東京探訪 山手線一周ぶらり旅 新宿~新大久保編|旅人:井門宗之
2011-01-29
A「井門この前、声相当ヤバかったよねぇ…。ヒソヒソヒソ。」
B「もう井門の時代も終わりって事ぢゃないの?」
C「えっ、そんな時代あったっけ? ヒソヒソヒソ…。」
新春の意気込みというのは恐ろしい物であります。
本人が意気込めば意気込むほど、悪魔は微笑みかけるわけで。
どうした事でしょうね、本来ならばパワースポットを巡っているはずなのに声が出なくなる。
いやね、多分これはここをお参りしなかったら…、
もっととんでもない事が起きていたんだよ。
そう思う事にしましょう。うん、そうしよう。
というわけでOA上は何事も無かったかの様に進んだこの回。
*OA上はとか言うのやめ。
新春2度目のロケも【山手線ぶらり】なのであります。
ついに“待ち合わせが新宿”という快挙を達成したYAJIKITA。
YAJIKITAってどこにいても、朝早いんだよね基本的に(苦笑)。新宿、カラスが鳴いてたね。
カラスの鳴き声を合図にするかの様に、今回はコリアンタウン! 新大久保に向かう我々。
| 駅前にあるスタジオアルタ! タモさんいるかな? |
ここでまずは恒例のメンバー紹介と行きましょうか。
50代女子に非常にウケが良いと評判の軍師! 作家:久保氏!
昨年のヤジキタレジェンドでは映像大賞! D:横山氏!
早稲田大学出の秀才! カメラマン:古田君!
年明けから病のフルコースを味わったぞ! 旅人は御存知井門P!
このおっさん4人が新宿東口で待ち合わせしたのだが、早速ヤマダ電機の大きさにビビる(笑)
新宿の駅周辺の様変わりする速度は、本当に呆れてしまう程早いですね。
インターネットでお気に入り登録していた店の情報が、半年で「検索不能」になる事もある。
大好きだったジンギスカンの店も、いつの間にか無くなっちゃってたんだよなぁ。
これが新宿という街が持つ一つの性格なのであります。
多くを受け入れる、という事は多くを排除していく事でもある。
流行を受け入れる、という事は流行に乗れない物事を排除していく事でもある。
ただし、ここで言う“流行”とは“あくまでも新宿の中の流行”であり、
世間一般の流行とはまたちょっと違う事も、知っておかなくてはいけないのであります。
逆に受け入れられれば、とことん抱きしめてくれる街でもあるのかなぁ…。
僕は東京で10年以上暮らしていますが、どっぷり新宿を堪能している訳ではないので、
その辺りはまだ分かりません。ただ、渋谷や池袋に比べても、この街は好きなんです。何となく。
| 新宿大ガード西交差点。ガードは山手線などのJR各線ね! |
ヤマダ電機の大きなビルを横目に靖国通りの【新宿大ガード】をくぐり抜けた我々。
*新宿大ガードは東京に大雨が降ると、よく冠水する場所でも有名。
大きく開けた場所、小滝橋通りに出て参りました。
小滝橋通りは今も昔も、新宿のラーメン激戦区として有名な場所。
なんてったって【麺屋武蔵】が店を構える場所ですから、「なるほど」なわけです。
| 小滝橋通りを入って200m位の路地にある 「麺屋武蔵」 |
思い返せば、ラーメンがここまでのブームになる前夜、麺屋武蔵はここで産声を上げました。
ラーメンの本場札幌から上京してきた僕は、東京のラーメンが苦手で・・・。
どうも魚でとる出汁の匂いがダメだったんだろうなぁ。
“煮干しの匂いの強いラーメンなんて、ラーメンぢゃない!”ぐらい思ってた(若さゆえ)
ところが友人から「小滝橋通りに物凄く旨いラーメン屋がある」と聞いて、
話半分に出かけてみたのです。「物凄くって事はないだろう」とブツブツ言いながら。
到着したのは開店後30分程度の頃だったかなぁ、お店は既に大行列で。
僕も20分程度並んで店の中に入ったんですけど、まぁ店内のお洒落なこと!
