APEC開催記念! いざ神奈川へシリーズ・第3弾!横浜開港150と1年記念「横浜三塔物語」|旅人:井門宗之

2010-10-28

 

「ニューグランドに行って、ドライマティーニでもやろうや。」
池波正太郎に倣ってそんな事を言ってみたい衝動に駆られたのは、いつだったか。
確かあれは「食卓の情景」を初めて読んだ、あの日の事。
それからというもの、横浜に行く度に呟いていた。
プライベートでも、仕事でも、雨の日も、風の日も、雪の日も、晴れの日も。
*うん、知っているよ。言い過ぎだよね。

そんな言葉を口にして池波イズムを常日頃から漂わせようと頑張る井門。
確か前回横浜取材はY150で、旅人は中田美香さんだったっけ。
いつになったら自分、横浜取材が出来るのか…そんな事を考えていた矢先、
例によって、YAJIKITA会議でふんわり決まった神奈川三部作の旅。
お馴染み【茅ヶ崎】、縁起の良い【大山詣で】、そしてメジャーな土地【横浜】。
その3部作の横浜編、ついにワタクシにお鉢が廻って来たのであります。

横浜は11月にAPECが行われる場所。
もう既に最近は都内のあちこちのJRやら地下鉄やらで、警備強化のポスターが貼られている。
世界の要人が集まると物々しくなって嫌ですね。音楽フェスみたいにはいかない…か。
さてさて、このAPECでございますが、一体なんなのさ!?と。
動画を見て戴けるとお分かりかと思いますが、わたくし、阿呆さを発揮してしまいまして。
突然振られて意味が出てこなかったアナウンサー井門。
それはでもほら、突然言われて頭が真っ白になるって事もあるわけでござまして…。
何て言うか、突然振ってきた慶吾氏も悪かったわけでございまして…。
はい、もう完全に言い訳なのでございまして…。しょぼん。
なので、あれから少し調べましたよぅ。そう言えば学校で習いましたね…。

APECとはアジア太平洋経済協力(会議)の事であります。
始まりは1989年、オーストラリアのホーク首相の提言からであり、
政治色を排し、環太平洋地域の経済発展を図る為に集めって会議をしよう!と。
非公式フォーラムなので国旗やら国歌の使用は禁止されているんですね。
横浜で行われる事により、日本での開催は1995年の大阪に次いで2度目となります。
こ・こんな感じで良い?

まぁ、とにかく凄い会議って事なのだよ、明智君(古い。)
そんなAPECが開かれる横浜を有するのが神奈川県っちゅうわけで、
だったら神奈川三部作やろうか、みたいな。
基本的に面白ければどこでもOKなので、そんな具合に決まったのであります(苦笑)

さて、横浜の旅は外ロケなので、一番の心配事が天気なのは言うまでもありませんね!
いつもの事なのですが、私、「雨男かもしれない」との不安を未だ抱えております。
そしてきっとそうぢゃないのにも関わらず、YAJIKITAスタッフは誰も否定しません。


そうなると私のYAJI(やじこん)にも多少の火はつくわけで。
『雨が降ったりだと、少し自虐的で面白いかも…』等というイケナイ言葉が脳裏をよぎるのです。
ところが今回のロケはD(♂)も作家(♀)も新戦力!!
これで何かが起こらないわけがない!!
さぁ、全国の数少ないYAJIKITAファンの皆さん!(いつも有難うございます。)
そろそろ登場人物のマンネリ化で飽きてきた事でしょう!

 

ここで新戦力の発表です!!

