山手線一周ぶらり旅 原宿~代々木編 |旅人:井門宗之

2010-12-10

人生はぶらり旅である。
わたくし井門も日本全国様々な土地を旅してきた。
だから尚更この都内【山手線ぶらり】の旅に関しては、
東京のローカルにスポットを当てて『我々の知らなかった東京の姿』をお伝えしたいのです。
そんな事を【第一回目の山手線ぶらり旅】の旅日記でも書きました。
あれから1年、この【ぶらりシリーズ】も目標通りには進んでいないものの、
当初のコンセプトからはブレずにローカルな東京情報をお伝え出来てると思っております。
PとしてYAJIKITA ON THE ROADに携わるようになって、
ますます緊張感を持って番組に臨んでいるのでありますっ!!
スタッフの皆もそうだよね?
慶吾もそうでしょ? 今日の【ぶらり】も準備万端だよね?

 

サリー「井門さん、すみません。慶吾さんドトール行っちゃいました。」 

 


久保「そうだよ、井門が遅刻してくるから。まったく。」

 

 

ははは。秋の原宿って人は多いんだけど、何だか物悲しく感じるなぁ…。
随分空気が乾燥してる気がするんだけど、それは心も乾燥しているからなのかなぁ…。

 

通りの向こうから巨体を揺らしながら慶吾が歩いてくる。
どうやら遅刻した井門を待つのが嫌で、ドトールで腹ごしらえでもしようとしたらしい。
そうは言ってもチームYAJIKITA、スタッフの緊張感はビシっと…

 

 

慶吾「あっ、風防忘れたイヤホンも。」

 

 

忘れ過ぎである…。

 

 

スタッフ全員「そういえば、プラハ土産は?

 

 

アドバンテージを利用して、一斉にお土産をせびるYAJIKITAスタッフ。
ちょうどこのロケの前週に井門Pは仕事でプラハに行っていたのだ。
どうやらそれがスタッフの反感を大いに買っているらしい…。
旅の始まりからLv33の伝家の宝刀【笑って誤魔化す】を使用し、
今日も秋晴れの空の下、元気に【山手線ぶらり】のスタートであります(苦笑)



JR原宿駅竹下口



竹下通りはいつも込んでいるなぁ~





前回のゴールがJR原宿駅の竹下口だったので、今回もここからスタート!
あくまでも【ぶらり旅】の主旨は駅の紹介ではなく、駅と駅とを繋ぐ物語を紡ぐ事。
山手線が開通してからというもの、この路線の駅間には沢山の人々の生活があり続けている。
人が暮らし、営みが生まれる事によって、そこには必ず物語も生まれるのだ。
その物語を探し、紡いで行くのが、まさに【ぶらり旅】の目的。
この日も気合い充分のD:サリーは、大型スクリーンの音が大きいのを嫌い、
すぐ隣の揚げたてドーナツ屋前へ移動を開始する。マイクを持った190cmオーバーのサリー。
ただでさえイケメンで目立つのに、この日は更に輪をかけて目立つ男達の勢揃いだ…。
作家の久保氏は、秋の陽射しに輝きを放っている。金髪だからだ。
カメラの慶吾氏はいつもより大きい。モコモコのダウンで更にコーティングしているからだ。
モヒカンの喋り手は無駄に声がデカく、そしてやたらとその声が通る。

 

この【YAJIKITA男塾】のメンバーが、乙女の歓声に沸くドーナツショップ前で、
なんとオープニングトークを収録しようと言うのである…。

 

井門「YAJIKIT ON THE ROADをお聴きの皆さん、スタジオの美香さん!」

 

本人やスタッフはいたって軽快にオープニングを収録しているつもりであります。
しかし原宿を行く乙女達は、奇異な目で我々を見ている。いや見て見ぬフリをしている。

 

井門「今日も元気にぶらりしていきま~す♪」

 

あくまでも軽快に、どこまでも朗らかに。そう、この青空みたいな…。
うん? あれ? おかしいな。乙女達の眉間に、皺が寄ってる…。
あっ、外国人がこっちを見て笑ってる…。
ほう、赤ん坊が泣いてるぞぅ…。
おや、お巡りさんも気にしてる…。

 

…と言うわけで僕らは心に若干の傷を負いながら、最初の目的地に移動したのです(苦笑)

 

 

