小江戸 栃木市 蔵の街 |旅人:井門宗之

2010-11-05



YAJIKITA旅日記~栃木なう~


「留守番電話サービスセンターに接続します。」
携帯電話の通話口から空しく響いてくるこの言葉。
栃木ロケの日の朝、早朝5時の出来事である。
この日から遡る事3日、水曜日の昼に担当Dである佐々木氏が僕にこう言ったのだ。

 

佐々木「井門P、僕ちょっと起きる自信が無いのでモーニングコールお願いします。」

 

皆さんご記憶だろうか?
佐々木氏(twitter名gorucchi3)は、YAJIKITA初参戦となった三重取材で、
ロケ日に寝坊した男である。また岡山ロケでは現地入りに遅刻した男である。
いや、これも仕方の無い話ではあるのだ。何せ彼は超がつく多忙な男。
1週間でちゃんと寝られる日ってあるの?の質問に「う~ん、無い。」と答えた男だ。
逆に井門はと言うと、この世界に入ってから朝生の担当ばかりで、
必然的に超朝型となる事が多い。“朝は割と強い方”と言っても良いだろう。
もちろん佐々木氏のお願いには、快くOKの返事をした。チームの絆である。
そして、ロケ当日の朝。
前の晩には妻にその事を話し、当日は妻も一緒に起きて仕度を手伝ってくれた。
妻に朝一番に言われた事は「宗之さん、佐々木君に電話しないとね。」である。
もう井門家が一丸となって、佐々木氏へのモーニングコールに必死だったのだ。
ところが…。

 

「留守番電話サービスセンターに接続します。」

 

この音声を聴くのは、この日9回を数えていた。
おかしい。何度かけても繋がらない。
これはまさかの…。
慌ただしく準備を整えながら、作家の久保氏にも電話する。
久保氏は「僕からも電話しておくよ。」と慌てる風でもなく応えてくれた。
それからしばらく、ようやく僕の携帯が鳴った。奴からだ。

 

佐々木「いやぁ、すみません! すげぇ着信あってビックリしました。」
井門「間に合うのかい?」
佐々木「大丈夫です! 井門さんの着信9回で起きなかったのに、

久保さんの着信、1回で目が覚めました。

ははは~。では後ほど~。」

 

妻「宗之さん、どうしたの?」
震える背中から悲壮感でも漂っていたのか、妻にも慰められる井門P。
すると良いタイミングで、久保氏からも佐々木氏が起きた旨のメールが届く。
…知ってるよ…。そして、俺はちょっと切ない気持になったなう…。

 

と言う訳で今回ものっけからやらかしている、YAJIKITAの旅!
ロケには必ず何かがついてくるのがYAJIKITAの良い所(笑)
みなさんも旅に出ましょう! 旅は目的を達成し、新たな夢も生んでくれる。
今回我々が旅の目的地に選んだのは、栃木県栃木市。
県の名前の市でありながら県庁所在地では無い都市が、栃木県栃木市。
しかも実は昔、ちゃんと県庁が栃木市にあったって歴史もある。
この栃木市で、まもなく2年に1度のお祭り「とちぎ秋まつり」が開かれるってんで、
我々YAJIKITAは栃木の面白を探しに旅に出かけた、と言うわけ。
実は作家の久保氏がここ栃木市にゆかりがちょいとあって、今回は久保氏一押しの旅なのです。

 

さて皆さんは栃木県と言えばどこを思い出しますか?
はい、U字工事さんの影響もあって栃木県が随分とフォーカスされる様になりましたが、
それでも出てくる地名は宇都宮や日光、鬼怒川などではないでしょうか?
分かります、分かりますとも、我々も久保氏以外はそうでしたから。
でもね、調べてみると栃木市には色んな面白そうな場所がある事に気付くんです!
例えば最初のKey Wordは…小江戸

 

関東で小江戸と言えば、埼玉県川越市なんかが有名ですね。
蔵の街・川越なんて言う風にも呼ばれますが、実は栃木市もそうなんです!
*ちなみに今年の3月に平成の大合併があり栃木市もまた大きくなりました。
この街には巴波川(うずまがわ)という川が流れています。
この川は江戸の昔、水運の要所として栃木市を豊かにするのに一役も二役も買った。
以前神田川の川下りの回で放送しましたが、川の発達は町の発達に必要不可欠なのです。
栃木市も然りで、この川を使った水運の発達により、
江戸時代、この栃木には無い物は無かった、と言われる程栄えたと言うのです!
さらに水運だけぢゃあ、ございませんで。
道路の面で言っても江戸時代に朝廷から日光東照宮へと派遣された例幣使が通行した、
例幣使街道の宿場町として栄えたってんだから、由緒正しき町と言う事になるのです。

