東京探訪 山手線一周ぶらり旅 代々木~新宿編|旅人:井門宗之

2011-01-21



謹賀新年である。
チキンが新年なのである。
2011年最初に「なるほどっ!」と膝を叩いたのが綾瀬はるかちゃんのこのCM。
謹賀…チキンが…なるほどな、と妙に納得した33歳の新春。この程度の男なのであります。
新春のYAJIKITAスペシャルで【YAJIKITAの今年の抱負】に、恥ずかしくもなく、

 

 

 

ネット局を増やす!

 

 

 

と宣言した井門P。昔はあまり大きな声で言えなかった事でもある。時代は変わった。
いや、この場合は“良い風”に変わったと言っても良いだろう。
型にはまる事は無い。自分達が面白いと思った事を本気で面白がる。
もちろん第3者の意見は真摯に聴く。要は“始める時の想い”なのだ。
誰かの顔色をうかがう様な企画を立てたり、
誰かの意見にすぐに左右されるぐらい、やってる本人がブレたりでは決して面白い物は出来ない。
“始める時”に“これは面白いぞ”と思いながら、確信しながら企画を進める。
“始まった時”は自分達を信じて、徹底的に面白がる。

 

放送の現場以外でもたまに聞く言葉の一つに、こんな言葉がある。

 

 

「結果的に面白ければOKでしょ?」

 

 

僕らもごくたまにこんな風に“思う”事はある。
ただし、ここで大切なのは“最初から面白く作ろうとしていたかどうか?”なのだ。
偶然出来上がった物が面白くなった。
それはそれで良いのだろう。ただし本当に最初から面白く作ろうとしていたのか? 


“結果的に面白ければOKでしょ?”という言葉は、
“最初から面白い物を目指して”いた人間しか口にしてはいけない気がするのです。
“結果的に”という言葉も、面白さを追求して、悩んで悩んで、その結果なら良い。
ただ全てが偶然で出来あがった面白さを見せて、“ほら面白いだろ?”と言うのは、
プロの仕事じゃない気がするのです。それじゃ、視聴者投稿ビデオと一緒だ。
“面白い”ってそんな簡単な事じゃないから。 


さて、話が随分と横道に逸れてしまいました。こんな風だから旅日記が長くなるのです…。
*今年も覚悟しておいて下さいよぅ、奥さん(今年も“どうでしょう風味”は落とさず。)

 

そうそう、新年の抱負の話でした。

 

新春のヤジキタで宣言した【ネット局を増やす】という抱負の他に、もう一つありました。

 

 

 

山手線ぶらり完結!!

 

 

 

山手線ぶらりも年末についに【代々木】までやってきたわけです。
そもそもが山手線命名100周年、で始まったこの企画。2009年の事でした。
本当はもっと早く完結させたかったのですが、色々と地方にお邪魔する機会も増え…。


その歩みは2分に1本のダイヤがある山手線の忙しさとは別に、鈍行の歩み(笑)
リスナーの皆さんには「まだか、まだか?」「まだやってるのか?」、
きっと不安も覚えさせてしまったのではないかと思います。
2011年は気持ちも新たに、この山手線を完結、いやさ完走しようぢゃないか!
と言うわけで井門宗之が今年1発目のロケに選んだのが【山手線ぶらり旅】!
ほら、もう1発目に選ぶ辺りに気合いのほどが伺える。

 

さて、当の山手線ロケ日は遡る事1月8日朝6時。
まだ街全体にお正月のムードも濃く漂っている頃だった。
都内のロケとは言え、軍師:久保氏のスケジューリングは2011年も絶好調!
やるなぁ、久保氏…。と、眠気覚ましの熱いほうじ茶を飲みながら、ふと携帯でtwitterを見る。
すると【今日は何の日】に、1月8日は“いちかばちかの日”とあるではないか…。
新年初ロケの日が“いちかばちかの日”とは、今年も何か持っている匂いがプンプンするのです。

 

TVを観るとニュースではアントニオ猪木さんに胆石が出来た、と言うニュース。
その中の猪木さんのコメントに僕は新春から度肝を抜かされた。

 

 

 

猪木「元気があれば胆石も出来る!