ここで早速「謎」の登場なのですが、原宿駅にある【謎の3番線ホーム】、
この存在はどのくらいの方が御存知でしょうか?
いや、原宿駅ってホームが島式になっているので、
基本的には内回り(1番線)と外回り(2番線)のホームだけが稼働しているんですよ。
ぢゃあ一体ぜんたい【謎の3番線ホーム】とは何か? って言うと、
実はここ明治神宮の初詣客で賑わう大晦日~正月にかけて開く超限定ホームなんです。
なんせ参詣客が多い明治神宮の混雑緩和のため、時間限定でこのホームが開かれるというわけ。
この臨時ホーム、もちろん臨時の改札口も作られるというのだが…。
久保氏は何やら不敵な笑みを見せている。

 

久保「大晦日の深夜からここは、カップルの怒号が飛び交うんだよ(邪笑)」




これが臨時の3番線ホーム
屋根も無ければこっちのホームに渡る
跨線橋も無い




お正月に向けて臨時の改札口が工事中!
…という事は今度のお正月はついに
自動改札機導入か!?






僕も初めて知ったのですが、何せ臨時のホームなので通常の表参道口と竹下口から、
この時ばかりは外回り線列車に乗れないそうなんです。
また臨時改札口は有人式なので混雑の中で「ICカード用改札機はどこ~!?」と、
着物姿の乙女達は泣き叫び、新年早々男達はそんな女子達にしどろもどろになるのだ(嘘)
ただ逆に考えるとこのホームを上手に使えば、
わざわざ何時間もかけて参道に並ぶこともなくなりますし、
その分時間を有効に使う事が出来るわけなのです。
ちなみに皆さん明治神宮へは「原宿駅から」と思う方が多いかもしれませんが、
他にも小田急線の「参宮橋駅」からならもっと早く到着する事が出来るんです。
立ち止まる事もあまりなく、何時間もかけてお参りしなくて済みますよぅ。

 

 

さて皆さん、実は都内最古の木造駅舎がこのJR原宿駅の駅舎だって御存知でしたか?
知らずに原宿駅をスルーしていた方、今度来る時はその造りもしっかりと見てみて下さい!
1924年(大正13年)に建設されたこの駅舎は、駅舎の上に塔も建つ堂々とした構え。
今となっては目の前の歩道橋から見下ろせるぐらいの高さではありますが、
大正時代は恐らくこの一体のランドマークであった事は間違い無いでしょう。
ここで思い出すのは以前竹下通りを取材した時にお会いした、商店会長新井さん(当時)の言葉。

 

「この辺りはほとんど空襲で焼けちゃったんですよ。」




都内最古の木造駅舎 ちなみに後ろのタワーはDoCoMo本社ビル





空襲があったのは昭和20年頃。
しかしこの原宿駅の駅舎が空襲後に建て替えられたという歴史は無い。
お隣の明治神宮だってその社殿のほとんどが空襲で焼失したというのに…。
久保さんや、この駅舎は空爆されなかったって言う事なのかい?

 

 

久保「いや、爆撃されたんだよ。でもね、爆弾全部が不発だったんだって!」

 

 

一行唖然。
そんな奇跡的な事が起きるのでしょうか。
空爆されたにも関わらず、爆弾全弾不発。
どうでしょう、皆さんの中で「仕事的に“当たらない”のを吉とする」方がいらっしゃったら、
明治神宮のお参りがてら原宿駅の駅舎の御利益も戴いてみては?

 

 

原宿駅の知られざるエピソードを探ったあと、我々は代々木駅方面へ!

 

 

 

久保「せっかくだからさ、代々木公園に入ろうよ。」
キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━ !!!!!

 

 

ついにここで登場、久保氏の「ぶらり寄り道シリーズ」公園編(笑)
【山手線ぶらり】の歴史の中ではこの久保氏の発案により、
ある時はレインボーブリッジを渡りお台場へ!
またある時は何故か京急線の駅をぶらり旅し…。
ただ寄り道をしたお陰で、さらに本来取材する駅間の物語に深みが増したし、
そもそもこの代々木公園って僕もちゃんと探索した事がない。何せデカい。
そこで我々はこの機会に正式名称「都立代々木公園」を散策してみる事にしたのです!