 

おっ、ほらほら~。今ちょっと栃木市を見なおしたでしょ?
YAJIKITA一行もこの小江戸・栃木市を散策しようと、まずは栃木駅に降り立ちました。

 






栃木駅はJRと東武が乗り入れる栃木市の玄関口でもある。
いまでは駅舎も新しくなり、駅前のロータリーも整備され新興住宅街のようだ。
目の前に広がる新しい旅の入り口、栃木の空気を胸いっぱい吸い込んで…、ではなく、
旅をする時のYAJIKITAは大体、駅のコンビニに寄る。
理由は分からない、とにかく寄るのだ。
この時も踏み出す一歩をコンビニに、各々が勝手な買い物を始めた。
さぁ、商品を物色している勝手な仲間達をここで紹介しようか!

 

今回の旅はちょいと思い入れが強い、軍師:久保氏!
ラジオ愛強し! アンテナ大好き、D:佐々木氏!
山と娘と妻が好き! 揚げ物はもっと好き、カメラ:太っちょ慶吾氏!
愛されるよりも、愛したいマ・ジ・で、P:井門!

 

旅の面白さはメンバーで決まります。今回も何て面白そうなメンツ!
何よりも当方、人間性重視(笑)
もちろんそれは技術力、ラジオ愛、企画力など様々な能力の裏付けがあって、ですよ。
取材中舌打ちなぞしようものなら、永久追放です! プンスカ。

 

さて、各々が勝手に買い物を始めていると、久保氏が声を上げる。

 


久保氏「レモン牛乳コーナーだ!

 






駅のコンビニにはレモン牛乳コーナーが!
元々、栃木市の小さな工場で細々と作っていたレモン牛乳だが、
U字工事のおかげで、大手メーカーとのコラボ商品がたくさん登場!
ちなみにメインのレモン牛乳は、冷蔵ケースに入ってるので、この写真には無い!


いまや栃木の名物となった【レモン牛乳】を皆さんは御存知だろうか?
正式名称を【関東・栃木レモン】というこの飲み物。
以前は関東牛乳が作っていた物を、現在は栃木乳業株式会社が製造販売している。
その味は愛され続けて60年という歴史が裏打ちしていよう。
牛乳の四角いパックに、黄・白・緑の色の配置が絶妙なコントラストだ。
「家の冷蔵庫にこれ入ってるよぅ~。」と嬉しそうに話す久保氏。
何やらレモン牛乳を見ているだけで、栃木のDNAが入る人間は童心に帰るらしい。
早速500mlのレモン牛乳を購入。
映像のオープニングは駅の入り口でこれを飲む井門で決まり、と慶吾が言うのだ。
そもそも最近、映像の慶吾は井門Pに“面白さ”しか要求してこない。
正しく何かを伝える、とか正しい映像リアクションを求めてきた試しが無い。
私はいつも慶吾に言うのであります。

 

 

井門「いいか? 俺はそんなに面白くないんだぞ。

 

 

今回だってそうなのだ、カメラを向けられひとしきりつまらない事を喋った後に、
苦しいながらも出てきた言葉が…、

 

「(レモン牛乳を指差し)レモン。(自分を指差し)井門。」

 

お母さん、落ち込む事もあるけれど、私は元気です!
こうして何とかスタッフの笑いを勝ち得た井門P、勢いもついたので出発進行。

 

栃木駅からレンタカー屋さんまでの移動で驚いた事がまず一点。
何も目立った建物が無い駅前に、塾だけがいっぱいなのである。
マンション、居酒屋、交番と駅前にも関わらず、本当に何も無い(失礼)栃木駅前。
しかし、学習塾の看板は4つも5つもある。聞けば栃木の人は教育熱心で真面目な県民性。
駅前にも山本有三の【路傍の石】の碑が建っている。栃木市民はみな崇拝してるとも。

 





そんな何も無い駅前を(失礼)歩いてると、久保氏が「ウチこの辺にあったのよ」、と。
駅近くだからシティボーイをグイグイ強調してくる。眩しいぜ、久保氏。
久保氏の話もそこそこに、レンタカー屋さんで車を借りたら、いよいよ取材地へ!

