であります!

 

 

 

 

 

 

 

 

実は演奏の前に桜庭さんが教えてくれたんです。

津軽三味線は奏者によって奏法が全然違うって。

メインでどんどん弾けてもそれは津軽三味線の演奏とは言えない。

津軽三味線は『伴奏が出来て初めて津軽三味線の演奏と言える』とか!

この日、その演奏を披露してくださったのは「まんじ流家元」工藤まんじさんと、

そのお弟子さんのまんじ由佳子さん。

 

しんとした会場に響く津軽三味線の音色。

バチで弦を弾き、指の動きが音色を自由自在に変えていく。

時に力強く、時に優しく、

津軽三味線の音が青森の四季をありありと浮かび上がらせていきます。

気付いた時にはステージ上には紙吹雪まで!(笑)

なんとも演出が細かいではないですか!!

およそ20分ではありましたが、津軽三味線の真髄の一端を見せていただきました!

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅のタイトルは『地吹雪体験!青森県金木は真冬だって楽しい!』。

ここまで読んでくださってる皆さんの声が聴こえてきます。。。

 

『ねぇねぇ、何か忘れてるよね??』

『何かを後回しにしているよね??井門くん??』

 

えぇ、どこからともなくそんな声が聴こえてきましたよ!はい!

よぉ~し、分かった、こっちも覚悟は出来てるんだぜ!(笑)

そろそろ行くかい!?地吹雪体験とやらを!!

 

――という訳で地吹雪体験ツアーの待ち合わせは金木駅。

今回はツアーの今年のオープニングという事もあり、地元の新聞社の方も取材に来ている!

参加者も20名以上という大所帯だったのだけど、

後でスタッフの方にお伺いするとハワイから50人以上で参加してくる事もあると!

しかもハワイのお客さんは半袖・短パン姿で観光バスに乗って来るらしく、

「ねぇねぇ、このまま外に出ちゃダメなの?」とか聞いてくるそうだ!死ぬぞ!(笑)

 

まずは金木の駅前で津軽地吹雪会の角田周さんのお話し。

 

 

 

 

 

 

 

 

角田「皆さん、こんにちは!

この面倒くさいツアーにようこそ!(笑)

このツアーは今から31年前に始まりました。

実は青森には冬に観光資源が無かったんです。

そこで冬に何かイベントを!という事でこのツアーが始まりました。」

 

参加者「おぉ~。」

 

角田「そして今日は地吹雪開きという日。

地元の新聞社の取材も来ておりますので、

写真に写りたくないという方はお気軽に仰ってください!」

 

参加者「(笑)」

 

 

角田さんの軽妙な語り口がなんとも心地良い。

聞くとこのツアーに携わっている方の中には福島の方もいて、

年に一度のこの時は会社に有給を取って手伝いに来ているのだとか!

地吹雪の魅力もあるんだろうけど、角田さんに惹きつけられたのではあるまいか(笑)

そんな角田さんの話に気持ちも盛り上がりながら、金木駅から一駅隣の芦野公園へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

真冬の青森、強風の中をずんずんと雪の中を進んでいくツアー。

所要時間も2時間弱。

いったい何故この過酷な(笑)ツアーにこれだけの参加者が集まるのか。

 

 

角田「え~、今日はみぞれという最悪なコンディションです(笑)

このツアーに参加される方は素晴らしい体験をする事になります。

なんせ地元の人間が一切やらないことですから(笑)

非常に貴重な体験になります!」

 

 

そしてここからは全日本ノルディック・ウォーク連盟ブロック委員、

小田桐匡孝さんにマンツーマンで案内を頂きました。

 

 

小田桐「ではまずかんじきを履いて、ここを行きましょうか。」

 

井門「え~~!!ここ、道も何もないじゃないですか!」

 

小田桐「はい、この道なき道を歩いていくんです(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして全く誰も踏みしめた形跡のない雪原をガシガシと歩いていく。

一歩進むごとに雪を踏みしめる「ガシュ、ガシュ」という音が響いていく。

 

 

横山「うわぁ~、これはかなりキツいね!!」

 

橋本「ちょ…、雪がかなり重いから疲れますよね…。」

 

親分「(こっそり雪玉を丸めて)えいっ!えいっ!」

 

井門「こら!ヤメロ!!なに雪玉作ってんだよ!