 




















この代々木公園は「放射23号(井の頭通り)」という道路を挟んで森林公園側(北側)A地区と、
陸上競技場・野外ステージのある広場(南側)B地区に分かれています。
CCレモンホールやNHKホール、SHIBUYA AX等のホールが集まる方に近いのが、B地区。
広大な広場を有するのがA地区といった感じです。
YAJIKITA一行はスタート地点の原宿駅から近い【原宿門】から入っていきました。
もうね、360度見渡す限りの緑なのです。原宿ですよ、都会のど真ん中ですよ!
この自然を満喫する為に、この日も色んな所から大勢の人が集まっていました。

 

「サンバあります。」という看板と共にサンバを踊る人々。
「無料体験。催眠術」という看板と共にいる、見るからに怪しげな人々。
*催眠術や宗教等の勧誘行為、及び活動は公園内では禁止されています。
自分達のBAND名をボードに書いて演奏する若者や、
ダンスをビデオに撮ってPCにアップする集団、いかにも怪しい撮影…etc.
休日の代々木公園はまさに自由を謳歌する人々で溢れている。

 

井門「サリー、こういった雰囲気も録っておきなさいよ。」
サリー「まじっすか!? 回しっぱなしですか?」
久保「当たり前でしょう?」
慶吾「予定調和からは何も生まれないのだよ、サリー。」
*今回のYAJIKITAでは、サリーが最年少。

 

そうなのだ【ぶらり旅】の基本は<取材先に到着してインタビュー>ではなく、
<予定をあまり決めずに面白い部分を使用>という形のロケ。
【山手線ぶらり旅】初参戦のサリーは、その事に戸惑いを見せつつも機材を回していた。

 

代々木公園の広さは東京23区内の公園の中でも4番目の広さに当たる。
東京ドーム換算でいくと、なんと11個分もあるのだ。
この土地の歴史は、1909年に当時の陸軍省が練兵場として買い上げた所から始まる。
1945年の敗戦後にはアメリカ軍に接収され、米軍の宿舎:ワシントンハイツが誕生。
1964年の東京五輪で一部が選手村として使用された後、1967年に公園として開園した。
園内にはおよそ1万の高木を有し、春には桜の花見客が、秋には紅葉を楽しむ人々が集まる。
代々木公園のパンフレットには大きくこう記されているのだ。

 

 

―都心で一番広い空が見られる森林公園―

 


我々はこの公園を更に楽しむべく、サービスセンター長:髙木康司さんにお話を伺った。

 

井門「髙木さん、公園内でオススメの場所を教えて下さい!」
髙木「じゃあ、順々に回っていきましょうか!」

 

軽快な足取りで進んでいく髙木さん。その動きに迷いは全くない。
髙木さんは様々な場所へと僕らを誘ってくれた。
中央広場近くにあるのは、都立公園で最大のドッグランだ。
超小型・小型、中型、大型など仕切りで分けて、各々の犬が運動を楽しんでいる。
ただしこのドッグランで犬を遊ばせるには色んな決まり事もある。
「狂犬病予防注射と畜犬登録がお済でない場合は、ドッグランのご利用はできません。
ドッグランのご利用には、代々木公園サービスセンターでの登録が必要となります。」
HPの抜粋だが、他にも様々な規約があるので利用される方はご注意戴きたい。
基本的にドッグラン以外の場所も犬の散歩はOKなのだが、公園内には小さな子供達も多いので、
飼い主の方は必ずリードを付けての犬の散歩が決められている。
もちろん人間の方にも注意はあって、例えば硬球でのキャッチボールは厳禁ですし、
ゴミの持ち帰りも徹底してお願いしていると言う。全ては公共のルールなのです。

 

 

公共のルールの中で楽しんでいるものと言えばもう一つ、サイクリングセンター!!
代々木公園内には広いサイクリングコースがあって、
乗る自転車も大人用・子供用・タンデムの3種類からレンタルが可能だ!
大体200円くらいが最初の上限になるので、かなりお得なのです。
歴史を紐解くと、今までのYAJIKITAロケでも様々な乗り物に乗ってきた井門P。
ここまで来たら、これはもう未体験の【タンデム】自転車に乗るしかない!!
相棒はDのサリー。普段はバイクでぶいぶい言わせている彼にハンドルを委ね…ない、
「そりゃ井門Pが前でサリーが後ろでしょ。」と言う流れに当然なり、いざ出発…と。
しかしこのタンデムってぇ奴ぁ、なかなか難しいのね~。
後ろのハンドルは形だけで操作は出来ない。となるとハンドルは井門に委ねられる。
しかもサリーの方は、録音機材を片手で回しながらのライドオン。
整理するとハンドル操作は井門P、ペダルを漕ぐのは二人の共同作業になるのだ!
ただこういう運転は最初の滑り出しがうまく行けば、後は意外にスムーズに行く。
我々も最初はハンドルが覚束無かったものの、次第に運転に慣れて来た。

