江戸落語と歩く、東京下町さんぽ~浅草編~|旅人:安田美香

2018-09-13

わっしょーい!!!旅人の安田美香でございます!

 

「安田の好きな落語の噺って、なあに?」

と、キキタビ作家のミラクル吉武氏に聞かれ…

 

「擬宝珠、ですっ!!!!!!!」

 

と即答したのが、今回の旅の始まりでございやした。

 

今回の旅は…新企画!

『江戸落語と歩く、東京下町さんぽ』

 

「んじゃ、古典落語『擬宝珠』の舞台・浅草にいってみよう!」

ということで、キキタビ一行は東京都台東区・浅草へ。

 

浅草は、東京に来たら必ずおさえておきたい、江戸の風情が残る人気の観光地。

「きゃあ〜!あんみつ食べたい♡」

「あ、人力車だ!乗りましょうよ!」

 

と安田がどれだけ提案しても、

ミラクル吉武氏&永尾ディレクター「食べません、乗りません」。

 

………………(涙)。

 

安田「だって、浅草で旅番組っていったら、あんみつ必須でしょ!?︎ 人力車マストでしょ!? ︎」

ミラクル吉武氏「旅番組じゃないから。旅人によって変わるから」

安田「…え?だったら、今日はなんですか?」

ミラクル吉武氏「バラエティ番組です!というわけで、安田さん、いや鹿鳴家春々さん。浅草で一席お願いします!」

 

 

ええええええええええーーーーーーーーー!!!!!!!?

 

 

というのも、私安田美香は、大の落語ファンでございまして。

34歳の時に初めて三遊亭圓歌師匠の落語を生で聴き、惹かれ、現在「鹿鳴家春々(かなりや ちゅんちゅん)」という名で、四代目三遊亭歌奴師匠に落語を教えていただいております。

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、まずは落語好きにとっての聖地!「浅草演芸ホール」へ。

 

365日休まず落語の公演を行なっている「寄席」は、現在東京に4つございますが、その1つである「浅草演芸ホール」は、この浅草で明治17年から続く由緒ある寄席。

 

落語だけではなく、漫才やマジック、曲芸などさまざまなお楽しみが毎日行われておりまして、萩本欽一さんやビートたけしさんを輩出した、お笑いの殿堂なのであります!

 

ロケが行われた八月末日は、林家一門会が行われておりました。

ホールの外には、開場を待つお客さんの長い列ができておりましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、浅草の街をぶらりお散歩しながら、「浅草寺」へ向かいます。

浅草寺の玄関口「雷門」は、古典落語『粗忽長屋』の舞台となった場所です。

 

 

〜同じ長屋に住むそそっかしい八五郎と熊五郎は、隣同士で兄弟分。

ある日、八五郎は浅草観音に参り、「雷門」を出た所で、黒山の人だかりにぶつかる。
行き倒れになって横たわっているのは、なんと熊五郎だ。

「そんなはずはねぇ、本人を連れてくるから」と、八五郎は長屋へ戻り、半信半疑の熊さんを連れてきて、この亡骸を引き取らせようとするが〜

 

 

という噺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の「雷門」前はと言いますと…今をときめくインスタスポット!

写真を撮り合う、多くの外国人観光客でにぎわっております!!

 

まさかここで、熊さんが行き倒れていたとは…(笑)

想像すると、また違った笑いがじわじわと込み上げてまいります。

 

 

雷門をくぐると、「仲見世商店街」が続いています。

人形焼を食べながらお店をのぞく、そんな観光客の方が大勢行き交っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

我々は、そんな美味しいものには一切触れることなく(触れさせてもらえず)、まっしぐらに「五重塔」へ。

 

「五重塔」は、天慶5年(942年)に建立されたのが始まりと言われております。

昭和20年の東京大空襲で焼失し、昭和48年に再建されました。

今や「鉄筋コンクリート造り、アルミ合金瓦葺き」という、近代テクノロジーを駆使して作られております。

 

 

 

 

 

 

 

 

この浅草寺の五重塔が、私が大好きな古典落語『擬宝珠』の舞台になった場所なんです!