 

実は栃木という町、駅前はあまり栄えていない。
そこから1キロ程離れた場所が、本格的に栄えているのであります。
車で移動を開始する事10分。
町並みは随分とレトロになってきました。
道の左右には蔵の建物がズラリと並ぶ様になり、電信柱も地中に埋められている為、
町全体が映画のセットの様に美しく、そしてどこかのんびりして見える。
こののんびりした美しい町並を車で移動するのは勿体ない!
YAJIKITA一行は車を降りて、【山手線ぶらり】の要領で栃木の町をぶらりする事にしました。
そしてここで心強い助っ人の登場なのであります!

 

ピンクの服が鮮やかな、照ちゃんこと清田照子さん!
照ちゃんは栃木市観光ボランティアの会・会長さん。
初対面で照ちゃんなんて呼んでは失礼なのだが、でも何故か呼びたくなる親近感を持っている。
この親近感は大切ですね! だからか、照ちゃんのガイドはす~っと心に入るのです。
今回の取材はこの照ちゃんの先導の元、栃木の町を堪能する事になりました!
流石は照ちゃん! ガイドさんのある意味神器、ガイド旗を振り振り歩きます。

 

照「最近は栃木市も観光に力を入れる様になったんですよ。」
井「何か変化はあったのですか?」
照「栃木の人は観光客だと認めると、決して車の邪魔になってもクラクション鳴らさないの。」

 

東京ならいつもどこかで鳴っているクラクション。
そう言えば子供の頃、米国のドラマも映画も、画面からクラクションが鳴っていた。
それが米国だと思っていたら、何の、東京も今は変わらない。
ふとした事を思い出した。東京の人間もアメリカ並に我慢の効かない人種になったのか。
話が逸れてしまいましたが、ここ栃木では地元の人が観光客にとても親切なのです。
確かに信号の無い横断歩道を渡る時も、車の方から止まってくれたし、
途中で照ちゃんが僕らに「この橋は何と読むでしょう?」クイズを出した時も、
通りがかりのお婆ちゃんが「そりゃ○○橋って読むのさね。」と、
考えてる間に答えてくれたし(笑)
何せ人がゆるやかに温かいのだ。何とも居心地が良い。
町の速度に慣れない東京人の我々は、地元の人に最初ぎこちなく見えただろう。
それでも照ちゃんのガイドのお蔭で、徐々に町の速度を自分たちの物にしていった。

 




街の至る所に蔵や歴史ある建物が!






自動販売機も蔵バージョン!


僕らは照ちゃんの案内の元、まずは栃木市のメインストリートでもある蔵の街大通りに来た!
ここをぶらぶらしながら照ちゃんの話を聞いていると、
何とこの栃木市には美術的な価値のある蔵が400も残っていると言うではありませんか?
そりゃあ失礼しました! 立派な小江戸でございます。
そして面白いなぁ、と思ったのは道の両側にある建物の造り。
ここは例幣使街道とも言われている…なんて話は前述の通りなのですが、
例幣使っちゅうと朝廷の使者でございますな。要は無礼があっちゃイカン。
せっかく京都側から東照宮に来られる時に、軒を連ねる店の庇から滴る雨などで、
衣服を汚しては失礼に当たる…と、建物の庇が物凄く短く作られていたりするのです。
また街道に対して垂直に店を向けるのでは無く、少し斜めを向いて建てている。
これもわずかのスペースに荷が置ける様に、という工夫だったりするのです。
そう、ここは江戸時代から商人町として栄えた経済の中心地。
蔵が多いのはそう言う理由がちゃんとあるんですね。
今も残る多くの蔵の造りは、街道に面して正面から店蔵⇒住まい⇒倉庫蔵。
昔ながらの商いをされてるお店も本当に多いんですよ。
観光の為にあるのではなく、昔からそこで「生きた経済活動」をしている蔵。
だからこの街は人も街の雰囲気も、常に自然体な気がするのです。
「お、取材にきたのか? まぁ、大した物は無いけど、見てってくれよ。」
決して気取らずに、そんな事をどこの蔵も言ってくれている気がするんです。

 