 

 

 

猪木さん…おれ、一生ついて行きます。
そうだ、例え“いちかばちかの日”だろうが、ヤジキタはヤジキタらしくで良い。
そんな事を考えながら、晴天の東京を進んで行った井門宗之。
まさかロケの途中から、喋り手人生初となる悲劇が待っているとも知らずに…。

 

YAJIKITA一行の新春ロケのメンバーはこんな感じ。
42歳で信じられない幸運がある! と2人の占い師から言われた作家:久保氏!
今日も穏やかな笑顔で皆の心を引っ張るD:横山氏!
ちょんまげヘアーが男前だ! カメラマン:古田君!
新年からかなり張り切る男、御存知:井門P! 


この4名でYAJIKITAの新春はスタートしたのですが、ここでハタと気付くわけです。
代々木駅と新宿駅の間って、山手線で行くと700mくらいしかない。
そういや昔、妻を連れだって散歩なんかもした。それぐらい近い。
よく見ると、駅の奥の方には新宿副都心のビル群が見えている。
久保メモによると新宿駅の5・6番線ホームは、
なんと代々木駅のホーム先端から100m程度しか離れていないそうだ。

 

でもね、ちゃんと万歩計も渡されたんで、今日も700mの数倍の距離をぶらりするんでしょう(笑)

 

 

 




代々木駅前でオープニング収録スタート!








「代々木」って考えてみると不思議な名前ですよね?
「佐々木」ぢゃなくて「代々木」。
地名はそもそも戦国時代にはあったそうです、「代々木村」って。
ぢゃあ何で「代々木」なのかというと意外と単純で、
『昔から代々(だいだい)、この地には大きな樅のがあったから。』
「代々」と「木」を取って、んぢゃあ「代々木」にすんべえ! と。 


まぁ、昔の事なので答えは意外とシンプルだったりするんでしょうね。
いま決めた重大な名前も何百年か経った後に「うわ、単純」と未来人に思われるかもしれない。
あと、実は「代々木駅」のあるエリアって本来「代々木エリア」と言われている所とは、
ほんの少しだけ離れていたりするのも御存知でしたか? 


この辺りは昔の地名でも『旧千駄ヶ谷村』であって『旧代々木村』ではないのです。
便宜的に付けられた、というのが一番しっくりくる理由ですが、
要は駅を作った当時、『旧代々木村』に駅が一つも無かったから、
ぢゃあ名前は『代々木駅』って事にすんべえ! と。
それが今ではJRも山手線と中央・総武線、都営地下鉄も大江戸線が走る訳ですから。

 

代々木駅前ももちろん、栄えてます。
ただしこの街はやはり代々木ゼミナールや専門学校などもあるので、
長居をして楽しむ場所という感じでは無いのかもしれません(あくまでも個人的感想ですが)。
予備校生達だって、ここで長居してないで早く次に進みたいものね。
僕らの目と鼻の先には【不夜城・新宿】が待っているわけで・・・(笑)
鼻息も荒く、先へと進んでいかねばならないわけで・・・。
*とは言っても前回のゴールの時に、しっかりと代々木で美味しいお酒飲んだけど(苦笑)



 




山野美容専門学校のタワー。代ゼミタワーは…撮り忘れた、ゴメン!








代々木をスタートしてすぐに、あの有名な「山野美容専門学校」のタワー。
久保メモによりますと、2007年に出来たと言うからまだ新しい。
美を極める為の授業がここで行われているのですなぁ…、とタワーを見上げていると、
小田急線の踏切を越えた所にまた大きなタワーがあるのです。
受験生の皆さん、驚かないでよ? これが…

 

 

 

ハイタワー!!

 

 

 

マホーニー!…はい、違う違う。
一体どれだけの人がハイタワーの字を観て「ポリスアカデミーかよ!」って突っ込んだか。
もはやハイタワーが間違いであるという指摘すら受けないのでは? という不安もよぎる。
なので嘘をつくのもほどほどにして、正解は・・・

 

 

 

代ゼミタワー!!

 

 

 

凄いですよ、代ゼミの本部校に代ゼミタワーですもの。
これは2008年に出来たそうですが、地上26階地下3階、18~25階が生徒寮と。
いや、僕も浪人生時代に代ゼミにはお世話になりました。
吉野先生の古文とか、西先生の英語とか。(皆さん元気なんでしょか)
でも僕らの頃と豪華さが違ってきているもの。タワーだもの。
しかも驚くなかれ、地上75mの16階には「空中庭園」と「神社」があるそうな。
その名も…、

 

 

 

日々是決戦神社!!

