JOHN LENNON&YOKO ONO ダブルファタジー特集!

2010-12-12


DF

さて、
この時期は、やっぱりこの方の名盤を特集しましょうね。
去年は、1971年の名盤『imagine』をピックアップしましたが、
今回は、1980年。死の直前にリリースされた名盤です。

JOHN LENNON YOKO ONO
   “ダブルファンタジー”特集』。


1980
128日に凶弾に倒れてから30年。
いまだ色あせないJOHNYOKOのメッセージが
たっぷり詰まったマスターピース。それが“ダブルファンタジー”です。

M
   WOMAN  /  JOHN LENNON

まずお送りしたのは、1980年にリリースされたアルバム
ダブルファンタジー』から、ジョンの死後に追悼シングルとして
リリースされた
ウーマンです。
ジョンが全女性に捧げた愛の歌。
アマチュア時代からリーゼントのロッカーとしてタフでマッチョな
ライフスタイルを謳歌してきたジョンが
ヨーコと出会い、
音楽活動を離れて子育てに専念する主夫としての生活を経験したことで
生まれた女性を深くリスペクトする名曲ですね。

M
  KISS KISS KISS  /  YOKO ONO                            

さて、次にお送りしたのは、
ヨーコの曲“KISS KISS KISS”です。

ほとんどポルノのような曲。昼間にはちょっとOAできませんね。
しかも、海外の人が聴けば、ちょっとオブラートに包まれるかも
しれませんが。。。
日本語だと直接的過ぎてびっくりですよね。
後半はほぼあえぎ声!ですからね!日活か!
もちろん、リリース当時は相当に物議をかもしました。
ヨーコは、当時47歳?まだまだ女!です。
        
でも、ガレージパンクのようなサウンドは本当に斬新!

ガールズガレージパンクバンドたちがよくカバーする曲ですね!

さてさて、今さら説明も不要でしょうが・・・
ジョンレノンは、1940109日:イギリス・リバプール生まれ。
生きていたら2010年で70歳でした。


複雑な家庭環境に育ち、両親の愛を知ることなく不良のロッカー
として若い時代、
アマチュア時代を過ごします。

ケンカやクスリは当たり前。ツアー中は、女も食いまくる。
皮肉っぽくて、辛らつな発言も多い。
最初の結婚もうまくいかず、子供とも余り遊んでやらない。
っと、正直、ビートルズで天下を取りながらも、人間的には
短期でヤキモチやきで、皮肉屋でワガママな典型的な
オラオラ系のロックスターでした。

そんな彼の人生を変えたのが、1966年。
前衛芸術家:オノ・ヨーコとの出会いでした。

M
  DEAR YOKO  /  JOHN LENNON  

お送りしたのは、アルバムから
ヨーコへの思いが詰まった“ディア・ヨーコ”です。

ジョンが別荘に行っている間、ヨーコが風邪を引いて自宅で
寝込んでいたときに
会えない寂しさをそのまま歌にした曲。

このバカップルな感じが、いいですよねー。

まぁ、それで随分メディアにも叩かれて深く傷ついていたヨーコ・・・
私が表に出るとジョンの脚を引っ張ってしまう・・・
チャートアクションも悪くなる・・・
と、当時は随分悩んでいたようです。

さて、1966年。偶然、ヨーコの個展を訪れたことが
キッカケで知り合ったジョン&ヨーコ。

バンド活動が多忙を極めて、また、スーパースターという重圧と孤独感に
打ちひしがれる中、ジョンは私生活でも妻とうまくいっていませんでした。
そんな中、彼を救ったのが、ヨーコの書いた本:グレープフルーツでした。

名曲『imagine』の元にもなった、と言われているその本の簡単かつ難解な
メッセージにどんどんジョンは引き込まれて、毎晩のようにその本を
手に取るようになります。

そして、2人はまるで磁石のように引き寄せられていきます。

ジョンは前妻と婚姻関係にありながらヨーコと同棲。
まったく褒めれられるような事では決してありませんが、
2人はまるで100万年前から恋人同士だったように、
運命の赤い糸を手繰り寄せたかのように、その愛を深めはじめます。

1969
年には正式に結婚。

と同時に、2人は平和活動と音楽活動をスタート!
ベトナム戦争が泥沼化していく中、
どんな政治家よりも、
2人のメッセージは世界中に影響を与えました。

M
(JUST LIKE )Starting Over  /  JOHN LENNON 

お送りしたのは、名曲中の名曲ですね!

ヨーコの奏でるウィッシング・ベルで始まるこの曲。
リリースのはじめこそ、そこまでの大ヒットナンバーでは
ありませんでしたが、
12月、ジョンの死後にはチャートを
再度駆け上がって、
全米、全英で1位を記録しました。

さてさて、さっきの話の続きです。

60
年代後半。ヨーコとであったジョンは、一気にヨーコと共に
平和の使者のような、
まるで仙人のような活動をスタート!
ビートルズのレコーディングスタジオにも、常にヨーコがいる、
という一種、異様な婚姻関係を続けました。

ポールをはじめ、他のメンバーとの関係も急激に悪化。

ヨーコのコトもも一因となって、結局ビートルズは1970年に解散。
それぞれのメンバーはソロ活動を行いました。

ジョンは愛妻:ヨーコとのバンド活動『Plastic Ono Band』を本格化。
それに負けたくなかったのか、ポールもその後、音楽経験のない愛妻:
リンダとバンド活動スタート!

と、ホント、訳のわからない状態になります。

でも、それでも大名曲を作り上げるのは、やっぱりジョン&ポール。

ポールはウィングスとして数多のヒット曲をリリースして、
ジョンも『ジョンの魂』、『イマジン』、『MIND GAMES』など、
素晴らしい名盤を世に送り出しました。

 

M Beautiful Boy (Darling Boy) 
 /  JOHN LENNON 

お送りしたのは、こちらも問答無用の名曲ですね。

ジョンとヨーコに生まれた待望の息子:ショーンのことを歌った、
愛にあふれた1曲です。

さて、、、さっきの続きですが、

そんなソロ、ユニット活動を精力的に続けていたジョンレノンですが、
1975109日に音楽活動を封印する決意をします。
待望の息子:ショーン・レノンの誕生をキッカケに、
主夫になるんですね。

アルバム作って、プロモーションして、LIVEして・・・
というサイクルがいやになった?とか、別居中だった
ヨーコとの関係修復のため?とかいわれていますが、
結局は、ジョンが未経験だった本当の
家族のぬくもりを
味わいたかった!ということでしょうね。

当時はアメリカや日本を行き来。
軽井沢などでは、しょっちゅうジョンを見かけたそうです。

そんな5年間の主夫生活で生まれた思い、やさしさ、
女性への尊敬の念。子供への愛。

そういった新たな感動を音楽に昇華できたんでしょうね。

1980
8月に音楽業界にカムバック。

11
15日にアルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースしました。

そしてその直後、128日。ジョンはこの世を去りました。

アルバムには、ジョンの優しい囁きと、
ヨーコの痛ましいまでの自己表現、誤解されていることへの
リベンジとも取れる、凄まじい楽曲たちが混在しています。

普通であれば、散漫で完成度の低いアルバム、とレッテルを貼られた
アルバムかもしれません。

でも、『死』という要素もあって、
そして普遍的なメッセージの時代を超越した美しさもあって、
このアルバムは、30年経過した現代でも名盤として輝き続けています。