井「照ちゃん、あそこは何屋さんですか?」
照「あぁ、あそこは五十畑(いかはた)荒物店ですよ。歴史も古いですよ~!」

 









目の前には軒先から店内まで、沢山の商品で溢れた【五十畑荒物店】さん。
何となく懐かしい匂いがしてくるのは、扱う商品のほとんどが木や藁など、
自然の素材をそのまま活かして加工した物ばかりだからだろうか?
大きな竹ぼうきが立て掛けてある、熊手が置いてある。
ご挨拶をして中に入ると、とても元気な御歳82歳の御主人がお話を聞かせてくれた。

 

御主人の名前は【五十畑恒夫】さん。
ずっとこの栃木市で暮らしている五十畑さんは、
この街が少しずつ変貌してきた事を複雑に考えている様子だ。
それでも代々の商売を続ける御近所さんがまだ沢山いる事も、
ここで商いを続けていける勇気の源になっているのだろう。
観光客も多く訪れる様で、余談だが僕らが色んな取材を終えた数時間後。
再び五十畑さんのお店の前を通ると、数組の観光客がお店で談笑していたのであります。

 





これが"鬼おろし"!




五十畑さんご一家と一緒に!


観光客を惹き付けるお店の外観は、いかにも歴史がありそうな佇まい。
聞けば商売は大正12年から、建物自体は明治20年代からあるそう。
【鬼おろし】という“大根おろし”が主力選手と言うのだが、
この【鬼おろし】、物凄く目の粗い大根おろしなのです。網戸みたい…いやもっとか。
一体どんな料理にこの【鬼おろし】を使うのか? と言うと、
これも栃木名物の栄養食【しもつかれ】と言う料理なのだそうだ。
節分の時期に作ると言うこの郷土料理。
節分の時に使った大豆、鮭の頭、油揚げなどを刻んで、酒粕で煮込む料理。
しかしこれ、ただ煮込むだけでは無い! この【鬼おろし】で大根を大量におろして、
一緒に煮込む! それこそ跡形も無くなるくらいに煮込む! 栄養食なのです。
大根おろしが肝となるので、この料理には【鬼おろし】が欠かせない、と言うわけ。

 

幼い頃に栃木で過ごした久保氏曰く、
「婆ちゃんがこれを大量に作るんだけど、匂いがまぁ、凄いのよ。」
何でも煮込み始めるとその匂いが近所にも強烈に届くそうで、
栃木から引っ越した埼玉の団地で【しもつかれ】を作ると、
1階から5階まで、くまなくこの匂いに包まれるそうな。
郷土料理の為の調理器具。【鬼おろし】が栃木特産なのはこういった理由があるのだ…。
だけど皆さんにもありませんか?
子供の頃は苦手だったのに、大人になってから好きになった食べ物。
そしてそんな思い出がある人を、僕はとても好きなのです。

 








栃木市には巴波川(うずまがわ)と言う、街の歴史と切っても切れない場所がある。
この川のお蔭で街は栄え、栃木に無い物無し! とまで言わせたのだ。
もちろん今でも栃木の人々にとって、なくてはならない場所。
しかしその昔はその流れの早さから「うずまき川」なんて言われてたとか。
川の流れは確かに今でも早いのだが、何とも澄んだ美しい川なのであります。
遊歩道から眺めると、沢山の鯉の中に美しい錦鯉も1匹。

 

照「あっ、錦鯉は珍しいんですよ! 井門さんラッキ!」

 

照ちゃんの言う事が一つ一つ可愛らしい(笑)
例えば、澄んだ川底をゆ~らゆら揺れる水草がある。
何本もの水草が連なり、川の流れに身を委ねながら揺れる様は、神秘的でさえあるのです。
そんな水草を眺めているとふと照ちゃん。

 

照「ここは鯉の町、恋の町・栃木。あれをただの水草と呼ぶのは無粋ですよね。
だから私が勝手に名前を付けちゃったの。
ここは恋の町。あれは乙女の黒髪よ。」

 

照ちゃんのロマンチックは止まらない。
幸来橋と言う橋がある。
「幸せ」が「来る」橋とは何とも縁起の良い名前ではないですか?
ここでは「幸来橋の中心で愛を叫ぶ」と言うイベントが行われたのだ!
恋人にでも、家族にでも、旦那さま、奥さまと、とにかく愛を伝えたい人へ叫ぶ。
とにかく愛を叫ぶイベントがこの橋の上で行われた。
夜になると橋の欄干に巻きつけられたイルミネーションが灯され、
まるで照ちゃんの様にロマンチックが止まらなくなる幸来橋。