 

 

〜熊五郎は、世話になっている大旦那に呼び出された。

なんでも、幼馴染である若旦那が、気の病にふせっているという。

「一体何に思い悩んでいるのか、聞き出してはくれまいか?」と頼まれ、若旦那に問いただすと、若旦那は恥ずかしそうに話し始めた。

「実は私は…金物をなめるのが大好きなんだ。今、五重塔のてっぺんの擬宝珠がなめたくてなめたくて、もうだめになっちまいそうなんだ」と告白する若旦那。あっと驚く熊さんだったが〜

 

 

という噺なのですが…

 

今、この旅日記を読んでくださっている方の中に、金物をなめるのがお好きな方は、いらっしゃいますでしょうか。

そんな貴方。

ぜひ、浅草寺の五重塔に行ってみてください。

 

ビックリするくらい、高いですからーーーーーーーー!!!!!!!!

高さは約48メートル。

登れるわけがないでしょう、この高さは!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

五重塔のてっぺんには、金色の輪っかが何重にも重なり(相輪というそうです)、さらにその上に!

確かに!!

金色に輝く「宝珠」がのっかっておりました。

 

 

「擬宝珠」というのは、橋や神社の階段などにある飾り。

みなさんも一度は見たことがあると思いますが、丸くて、先がとがった、玉ねぎのような形をしてしています。

 

五重塔の一番上にのっているのは、「宝珠(ほうしゅ)」。

それを擬して、真似しているのが「擬宝珠(ぎぼし)」というんだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「若旦那は、あれを、なめたのか…」と思うと、キキタビ一同、吹き出して大笑い!

あの荘厳な五重塔に足場を組んで、瀕死の若旦那が登って行った、そしてベロベロベロベローーーーっと…。

 

この落語を作った落語家さんも、こうして五重塔を見上げながら構想を練ったのでしょうか…(笑)

 

 

最後に向かったのは、浅草の「吾妻橋」。

「吾妻橋」は、落語ではよく自殺のシーンで出てくる場所で、「唐茄子政談」という噺にも出てまいります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜遊びすぎて勘当された若旦那の徳は、「吾妻橋」の欄干から身を投げようとするが、たまたま通りかかった叔父さんに助けられ、達磨横丁の家に連れられていった。

翌朝、叔父さんに起こされ、「今日から唐茄子を売り歩け」と命ぜられる徳。

「みっともないから嫌です」と断ろうとすると、「早く行け!」と天秤を担がされ、吾妻橋を渡って田原町へ。

慣れないことで荷を投げ出して倒れてしまった徳に、親切な住民が声をかけ、みんなで唐茄子を買ってくれた。

あと2つ売れば完売、というところで、「誓願寺店」に入って来ると、とある奥さんに売り切った〜

 

 

 

という噺です。

 

 

さて、現在の「吾妻橋」はといいますと…めっちゃ、近代的な橋になっております!

水上バスの発着所もありまして、「若旦那が嘆き悲しんで、ここから身を投げようとするには…にぎやかな場所だなあ」と思ったのですが…

 

橋の下に降りてみると、水辺には江戸時代から続く船宿「あみ清」さんの船が。

江戸っ子の愛した屋形船と、隅田川のゆったりとした流れを眺めていたら、ちょっぴり若旦那の姿が浮かび上がってくるような気がいたしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この後田原町を抜けて「誓願寺店」にも行ってみたのですが…誓願寺というお寺はもう浅草にはなく、関東大震災後に府中市に移転されたそうで、「ここだ!」という場所はわかりませんでした。

 

 

浅草は何度も訪れたことのある場所でしたが、「落語」をテーマにその舞台をなったスポットを巡ってみると、まったく違う浅草の風景(妄想?)が見えてきました!

 

みなさんもぜひ、落語の舞台を巡りに、そして生の落語を聴きに、浅草にお出かけしてみてはいかがでしょうか。

わっしょーい!!!旅人は、僭越ながら鹿鳴家春々こと、安田美香でした!