 

 

 

懐かしいね、【日々是決戦】の文字。
黒板の横に貼ってあってさ、毎日それを眺めながら勉強してた。
僕が通ったのは札幌校だったけど、僕の高校は『代ゼミ進学率』が高くて。
浪人生っていうとても不確かな時期を、不確かな19歳の頃に過ごした僕は、
自由と不自由がないまぜになった様な日々の中で、心だけが大人びていった気がする。 


カラッカラのスポンジのような感情は、ちょっとの事に感動し、ちょっとの事で笑い。
代ゼミの先生が話す10分の雑談に、砂漠で飢えた旅人が水をがぶ飲みするみたいに、
無心で聞いて本気で笑っていたなぁ。思いだすと浮かぶのは初夏の様な眩しさ。
あの頃の自分と同じ様な気持ちで、このタワーで勉強している浪人生がいるのか…。 


そんな事を考えたら、豪華なタワーに(通った事も無いくせに)愛着が湧く(笑)
通り過ぎる時には「頑張れよ」なんて声もかけたくなるから、『先輩風』というのは不思議だ。
多分この時の井門Pの先輩風は風速70mくらいだったろう。

 

さて、先輩風もひと段落した所で、我々が向かうは新宿副都心。
東京で一番先に思い浮かべる方も多いだろう、首都東京にあっても一大都心部であります。
かく言う僕も、上京してきて一番最初に“東京を感じた”のは【新宿】でした。
新宿は鉄道各社の路線が多いので、ここを拠点に色んな場所へ移動する人が多い。 


僕は大学が京王線沿線(1・2年次)中央線沿線(3・4年次)だったので、
やはり何かと(って言うか飲み会?)新宿に集まる事が多かった気がします。
恐らく学生時代、都内で一番、一晩中遊んだ街は新宿だったのではないかしら?
代ゼミのある代々木から、大学時代に最も遊んだ新宿へ移動すると、
浪人生から大学生へと上がっていく自分をフラッシュバックする様で、何か今回は不思議な旅。

 

 

 




甲州街道の西新宿二丁目交差点から見た超高層ビル群








代々木から歩いてきて、出て来たのは東京でも有数の幹線道路:甲州街道。
甲州街道は江戸幕府が整備した5街道の1つで、山梨県へと繋がる道。
大学がこの街道沿いなので、僕が最初に覚えた大きな道でもある。
甲州街道に出て右を見ると少し離れた所にJR新宿駅の南口が見える。 


おや? 新宿駅に向かうのでは…ない。
ないですよ、この短さだとただの“散歩”だもの。
今日はここから超高層ビル群をぶらりと散歩するYAJIKITAなのです。
ここで気になるのが、【超高層ビル】という単語。
【高層ビル】と【超高層ビル】の違いは何なのか? 新宿に出てきたらこれは知っておきたい。
何故なら、この新宿界隈には【日本のビルの高さランキング20位以内】のビルが、 


何と7つも入っているのであります。

 

 

最も東京らしい場所、西新宿。
そこには確かな理由もあったのですね・・・7つも入ってるんだ。
ちなみに2011年現在日本一の超高層ビルは「横浜ランドマークタワー/296m/地上70階」。
となると世界一も知りたいですよね? 


久保メモによりますと、世界一は2010年完成。
ドバイにある「ブルジュ・ハリファ/828m/160階」。
…これはもう敵う相手では無い。張り合うと怪我をしそうなので違う国に任せよう。
超高層ビルで思い出すのは映画「タワーリング・インフェルノ」(1974年・米)。
超高層ビルが不慮の事故で火災になり、上層階で落成パーティーに参加していた人々が逃げ遅れる。
緊急事態の中、消防隊の決死の救出活動が始まるのだが・・・(気になった方はレンタルで)。 


これ子供の頃にTVで観てトラウマになりました。いや、僕マンションッ子だったので(苦笑)
ただ大人になって観直した映画の中でも、かなり上位に出てくるくらい好きなパニック映画です。
ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンがやっぱり格好良いんだ。
また話が横に逸れてしまいました…イケネイケネ…。(ⓒ御影倫代)



 

 

 