 

照「“私とず~っと連れ添っていてくれて有難う~!”ってね、
私と歳の変わらない奥さまが叫ぶのよ。何だかキュンとしちゃった…。」

 

遠くを眺めながら呟く照ちゃん。
きっと頭の中では旦那さまの笑顔が浮かんでいるんだろう。
誰かの幸せを願いながら渡るのが、この幸来橋。
そして愛する誰かへの愛を叫ぶのが、この幸来橋。

 

本編では使わなかったけれど、ちゃんと僕もリスナーさんに叫びましたよ!
ありがとう~って。そしたらYAJIKITAスタッフがゴネる訳です。

 

慶吾「おい井門P、俺達への感謝は無いのかよ。」
井「もちろん、海よりも深く、山よりも高い感謝の気持ちを持っているよ。」
慶吾「叫びなさいよ。」


形にするのは照れ臭かったのですが、私、声を限りに叫びました。

 





橋の上で叫ぶも…


井「いつも有難う~! わがままばっかり言ってごめんね~!」
慶吾「(小さい声で)本当だよ…。チッ…。」

 

井「あんたも叫びなさいよ。」
慶吾「嫌だよ、俺なんか叫んだってどうせ使わないんだろう?」
佐々木「使わないよ。でも叫びなさいよ。」
久保「叫びなさいよ。」

 

慶吾、機材を肩から下ろし、渋々と川に向かって叫ぶ。

 

慶吾「○○(愛娘の名前)~! 愛してまちゅよ~!!

 

井&スタッフ&照「ぷぷぷ(苦笑)」
慶吾の叫びもそこそこに、我々は巴波川をのんびり楽しむ事が出来るという、
遊覧船に乗ってみる事にしました。

 





こちらの遊覧船は数年前から始まったようで、
船頭さんのガイドで川と栃木の繋がりを聴きながら、のんびり楽しむ事が出来ます。
遊覧船って言っても大きなものぢゃないんですよ。
その昔、物資を運ぶ為の船だったという都賀船のサイズ。
数人が乗ればもう一杯になるという木船でございます。
僕らを案内してくれた船頭さんは、蔵の街遊覧船船頭の村上登さん。
奥さんの後押しもあり、数年前から船頭をしている愛妻家であります。
もうガイドが真面目で素敵! 出発する前に何やら儀式がありまして…。
以下村上さんがその時喋ったママ、臨場感をお楽しみ下さい。

 

村上「遊覧船出発に際して、恒例の行事をやっております。
私船頭が“出発するぞ~”って声かけますので
お客様、右手を高く上げて“おー!”って元気よくいきたいと思いますんで、
ひとつご唱和をお願い致します。はい、それではいかさせて戴きます。
出発するぞ~!!



全員「お~!!!

 










ゆるやかに遊覧船が進む中、村上さんが色んな話をしてくれます。
この巴波川、昭和30年代に水が汚れた時期があったそうだ。
そこで町の人々が話し合い、昭和38年頃から通産8万匹の鯉を放したそうだ。
それにより、徐々に川の水は綺麗になったのだが、鯉ヘルペスの流行により、
色の付いた鯉はほとんどいなくなったと言うのです。
だからこそ、錦鯉をこの川で見かけた人はラッキーなんでしょうね。
*色の付いていない黒い鯉は、それこそ物凄い数でいます。念の為。

 

しばらくすると村上さん、地元のお菓子屋さんの御主人に呼ばれた。
川岸の手すりから川を見下ろす格好でこちらを見てる御主人。
手には鯉にやる“ふ菓子”を持っている。なんちゅーか、うまい棒のBIGサイズ版。
その御主人が手にもったスコップみたいな物で、その手すりをカンカンと叩き始めた。

すると…何と言う事でしょう
次々にその御主人のいる下に、わらわらと鯉が集まってくるではないですか!?
それは最早鯉のうねり。
ドレッドヘアの様に水面が波打っている。
そこに次々と投入される“ふ菓子”。

 

ぽーい。(放り込む御主人)
ざばんっ! ざばざばんっ! ざばんっ!(うねりをあげる鯉の群れ)

 







凄い数の腹を空かせた鯉達がうねりをあげて菓子を食っている…。
それはまるでパニック映画の様だ。
お・面白そう…。

 

実は遊覧船に乗る前、久保氏が井門P用に鯉のエサを買っておいてくれた。
手渡されたそれは、まるで猫のドライフードの様。
ワクワクしながらそれを開け、川のうねりの中へ!