 

新戦力に迎えたのはオダギリジョー似で身長190cmオーバーのイケメンD、
その名もサリーと、元ミス○○○大学という作家としては特殊な経歴の持ち主リンちゃん。
ほらほら、男性リスナーも女性リスナーも気になってきたでしょう?(笑)
他のメンバーは相変わらずですよぅ。
太っちょ慶吾氏と、最近仏教の本を読みふける様になった井門Pの計4人、と。
(慶吾氏は娘ちゃんが具合悪い中、ロケに参加してくれました。感謝。)

私さきほど「何かが起こらないわけがない!」と高らかに宣言しましたが、
実はリンちゃん、晴れ女を自負しているのです。
「私が雨を止ませる」ぐらいの事を言っているのです。
その自信たるや、そういう悪魔の実を食べたんぢゃないか?ぐらいの自信なのです。
他のスタッフの半信半疑な顔をよそに、ロケの日は近付いてまいりました。
そしてロケの前日も雨…。
「明日も不安定なお天気が続くでしょう。」
天気予報も不安な事を言ってくれちゃってます。
もうこうなったら、リンちゃんの悪魔の実の能力に期待するしかありません。
ハレハレの実の晴れ人間。もう俺達にはあんたの力が必要なんだ…。

そしてやってきたロケ当日。
前日からの雨が…嘘のように晴れ渡った東京。 



おぉ…リンちゃん…、勝利






ロケスタート




不安な心もこれで吹き飛び、今回の横浜ぶらりのスタートです!(前置きが長いね)
前述の通り、今回は神奈川三部作の最終回。
ロケ地はお洒落タウン横浜であります。ドライマティーニでもやろうや。
東急東横線【日本大通り駅】で待ち合わせして、いつもの様にぶらりスタート。
サリーとリンちゃんはこれが【ヤジキタ初ロケ】となるので何だか表情が初々しい。
この緊張感『何かを初めて体験する』時なら誰でも味わうものでしょう!
フレッシュ感がたまらないが、ふと太っちょを見ると、もうお腹を空かせているようだ。
今日も赤ちゃんの様な笑顔が眩しい。
まずは日本大通り駅を出て、象の鼻パークのある港の方へ移動開始。
実はこの横浜はサリーの地元でありまして、 



「俺、この辺よくバイクで通ってますよ。」

 

などと格好良い事を言ってくれちゃってます。ひゅーひゅー。
天気はリンちゃんが晴れさせてくれたし、地の利はサリーが持ってるし、
今回のYAJIKITAは順調に進みそうだなぁ。 



サリー「あれ、どっちだっけ…?」

 

おい、デカいの。
まさかもう【道に迷った】ってんぢゃないだろうなぁ…。
自分に甘く他人に厳しい風潮のあるYAJIKITAは、こんな時も攻めの姿勢を崩しません。
サリーも負けじと、守りながらも激しく身体で止めに入ります。


サリー「いやいやいや、大丈夫ですから。俺、交番で聞きますから。」



ちなみにロケのあった日曜日は【YOKOHAMA JAZZ PROMENADE】が開催中。
公園も街も音楽とJAZZファンで大賑わいでした。
我々一行も野外LIVEが行われていた【象の鼻パーク】で無事(?)にオープニングを収録。
あっ、そう言えば今回の旅のテーマ発表をまだしてなかった…。
今回はこちら!


横浜開港150年と1年!横浜三塔物語!



昨年はY150年に沸いた(ちょ…洒落ぢゃないから)横浜。
今年はまた新たな1年を刻み始めているこの街をぶらりして参りました。
ところで皆さんはこの「横浜三塔」を御存知でしょうか?
そもそもこの横浜港が開港したのは、1859年7月1日。
そこから遡ることおよそ6年の1853年にペリーが艦隊を率いて日本にやってきました。
慌てた江戸幕府は当時何も無かった横浜村に臨時で応接所を設け、
ここで開国の交渉が行われた…と。横浜村が選ばれた理由は、
江戸からも適度に離れていたのと、海底が深く大型船も停泊出来ると言う理由からだったそうです。
それから現代まで、この横浜港は海の玄関口として栄えてきたわけですが、
「横浜三塔」とはこの横浜港に入港する船から見える三つの塔の事なんです。
そしてそれを目印にした外国の水兵さん達は親しみを込めて、
それぞれに【ジャック】【クィーン】【キング】と名付けた。
今はその三塔を同時に眺められるスポットを巡ると、願いが叶うとも言われている…。
この「横浜三塔」、地元の人も意外と知らない方が多いのですが、皆さんは御存知でした?