東京都庁第一本庁舎



東京都議会議事堂と都庁広場








この辺りの超高層ビルで最も有名なのは、やはり東京都庁第一本庁舎でしょう。
その高さ243m、地上48階建て。1990年12月の完成なんですね。
当時中学生だったけど、完成の時のニュース何となく覚えてるもんなぁ。
そうか。僕も既に今年で34歳…。ヤジキタ始めた当初はまだ27、8歳…。うわぁ…。 


話を戻して都庁です。
この都庁、完成に1600億円がかかっていて当時は【バブルの塔】なんて揶揄されました。
でも現在は特殊な構造から老朽化を補修するのに相当な予算が必要で、
中は割と質素な(というのも適切ではないか)風景が広がっているそうです。
何やら雨漏りもひどいとか? いつの時代も“先を見据える視野の広さ”は必要なんですね。 


とは言え、ここの展望室は連日観光客で賑わっています。
かく言う井門Pも妻と何度もここに登り、東京の景色を眺めたもの。
いや本当に気持ち良いんだから。カフェもありますし、お土産も買えます。
この日も本庁舎入り口には観光バスが止まり、記念撮影をする団体がおりました。
もう少々、久保メモを見ていきましょう(笑) 


展望室までは直通エレベータで1階から55秒で到着。
利用料は無料で年末年始以外は無休、朝9:30~夜11:00までオープンとか。
あっ、夜にはライトアップされるのでカップルなんかにもオススメでございます。
大学生の時、ここの夜の風景を初めて観てちょっとだけ東京が好きになりました。
あまりにも無機質で、僕が今まで見てきたどんな物よりも“作られた”感が凄かった。
本庁舎の足元から建物を見上げると、大都会にポーンと投げだされた気分がしたものです。















今回のぶらりでは行ってませんが、せっかくなので都庁南展望室からの眺めを…。






元々はこの都庁があった場所も【旧淀橋浄水場】という場所でした。
浄水場の跡地を再開発して出来たのが、この西新宿の超高層ビル群がある場所なんです。
“ヨドバシ”ってのは電気屋さんの名前がありきでは無いんです。
ぶらぶら歩いていると、その浄水場の名残に僕らは出会いました。

 

 

 





淀橋給水所











【淀橋給水所】は新宿中央公園の一角に佇んでいましたが、
この給水所も災害時や有事の際には大きな役割を果たすんでしょう。セキュリティーは厳重。
さぁ、そして西新宿でも有名な【新宿中央公園】でございます。
*なんか今日は観光ガイドさんの気分で旅日記を書いている気がする。

 

 

 





都庁の展望室から見た新宿中央公園。これでもほぼ半分。










新宿中央公園はまさに西新宿のシンボル的な公園。
1968年に東京都立の公園になった後、75年に新宿区に移管しています。
入り口には「新宿ナイアガラの滝」なんて滝があったり、
ビル群の一角なので滝前の広場はオフィスで働く人の憩いの場。 


あとは撮影にもよく使われています。『太陽にほえろ』『キイハンター』なんかもそう。
懐かしいですよね。でも昔のドラマや特撮にはこの西新宿の風景がよく出てくる。
恐らく70年代頃、東京の大都会を体現する場所が西新宿だったんでしょう。
地方に住む子供達も、その大都会の姿に憧れを抱き“いつかあそこに”と思ってたに違いない。 


そう言えば昔はもっと田舎の子供は田舎っぽく、都会の子供は都会っぽくだった気がします。
差別的な事を言っているのでは無く、線引きがはっきりしていた。
それは都内でもそうだったんでしょう。下町の子は下町っぽく、山の手の子は山の手っぽく。 


僕は“身の丈に合わせる”という言葉が嫌いではありません。
その身を大きくしようと頑張るから、人は努力をすると思うんです。
身を大きくしようとしていないのに、身の丈以上の振舞いをするから、
何だか現代はちぐはぐになってしまった様な気もするのです。 


あまり自分も人様の事は言えないですけど…しっかり自分の身の丈を図る作業もしないとなぁ。
“花の都・大東京”にいて、その大きさを体感するのなら、やはり新宿が良いのかもしれない。
ちなみにここ【新宿中央公園】の広さは8万8065㎡。

 

