アレはここから始まった!東京・老舗の喫茶店巡り!|旅人:井門宗之
2018-03-28
雨である…。
上野広小路は街の雰囲気を少しクラシカルに演出するかの様な、雨である。
作家は河合さんである。言わずもがなである。
でもなんとなく今回のテーマである老舗喫茶店には雨が似合わないでもない。
それを考えると雨女・河合さんが演出の為に力を発動した可能性も無きにしも非ず。
いや、個人的には今日は息子の卒園式。雨が降ったら…。
永尾「ダメだよ~!そんな日にロケなんかしてちゃ!」
河合「大丈夫ですよ!午前中は降らないって言ってたから!信じてください!
あっ、井門さん、既に足元が長靴じゃないですか!信じてない!」
井門「信じられる訳がなかろうもん!」
という訳でいつも通り賑々しく始まったロケでございます。
もうね、ロケというか珍道中ですよ、本当に(笑)
今回は都内の老舗喫茶店を巡る旅なのですが、
実は日本初の喫茶店がここ上野に誕生したのが1888年4月13日。
ちょうど今から130年前の事なんです!なんてタイミング!
これはきっと面白くなるに違いない、という事で生まれたのが今回の企画。
お伺いする喫茶店はそれぞれ「○○発祥の地」。
現在は全国に広まっている「○○」が実はここ発祥だった…というお店を巡っていきます。
まずは『銀ブラ発祥』のお店から!
銀ブラってご存知ですか??「銀座をブラブラすること」じゃないんですよ!
じゃあ、一体なにかと言うと…それはまた後ほど。
銀座駅から歩くと10分、新橋駅から歩くと5分。
目の前は銀座のメインストリート、周りはビルに囲まれ、
当のお店もビルの中にあるカフェーパウリスタにお邪魔しました。
お話しは2階で、店長の矢澤秀和さんにお伺いします。
1階も2階も喫茶店特有の人の話し声が響くなんとも良い雰囲気。
僕らの周りもお喋りと珈琲を楽しむ銀座マダムで溢れています。
井門「いつもこんなに混雑しているんですか?」
矢澤「ちょうどお昼から夜までの時間が混雑しますね。」
井門「銀座4丁目からこちらの方へぶらぶらと歩いて、
ショッピングなんかを楽しんでいると、
きっとちょうど喉が渇いて来た頃にこの店が現れるんでしょうね(笑)」
矢澤「そうかも知れませんね(笑)」
カフェーパウリスタが喫茶店として開業したのは1911年の明治44年。
創業者の水野龍氏がブラジルへの移民政策の見返りとして、
ブラジルのサンパウロ州政庁から1000俵のコーヒー豆を無償で譲り受けたのがその前年。
これを基に誕生したのがカフェーパウリスタという訳なのです。
因みにこの「パウリスタ」というのは「サンパウロっ子」という意味。
矢澤「もちろん移民事業は失敗に終わるのですが、喫茶店の方は話題になりました。
とは言え始める前はどんなお店にしたら良いか全く分からなかったそうで。」
井門「明治44年というと珈琲を飲む文化もまだまだ定着していないでしょうしね。」
矢澤「そうなんです。ですから当時カフェ文化の盛んだったフランスへ視察に行きました。
そこでプロコプという繁盛店を目にした水野は、これを日本にも作ろう!と考え、
当時2階建てのカフェーパウリスタをオープンさせたんです。」
井門「当時からこの場所だったんですか?」
矢澤「いえ、当時は銀座6丁目にありました。」
当時珈琲はやはり高級品で、他の店では1杯30銭だったと言います。
「もり・かけ・銭湯3銭」の時代にその10倍ですから、それはもうかなりのもの。
そんな中、カフェーパウリスタはなんと1杯5銭で珈琲を提供したのです。
矢澤「今は多い時で1日400杯程度ですが、
当時はなんと1日に4000杯も出ていたそうです(笑)
ちょっと信じられない数字ですね。」
朝9時から夜23時までの営業時間で4000杯。
1時間に約285杯で1分に約4杯をずっと提供し続けるという計算であります。
お…おう、確かに尋常じゃないさばき方であります。
矢澤「当時は2階がレディースルームになっていたり、スタッフは全員男性だったり、
それまでの喫茶店のイメージとは違う打ち出し方だったようです。」
それからおよそ100年。
外の風景も店内の様子も変化してはきたが、大切な珈琲の味は変わらない。
矢澤「当時の味を再現したパウリスタオールドというブレンドがこちらです。
ブラジルをメインに、他にも様々な豆をブレンドしています。」
薫り高い珈琲は、ひと口飲めば何とも特別な気持ちにさせてくれます。
銀座にあって1杯650円というのも、当時と同じ様に良心的なお値段。
“銀ブラ”という言葉も、この店の味を愛する大学生の間から生まれた言葉なのだとか。
矢澤「どうも慶應義塾大学の学生さんが、キャンパスからお店まで歩き、
ブラジル珈琲を飲みながら話すことを“銀ブラ”と呼んだのが始まりとか。」
井門「そういう若者の言葉遊びから生まれるって、何だか良いですね!」
今も昔も人を集め、銀座の憩いの場になっているカフェーパウリスタ。
その賑わいの声はきっと創業当時と変わらないんだろうなぁ。
お忙しい時間に対応頂き、お店の皆さん、矢澤さん!有り難うございました!