こういう情報に滅法弱いYAJIKITA一行。
せっかく横浜巡りをするんだから、三塔を廻りましょう!という事で、
【横浜ぶらり旅】は【横浜三塔巡りの旅】になったのです。

まず我々が向かったのは、象の鼻パークの目と鼻の先にある、

【横浜三塔クイーン・横浜税関】





クイーンの塔




税関入口


この建物、見た目がかなり美しいです。
さすがクイーンと呼ばれるだけあって、塔のドームはエメラルドグリーンの気品ある佇まい。
横浜の街をふわぁっと見守ってくれている様な温かさがあります。
ちなみに塔の高さは51m。現在の姿に完成を見たのは1934年(昭和9年)の事です。
もちろん庁舎はもっと昔から存在していたのですが、関東大震災で倒壊。
しばらくは税関の仕事もバラックでこなしていたそうです(!?)
当時から勿論、日本の海の玄関口という威厳もあった横浜港で税関がバラックなのもバツが悪い。
しかし当時は財政も逼迫していてどうする事も出来ず、しばらくはそんな状態で過ぎていきました。
そこに天の声を下したのが、時の大蔵大臣・高橋是清。

「失業者救済にもなる。土木事業を起こすべきだ。」

失業者も多かった時代、ここぞとばかりに庁舎の工事が行われました。
実は当初の設計図には塔の高さは47mとあったそうです。
当時横浜での高層建築は神奈川県庁(高さ49m)、開港記念会館(高さ36m)。
税関長だった金子隆三は「日本の表玄関たる税関は、もっと高くすべき」と言及し、
結局建物自体は低くても構わないから、塔ぐらい高くしろ!ってなわけで、
現在の高さ51m、当時としては最も高いクイーンの塔が出来上がった次第なのです。

こちらの税関、1階部分に【クイーンのひろば】がありまして、
税関の歴史などの資料を一般の方も自由に見学する事が出来るのです。
しかもこの中の資料展示がかなり興味深い…。

そもそも税関とは、外国から日本に入ってくる様々な物品が違法に入ってこないかを調べる、
いわゆるチェック機関でもあります。
なのでここ横浜税関の資料展示では【密輸の手口】なんかも紹介してあったり、
実際に過去に入ってきた【偽物ブランド品】等の展示がしてあったり、
かなり「見せる展示」にこだわっているんです。
勿論その背景にはあまりにも不法に多くの物品が入ってくる事への、
警鐘を鳴らす意味合いもあるんです。だってその数の多さに驚きますよ。
そもそも横浜港の貿易額は2008年調べで全国第3位。
それだけの量が出たり入ったりしているんだから、取り締まる側も殺人的に大変なのです。

この横浜税関で僕らを案内してくださったのは、
横浜税関広報室課長補佐の木村康広さん。イケメン課長補佐でございます。
木村さんも実際に税関で取り締まりの現場を体験したそうだが、
やはり密輸してくる側も様々な手口でくる為に、税関もかなりの知恵を使うそうだ。
ただそこはまさに水際で止める使命感に皆さん燃えていらっしゃる。
そう簡単に密輸などさせはしないのであります!





