織物の歴史を感じる街、群馬県桐生の旅|旅人:松本英子
2018-09-26
KIKI-TABI 2 Thousand Miles、旅人の松本英子です。
今回は、『織物の歴史を感じる街、群馬県桐生の旅』と題して、初めての桐生の街を巡ります。
織物の町らしく、のこぎり屋根の工場が未だ観られるこの景観、すでにワクワクしております!!
さて、最初に早速訪れたのは桐生織物記念館です。今から1300年ほど昔の奈良時代から桐生の織物の歴史は続いており『西の西斬、東の桐生』と呼ばれるまでに織物で栄えた街ですが、、、、
そもそも桐生織とはどういうものなのかを
桐生織物記念館のキャッシュ貴美江さんに教えていただきました!
この桐生織物記念館の建物そのものも、歴史ある建造物。
戦争の被害が少なかった事もあり、昭和9年に桐生織物協同組合の事務所として建ってから、今もそのままの姿で残っている貴重な建物なんだそうです。
モダンで階段や廊下の作りなどもとても立派で綺麗に残されており、国の登録有形文化財に指定されています。
ステンドグラスが可愛らしい、2階部分には織物資料展示室があり、沢山の織物機械が並んでいました。
織物を作るために必要なのは、経糸と緯糸を編み込んで行く作業。
それをしながらも柄によって様々な色を織り込んで行くわけですから、大変な作業です。現在はコンピューターでコントロール出来てしまうものも、当時はもちろん手作業。桐生織の模様を編み込んで行くには、まず設計図を作らねばならず、専門の設計士さんがいらしたんだそうです。
その設計図を元に、今度はその図の通りに織り機に情報を伝達する為の「紋紙」という、オルゴールを作るときに紙に穴をあけるのと同じ要領で、穴を開けていく作業があったそうです。機械に指示を出すためのピアノマシンと呼ばれるもので紙をいくつもいくつも作り、それをジャカード機械に通す事で様々な模様の織物を作ることが出来るという仕組み。
まず、これを理解するのがなかなか難しく、、、ゆっくり何度も説明を頂き感謝でした!(涙)
ジャカード機 |
ジャカード機のミニチュア版 |
さらに桐生織は時代とともにその製法が進化してきており、和装だけでなく洋装の裏地など昭和20年代から30年代後半にかけて輸出も盛んに行われていたそうです。
伝統的な技術としては7つの技法があり、「お召織」「緯錦織」「経錦織」「風通織」「浮経織」「経絣紋織」「捩り織」とそれぞれ織り方も風合いも肌ざわりも全く違うスタイルで、用途に寄ってその織り方が変わるようです。
こちらでは織物体験が出来るとの事で、わたくし不器用ながらトライしてみました!!
足で踏み踏みしながら経糸を交互に動かして、緯糸を手で差し込んで行くやり方です。
もちろん初めての体験なので私のスピードはめちゃめちゃ遅いですが、やってみると無心になれて楽しいんですよね。
そしてやはり熟練した職人さんのスピードは凄いんですって!
現在では、このジャガード織も緯糸を通すときには水の力や空気の圧を使って緯糸を飛ばす技術へと進化しているそうで、さらにスピードも加速!ただ、織物の風合いとしては手作業での織はふわっとやわらかい織になるんだそうです。
手作りの味わいですよね。
帰りには一階の桐生織物販売場で桐生織の帯を二本購入!!もっと買いたかったー!笑
さて続いては、桐生の郷土料理をいただこうと、「ひもかわ」と呼ばれるうどんを食べるため、人気店の『めん処酒処 ふる川 暮六つ相生店』さんにお邪魔しました。
店長の古川聡さんです。
まずこのお店の創業自体は40年程ということで、元々うどん屋さんだったのが、ひもかわの人気と共にどんどん太さが太くなり、現在の麺幅10センチ以上となったそうです。
しかし、何故ひもかわは麺がこんなに太いのか。
諸説ある中で、織物業が盛んだった時代に、織物工場に勤めていた女性たちがお昼ご飯にあまり時間をかけずにうどんを食べるための工夫として、麺の幅を広げて一気に食べやすくしたんだという説があるそうです。
ここでもやはり織物の歴史が関わっていたんですね、、、
お店によってその太さも厚みも違うそうなのですが、こちらのふる川さんは、幅が広くて薄い麺が特徴!!
