そうなんだあ~新旧お札の素顔に迫る!|旅人:吉村民

2019-05-16

「KIKI TABI ~2Thousand Miles~」


歴史担当の吉村民です!

 

 

今回はキキタビは、新たなお札の肖像画の偉人と

今までお世話になった現在のお札の偉人について、

都内にあるゆかりの地を歴史評論家の井手窪剛さんと巡ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

お札になるってすごい人なんだろーな、と思いつつ、

名前を知っているだけで、どんなことをした人なのかわからない方たちばかりなので、とてもいい機会なので

しっかり学ばせていただきたいとおもいます!!!


ということで、思わず・・・「へえ~~そうなんだあ~」と唸っちゃうエピソード満載を井手窪さんに

沢山お話ししていただきます。


まず最初に訪れたのは

港区芝公園一丁目にある、伝染病研究所発祥の地。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、都営三田線 御成門駅 を降りてすぐの 芝公園前に あります。

都心でありながらも、緑豊かな空気が気持ちがいい道沿いに、石碑が建っています。


ここに縁があるのは新しいお札になる北里柴三郎。

北里柴三郎は破傷風菌の血清培養に成功、ペスト菌の発見者の一人

今では薬があって怖いイメージがない病気でも、薬が出来る前は死に直結するような病気でした!



そう考えると北里柴三郎が、現代の私たちにしてくださったことは本当に大きいこと!

私の実家が相模原市にあり、北里大学病院は小さい頃から親しみがありましたが、

その北里さんが、こんなにすごい方だというのは、この時初めて知りました。


そして、伝染病研究所を設立するのに援助をしてくれた人は…あの福沢諭吉だという話もビックリ!

今の1万円札の福沢さん、とてもカッコイイことをされた方だったんですね!

人類の為に人生をかけた北里柴三郎さんはお札になるには遅かったくらいすごい方で、

それを助けた福沢さんは1万円でなくなってしまうのが惜しいくらいのステキな方だと知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて訪れたのは白金にある「東京大学医科学研究所」

大学のキャンパスの様な並木道があり、その横には歴史を感じるステキな建物が。

シロガネーゼが歩く街並みにしっかり溶け込んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでは

北里柴三郎と野口英世との師弟関係があったお話をしていただき、

新旧のお札の2人が実際に関係が深かったことにビックリ!


さらにビックリしたのは野口英世の破天荒なエピソード!!!

小さい頃から苦労して、人生を伝染病の研究に捧げ、殉死されたすごい人。というイメージしかなかったのが、

実は金遣いもあらく、芸者遊びなども好む問題児だったのだとか?!


支援してもらったお金を、研究費ではなく遊ぶために使ってしまったり

婚約者となった女性からもらった持参金を渡航費にあてて渡米した後、婚約を破棄したりと、

そーなんだ!を越えて、そーなの?!怒。と思ってしまいました。

女性の敵です笑。


でも、私の大好きな幕末の志士にはよくある話。

何かに命をかけて頑張った人には付いて回ること?なのかもしれないですね。。。

自分の旦那さんには絶対にしたくないですけどね!!!



続いて訪れたのは

新五千円札の津田梅子のゆかりの地、千駄ヶ谷の津田塾大学へ。

東京体育館と新国立競技場のすぐ近くです。

ウーマンリブのはしりである津田梅子が

明治維新後に岩倉使節団とともに女子4人で留学したとき、梅子はなんと、わずかに8歳!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて、お金があって、先進的な家なんだろう!と思っていたら、、、

梅子は明治維新の負け組・会津藩の出身だった山川捨松の娘。

今とは違い、女性の海外渡航は危険な冒険だった為に、出国にあたって、

捨てたつもりで、戻って来ぬつもりで、、と名前を「さき」から「捨松」に改名させられたとのこと。


今でいう留学、とはちょっと違い親は身を切られる思いで、

梅子を海外に派遣したんですね。。


4人中、2人は向こうの生活に馴染めずに、途中で帰国してしまったとのことですが、

当時8歳だった梅子は無事に帰国。


逆に帰国後の日本社会になじめず、「話を聞くだけでもうんざりです」

といい、生涯未婚を宣言し、独身を通したそうです。

当時の日本は完全なる男性社会。8歳で海外の女性を見てしまった彼女には

納得できないことが沢山あったのきもしれませんね!


そんな彼女が日本で初めてしたことがあります。


それは、、、ブラジャーをつけた!!!こと。


今では当たり前ですが、当時日本人が着ていた着物は胸を潰して着るもの。

そんな日本の常識を1番に破ったのも彼女だったんですね!!!