コンテナの壁。




ビールの缶




コピー商品の展示




イケメン広報の木村さん


中にはコンテナを2重扉に改造して、その中に覚せい剤を詰め込んできたパターンもあり、
我々YAJIKITA一行はもはや呆れてしまいました。
こうした違法な薬物で一体どれだけの人が苦しみ、命を奪われていったのか?
真面目に書かせて戴くと、密輸する側も受け取る側も、そして使用する側も、
あまりに当事者意識が低いのではないかと思うのです。
それは覚せい剤だけでは無くて、違法なブランド品や、
ワシントン条約で禁止されている動植物の密輸もそう。
海外で安いから珍しいからと言って、また自分だけが使うからと言って、
安易に持ち込む事は決して許される事では無いのです。
自分が飲もうとしていた綺麗な水が、知らない誰かに少しずつ濁されている様なものなのです。
日本人は道徳の民だと僕は考えています。その道徳を倫理を曲げる様な事はしてはならない。
いや、あまりに多い密輸の展示品を見ていたら、そんな風に思いますって。
どれも貴重な展示品ばかりですので、もし横浜に来る機会がある方はどうぞ!
税関イメージキャラクターのカスタム君がゆるりとお出迎えしてくれますよ(笑)
*あっ、ちなみに余談なんですが、横浜税関でワシントン条約に引っ掛かる動物を見つけた場合、
横浜市立野毛山動物園に預けるのだそうです。そこでは思わず、預けた珍しい亀が繁殖したり、
種の保存にも少なからず貢献しているとか。




ちなみにこの子がカスタム君




ジャックの塔



ジャック前で解説


さて、一行はクイーンを後にし、続いてジャックの塔へと向かった。

【横浜三塔ジャック・横浜市開港記念会館】



このジャックの塔、何と何と民衆の力で建てられたというから驚き。
今から101年前に横浜開港50周年の記念として、市民の寄付で建てられたと。
赤いレンガと白い大理石の建物は、当時一般の公募による設計だったのです。
なので丸々全てが市民の愛情で作られた、と言っても過言ではない建物なんです!
タウンホールとして建てられた記念会館は、現在もその役割を変える事なく、ここにいます。

我々YAJIKITAは地元民のサリーの先導の元、ジャックの塔めがけて移動していました。
時間を気にしながら歩くサリー。と言うのも、クイーンの取材が終わる頃合いを見計らって、
ジャックの塔の前で【横浜シティガイド】の方と待ち合わせする手はずだったのです。
作家のりんちゃんが電話でガイドの方と確認を取り合っています。


すると間違いなく開港記念会館の前におります、との事。
サリーも安心し、「ぢゃあ、こっちっす!」と僕らをしっかり導いてくれます。
すると目の前には風情ある佇まいの石造りの建物が現れました。
ほう、こりゃあ歴史もありそうな建物だけど…ガイドの方の姿がない?
あれだけ作家のリンちゃんが電話でやり取りをした。
その記念会館前に、ガイドの方がいないのだ…。一体どうした?
再度リンちゃんが電話をする。…開港記念会館の前にいる…との事。
しかし建物の前の少し広場になっている場所にも、それらしき人は見当たらない。
建物の前には何やら結婚式の受付の様に、テーブルなんかも置かれている。
しかしその前にいるのは背広姿の男性が数人。
あとは初老の紳士しかいない。鳩すらいない。
慌てるヤジキタ一行。もう一回電話してみよう、とガイドの方に電話してみると、
しっかりと記念会館の前にいると言うのだ。
一体どうしたと言うのだ?
ここはサリーの地元。間違いなどあるはずが無い。
ほら、目の前の看板にだって【横浜開港資料館】って書いて…、

ほよ…?



資料館…?



おい、デカイの。
まさかまた間違えたんぢゃあ、あるまいな?
ここぞとばかりに攻め立てるYAJIKITA一行。
叫ぶサリー!慌てて移動開始のサリー!先導するサリー!
以下取材当時の臨場感のまま、僕がサリーの言動をメモしておいたので、御紹介します。 



サリー「俺、地図で確認したんすよ!あれ、こんなんぢゃない!おかしい。
ちょっと皆さん、ゆっくり歩いてきて下さい。(少し走って戻ってくる)あれなに?
いやあれ関係ない!何だ!?どうした?マジで俺ないな。」
(サリー汗だくだく…)

 

 

今日一度も正解がない、地元民サリー。先導する筈が、道を間違えまくるのであります。
最終的にはリンちゃんに『あだ名を“うすら馬鹿”にしましょう。』と罵倒される始末。
それでも何とか無事にジャックの塔の前に辿りついた我々一行。
【横浜開港記念会館】の前には横浜シティガイドの松田敦子さんがいらっしゃいました。