老舗の喫茶店巡り、続いては日本で一番歴史のある「地下鉄・銀座線」に乗って浅草へ。
いやぁ、いまの浅草の外国人の多さたるや…。
仲見世通りを飛び交う外国語を聴いていると、「ここは外国か!」と思ってしまいます。
そんなメインストリートの喧騒を離れ、オレンジ通りという通りへ。
この日は金曜日で、恐らく近くの学校で卒業式でもあったのでしょう、
可愛らしい袴姿のお嬢さん達の姿も目立ちます。
人力車走る浅草の風情の中で、袴姿のお嬢さんの姿がまた映えるんだなぁ。
そんな「和」の風景の中に、なんとも素敵な「洋」の雰囲気を放つお店が!
それが昭和21年開業の老舗喫茶店『アンヂェラス』。
入口の横にはケーキやクッキーが並ぶガラスケース、
外観は木の温もりを感じるなんとも言えない上品な造り。
僕にとっては大好きな池波正太郎先生が通ったお店…という事で、
浅草に遊びに行った時はよく寄ったものです。
まだ若い頃にエッセイにも出てくる「梅ダッチ」を頂いて、背伸びしてみたり(笑)
今回は初めてお店の3階に上がり、
3代目の関田仁子さんにお話しを伺いました。
井門「お店に3階があったのを知りませんでした!」
関田「そう仰る方も多いです。外から見るとそう見えないんですよね。」
井門「こちらのテーブルには初代“が”手塚治虫先生“の”肩を組んでいる写真があって(笑)
多くの著名人がアンヂェラスを訪れているんですよね。」
関田「手塚先生がアトムのイラストをサインに書いてくださって。
ちょうど節分の時だったので、アトムが豆撒きをしているイラストなんです(笑)」
池波正太郎先生だけではなく、漫画の神様・手塚治虫先生にも愛されたアンヂェラス。
しかしそもそも店名の『アンヂェラス』とはどういう意味なのでしょう?
関田「初代の妻がクリスチャンだったんです。アンヂェラスっていうのは、
聖なる鐘の音という意味なんですよ。」
だからお店のステンドグラスには鐘が描かれているのです。
お店も木の温もりを大切に、礼拝堂をイメージしたと何かで読んだ事もありましたが、
そういうことだったんですね。
井門「アンヂェラスと言えばアンヂェラスケーキと梅ダッチコーヒーですが、
梅ダッチコーヒーはどの様にして誕生したんですか?」
関田「初代がねぇ、呑兵衛だったんですよ(笑)
恐らくお店でもこっそり梅酒とか呑んでいたんだと思います。
それをダッチコーヒーにも入れて呑んでたんでしょうね。
ある日、池波先生がいらっしゃった時に先生にお出ししたんですよ。
そしたら先生が“これは世に出さなきゃダメだ!”と仰って(笑)
それでメニューに載るようになりました。」
そもそもダッチコーヒーの誕生にしたって、
初代が呑兵衛で空の一升瓶が家に沢山あったので、
それを使ってコーヒーを水で落としたら大成功!!という経緯だったそうで(笑)
井門「呑兵衛の血筋は受け継いでいますか?」
関田「はい、私もお酒は大好きです(笑)」
昭和21年開業のアンヂェラス、
看板メニューのダッチコーヒーはそこから2~3年で誕生したそうな。
となると約70年、メニューに載り続けている訳で、それも凄いこと。
今回はアンヂェラスケーキと梅ダッチコーヒーを頂きました!
