TALKING HEADS『リメイン・イン・ライト』

2010-12-20

TH


『ロックとアフリカンビートの融合 
 トーキングヘッズ
“リメイン・イン・ライト”特集』

1980
年にリリースされたこの「リメイン・イン・ライト」。
そのアート性と新しいビートで、
ロック史に大きな衝撃と功績を残しました。

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CROSSEYED AND PAINLESS
    /
 TALKING HEADS  

1曲目にお送りしたのは、そのアルバム「REMAIN IN LIGHT」から
Crosseyed And Painless」。
アルバムからの第1弾シングルですね!

軽く歪んだクランチ気味のギターと、クリーンなカッティング、
そして無機質でシーケンシャルなシンセがからむ実にダンサブルな
ナンバーですね。

ちなみにこの歌詞、実に難解で、深読みすればするほどドツボに
はまってしまいそうな
哲学的な歌詞なんですが・・・
実は、リハ中にデヴィッド・バーンが適当に出まかせで
歌った歌詞をプロデューサーのブライアン・イーノがまとめて
形にしたんだそうです。

意味がわからなくて当然ですね。

曲は全体にワンコードで大きな曲の構成の変化もないのですが、
グイグイとそのビートに引き込まれていきますよね。
この単純のようで複雑に計算されているサウンド、
これがこのアルバムが名盤といわれる所以ですね。。

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BORN  UNDER  PUNCHES
 (THE  HEAT  GOES  ON)
/TALKING HEADS  

   
さて、次にお送りしたのは1980年のアルバム「リメイン・イン・ライト」
から
「ヒート・ゴーズ・オン(ボーン・アンダー・パンチズ)」です。

ファンキーなベースプレイが印象的な曲ですね。

30
年前、ロック界はここまで進化、していたということが本当によくわかります。
スラップベースの欠片を、まるでサンプリング素材のように曲に散りばめる、
というアレンジ。
これを、まだアナログ録音の時代にやっていたんですから、
本当に敬服します。

途中では、まるで初代ファミコンゲームのようなシンセサウンドが出てきます!
さすがにこれは古臭いですねー。

さて、トーキングヘッズは、1970年代後半、
ニュー・ヨーク・パンク・ムーブメントの中で登場しました。

この番組でも何度もやりましたね!
ラモーンズ、パティ・スミスなどNYのアングラシーンで人気だった
ガレージパンク。それがロンドンに流れてロンドンパンクになるわけですが、
そんな流行の一部としてデビューしたんですね。

そもそも、1952年生まれのイギリス出身のデヴィッド・バーン(Vo&Gtr)は、
デザイン学校でアートと音楽の融合を目指すパフォーマンスを行なっていました。
そこに集まってきたのがクリス・フランツ(ds)、ティナ・ウェイマス(b)
この二人と75年に活動を開始して、バンド名を「TALKING HEADS
としています。

ちなみにトーキング・ヘッズという名前は、クローズアップを意味する
アメリカのTVの業界用語から取られたそうです。

翌年1976年には、NYパンクの中心地ともいえるライブハウスCBGB
行われた
CBGB'sサマー・フェスティバル”に登場!
その後、4人目のメンバーとしてジェリー・ハリソン(Key Gtr)が参加し、
この4人を中心に活動を行なうことになります。

77
年には1stアルバム『トーキング・ヘッズ77』をリリース。
78年には、ブライアン・イーノと共同プロデュースで2ndアルバム
『モア・ソングス』をリリース。
79年の「フィア・オブ・ミュージック」をはさんで、
80年、トーキング・ヘッズとイーノのコラボレーションの最高峰とも
いえる最高傑作!
『リメイン・イン・ライト』がリリースされました。


M
THE GREAT CURVE / TALKING HEADS  

次に送りしたのは「ザ・グレイト・カーヴ」です。

世界を女性の腰という偉大な曲線に結び付けてみるアフリカ人の独特な視点から
作られた曲です。

ちなみに、ここでギターを弾いているのは・・・

このオリジナリティあふれるギターソロで
おわかりの方も多いかもしれませんね。
元フランク・ザッパ・バンド、そして、キング・クリムゾンでの活躍も
有名な個性派ギタリスト、エイドリアン・ブリューです。

さて、このアルバム「リメイン・イン・ライト」の大きな特徴が、
アフリカン・ビートを取り入れていること。

アメリカン・ポスト・パンクと、アフリカン・ビートが融合して
新たなダンス・ロックが生まれたことが、まさにエポック!でした。

実はアフリカンビートに関しては、前作『フィア・オブ・ミュージック』
のなかで、
ロバート・フリップをサポートに迎えて、アフリカン・ファンクに
挑戦しているので、
このアルバムから、というわけではないんですけどね・・・。

さらに、リリースはこのアルバムより後になるのですが、
この時すでに録音されていたバーンとイーノによるアルバム
My Life In The Bush Of Ghost」のなかでアフリカのリズムに
傾倒したことが、
Talking Headsのこのアルバムにもモロに出た、
ということのようです。

一曲の中で使用されているコードはひとつだけ!(驚き!)
メロディに合わせてコードがチェンジしていくことはなく、
所謂ワンコードによるソングライティングが話題になりました。

延々と繰り返されるフレーズとリズムが聞いていると、
だんだんトリップしてくるような感覚に陥り、心地よい空間へと
連れて行ってくれますね。
ちょっとやばいです。

これがロックに於けるミニマルミュージック的なはじまりだという説もあります。
いずれにしても、このアルバムでバンドの評価は確固たるものとなりました。


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ONCE  IN  A  LIFETIME  / TALKING HEADS

トーキングヘッズ、1980年のアルバム「リメイン・イン・ライト」

次にお送りしたのは「ワンス・イン・ア・ライフタイム」です。

トランスポートされて謎の状況に置かれた男の話です。
まぁ、結局これも何が何だかわからない歌詞でございます!

にしても、ファンキーなギターのカッティングとシンセが気持よいですね。
そしてコーラス!最高!この曲も基本ワンコード!
でも、ベースラインのおかげで、幾分カラフルに聞こえますね!
独自の解釈のアフリカン・リズムに、アンビエントなシンセ。カッコイイですね。

ちなみに、このアルバムのレコーディングでは、
事前に用意されていた曲はひとつもなかったそうです。

レコーディングスタジオに入ってから、
アフリカンリズムをまず意識して、
いわゆるノリを大事にして、
インプロヴィゼーションから制作されたらしいです。

その場で自然と湧き出たフレーズやアイデアが採用され、
それをトリップするまで繰り返し演奏することで、この独特の世界観が
構築されていったんだそうです。

そしてそれには、アンビエントミュージックなどアフリカ音楽の世界を
深く研究していた
ブライアン・イーノの知識が、
それこそバンドメンバー以上に貢献したようですね。

<もちろんトムトムクラブでもある2人のリズム隊の
  貢献ももちろんですが・・・>

世界のポップミュージックも、その嗜好性がちょうどこのあたりから、
いわゆるワールドミュージックに向けられるようになります。
同じくアフリカに接触したポール・サイモン、ピーターガブリエルなどが
アフリカン・アルバムをリリース!

そして、ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタといったアーティストが
世界から注目されるようになります。


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LISTENING WIND  / TALKING HEADS