松田さんはもう数十年も横浜に暮らしているという方。
やはり地元の方にとっては、お役所の建物よりも市民の寄付で建てられたこの記念会館の方が、
何だか愛着はあるようです。
こちらの建物は今でも美しい姿を僕らに見せてくれていますが、
実は税関と同様に関東大震災の時に内部は焼失し、屋根ドーム群も欠落。
昭和に入り復旧工事と共に復活を遂げましたが、当時屋根ドームは復元されませんでした。
占領時代は進駐軍の映画上映館の役割をになったり、やはり文化の中心にあったようです。
その後、時は流れて1985年。創建時の設計図が見つかり、平成元年にドームが復活したのです。

建物の中には見事なステンドグラスがあり、それは見事としか言えません。
大正のモダンを残したこういう建物、石造り建築物マニアの井門にはたまりません(笑)
松田さんは、中の資料展示を紹介しつつ、歴史についても教えてくれました。
赤レンガの開港記念会館は、美しい時計塔としても有名です。ちなみに高さ36m。
街の中心街にありながら、ハマッ子達はこの時計塔の時刻を見て、人生を刻むのです。

ジャックの姿に見蕩れながら、ついに我々はキングの塔へ。


【横浜三塔キング・神奈川県庁本庁舎】




キングの塔


こちらも関東大震災の被害を受け一度倒壊。
建て替えによって新たな息吹が吹き込まれた、横浜を代表する歴史的建造物です。
開港記念会館と同様に設計はコンペで決め、小尾嘉郎氏の案を元に作られました。
よく見るとてっぺんが天守閣の様な作りになっていますが、
この設計方法が昭和初期に流行した【帝冠様式】と言い、ここまでの高さが49mであると。
高さ自体はクイーンよりも低いのですが、何と言いましょうか…。
その存在感とそこにいる安心感は、キングの名に相応しい貫禄を漂わせます。
秋の始まりと、港町・横浜に佇む神奈川県庁本庁舎。
目の前の銀杏並木からは銀杏の実が落ちて、季節特有の匂いが街を包みます。
すると松田さんが本庁舎前のとっておきの場所へと連れてってくれました。
そこは三塔が一度に見渡せる、元祖の場所。
足元には【ジャック・クイーン・キング】の文字が刻まれたプレートがありました。




これが、3塔を示しています


松田「他の場所の方が有名になっちゃったけど、ここは元祖よ。」

三塔を巡り横浜の歴史に触れた我々が辿りついたのは、
三塔を見渡す事の出来る元祖の場所でした。

YAJIKITAロケに、徐々に夜の帳も降りてきて…。
横浜の街は夜を楽しむ大人にとっても、最高のプレイスポットなのであります。
皆さん【桜木町】というエリアは御存知でしょうか?
あの山崎まさよしさんの歌の歌詞にも登場しますね、アレです。明け方の街~桜木町に~って。
その桜木町のすぐ近くに野毛エリアという場所があるのですが、むふふ…。
そう、ここは井門も大好きな飲み屋街なのです!
一日三塔の取材をした我々は、ぶらりと野毛へとやって参りました。
通りを歩いていると、道の両側には軒先に椅子を出して飲んだくれる皆様。
手に手にジョッキと焼き鳥を持って、テーブルの上には煮込みがマスト。
煙草の値上げなどお構いなしに、赤ら顔でプカプカやっております。
でも都心の飲み屋街の様な、何となく危険な香りもしない。
どの店もディープな印象は受けるのですが、決して入りにくそうでも無い。





野毛に着きました




いい感じの飲み屋


サリー「良い感じっすね!これが野毛なんスよ!」

ふ…。もはや今日の負けさ加減など、とうの昔に置いてきた様な表情である。
でも良いのさ、1回目のYAJIKITAロケ、大変だったもんね。
そんな労いの言葉をかけようとした、次の瞬間… 



一同「あー!!!!