早速、スタンダードな盛り蕎麦ならぬ、盛りひもかわを頂いてみることに。
茹でる前の生地がこちら! |
この幅!!わかりますか??!
もはや持つのも重たい!!笑笑
そして、どうやって食べたら良いのやら?!
とりあえずつけ汁につけてみたものの、、
すすれない!!!!?
そうです。すすらないで、そのまま頬張るんですね〜〜
でも、これがまた麺がツルッともちもちしていて美味しいったらなんの!
麺の太さが逆に汁や薬味と絡まりやすくなって、とっても良い感じ!
結構な重量感があったのですが、ペロリと食べてしまいました(^^)
織物もうどんもお水が綺麗だからこそできるもの。それを実感しながらいただきました。
さて、続いて向かったのは、、、
桐生新町重要伝統的建造物群保存地区にある、天然染色研究所さん。
ここは元々、大地主の森家の米蔵だった建物だそうで、お隣に建っている洋式建造物も国の登録有形文化財ということで、周辺の建物を巡るだけでもタイムスリップしたかのごとく当時のまま残っている場所でした。
中に入ると、何台もの織り機が置いてあったり、色とりどりの糸やストールが販売されている一方で、なにやら薬品のような瓶がたくさん並んでいたり、試験管が置いてあったり?!とても不思議な場所。
ここは、あくまで草木染めの研究や教室がメインなのだと仰るのは、田島勝博所長。
草木染めはシルクで染めて行くために原料が高く、売り値も高くなる為にお店で売ることを主軸にするとストレスが溜まってしまうのであくまで研究所なんだよ。とユーモアを交えながらも、草木染めについて熱く語って下さる田島さん。
このキャラクターが本当に素敵で可愛らしいんです!
お仕事を60歳でリタイアされてから、ほぼ趣味のように始めたという草木染め。織物の町桐生を残すには、人に伝えて教えて行く事も大切と、町のためにもご尽力されています。
さてそんな田島さんに草木染めを教えて頂けるということで、体験させて頂きました!
まず、真白いシルクストールの生地柄を選びます。
好きな柄を選んだら、次は染めたい色を選びます。これがなかなか決まらない(笑)桑、アカネ、コガネ、ローズマリーなど沢山あり過ぎて、しかもどれも味わいある良い色なので悩んじゃうんです。
でも、田島さん曰く『これを首に巻くと小金がたまるから、黄金色がオススメだよ』という甘い言葉についつい釣られて、コガネにしてみました!!※しかし実際金持ちになった人はいないけどね!笑 ・・・というオチつきでしたが。。それも含めて面白くて、そのままコガネに決定!!
さて、色が決まると、生地に色を吸着させるための接着の役目を担うのが、銅orアルミor鉄の成分。
これは、例えば昔ならば田んぼの泥水で生地を洗う事で泥に含まれる鉄分の成分を付着させて接着剤にしていたそうなのですが、今回は田島さんが研究用に使用されている粉末成分を溶かした液を使わせて頂きました。
実は、この接着させる成分をどれにするかで、染め色も変化するそうで、、アルミ→銅→鉄 の順に色合いは濃くなっていくんだそうです!このお話もとても興味深かったです。
まず、20gのストール生地に対して同量の20gのコガネの乾燥したものを用意し、それをたっぷりの水で煮ていきます。かき混ぜながら大体沸騰して5分くらいまで。
その間に、軽く水洗いしたストール生地をアルミを溶かした水に浸してこれも大体5分くらいかき混ぜていきます。
いずれも田島さん、ざっくり目分量&時間も適当!なのがとっても良いんです!笑
『自然を相手にしてんだから、いいんだよ。恋も一年すりゃ冷めるだろ?