そう言えば東京に家探しをしに来た時、西新宿に泊まった。
その時は「あっ、近くに広い公園があるんだ」ぐらいにしか思わなかったが、
それから数カ月後、サークルのロケでドラマ撮影をした時にこの公園を使ったのです。
懐かしいですね。アナウンス研究会なのに刑事物のドラマなの(笑)
文化祭で発表する1年生だけのドラマだった。
さぞかし井門も派手な役柄…と思いきや、ミュージシャンで殺される役。
中央公園で弾き語りしてる所のカット、刑事の聞きこみを受けるカット、死んでるカット。
確かその3つのカットだった様に記憶しております。
恥ずかしすぎて、絶対に見たくないドラマです(誰が映像を持っているのかさえ不明)

 

今回の旅日記はどうした事か、井門の独白が多いなぁ…。
井門の脳内を旅行してるみたいだぞ、と何か気付いちゃった皆さん。
そうなのです、そろそろこの辺りから井門に異変が起きてくるのです。
思い返せば年始から少し体調を崩していた井門、この日も喉の調子が万全ではありませんでした。
早朝集合した時に久保氏に言ったもんです。“今日は声がおかしいかもしれない”と。
その予感が見事に的中しました。喋り手人生、初めての事でございます。

 

 

 

徐々に掠れていく声。

 

 

 

少しずつですが故・ラッシャー木村さんに近くなっています。
自分でも初めての経験で、実はこの辺りから歩いた景色の記憶があいまいです。
それぐらい焦っていたのかもしれません。皆も気を遣って“喋らなくて良いよ”と言ってくれる。
もう2011年最初のYAJIKITAロケから涙が出そうです。33歳。 


悲しみに打ちひしがれながら、中央公園を横切って西新宿の旧市街の方へ出てみました。
この辺りは皆さんがイメージしている新宿とはまるっきり違う新宿の姿が広がります。
住宅も昔からの(戦前か?)建物や、映画「神田川」に出てきそうなアパート、
コインランドリーや「パーマ」のフォントが懐かし過ぎる美容院、
八百屋さんのおじさんが地元の奥さんにおまけしている風景、銭湯、中の見えない喫茶店、
探せば沢山の昭和が出てくるのですが(あっ、野良猫もいっぱい)、
この辺りも大江戸線「西新宿五丁目駅」が出来て随分変わったと言います。

 

OA上はここで、55年前から店をやっているお蕎麦屋さんに行くんでしょ?
ところがですよぅ、ロケでは私、行っていないのです…。
お邪魔した【福助】さんの取材時刻が夕方だったので、
後で引き返して、この部分だけ収録というスケジュールで組み立てていたのですが…何せ声がアレで。
【福助】の御主人【風間守】さんへのインタビューは、久保氏にお願いし…。
という事で、写真でお楽しみ下さい!!

 

 

 








淀橋浄水場があった頃の西新宿



昔の「福助」


風間さん、ありがとうございました!

 

 

 

 

YAJIKITA一行は神田川沿いを歩いていました。
青梅街道に向かって歩くと、神田川を挟んで左は昭和の住宅風景、右は超高層ビル群。
こんな景色、日本でも間違いなくここだけでしょう。

 

 

 

 

 


住所は西新宿でも、神田川沿いはとってものどか











神田川がその浸食を止めている様にも見えます。だけど、もうすぐそこまで、
西新宿八丁目まで高層マンションが出来上がろうとしている。
“都市化の浸食”って言葉がぴったりだと思う。それが果たして良い事なのかは分からないけど。 


ただ僕らは壊した物は、2度と取り戻せないのだと言う事にも気付かなきゃならない。
昔ね、リバークルーズをした時のガイドさんが言ってたのが忘れられなくて、
たまに友達にも教えてあげる話があるのですが、
東京で暮らす人は地方出身者が多いというお話です。それにどんな弊害があるのか。
地方から東京の大学にきて、そのまま東京の企業に就職。
家族を抱えた働き盛りの年齢で東京で暮らしている人間は、
もっとこの街が便利になる様に様々な物を壊し新しい物に作り替えるんだ、と。 


そのくせに自分達が定年すると“やっぱり田舎で暮らしたい”と東京を放棄する。
東京という場所はそれの繰り返しなんだ、と。
“もっとこの街を愛して下さい”って仰ってたなぁ。
こうやってロケに出て、都市化の浸食を目の当たりにして、その言葉を思い出しました。