 

 

 

(井門心の声)「…よし、漕いでるふりしてサリーに漕がせちゃえ…。」















秋の代々木公園、サイクリングロードは家族連れでいっぱいである。
道路を埋め尽くす様な鮮やかな黄色の銀杏の落ち葉。
陽射しも適度に温かく、漕ぐ(ふりだけど)度に身体を抜ける風が心地いい。ふぅ、楽ちん。

 

 

サリー「ちょいちょいちょいっ! 井門さん漕いでます?」

 

 

井門「ほよ?」

 

サリー「出た、漕いでないよこの人。ちゃんと漕いで下さいよ~。」

 

井門「サリー、見てごらんなさいよ。秋の公園だよ。気持ちがいいね。」

 

サリー「そういうの、いらないですから。」

 

井門「さぁ、代々木公園のサイクリングロードを、タンデム自転車に跨り進む我々。
車輪が踏みしめるイチョウの落ち葉は、黄金の絨毯となっております。
去りゆく季節へのはなむけの様な美しさの、何と鮮やかな事でしょう!」

 

サリー「………。」

 

井門「こういうレポーターっぽい事も言えるんだよぅ。」

 

サリー「だからそういうの、いらないって言ってるでしょ。とにかく漕いで下さいよ。」

 

 

タンデムサイクリングを終え、元の地点に戻ると慶吾がカメラを構えて映している。
満面の笑みで爽快感を語る井門のバックには、恐らく疲れ果てたサリーの顔。
ひらりと降りて、今度は慶吾と久保氏にタンデムを薦めてみる我々。

 

井門&サリー「面白いから乗るだけ乗ってごらん。」

 

慶吾「え~、別に良いよ。」

 

久保「何でおれと慶吾が乗らなくちゃいけないのよ?」

 

井門&サリー「こんな経験出来ないから、乗るだけ乗っといで!」

 

慶吾&久保「(渋々)ぢゃあ、グルってしてくる。」

 

10分後…。

 

遠くから慶吾&久保氏の笑い声。

 

 

二人「うわぁ~、楽しい~っ!

 

 

栃木で切れ痔に悩まされ、あの屈託の無い笑顔を失った慶吾には見えない。
久保氏ともども満面の笑みで帰ってきた。
我々に預けたカメラで撮影していなかった事にクレームまで付ける始末(苦笑)
でも恐らく公園の一番の定義である<純粋な心で自然と戯れる>はかなり体感出来た。

 

続いては昭和46年に出来た、都市公園初のバードサンクチュアリへ。
読んで字の如く「鳥の楽園」。公園の端にあるこの場所は、明治神宮の森と隣接している為、
常に数多くの鳥が生息する都心では珍しい場所とも言えるだろう。
ただ目の前の池はカラスの楽園(笑) カラスが多い事も都市型公園の特徴だろう。













ところでバードサンクチュアリから離れた時、サリーがこんな事を言い始めた。

 

サリー「明治神宮の森の土って東京で一番いい土なんですよね。落ち葉とかをそのままにしてるから。」

 

井門「何でさっきその話しなかったの? そういう話題活かしなさいよ。」

 

サリー「いやこれクロ●スで使ったんで…。」

 

久保「いや、ヤジキタでも使いなさいよ。」

 

サリー「いやいやいやいや、マズイでしょ。」

 

慶吾「このネタはクロノ●でも使いましたけど、って言いなさいよ。」

 

サリー「いや、何かもう色々おかしな事になってますから。」

 

そんなやり取りをしながら、YAJIKITA一行はグイグイと公園内を進んでいく。
未だに1棟だけ遺してある【オリンピック記念宿舎】、
【展望デッキ】からは正面に新宿副都心のビル群が見える。
取材時はもう夕焼けが綺麗な時間。赤く染まる東京の街並には、何故か泣ける美しさがある。
僕が卒業した大学の屋上からも、同じ様に新宿の景色が遠くに見えた。
そんな思い出がフラッシュバックしたからなのかもしれない。
人の数だけ思い出があるなら、東京は一番人の思い出が詰まっている場所だろう。





オリンピック記念宿舎



展望デッキからの眺めは最高!