染物も一年すりゃ色が移り変わるんだよ。
だから、適当がいいんだ』
と、なかなかに深い発言!
そうこうしてるうちに、煮出したコガネがすっかり山吹色に色づき良い感じに。
これを目の荒いザルと細かいザルを2つ通して濾していき、そこにアルミがしっかり付着したシルク生地を投入してまんべんなく搔きまわすと、、、
綺麗に染まっていくではありませんか!!!
見事に黄金色のストールが。
これをしっかり絞って、タオル乾燥し、アイロン掛けをして完成〜〜!!!!!!
あっという間の50分ほどで出来ました!
合間の田島さんのトークが面白すぎて時間も忘れていましたが。。
とっても素敵なストールが出来ました!
自宅でやる時は、ミョウバンを溶かしたものと、賞味期限の切れた紅茶やコーヒーでやっても染まるよ!と教えてくださり、、
最後まで本当に優しい田島さんでした!
さて、最後に訪れたのは??
日本最古の建築物ベスト5に選ばれるほど歴史ある建物『彦部家住宅』。
敷地が約26,000㎡という広大な敷地に櫓台や石積の八幡社、竹林、石垣、堀があり、お城のような立派な造りとなっている中に、
主屋、長屋門、冬住み、文庫倉、穀倉という5棟の建物が重要文化財となっている貴重なお屋敷です。
しかもまだ実際に住んでいるというのが凄いところです!!
ご案内くださったのは、彦部家17代目(桐生に定住してから)の奥様・彦部桂子さん。
いろいろと代の数え方があるそうで、彦部と名乗ってからは29代目、その前の先代から数えると49代目なんだそう。
それを覚えているのもさすがです!!!
実際に敷地を回りながら嫁がれて来られた頃の桐生のお話も聞かせて頂いたのですが、当時はあちこちに織物工場があり、外を歩けば織り機のパタンパタンという音が聴こえて来て、道でまともに会話が出来ないくらいの大きな音だったそうです。
この彦部家は、江戸に入ってから農民になる事を決断したこともあり、わざわざ庶民の使用する竹を使った床にしていたり、馬用のカマドがあったり、槍を飾っていたりと、それがそのまま残っているのにまず驚きました。
桐生は戦争や災害での被害が少なかった事もあり、文庫倉の書物数千点も未だ残されているそうです。
また、明治時代後半から本格的な織物業を営み、桐生織物同業組合の組合長になった彦部駒雄という方が、また桐生織物の発展に従事したキーパーソンだったとのこと。
当時、今で言う宣伝プロモーションを全国に、しかも各地へ八木節の踊り手を何人も連れ出向いて、桐生織の着物を宣伝して歩き、営業もし、桐生の織物工場に仕事を持って来たそうなんです。
かなりの人徳があり、リーダーシップもあった駒雄さんのお陰で、『西の西斬、東の桐生』とまで言われるまでに発展したと言っても過言ではないと。
本当に素晴らしい方です。
主屋の隣には、そんな織物業を営んでいた頃の女工の寄宿舎も残っており、そこには織り機や当時の染め釜があって、まるで昨日まで動いていたかのような様相にまたまたタイムスリップ気分になってしまいました。
この建物を生かして、桐生織のことや桐生の文化を知ってもらおうと、様々なイベントも行なっているそうなので、是非季節ごとに調べて足を運んで頂けたらなと思います!
あらためて、桐生には織り物を愛し、街を愛した人たちがいて、今もその想いと共に建物も歴史も受け継ぐ人たちがいる素敵な街だなと感じました!
ご案内くださった方々も皆さん優しくて、また群馬が好きになりました。
本当にありがとうございました!!!