氷が敷き詰められた丸いグラスには大きな梅の実が乗り、
そこに別添のアイスコーヒー、梅酒にシロップが。
お店の方がそのグラスにスッとアイスコーヒーを注ぐ、その所作がなんとも小気味よい。
梅酒は割とたっぷり添えられているんだけど、僕も呑兵衛なので全部入れちゃう(笑)
井門「なんとも爽やかにしてくれますねぇ…これは夏場に飲むと最高だろうな。」
関田「すっきりとしているので、夏場は最高ですよ。」
井門「アンヂェラスケーキはどんなケーキなんですか?」
関田「バタークリームケーキになります。
ホワイトチョコとチョコの2種類ですので、どうぞ召し上がってください。」
このアンヂェラスケーキがなんとも言えずに懐かしい味わいなのです。
バタークリームの濃厚な甘さと、またダッチコーヒーの爽やかさが物凄くマッチする。
そのコントラストは「浅草」と「アンヂェラス」のコントラストに似ているのかもしれない。
初代が作り上げたそのコントラストをしっかり守るべく、
「味」と「商売」は変えずにやってます、と仰る3代目。
そうした真摯な姿勢がファンの心を掴んで離さないのだろう。
観光地・浅草にいる事を忘れてしまう、何とも言えない豊かな時間を過ごす事が出来ました。
関田さん、また浅草に来た時は寄らせて頂きます!有り難うございました!
続いて訪れたのはビジネスマンと老舗の文化が融合する街、日本橋。
1948年創業のミカド珈琲店にお邪魔しました。
ミカド珈琲と言えば日本中にファンがいると言っても過言ではない名店。
1階にはテイクアウトのカウンターもあって、沢山のお客さんで賑わいます。
栁澤「モーニングの時間帯はずっと満席ですね。
お客さんも常連さんは毎日来られる方ばかりで、座る場所も決まっているんですよ(笑)」
そう教えてくださったのは日本橋本店店長の栁澤悟志さん。
栁澤「創業当時は立ち飲み式のスタイルだったそうです。
普通は1杯60円だったコーヒーを当店では30円で提供していました。
当時大卒の初任給が3000円だった時代です。」
提供:ミカド珈琲商会 |
とは言うものの例えば給料30万円の人が3000円の珈琲を飲むということ。
やはり特別な日に飲む物であったことは間違いなさそう。
そんな特別な飲み物である珈琲を広く色んな方に飲んで貰う為に、
ミカドでは様々な試行錯誤がなされてきたのです。
栁澤「食べる珈琲を…という事で当店が日本で最初に考案したのがコーヒーゼリーです。
この開発には先代の妹さんが携わっていて、食感の滑らかさにこだわりました。
スプーンですくっても崩れない様にする事にこだわったんです。」
井門「お店の入口にはもう一つの看板メニュー、モカソフトの文字もありましたね!」
栁澤「こちらも発売から50年のロングセラーになります。
当店のオリジナルブレンド、日本橋ブレンドと共にお召し上がりください。」
コーヒーゼリーは流石に「食べるコーヒー」を目指しただけあって薫り高く。
スプーンですくった時のプルプル感が物凄い。*是非動画も見てね!
栁澤「シロップも当店のオリジナルですので、是非ミルクと一緒にかけてみてください。」
井門「あぁ…絶対に美味しいやつですもん。(パク…もぐもぐ)
美味いなぁ~、物凄く美味しいです。」
栁澤「有り難うございます(笑)」
井門「モカソフトには何が添えられているんですか?」
栁澤「これはプルーンになりますね。途中でお口直しにどうぞ!」
このモカソフトもソフトクリーム用にコーヒー豆を挽いているそうで、
しっかりとした香りとミルクの甘さの双方が引き立て合っていて最高に美味しい。
栁澤さんの勧めでコーヒーゼリーにモカソフトを乗っけて食べてみる…。
そんなのめちゃくちゃ美味しいに決まってますやん。
栁澤「かつて南極観測隊員の方がお店の常連さんだったようで、
その方の希望で当店のコーヒー豆を南極に持っていったそうです(笑)」
井門「という事はミカドコーヒーは南極でも飲まれたんですか!?」
栁澤「そういうことになりますね。
ひょっとしたら永久凍土の中にウチの豆があるかもしれません(笑)
また、軽井沢銀座のお店出店のエピソードとしては、
常連さんでとあるお金持ちの方が軽井沢に別荘を持たれていて、
夏の間はそちらに避暑に行かれる、と。
ただその間ミカドコーヒーが飲めなくなるのが辛い、
なんとかして軽井沢でもミカドコーヒーが飲めないだろうか?という事からみたいです。」
井門「なんて贅沢な!当時のお金持ちの発想がダイナミック過ぎる!(笑)」
今も昔も変わらずに商売を続けるからこそ、
今日もお客さんが絶える事がないのでしょう。
そしてお店が繁盛している理由を、僕は栁澤さんのこの言葉で納得したのです。
栁澤「色んな方にコーヒーを親しんでもらう為に、お店をやっています。」
ミカドのお客さんはコーヒーは勿論、
変わらないお店の雰囲気も楽しんでいるのです。
この空間を丸ごと味わう為に、きっと今日もミカドに来るのです。
栁澤さんを始め、スタッフの皆さんの真摯な姿勢が、
きっとミカドの何とも言えない心地良さを生みだしているんだろうなぁ。
栁澤さん曰く、昼時になると日本橋のビジネスマン達がやってきて、
夏の暑い日は殆どの方がモカソフトを食べるのだそう。
モカソフトはチケットもあるので、
沢山買って会社の女の子にお土産にする紳士もいるのだとか。
なんともお洒落だなぁ…(笑)
ミカドコーヒーは、ここ日本橋にはなくてはならない名店なのでした!