髙木さんと一緒に!








髙木さんに連れられながら、公園内最後のポイントに向かっている時だった。
我々は東京メトロ【千代田線】の通風孔、公園内にマリリンモンローが出来る様な場所を発見!
この通風孔から地下8Mの場所を、地下鉄が通っている代々木公園。
折角だから公園の下を列車が通過する音を録っておこう! とサリーに言ったのだが、
高木さんが折角先頭切って連れてきてくれているのに、
サリーの動きが微妙に遅れ、一度目の列車通過音…録れず。オッサン達の非難に焦るサリー。
しばし粘ると、下からふわ~っと再び風の気配がしてくる。
慶吾と井門が通風孔の上に枯れ葉を載せると、ふわり枯れ葉が浮き始める。

 

 

サリー「ここだっ!!

 

 

ここぞとばかり、マイクを向けるサリー。
するとどうした事だろう…、膝を付き通風孔にマイクを向けるサリーの姿勢と、
ふわりふわりと次々に浮かび上がる枯葉の舞いが【何か】とシンクロする。
まるでサリーの怒りが頂点に達し、
周りの大気が震え、
枯れ葉が浮かんできたようにも見える。

 


そうだ! このシーンは…ドラゴンボールだ!!







 

 

よし、今だサリー、録音するのだ!

 

サリー「うわ!

 

 

何とサリー、ここでまさかのSDカードフル。
YAJIKITA山手線初参戦のこの男、やはり何か持っている。新時代のミラクル吉武誕生か?
そんな風にして我々がキャーキャー言っているのを、優しく見守る髙木さん。
最後に連れて行ってくれたのが、【日本航空発始之地の碑】。

 

 

 















ここは飛行機の碑と、日本で初めて飛んだ飛行士の像がある場所。
以前【成田空港】にロケに行った時に教えて貰ったのを僕らも覚えていた。
日本で初めて飛行機が飛んだのは、代々木の練兵場。それがこの碑がある場所なのだ。
1910年12月19日に日本で初めて飛行機が飛んだ。
それから今年でちょうど100年。
旅をするのに欠かせない乗り物である飛行機発祥の地を、
その記念すべき100年の節目に、旅番組であるYAJIKITAが取材出来るなんて。
しかもこの【山手線ぶらり】を始めた時は、山手線命名100周年でもあったのだ。
2011年も何だか良い事がありそうだなぁと思いながら、
我々は髙木さんとお別れし、すっかり真っ暗になった代々木公園を後にした。

 

代々木公園の南門を出ると、抜ける様な真っ青な空!
くぅ~っ、昼の太陽の光が目に眩しい! どうした事か、園内は夜だったのに園外は昼…。
…はい、今回の【山手線ぶらり】は取材ポイントが沢山あるので、
裏話をすると2日を使って取材したのであります(苦笑)
我々が再び集まったのは土曜日の昼。
早朝の生を終え眠いサリー。もはや目がしょぼしょぼだ。
面白いので思考が鈍っているのを良い事に、暮らしている街の話をする。
横浜編でも活躍(?)した浜ッ子サリー、当然彼はいま横浜に暮らしている。
でもね、以前は井の頭線沿線に暮らしていたんですよ。あれ、いつの間に引っ越したの?

 

サリー「あ、9月に彼女と別れたんす。」
キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━ !!!!!