今の時代にいてもおかしくないくらい先進的だった津田梅子。

女性の社会進出が盛んになってきた現代にピッタリな5000円の顔ですね!



続いて向かったのは

現在の5000円札、樋口一葉のゆかりの地、本郷三丁目にある

「樋口一葉菊坂旧居跡"一葉の井戸"」

 

 


東大に向かう本郷通りを一本入ると、、、そこは昭和にタイムスリップしたかの様な町並みになっています。

一葉ゆかりの井戸は

そんな住宅地の中にあり、耳をすませば

生活音や食べ物の美味しそうな匂いさえも漂ってきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどのウーマンリブの先がけである津田梅子とは正反対に生きた女性が樋口一葉。

彼女は母と妹の3人での針仕事や洗い張りなどの仕事をし、一家の大黒柱として頑張りました。

しかし、恋人から借金をしていて、、、しかもそれは、一人ではなかったり、

吉原遊女の文の代筆をしたためる仕事をしたり、、、と

男性に助てもらいながら懸命に生きたのが一葉。

まさに津田梅子とは対照的な人生。

どこか支えたくなってしまう、男性が放って置けない女性が樋口一葉だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

新旧の5000円札が正反対!というのもかなり面白いですよね。

私は生涯独身は寂しくて嫌ですが、、、自分の力で仕事をガンガンしていきたいので、梅子派かもしれません。

で、、、お前は1人でも大丈夫。あいつ(一葉みたいな女性)は俺がいないとダメなんだ、、、なんて言われちゃうかもしれません!(;´д`)やだぁー涙



最後に向かったのは…三田にある「慶応義塾大学」。東京タワー見える絶景のポジションに、

存在感と歴史を感じる立派な門が迎えてくれます。

慶應義塾といえば福沢諭吉!

物心ついたころには、1万円札は諭吉さんだったので、

変わってしまうのはなんだか寂しくかんじます。

 

 

 

 

 

 

 

 

福沢諭吉といえば「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という有名な言葉を残し、近代教育の人というイメージですが、

井手窪さん論によると

福沢は〝民業〟にこだわった人で、

民主主義の思想を普及しようと頑張り、〝民業〟による事業の立ち上げに力を入れて、

民間の力で国と社会を近代化し、盛り上げようとしていたとのこと。

確かに西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬たちが活躍した幕末を生きたにも関わらず、

中央の政治には顔をださず、

自分の力で英語を勉強したり、

学校を設立したり、

北里柴三郎が伝染病研究所を開所するのをサポートしたり、
と、
個人主義な動きが強く感じます。

今となっては、成し遂げてきたことが大きいので、立派なエリートみたいなイメージがありますが、

当時の視点でみると、孤高の存在だったのかもしれません。

個々の力で近代日本の学問や医学の世界を設立してきたのだから

相当かっこいいですね!


そんな民業の福沢に対して

新一万円札の渋沢栄一は〝会社〟にこだわり、

なんと、渋沢栄一が生涯携わった企業は500以上!!また、銀行を作ったお金のスペシャリストでもあるそうです。


日本に株式会社を普及させて、資本主義による近代化をめざしていたので、

福沢諭吉と方法はちがうにしても、目指していたことは一緒なんですね!


現在の国立印刷局にあたる「紙幣寮」の初代のトップ紙幣頭にもなっている渋沢栄一が「1万円の人」になるのは、遅すぎるくらいなのかもしれません!


今のお札の人と2024年に改定されるお札の人を見てきて感じたのは

今の人たちは苦もあり楽もあり

人間味溢れる魅力ある人たちが選ばれていましたが、

新しいお札は、正統派のお行儀のいい、ザ!お札の顔。というラインナップのような気がします。

 

 


沢山いる歴史の偉人の中で選ばれるには様々な魅力や偉業の達成があり、

今回、それを知ることができて楽しかったです。


新しいお札をつかうのが楽しみです?


2024年、新しいお札を使うときには

胸を張って、この豆知識を披露していきたいと思います。


今回、1番の「へえ~~そうなんだあ~」は、、、野口英世が、実は破天荒エピソード満載な人物だったことかな!

そんな人が日本を代表するお札?、なんて最初は思ってしまいましたが、

お母さんを大切にしていたり、研究途中で殉職してしまったり、、、

今も昔も、人を惹きつける人だったんでしょうね!問題児でも憎めない!!!笑



是非みなさんも、2024年に変わる新しいお札を手に持った時に

このエピソードを周りの皆さんに披露してくださいね!


「KIKI TABI ~2Thousand Miles~」

旅人は歴史担当の吉村民でした!