“街”が“町”を食べているみたいだった。
文化や歴史、人情という味付けがされていて、さぞ美味しいんでしょう。

青梅街道に出ると大きな橋が。
これが皆さんお待ちかねの【淀橋】になるわけです。







青梅街道にかかる「淀橋」










もともと【淀橋】っていうのは地名なんです。
浄水場の所でも触れましたが、もっと詳しく言うと【区の名前】でもあった。
東京って23区の前に35区制を敷いていた時代があり、【淀橋区】もその一つ。
後ろは中野区、目の前は新宿区。丁度狭間にあるのが淀橋なのです。
交差点には今まさに建設中の高層マンションがあったりして、さっきの言葉がまたよぎるのです。

 

青梅街道を歩いて成子坂を登っていると(非常になだらかな坂がずーっと続く、いやな坂)、
左手のビルとビルの狭間に石造りの鳥居を発見。
これが学業の神様・菅原道真公ゆかりの【成子天神社】であります。

 

 

 

 


ビルに挟まれた鳥居を発見!



成子天神社



境内にある富士塚


蒲田さんと一緒に!

 

 




名誉宮司の88歳(!)鎌田成史さんにお話を伺いました。
鎌田さんは生まれも育ちもここ新宿。
子供の頃は畑しかなかった土地の変貌に、やはり戸惑いもある様です。
ただ神社の役割は地元の人に安心を与える事。
これからもこの場所を守り抜いていく、との事でした! ってか88歳に見えない!
あっ、神社では勿論、全国の受験生の皆さんの合格を祈願してきましたからね!!
頑張れ受験生、負けるな受験生! 体調管理に気を付けろよ…。

 

 

 

 


再び兆候ビル群の中を抜けて…


今回のゴール地点、新宿駅西口に到着!

 



というわけで、エンディングですよ。トホホ。
新宿西口ロータリーの小田急ハルクの前でのエンディング。
行き交う人達は晴れ渡る新春の新宿を楽しそうに歩いています。
どよーんとしているのは我々ぐらいなもの…。 


古田君には『ユン●ル買ってきましょうか!?』とまで言われる始末。
最後の風間さんへのインタビューを残してギブアップする時、
ほとんど出ない声で「この声ではインタビューが成立しない。」と言って久保氏に後をお願いした時の、
彼の冷酷な顔が僕は忘れられません。気付いていないかもしれないけどね、凄い顔してた(苦笑)
2011年の幕開けがこんな風になってしまったのは、これもヤジキタなのかなと。

 

でもね、僕はこの新宿まで辿りついて気付いた事があるのですよ。
【山手線ぶらり】のゴール地点でいつも思うのは、「イメージと違った」って事。
どの駅を歩いていても、抱いていたイメージと違い、人は温かく人情に溢れ、
歴史と生活があり、しっかりと東京の文化を守っている。
これを新宿も含めて全ての駅の【ぶらり】で思ったわけです。 


となるとですよ、“イメージって何なのよ?”って事に・・・なりませんか?
そもそも一体東京のイメージって誰が作ったんでしょう?
いや僕が抱いているイメージは僕が形成したんですけど、
だから言い換えると“そのイメージを誘導させたのは誰だ?”って事です。 


これはね、きっとマスコミなんですよ。
どれがとは限定出来ないくらい首都東京の情報が氾濫していった中で、
東京の情報というと流行や最先端や危険や楽しいや、そういう俗な事に特化してしまった。
東京はね、俗っぽさもあるけど、だけどもっともっと魅力的な街なんです。 


表層だけを見て、流行りの街に住んで“私達はキャナリーゼです!”と言っている人間こそ、
東京の本当の姿を見て、ちゃんとこの街を愛すべきなんです。
歳を取ったらこの街から離れるんぢゃなく、歳を取っても快適な街であるよう努力する。
自分が暮らした街も愛せない人間が、どうして他人に優しくなれますか。

 

2011年の山手線ぶらり。
僕らは完走を目指すと共に、東京についてしまった負のイメージを変えます。
この街をもっと多くの人間に愛して貰いたいから、今年もこの街を歩き回ります。
【東京探訪】と名を変えた【山手線ぶらり】の枕詞。
読んで字の如く、東京を探し、訪ねる。
本当の姿というものは、表面からでは見る事はできません。
沢山歩いて、探して訪ねるから見えてくる東京の姿を、皆さんに今年もお伝えします!
どうか今年の【ぶらり】もお楽しみに~!!