 

…あまり触れてはいけない話にいきなり触れてしまった…。
サリーの目には涙が浮かんで…いないね、うん、いないいない。
こうして一人で気まずい思いをしている井門Pの目に、知ってる名前が飛び込んできた。

 

 

東京衣裳株式会社










ビルの目の前は「渋谷はるのおがわプレーパーク」という公園。
この日も子供達が沢山遊んでいたのだが、ビルの入り口にはミニスカサンタの衣裳。
【東京衣裳】という名前はドラマやバラエティなどのスタッフロールで、
一度は目にした事がある方も多いかもしれない。あの大手貸衣装の会社であります!
これはお話を聴かねばならぬと、我々は恐れ多くも社長にインタビューを試みた(笑)

 

快く我々を迎えてくださったのは、
【東京衣裳株式会社】の代表取締役社長・川田真之さんと課長の山縣克吉さん。
優しそうな川田社長と、【現場主義だぜ!】的な素敵職人オーラの出ている山縣さん。
ここは東京衣裳さんの中でも【衣裳倉庫】の建物なので、中は段ボール山積み!
物凄い量だが、よく見ると段ボールの一つ一つに名前が書いてある。
【看護婦】とか【ラーメン白衣】、中2階にあるスペースには【軍服】【学生服】がずらり。
中には【ドラキュラマント】や【神父】【牧師】の衣裳まで揃っている。

 

 

 


倉庫には衣裳がズラリ!





 

何せエンタメ業界じゃ知らない人はいない【東京衣裳】さん。
衣裳を貸しているドラマや映画をざっと挙げても、【坂の上の雲】【渡る世間は鬼ばかり】、
【相棒】【フリーター家を買う】【SPEC】【黄金の豚】etc.
さすがの一言ですが、川田社長は3代目で、東京衣裳の歴史は60年になると言います。
民放がスタートしたのが60年だから、まったく同じ歩みをしてきたんですね。
それだけに現場の信頼も厚いのがこちらの会社の良い所なのでしょう。

 

川田社長「うちに無い衣裳は無い、って自負してますから。」

 

聞く所によると、サンタの衣裳だけでも約1000着もあるとか。1000サンタ…。
って言うかサンタさんってそんなにバリエーションあるのね。

 

山縣課長「昔の映画の衣裳なんかもありますよ。」

 

社長達にインタビューさせて貰った、東京衣裳さんの会議室。
その部屋にはどうも最初から、気になっていた物があったのだ。
ハンガーで吊るされた、どっからどう見ても衣裳だろ、という数点。
なんと今回特別に、井門Pのコスプレ体験となったのであります!!

 

 

川田社長「色んな衣裳がありますよ。これなんかほら、寅さんの衣裳。」
キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━ !!!!!

 

山縣課長「この衣裳は特別でね。反物から特注なんです。
もう反物もなくなっちゃったから、貴重な衣裳ですよ。」

 

こ・こんな特別な物に袖を通していいのですか?
*勿論作品中で使用された衣裳は無数にある。着せて貰ったのはその中の1点。
と言うわけで、井門寅さんの姿は、これだ…1,2,3…

 

 

 








 

川田社長「寅さんの次は、これも珍しい! タケちゃんマンなんていかがでしょう?」
キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━ !!!!!

 

「オレたちひょうきん族」をどれだけ楽しみに観ていたでしょう?
今や世界の北野監督と言われるビートたけしさんの、あのキャラの衣裳!
寅さんに続いて、こんな御利益のありそうな衣裳が着られるなんて。
と言うわけで、イモちゃんマンの姿は、これだ…1、2、3…

 

 

 








 

あれ、おかしいな。
リスナーさんが爆笑している…。
ぢゃあ、もう1着挑戦してみようかな。これはスタッフ全員一致で着せられた物。
ジャニーズ的要素いっぱいの80年代アイドル井門の姿は、これだ…1、2、3…

 

 

 








 

いやぁ~、衣裳って格好良く着るのがこんなに難しいとは思いませんでした。
そして普段とは全然違う自分に変身するのが、こんなに楽しいとは思いませんでした。
最後の井門の衣装姿に、スタッフも川田社長も山縣課長も大爆笑。
服を替えただけで、こんなにも人を笑顔に出来るって事が素敵ぢゃないですか。
ちなみに東京衣裳さんでは、一般の衣裳貸出も行ってますのでHPをチェックです!

 

 

 


川田社長(右)と山縣課長(左)と井門で"中年隊"結成!!