あぶねぇだろって!!(応戦)えいっ!えいっ!!」

 

親分「お~!やったな!って、ヤメロ!!この!!」

 

井門・親分「(カメラの橋本に向けて)それ!このやろ!!」

 

橋本「痛っ!いった~!!何すんですか(笑)

うわ、やめろ!やめろってば!!危な!!やめろ~!!」

 

全員「キャッキャッキャッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

雪って不思議だ。

今回の地吹雪体験ツアー、結論から言えば地吹雪は体験出来なかったです。

なんせ風は弱いし、雪は降ってない。なんなら雨に近いミゾレが降ってる。

僕はいま当時の原稿を読み返しながらこの旅日記を書いているんですけど、

あの時のミゾレで原稿がボロボロになってますもん(笑)

そんな中でもこれだけの雪を目の前にすると、もう楽しくなっちゃう。

隣ではそんな僕らを見て小田桐さんもニコニコされている。

 

 

小田桐「例年だと雪の多さも僕の肩くらいまであるんですけどね。

今年は今のところまだ少ないですね。

でもこっちは一晩でドカっと降ったりするので、分かりませんけどね。」

 

井門「あっ、僕らの後に出発した参加者の皆さんが来ましたね!」

 

小田桐「かんじき履いて一列でやって来ましたね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

もんぺを履いてかんじき履いて、頭からは角巻を被って、

見た目は果てしなく寒そうなんだけど、でも物凄く楽しそうなんです(笑)

なんだろう、とてつもなく幸せな空気が漂っている。

後から聞いたら東京から参加している方もいたそうで。

 

 

角田「それでは、いつもは出来ない事をやりましょう~!

雪合戦だー!!!」

 

皆「おー!!!」

 

いつの間にやら二手に分かれて、それぞれが雪玉を作って投げ合う。

角田さんが仰った「いつもは出来ない」っていうのは、

いつもは地吹雪で雪遊びどころじゃないんですって(笑)

凄いときはこの場所に5分といられないとか!

 

角田「よしっ!じゃあ今度は雪だるま作りだ!!」

 

皆「おー!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

小田桐「あ、ちょっと小林さんが本気じゃないですか(笑)」

 

井門「ほんとだ!(笑)おーい、オヤジ!なに本気で雪だるま作ってるんだよ!」

 

 

気付いたら少し離れた所で親分が綺麗な雪だるまを作り始めている。

いやいや、親分だけじゃない。かくいう僕だって道産子の血が騒いでさ、

ついつい本気で雪をコロコロ転がしていたもんなぁ。

いつの間にかミゾレも止んで、日差しも出てきて。岩木山の麓も遠くに見えてきた。

そんな風に過ごしていたら、あっと言う間に時間は過ぎていき、

ツアーのオープニングは無事に終了。

芦野公園の駅に戻ってきて飲んだ、

リンゴのジャム入りコーヒーの美味しかったことと言ったら…そりゃあもう。

 

 

 


 

 

 

青森の冬と言うとどうしても厳しい寒さばかりがフォーカスされてしまいます。

勿論、冬が厳しいのは間違いないんだけど、

それでもその中でしか見えない景色や匂い、雰囲気みたいなものはあって。

今回の旅ではそんな貴重な体験を丸ごと味わう事が出来ました。

冬の空気が凛として冷たいこと、

青森の方がなんとも温かいこと、

夜に飲んだ日本酒が果てしなく美味しかったこと(笑)

今回は食べ物やお酒を御紹介しませんでしたけど、

いやぁ、さすが冬の青森です!何を食べても、何を飲んでも最高に旨かったです!

僕も含めてスタッフ全員が童心に帰ってしまった今回の旅。

お世話になったみなさん、本当に有り難うございました!!