 

 

これまで数々の奇跡と出会ってきたYAJIKITA。
訪れたロケ地も、打ち上げで訪れた飲み屋も数えきれない程である。
ところが、この名前だけには出会った事が無かった。
我々はついに、野毛で見つけてしまったのであります。

 



【焼鳥屋やじきた】




「やじきた」発見


ロケ中と言う事もあり、この日は未開拓で終わってしまったのだが、
調べてみると昭和63年から野毛の地で営業を続ける焼鳥屋さんとか。
いずれスタッフを連れて訪れなければなるまい。
こうして新たな目標を生み出すのも、旅の醍醐味なのであります。

野毛の地にはこうしたミラクルも沢山あるけれど、
もうひとつ沢山あるもので外せないのがJAZZ喫茶やJAZZ BARの存在なのだ。
実はこの野毛という街、日本JAZZ BAR発祥の土地というではありませんか!
何でもJAZZ BARを名乗っている店だけでも100軒は下らないとか。
お店でJAZZを流しているだけの店も数えると、この狭いエリアで一体どれくらいになるか?

僕らは兼永陽一郎さんがオーナーを務めるJAZZ BAR【野毛JUNK】へ向かいました。
いかにも良い音楽を聴けそうな風情の小さな入り口から階段を上ると、
そこに広がるのはJAZZ好きの男の夢の城。
黒を基調とした店内は、カウンターとソファ、そしてドラムセット等の楽器達。
兼永さんはそもそもJAZZギタリストで、沢山のJAZZミュージシャンがそうであるように、
この野毛で飲み歩いていた。いつの頃からか想っていた夢、この場所で店が開けたらという想い。
仲間や奥様の後押しもあり、ついに野毛で店を構える様になった。





野毛JUNKに着きました




店内にはグランドピアノ


いつの間にか僕らの目の前にはバーボンの水割り。
バーボンの水割りを傾けながら、兼永さんの話が心地いい。
男の夢の話を心地よく聴いていると、兼永さんが徐にギターを取り出した。
氷の音とギターの音色、いつの間にかカウンターに陣取った早めのお客さんの身体も揺れている。
最後の一音を弾いた後のわずかな静寂と、そこから響く拍手の音。
生の音楽にはいつも少しだけ緊張感がある。
出来上がった音楽よりも少しだけ贅沢な緊張感。
「ここに集まるお客さんはいつも、隠し味の様なこの心地良い緊張感を味わえるのか。」
そんな事を想うと、野毛に集まるミュージシャン達の気持が少しだけ分かる様な気がした。

この店では週に何度もライブが行われる。
そこに集まるミュージシャン達はいつも錚々たる顔ぶれだ。
ところがこの店にはミュージックチャージが無い。
それは兼永さんが純粋に良い音楽を色んな人に聴いて欲しい、という願いからだ。
その兼永さんの想いに応える様に、ここには素晴らしいミュージシャン達が来てくれる。
凄いですねと言うと、はにかみながら兼永さんは言う。

「最高なのは、そのミュージシャン達に呼ばれて、自分も演奏の輪の中に入っていける事。」




雰囲気のあるカウンター




マスター・兼永さん



こうして野毛の夜は更けていく…


僕らは【野毛JUNK】を後にしながら想った。
器の大きな街が横浜なのだなぁ、と。
赤レンガ倉庫・横浜中華街など、誰もが知っている横浜はそれはそれでもちろん魅力的だ。
でもそんな横浜の中にあっても、野毛エリアや横浜三塔などは、
観光では行く機会も少ない場所なんだろう、とも思うのです。
僕らも今回のロケが無ければ、知り合いでもいない限りは行かなかっただろう。
でもそれはこちらが勝手に引いた線であって、
向こう側のエリアには、いつでもこちら側を迎えてくれる器があるのです。

僕はしみじみ思いました。
たまに自分の器を量るために、横浜に行こうと。
そして今度こそ、【やじきた】で呑もうと(笑)