 

大満足で【東京衣裳】を後にした我々、続いての目的地に向かってぶらりスタート。
しばらく進むと、左手に首都高、奥には新宿副都心という極めて都会なロケーションの中に、
物凄く不思議な看板を我々は発見したのです。

 

 

社団法人東京乗馬倶楽部

 

 

 

当然ながら駐車場には高級車ばかり。
しかも駐車場の奥には馬場があり、この日も沢山の方が華麗に乗馬されています。
ここは都会のど真ん中ですよ、そこに何と乗馬倶楽部があるぢゃございませんか。
恐る恐る中に入ろうとすると、扉に『会員以外の方は受付にお立ちより下さい』の文字。
何も後ろめたい事は無いのだが、YAJIKITA一行小さく固まって前進する(苦笑)
入ると正面がガラス張りになっていて馬場が見えるのですが、
意外にもその馬場の奥に見える厩舎が大きそうだ。

 

 

 

 








嘉納さんと一緒に!





 

ここでまずお話を伺ったのは常務理事・事務局長の嘉納寛治さん。

 

東京乗馬倶楽部の歴史は古く、ここに乗馬倶楽部が出来たのは昭和15年だと言う。
それから長きに渡ってこの地で乗馬競技者の育成に勤めてきた。
ここでは勿論、乗馬競技の為に訓練をしている方も多いのだが、
子供達の為に乗馬教室を開いていたり、習い事として乗馬を楽しむ方々もとても多い。

 

嘉納「奥に沢山馬がいる厩舎がありますから、行ってみましょうか。」

 

入り口から見えた厩舎にいよいよ案内されたのだが、これがやはり物凄く大きい。
中にはなんと49頭の馬がいて、僕らを優しい目で迎えてくれた。
いや意外に馬鹿にされていた…のかもしれない(苦笑)
でも馬達を眺めながら、色々と教えてくださった嘉納さんの目の優しいこと…。
生き物相手での事だ、苦労も多いことだろう。
ただこの倶楽部の方達が馬と触れ合っている時の馬への愛情たるや…。
ちなみに流石伝統ある乗馬倶楽部だけあって、こちらの副会長・八木三枝子さんは、
なんと北京五輪に日本代表として参加もされている。

 

 

 






この子のお父さんは、なんとメジロマックイーン!







 

 

目の前には沢山の馬達。
こちらに顔を寄せる愛嬌のある馬を撫でながら、井門Pは思った。

 

 

井門「馬、乗りこなしたい…。

 

 

 

久保さんや、当然だけど井門乗馬用の馬ちゃん、いるよね?

 

久保「当たり前ぢゃないですか! しっかり用意してますから。」

 

ふふん、それなら良いけど、YAJIKITAスタッフが敬語の時って、必ず何かあるのよね。
おっ、向こうから茶色と白が混ざった何とも愛くるしい馬ちゃんが来たぞ…。
ほほう、なかなかの太い体つき?
あれ、サラブレッドってもっと細くて、馬体が高くなかったっけ?
おやおやぁ、足も太いんぢゃないのか?

 

 

久保「はい、ポニーです。

 

 

ポニーを連れてきてくれたのは、ポニー事業部マネージャーの深野聡さん。
今回は井門Pとポニーの「P」共演で、
女性のスタッフが井門の乗ったポニーを引いてくれました。
ただですよ、ポニーちゃんと言ってもかなりの大きさがあります。
踏み台に足を乗せて、「エイヤっ」としなくては、とてもぢゃないけど跨れない。
そして乗ってみると、その視界の高さに溜め息が漏れます。

 

 

 







 

都会に暮らしていると、思わず自然の速度を忘れてしまいがちです。
僕はそもそも北海道出身だけど、歩く速度だって、東京の方が早い。
しかもそれは“何かに急がされて早く”なっている気がしてなりません。
電車・地下鉄・バス・タクシー、会社に行くのも家に帰るのも交通機関を使っています。
そりゃ、そうなってしまうのは当然なのですが、やはり日常には自然の速度が少ない。
木から枯れ葉が落ちていく速度や、川を流れる水の速度。
ポニーの背中に乗って、上下する景色を眺めていると、
そんな忘れかけていた“自然の速度”を思い出した様な気になったんです。

 

 

 


深野さん&ポニーの矢沢さんと一緒に!