栁澤さん、スタッフの皆さん、美味しいコーヒーやモカソフト、御馳走様でした!
老舗の喫茶店巡り、最後は『ピザトースト発祥』のお店へ。
場所は有楽町駅の程近く、こちらのお店は個人的にも外せない場所。
何故なら、この番組がかつてYAJIKITAと呼ばれていた頃…。
名物企画『山手線一周ぶらり旅シリーズ』の最後に訪れたお店だからなのであります。
お店の名前は紅鹿舎。
あの頃と同じ、オーナーの村上節子さんにお話しを伺いました。
井門「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、御無沙汰してます!
6年前にお邪魔して、タイトルは変わりましたけど同じ旅番組で再びお邪魔しました。」
村上「いえいえ…また来てくださって有り難うございました。」
店内を見回しても6年前と何も変わっていない。
それもそのはずで…。
村上「開業したのは昭和32年ですけど、
そこから少し手を加えて昭和39年から内装は変わっていないんですよ(笑)」
6年前どころか、50年以上変わっていないのです!
そしてこの“変わらないこと”もお店にとって、大切なことの一つ。
今回お邪魔したどのお店も“商いのやり方を変えない”ことを大切にされています。
お店の空気感はお店だけで作られるものではなく、
そこに通う常連さんによっても作られていくもの。
お店の雰囲気でそこにどんなお客さんが集まってくるのか、
そのお店が老舗であればあるほど、何となく分かるものです。
だからこそ、変わらない。変えない。
じっくり、じんわり、空気と雰囲気が熟成されていくのです。
村上「ウチはスイーツならパイとかホットケーキとかあるんですけど、
そこにアイスとかプリンをプラスしちゃうんです。
私が欲張りなもんだから、メニューも何だか欲張りになっちゃって(笑)」
確かにメニューの写真には「欲張り」なスイーツが並んでいます(笑)
でもこのボリュームが働く人や宝塚を観劇に来たお客さんのお腹を満たしてきたわけで。
その中の一つが、紅鹿舎発祥のピザトースト。
村上「昔はピザを食べようと思ったらイタリアンレストランに行かなきゃ食べられない。
本格的なピザはなかなか食べられない時代でした。
だったらパンの土台でピザを作ったらどうかしら、
と考えて出来たのがピザトーストだったんです。」
手のひらと同じくらいの大きなピザトースト!
厚さもあって、これを一つ食べたらお腹もかなり満たされるんじゃないかしら。
出来たて熱々のところをいただいてみると…。
井門「熱っ!でもほんとに食べ応えがあって美味しいですねぇ!」
村上「そうですか、有り難うございます。」
サイフォンで丁寧に淹れたコーヒーも素晴らしい味わい。
改めてメニューを見てみると美味しそうな物ばかりではありませんか!
村上さん、今度はまたお腹を空かせてお邪魔します!有り難うございました!
老舗の喫茶店巡りをした今回の旅。
本当だったら『皆さんも東京を訪れた際は、是非!』とか言うんだけど、
そしてこれは本編でも言ったんだけど、今回は『是非!』は言いません。
何故ならあまりにもお客さんが集まり過ぎると、
折角お店と常連さんが作り上げてきた空気感を損ねてしまうかもしれないから。
先程も書いた通り、老舗の空気はお店と常連さんが作り上げてきたもの。
その空気感には最大級の敬意をもって接せねばならないのです。
*勿論、行くなって事ではないですよ!念の為。
皆さんの地元にも美味しいコーヒーを出してくれるお店があると思います。
そのお店が新しければ新しいほど、せっせと通ってみてください。
そしてあなたが常連さんとなって、一緒にお店の空気作りをしてみてください。
人生の時間を使って、居心地の良い場所を作ってみる。
なんとも豊かではありませんか。
「丁寧に時間を重ねること、丁寧に生きること」
老舗の喫茶店から、そんな大切な事を学んだ今回の旅。
さっ、美味しいコーヒーを飲むために、ゆっくりコーヒー豆でも挽きましょうかね。