CCR特集!

2010-10-12


ccr


『スワンプ・ロックの代名詞! 
  CCR:
  クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル特集』。

サザンロック、スワンプロックという言葉は、
このバンドの誕生と共に生まれた、と言っても
過言ではありません。

そして、60年代後半~70年代頭のラジオからは、
彼らのロックがひっきりなしに流れ続けました。

M
   UP AROUND BEND    /    CCR   

1曲目にお送りしたのは、1970年に全米4位のヒットとなった
シングルナンバー
UP AROUND THE BEND”です。
HANOI ROCKSのカバーバージョンも有名ですよね。

この曲が収録されたアルバムは、彼らの最高傑作
『コスモス・ファクトリー』。
全米1位となったこのアルバムもヤバいです。
是非、アルバムまとめて聴いてほしい! 

M
    PROUD MARY    /    CCR  

さて、次にお送りしたのは、
そのCCR1969年に
リリースした大ヒットナンバー
PROUD MARY”です。
オリジナル曲としては、彼ら初の大ヒット曲ですね。
全米では第2位!ですが、数多のナンバー1ヒットよりも有名な、
もうスタンダードナンバーですよね。

本当にシンプルなリフで、地味にも思える曲ですが、
なんだかスルメのようにクセになる、やっぱり名曲です。

ステイタス・クォー、ティナ・ターナーなど、
様々なアーティストにカバーされています。

珍しいところでは、エルヴィス・プレスリーや、キャンディーズ!!
までもがカバーした!という、まぁ、本当に凄い曲です。

さて、60年代後半から70年代前半にかけて、
これほどに凄いヒットを飛ばしたCCR。
その歴史は、アメリカ・カリフォルニアからスタートしました。

M
    GREEN RIVER    /    CCR    

お送りしたのは、1969年の全米2位のシングル・ヒット
“グリーン・リヴァー”です。
南部のにおいが漂う、泥臭いナンバーですよねー。
まさに、スワンプ・ロック!
南部のブルース、R&B、カントリーをロッ
クのエイトビートで表現した、
まさにジョン・フォガティ・サウンドですよね。

さてさて、CCR
その結成は、アメリカ南部ではなくカリフォルニアです。

ギター&ボーカルのジョン・フォガティ、
ベースのスチュアート・クック、
ドラムのダグラス・クリフォードという学校の同級生3人で
結成されました。

その後、ジョン・フォガティの4歳上のお兄さん:
トム・フォガティを
ボーカル&ギターで加えて4人組バンド:
トム・フォガティ&ブルー・ベルベッツ
として、
1960年代中盤にデビュー。
その後、ゴリウォグズと名前を変えて再デビュー!!
しますが、何の変哲もないビートバンドだった彼らは、
まったく泣かず飛ばず。

正直、リーダーのトム・フォガティには、
大した才能が無かったんですね。

しかも、バンドメンバーが徴兵されて活動がストップしたりして、
はっきり言って全然ダメ、でした。

そんな中、バンドメンバーでトムの弟:ジョン・フォガティ
の才能が
次第に覚醒し始めます。

一説には、徴兵されて軍にいた時に、
恐怖と戦う為に、現実を忘れるために曲を作りまくった
結果、才能が開花したとか?

リード・ボーカル、リード・ギター、作詞、作曲、
アレンジなど、
バンドサウンドの全てを徐々にコントロール
するようになっていきます。

そして、1968年。
バンドはCCR:クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
と名前を変え、ジョン・フォガティを
フロントマンとして、
シングル“スージーQ”で再々デビューすることになります。

M
    SUZIE Q    /    CCR 

お送りしたのは、1968年の彼らのデビュー曲:
“スージーQ”です。

カリフォルニアのバンドが南部のスタンダードナンバー
のカバー曲でデビュー!
しかも、832秒!というとんでもなく長い曲!
というかなり異色なデビューシングルですが・・・
この曲でいきなりシングルヒット!
CCRの名前は一気にアメリカ中に広がります。

そして、翌年には先ほどお送りしたシングル
PROUD MARY』で
オリジナルナンバーも大ヒット!
1969年の1年の間にアルバムを3枚!もリリースして、
その全てがTOP10ヒット!
シングルも7曲もチャートイン!っと、凄まじい人気となります。

そして、翌年1970年には、
最高傑作と名高いアルバム『コスモス・ファクトリー』を
リリースして、
遂に全米ナンバー1を記録!
名実共に、アメリカで一番人気の高いバンドとなりました。

M
    Travelin’ Band    /    CCR 

お送りしたのは、1970年の大傑作アルバム
『コスモス・ファクトリー』
に収録された全米2位の
シングル・ヒット“トラベリン・バンド”でした。

さて、さっきからシングル全米2位!
っていう言葉が沢山出てきてますが、それもその筈、
CCRは、シングルでの全米ナンバー1ヒットは1曲もないんですが、
何と、6曲ものナンバー2がある!
という不思議なバンドでもあります。

運がいいのか悪いのか・・・、という感じですが(笑)。

さて、デビューから2年で、本当にアメリカ1のバンドになった
CCR。
南部のブルース、R&B、ゴスペルなどを、
ジョン・フォガティなりに消化した新たなロックサウンドは、
“スワンプ・ロック”、“サザン・ロック”と呼ばれて、
その後のレイナード・スキナードやオールマン・ブラザーズ・バンド
などの
後進が世に出てくるキッカケとなりました。

今では、スタンダードな、ある種古臭いサウンドに聞こえますが、
当時はこれが斬新だったんですね。

そして、そのリリックも、実に深いものでした。
当時、泥沼化していたベトナム戦争に異議を唱える
次の曲なんかは、本当に有名ですよね。

 
M    雨を見たかい    /    CCR 


お送りしたのは、1971年のシングル・ヒット
“雨をみたかい”ですね。

ここ日本でも大ヒットした、超スタンダードナンバーです。

“♪晴れた日に降り注ぐ雨を見たかい?”

という不思議な歌詞は、ベトナム戦争中に無差別に投下された
ナパーム弾のことを歌っている、というのは本当に有名な話ですね。

その他、“Fortunate Son”、“フール・ストップ・ザ・レイン”
など、
たくさんの戦争へのアンチソングを残しています。

そして、その曲たちは今でも、アメリカでは政治的に
強い影響力を持っています。

さて、デビューからあっという間にスーパースター
になったCCR.
しかし、徐々にバンドは崩壊に向かいます。

というよりも、ジョン・フォガティと、他の3人との才能の差が
余りにも大きすぎた、ということなんでしょう。

1971年には、兄のトム・フォガティが脱退。
ちょっと前まで、自分が圧倒的リーダーだったバンドで、
確実にお荷物になっていた、
ということでプライドがズタズタになってしまったんでしょう。

翌年には、何とかバンドを民主的に存続させよう!
ということで、バンド3人の制作楽曲を公平に収録して、
3人が公平にボーカルを取るアルバムをリリースしますが・・・

結果は聴かなくても分かりますよね。

そもそも、バンドなんて、民主的である必要なんてありません。
素晴らしいアートは、絶対に誰か1人の圧倒的な勘違いで
生まれるもので、
多数決でうまれるものなんかじゃないですからね。

当たり前のように、バンドCCRは解散。

そして、ジョン・フォガティは、
Mr.CCRとして、その後も活躍し続けています。現在65歳。

“スワンプ・ロックの代名詞”
は、まだまだエネルギッシュです

M
. BORN ON THE BAYOU   /    CCR