QUEEN!!“オペラ座の夜”

2010-10-04

queen

QUEEN初の母国ナンバー1 オペラ座の夜 特集』

1973
年のデビューから、メディアからは徹底的に
批判されていたQUEEN
“所詮、ツェッペリンの亜流だ”なんて、
今となっては、完全に的外れな批判の中で苦しんだ彼らですが・・・
1975年のこのアルバムで、状況が一変しました。


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   Sweet Lady    /    QUEEN     

1曲目にお送りしたのは、1975年のその名盤から“Sweet Lady”です。

聴いたらすぐに分かりますよね!ギターのブライアン・メイ作です。
こういったストレートなリフ中心のロックは、メイの得意分野ですよね。
普通のボーカリストが歌ったら、こんな曲は平凡で地味な作品に
なりますが・・・、
フレディーが歌うと、
一気にスケールの大きなスタジアムロックになりますね!

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    God Save The Queen    /   QUEEN    
M   You’re My Best Friend    /   QUEEN       

次に送りしたのは、
そのアルバムから、“God Save The Queen”、
そして
Youre My Best Friend”です。

前者は、ギターオーケストレーションが堪能できる1曲。イギリス国歌ですね。
後者は、ベースのジョン・ディーコンが作った名曲ですね!
なんと、この曲はクイーンでの、彼の2曲目の採用作品。
そして、その2曲目でシングル・ヒット・・・と。
その後は、“地獄へ道連れ”なんて名曲も残していますし・・・
本当に奇跡の才能の4人が、よくも集まったものですよね。
ちなみに、シンプルなエレピを弾いたのも、ジョン・ディーコン。
フレディーが、生ピアノ以外は弾きたくない!
とダダをこねたんだそうです。さすが!フレディー(笑)。

さてさて、QUEEN
1970年に結成されて、1973年に「戦慄の王女」でデビューした
イギリスのロックバンドです。

有名な話ですが、デビュー当時は本国イギリスのメディアからは
ボロクソに言われています。
“ロックなのに複雑で、小細工が多い!
化粧をしたツェッペリンの亜流”などと、
雑誌にはメチャクチャに言われてしまいますが、
1974年のセカンド「クイーンⅡ」は、
メディアのアウェイな雰囲気の中、アルバムが小ヒット。
同年のアルバム「シアー・ハート・アタック」では、イギリスのみならず、
アメリカでも
ヒットする、という順調なスタートを切ります。

中でも、日本での人気は凄まじかった!
女性のように美しいルックスと、きらびやかなサウンドで、
日本の女性たちがメロメロ。

初来日公演では、空港に1200人のファンが詰め掛けて、
武道館公演も大成功!っと、まるでアイドルのような人気となります。
当時のイギリスの公式ファンクラブへの手紙がほとんど日本のファンから
エアメールだった、ということからもその人気が伺えますよね。

ただ、当時クイーンは、その内部に時限爆弾を抱えていました。
クイーン解散説、が出るところまで、バンドがゴタゴタした理由は、
マネージメントのトライデント社、そしてマネージャーの
ジャック・ネルソンでした。

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  Death on two legs  /    QUEEN 

 

次にお送りしたのは、“DEATH ON TWO LEGS”。
フレディー・マーキュリーが、ムカついてしょうがない人を歌った歌です。

 

もちろん、そのムカついてしょうがない人とは、

所属事務所トライデント社のジャック・ネルソンです。


♪お前はヒルのように俺の血を吸う!
 ひとつ残らず、俺の金を巻き上げる!
 歩く死神!
 極悪人!
 ケチな野郎!
 病気持ちの犬!
 知ったような顔するんじゃねえ!
 お前なんか、世の中から消えちまえ!


と、もう全てが悪口で占められた、凄まじいネガティブ・ソングです。

そうなんです。

1975
年当時、QUEENと所属事務所との関係は最悪。でした。

まぁ、それもその筈。
これだけの人気バンドなのに、メンバーは微々たる額を毎週貰う、
という給料制。
全然、ヒットを恩恵を受けることはありませんでした。
しかも、マネージメントは、アメリカツアーでは毎日2公演を組んでしまう!
というとんでもない労働を強いたんですね。

当たり前ですが、フレディー・マーキュリーの声はボロボロ。
疲労困憊で金もない・・・という最悪な状況。

もう、事務所との関係修復は不可能なものになってしまいました。

結局、裁判を繰り広げて、莫大な違約金を払って、
事務所から抜け出すことになりました。

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   Bohemian Rhapsody  /    QUEEN 

次にお送りしたのは、問答無用の大名曲“ボヘミアン・ラプソディー”です。
イギリスで最も売れた曲、としてもよく知られています。
当時、イギリスで9週連続1位!
そして、フレディー・マーキュリーの死後にもチャートで1位を記録しています。

PVも、格安で作った苦し紛れの作品でありながら、
素晴らしい出来。
未だに語り継がれる映像作品にもなっています。

さてさて、さっきの話の続きです。

マネージメントと法廷闘争を繰り広げて、やっとの思いで新マネージャーと
再始動しますが、また次のマネージャーともモメてしまいます。

この名作「ボヘミアン・ラプソディー」。

6
分近くあるんですが、マネジャーは
「長すぎてラジオでOAされない!短く編集しなきゃダメだ!」
と断固言い張ります。
もちろん、QUEENは徹底的に拒否。
結果的に、ロック史上最高のヒット曲になったわけですから、信念、と
いうものは本当に大切ですね。

マネージメントも、その結果をみたら、納得するしかないですよね。

さて、そんなゴタゴタの最中で作ったこのアルバム「オペラ座の夜」。

信じられない程に時間がかかって、スタジオ代もかかってしまいました。
だって、ボヘミアン1曲で、何週間もスタジオに缶詰になってるわけですから、
推して知るべし、ですよね。シンセサイザーのような音も、
何時間もかけてアナログで録音していくわけですから、
正直、
スタジオ代を出しているレコード会社の担当者は、
ため息しか出なかったと思いますよ。

おかげで、当時“イギリスのレコード史上、最も制作費の高いレコード”
という
嬉しいような嬉しくないような冠もついてしまいました。

満を持したリリースは、1975年の年末。

ボヘミアン・ラプソディーのシングルヒットもあって、アルバムは
イギリスで1位!アメリカでも4位となる大ヒット。

そして、全世界でアルバムは売れに売れて、
QUEENは押しも押されぬスーパースターとなっていきます。

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. The Prophet’s Song   /   QUEEN