 





エサを投げるも…


ぽーい。(放り込む井門P)
シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

 

うっ…。負けるか、もう一回だ!
ぽーい。(放り込む井門P)
シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

 

こう、何て言うかイメージではお殿様の気分でさ、
「おうおう、今日も儂の鯉達は元気であるのぅ。」とか言いたかったのにさ。
ここの鯉ども、俺の投げたエサには見向きもしねぇ

 





村上さん、ありがとうございました!




項垂れながら遊覧船を後にした井門P。
照ちゃんのガイドに癒されながら、…と思ったら照ちゃんとはここでお別れ。
その昔県庁があった、県庁堀へと向かいました。
ここには、栃木市役所の別館だった建物があって、
現在は教育委員会の事務所になっています。
エメラルドグリーンの建物が本当に美しい。

 







建物のお話しも印象的だったんですけど、
ここで最後に照ちゃんから貰ったプレゼントが凄く素敵で。
建物の前に大きな葉っぱをつけた木がニョキっと生えていたのですが、
照ちゃんが「ちょっとその木の葉っぱを1枚取ってみて!」と言うのです。
何だろう? と思いながら1枚失敬。

 

照「井門さん、ハガキって何で葉っぱに書くって言うか分かりますか?」

 

照ちゃんクイズが突然始まったが、答えがわかりません。
むむぅ…と首をひねっていると、照ちゃんは葉っぱを指差します。

 

照「これがハガキの葉っぱなの。尖った物でこの葉っぱに字をなぞってみて!」

 





葉書の木とも言われる多羅葉(たらよう)
葉の裏に字を書くことができる




日付を力強く、ゆっくりとなぞると…。
凄い! 何と文字が浮かびあがってくるではありませんか!?
何て素敵なプレゼントでしょうか。最後に思わず笑顔になるプレゼント。
照ちゃんはこの道20年以上のベテラン。
年配の観光客が照ちゃんに「ウチの子供の嫁に来ねぇか?」と言ってくる事もしばしば。
僕らが栃木の街を、より一層楽しむ事が出来たのは照ちゃんのお蔭です。
栃木市を観光で回る時は、ぜひ照ちゃんと一緒に(笑)!!

 





照ちゃん、最高~っ!!




照ちゃんと分かれた後は、【とちぎ秋まつり】の主役・山車を見学に!
栃木市には【とちぎ山車会館】がありまして、大きな山車が展示してあるのです。
蔵の街並みの中に、コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物。
入り口が見上げてしまうほど高いのは、この会館の中に山車がしまってあるから。
秋まつりの主役達は、ここからサンダーバードの様に出発進行なのですね。
ここで、とちぎの山車祭り伝承会:石本俊光さんのお話を伺います。
もうね、石本さん、祭り好きなオーラが体中からビンビン出てます(笑)

 







【とちぎ秋まつり】は伝統あるお祭り。
その成り立ちが凄いなぁと思ったのですが、もともと栃木にあった祭りぢゃないんですね。
明治時代に地元の旦那衆が「この街にも全体を盛り上げるお祭りが必要なんぢゃないか?」
そんな事をふと思い立ち、巴波川から江戸まで船で行ったわけです。
ちょうどその頃、江戸も景気が良く無くって、お祭りで使っていた山車を売りに出していた。
それを聴いた旦那衆が「よし! 山車を買え~! 栃木に持って帰れ~!」ってなもんで、
何台も買って帰らせた。そして地元でその山車を使ったお祭りを作り上げたと。
日本のお祭りって、大体が神様へ捧げる性質の物が多い。
そんな中、とちぎの山車祭りは地元を盛り上げる為に、人の為に人が作り上げた物。
今で言う所のロックフェスと言った方が近いのかもしれません。

 










石本さんと一緒に!




