STRAY CATS”涙のラナウェイ・ボーイ”

2010-09-01


straycats


STRAY CATS “涙のラナウェイ・ボーイ” 特集』。

1981
年.とんでもなく時代遅れなアメリカの3ピース
ロカビリーバンドが
海を渡ったイギリスでデビューしました。まるで1950年代の白黒テレビから飛び出してきたような3人は、
その凄まじい演奏力とパフォーマンス、
そしてとんでもない悪ガキっぷりで、
一気に、大スターになりました。

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  涙のラナウェイ・ボーイ   /    STRAY CATS 

1曲目にお送りしたのは、
1981年のその名盤『涙のラナウェイ・ボーイ』から
“涙のラナウェイ・ボーイ”です。

1980
年秋にリリースされた先行シングルで、
全英9位のシングル・ヒットにもなっています。

グレッチのシャープなギター・サウンド。
心地よいトレモロ・サウンド。
アップライト・ベースのスウィンギーなスラッピングフレーズ。
そして、立ったまま演奏して!素晴らしいリズムを刻むドラム。


この時代錯誤もはなはだしいストレイ・キャッツの
ロカビリー・サウンドが
世の中に出たのが、
今から30年近く前の1981年だったんですね。



エルヴィスの時代から止まったままだったロカビリーの時計を
ニューヨーク出身の3人が動かし始めたわけです。

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   ROCK THIS TOWN   /    STRAY CATS  

2曲目にお送りしたのは、1981
年リリースのそのアルバムから、
今でもブライアン・セッツァー関連のLIVEでは必ず演奏される、
もうスタンダードナンバーと言ってもいい名曲
ROCK THIS TOWN”です。
邦題は“ロックタウンは恋の街”ですね!

※イギリスでは、9位となったシングルヒット!  


さてさて、ブライアン・セッツァー率いるSTRAY CATS

ヴォーカル&ギター:ブライアン・セッツァー、
アップライト・ベース:リー・ロッカー、
ドラム:スリム・ジム・ファントムの3人で、
1979年、ニューヨークで結成されました。

エルヴィス・プレスリー、エディ・コクラン、ビル・ヘイリー、
ジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー等の
50年代ロカビリー/R&Rに憧れて、それを現代に蘇らせた衝撃の3人!

ところがどっこい、この才能溢れるロカビリーの伝道師たちは、
本国アメリカでは、全く泣かず飛ばず。。。
というよりも、人々の関心を得ることも出来ずに、
“バカやってるなぁ・・・”と笑われるだけ。
レコード契約すら取れない、悲惨な状況でした。

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   ジニー・ジニー・ジニー   /    STRAY CATS  

           

 

そんな状況に業を煮やした3人は、愛車ポンティアック
売り飛ばしたお金で、イギリスに渡ります。

当時のイギリスは、ロンドンパンクブームが下火になって、
ちょうどポストパンク、ニューウェイブに突入していた時代。
パンクに飽きた音楽ファンが、新たなロックを探していた頃でした。

もちろん、パンクブームの中で増えに増えたレコードメーカー達も、
新たなスターを探し求めていました。

その状況が、STRAY CATSにピッタリはまったんですね。

ロンドンでやっと自分達を理解してくれる観客を見つけた彼らは、
コステロや、プリテンダーズなど様々な大物アーティストの
前座をつとめながら、
一気に名前を売って、
遂に念願のレコード契約を獲得します。

そのレコード会社の争奪戦には、あの!ミックジャガーも参戦していた
みたいですよ!それぐらい、デビュー前から話題だったわけです。



そして、デイヴ・エドモンズのプロデュースで、
たった5日間でレコーディングしたのが、
今日特集しているデビューアルバム『涙のラナウェイ・ボーイ』。


体が動いてしょうがない素晴らしいR&Rグルーヴ!
初期衝動のままに作られたようなシンプルでポップなロカビリーナンバー。
そして、刺青にリーゼントというBADなルックス。
ただのイロモノじゃないぞ!と強烈にアピールするその演奏力!


これが、ヒットしないわけがありませんでした。


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     STRAY CAT STRUT  /    STRAY CATS  

 

 

 

結局、このアルバム『涙のラナウェイ・ボーイ』。

イギリスで6位!となる大ヒットとなりました。

 

時代遅れだったロカビリーも、彼らの影響で一気にブームになります。

世に言う、“ネオ・ロカビリー・ブーム”ですね。

 

ザ・ロカッツ、ポール・キャッツ、ブルーキャッツ、The Living End

日本からはブラック・キャッツなど、世界中から様々な
ロカビリーバンドが出現!

大ヒットする!という不思議な状況になりました。

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     Rumble in Brighton  /    STRAY CATS  

さて、デビューでビッグ・ヒット。

 歴史の遺産だったロカビリーを、リアルタイムの音楽へと
生き返らせた英雄:STRAY CATS
本国アメリカでも、2年ほど遅れてデビューして、
大スターとなりました。

しかし、その後は、様々な裁判沙汰や暴力事件など
いろいろな問題を抱えながら、
何度も解散と再結成を繰り返しました。


ロカビリーブームも、次第に終焉。
でも、いつの時代もホンモノ!は消えることがありませんよね。
地味ながら堅実な活動で、業界内外にファンを増やし続けました


そして、その後、1994年にフロントマンの
ブライアン・セッツァーが結成したのが、
皆さんもご存知のブライアン・セッツァー・オーケストラです。


大編成のオーケストラをバックに、グレッチギターが暴れるR&R。

スウィング・ジャズのような、ビッグ・バンドスタイルは、
当初はもの珍しさはあっても、
実際のセールスには結びつきませんでした。

レコード契約も解除されてしまい、友人である布袋寅泰にも、


「もっとモダンなアプローチをして、
 ヒット・ソングを作らなきゃいけないんだろうか・・・」

と弱音を漏らしたこともあったそうです。

そんなブライアン・セッツァー。
信じて進み続けた結果は、音楽界で最も栄誉のある賞:
あのグラミー賞の受賞でした。

常に流行とは逆にいた男は、常に流行を作り出す男でした。

ストレイ・キャッツの
『涙のラナウェイ・ボーイ』は、そんな彼の出発点。
是非、踊りながら聴いてみてください!