 

井門「何だか、思い出させてくれたよ。有難うな、ポニーちゃん。あ、この子の名前は?」

 

女性スタッフ「えっと…、矢沢さんです(照)。」

 

 

矢沢さんから降りて、東京乗馬倶楽部の隣にあるポニー公園に行くと、
所属のポニーちゃん達の写真が名前付きで飾られていました。
僕が乗った“ヤザワさん”の写真もあったのですが、何故か他に2頭が並んで飾ってある。
その2頭の下にはそれぞれ“ホリウチさん”“タニムラさん”と書かれ、その下に…、

 

 

馬リス。

 

 

と書かれておりました…。
やるなぁ、代々木ポニー公園…。
こちら乗馬倶楽部に隣接する【代々木ポニー公園】は、
受付をするとちびっこは無料でポニー体験出来るそうなので、
東京のど真ん中でのポニー体験いかがでしょうか?

 

 

 


代々木ポニー公園のポニーたち





嘉納さん、深野さんに御礼を言って【東京乗馬倶楽部】を後にしたYAJIKITA一行。
歩いて歩いて首都高を右目に眺めながら、ぶらりを続けていきます。徐々に日も暮れてきた。
小田急線は散々眺めたけど(笑)今度は本当に代々木方面に向かっているのだろうか…。
そんな心配をしていると、右手に見えていた首都高に見慣れた文字が出ている。

 

 

代々木パーキングエリア

 

 

そう、数少ない都心のパーキングエリアの中の一つが代々木PAなのだ!
(ちなみに首都高には17のPAがあります。)
都心に向かう上り線にのみ存在する「代々パー」(そんな風には略さない)。
ここの名物はタンポポコーヒーだそうで、タンポポの根っこを焙煎するとか。
ただし、軽食スペースでの販売で、隣のドトールにはありません! ご注意を。
でも我々は安心したのであります。だって代々木PAがあるって事は、代々木駅は近い!
そう思ってみると、思いのほか車の通りも増えてきたようだ。
道の両隣には飲食店も並んできた。ユーキャンのビルも出て来た(笑)
そして代々木と言えば、代々木ゼミナール。予備校生の訓練所の登場です。

 

私、井門も2年ほど札幌の代ゼミでお世話になりまして、勉学に励んだものです。
予備校生という何とも言えない不思議な時代は、今の自分にとっては良かったなと。
学生だけど学生じゃない、でも誰よりもはっきりとした目的を持っている。
僕はだから普通の人より2年多く、のびのびした学生時代を過ごせたと思っているのです。
だからと言って浪人が偉いわけぢゃなくて、そんなの現役の方が良いに決まってるんだけども、
自分の人生を振り返った時に、この時期には何とも言えない淡い愛おしさがあるんだよなぁ。
東京の街の中で代々木はあまり縁のあった方ぢゃないけど、でも代ゼミがあって、
沢山の予備校生がいる事で、何となくこの街には親近感を覚えてしまうのです。

 

 

 







 

東京探訪【山手線ぶらり】もついに代々木に到着しました。
原宿からの道のりは代々木公園や明治神宮を横目に歩いてきたからか、
もしかすると一番自然の存在を感じた【ぶらり旅】だったかもしれません。
落ち葉を踏みしめながら歩くと、何とも言えない秋の匂いが立ち上ってくるのです。
そして到着した、JR代々木駅。
お隣が不夜城・新宿だからでしょうか、何となく夜の匂いが濃くなっている気がします。
早速うちの慶吾はアジア系外国人の女性に道を尋ねられました(笑)
そうなのです、次の駅は新宿。ここから先は、何が待ち受けているのか予想出来ません!
人間の欲望が渦巻くあの街で、我々YAJIKITA一行はどうなってしまうのか?
ネタの宝庫のあの街で、いったい何を取材すると言うのか?
僕が心配なのは新宿駅が最大規模のターミナル駅なのを良い事に、
久保氏がまた「京王線」とか「小田急線」とか「西武線」とか
【山手線】以外の方に進んだりしないかという事です(苦笑)
でも【ぶらり】するから見えてくる、新たな新宿も必ずあるはず!
どうか次回の【東京探訪・山手線ぶらり旅】もお楽しみに~!

 

ちなみに【原宿~代々木】間で歩いた歩数は19811歩でした!

 

今回も歩いたわ~。

 

 

 

≪オフショット≫
たった3枚の写真じゃもったいないよね! なので!!

寅さんの衣裳に着替え中の井門。

 

 







 

 

タケちゃんマンに着替え中の井門。ヘンタイとか言わないのっ!

 

 

 







 

 

“中年隊”のかこみ取材ではありません! ゆってぃでもありません!