石本さんのご案内で中に入ると、まず山車祭りのあれこれを教えてくれる、
大きなスクリーンが備えられたシアターがあります。
映像もそうなんですが、何よりもここに実際に祭りで使われる山車が!
静御前、桃太郎、日本武尊の山車が僕らを迎えてくれました。
これが大きいのなんの! 聞くと、山車の高さは3階建のビルの高さほど。
これを50人くらいで引いたり押したりするのだそうです。
山車自体は9台あり、それぞれの山車は各町内の持ち物となるわけです。
中の展示スペースには天照大御神の人形がどーんと展示されているわけですが、
これがまた2m以上の大きさで大迫力! これが山車のベースの上に乗るわけですから。
いやぁ…街の人達が心待ちにしているのが何となく分かります。
2年に1度のお祭りで、今年(2010年)は、11月13日・14日に開催。
今年を逃すと、次回の開催は再来年。
でもこのお祭りの名前は覚えておいて下さい! 参加するときっと、大興奮だと思いますよ!

 

そして栃木の最後は御当地B級グルメの【栃木やきそば】を!
【栃木やきそば】の特徴は蒸かしたジャガイモがゴロンゴロンと入っている所です。
これが焼きそばの甘辛いソースとよく絡み合い、食べ応えも十分!
栃木市はここ最近のB級グルメの盛り上がりで、
【栃木やきそば】にも随分とスポットライトが当たっているのです。
栃木市の中には沢山の【栃木やきそば】を食べさせてくれるお店がありますが、
そもそも【栃木やきそば】はその発祥が駄菓子屋さんとも言われてます。
作家の久保氏も子供の頃は駄菓子屋で食べるのが楽しみだったとか、
なんか一人でノスタルジーに浸っています。
となるとYAJIKITAも駄菓子屋さんで【栃木やきそば】を食べたい!
向かった先は駄菓子と焼きそばともんじゃの店【こうしんの店】!
店先に焼きそばを作る小さなブースがあり、
その中からは女将さんが焼く焼きそばの香ばしい匂いが漂ってきます。
覗きこむとその鉄板も長く使った物にしか出せない、鈍い輝きを放っています。
こんなので焼いたら美味しく無いわけないぢゃないか!!

 








女将さんの名前は椎名克江さん。
もう30年以上焼きそばをこの場所で焼き続けています。
【栃木やきそば】を注文すると、もうその手つきが鮮やかの一言。
菜箸とヘラを使って見事に麺と具材を混ぜ合わせていく。
途中でスープを足すと、またジャガイモが焼ける香ばしい匂い。
そこにソースを投入すると鉄板いっぱいにソースが広がり、
ぐらぐらとソースが煮えてさらに良い匂い。もうお腹が鳴り止みません。
出来上がった焼きそばに青のりを散らし、紅ショウガを添えたら出来上がり。
何でしょう、麺がソースを纏ってツヤツヤ。
まるでお風呂上りみたいに【栃木やきそば】が僕らを迎えてくれた。

 





ジャガイモがゴロゴロと入った"栃木やきそば"完成!




椎名さん、ごちそうさまでした!


これをズルズル~ッと口に運ぶと…至福!!
これは栃木市に行ってまで食べる価値、ありありですよ~!!

 

 

栃木は何て居心地が良いんでしょう。
街の人達の優しさ、懐の深さ、大きさ。
そしてこの街は東京から来ると、少し懐かしい気持ちにもさせてくれるのです。
僕らがエンディングを収録していると、子供達が目の前にいーっぱい集まってきました。

 





公園で子供たちに囲まれるの巻!




ミニラ達「何々? カメラ? 凄い! NHK?」
慶吾「ちがうよ~、インターネットだよ~! インターネットって知ってる?」
ミニラ達「(一斉に)知ってる~!!」
佐々木氏「これはね、ラジオの収録なんだよ~。FMって分かる?」
ミニラ達「あっ、俺、知ってる~!」
佐々木氏「レディオベリーって分かるかな?」
ミニラ達「お、俺、知ってるもんね~!」
慶吾・佐々木「このモヒカンのおじさんね、レモンさんって言うんだよぉ。」
ミニラ達「へえ~、変なの!」
慶吾・佐々木「“せ~のっ!”って言ったら【レモンむねゆき~】って言ってみようか!」
ミニラ達「わかった~!」
慶吾・佐々木「せ~のっ!」

 

ミニラ達「レモン・むねゆき~!!

 

僕はまた栃木に行こうと思うのです。
僕の事をレモンむねゆきと呼ぶ、あの子達に会いに。