JAZZが流れていて、お店のスタッフの方もゴツいんだけど丁寧。
作っているのは間違い無くラーメンなんだけど…、このギャップ。
視覚でこの世界にすっかり魅了された僕は、いつの間にか夢中でラーメンをすすっていました。
夢中になる程、旨かったんです。麺にもスープにもチャーシューにも驚いた。
僕の小滝橋通り体験は、だからラーメンとは切っても切れない関係にあるのです。
小滝橋通りを職安通りの方に歩きながら、久保氏も昔話。
なんと、この何の変哲も無い通りに【チームYAJIKITA】2人も思い出が詰まっている(笑)
久保氏は昔々、なんと小滝橋通り沿いのマンションに暮らしていたというではないか!?
20年ぐらい昔の話なんだけど、きっと若かりし頃の久保氏はこの街を謳歌していたんだろうな。
久保氏はねぇ、皆さん。何でも楽しむ事の出来る、遊び心のある大人なのです。
そんな大人が、この“遊び心しかない新宿”に暮らしていたんだもの。
話を聞けば、今でも新宿は、毎週「ぶらり」しに来る街だとか。
新宿も怖い街の印象が強いですけど、そんな事ないよね? 久保氏?
前回の旅日記にも書きましたが、負のイメージが先行し過ぎた感のある東京。
でもどんな場所にも一流の面白さが詰まっているのは間違いないんです。
身の丈を知って、自分の身の丈にあった遊び方をすれば、こんな面白い街は無い。
小滝橋通りにしてもちょっと裏に入ると面白い店がいっぱいなんですよ~。
僕も好きなお好み焼屋さんがあったり、雰囲気の良いバーがあったり。
ちなみにインディーズのCDショップや、ヴィジュアル系のグッズショップなんかもあり、
“知っている人”は必ず押さえている地域でもあったりします。
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小滝橋通りを昔話をしながら職安通りへ数百m。
大きな交差点に出ると、その名も【北新宿百人町】。
新宿のイメージは西・東・南が強かったので、【北新宿】って何だか新鮮です。
新宿を背にしてこの交差点を右に曲がると、何やら大きなショーウィンドウのある建物。
ベッドが・・・多い? ほほぅ、フランスベッド・・・?
そうなんです、かの有名な【フランスベッド】さんは北新宿にあったのですねぇ。
台本には「フランスぢゃなかったんですよ!」って書いてありました。く・久保氏…。
フランスベッドを横目に見ながら中央線のガード下を潜った所で、中央線沿いの路地へ。
これは珍しい! 僕らは中央線と山手線に挟まれた場所を歩き始めました!
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ちょうど職安通り付近で山手線と中央線が別れていく。 同じ場所から左右を見ると、両線のガードが! |
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しばらく進むといつの間にか右も左も住宅街。
ここも…、新宿なんだよなぁ。圧倒的にくたびれた(失礼)アパートや雑居ビルが多い。
この辺はどんな人達が暮らしているんだろう? すぐ近くは新宿のネオン街だ。
少しだけ想像力を夜の方向に押し出してみると、色んな物語が溢れてくる。
頭の中で物語を紡いでいると、居酒屋(だったらしい)『おいどん』と言う店の名残。
扉には「長くて短い間お世話になりました。」の文字。
すぐ近くには『デザインパーマ・オオノ』。
さらに『日本易道学校』や『ビジネスホテル つばくろ』など佇まいが何とも言えない。
話を脇道にそらすとですね『日本易道学校』は占い師になる為の専門学校みたいです。
調べたら結構沢山の学科がありました。『つばくろ』はビジネスホテルとして、
仕事等で東京に来る人が泊まるには立地と料金ともになかなかの評判。
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ただこの辺り、駅からは近いと言っても住宅街は途端に人通りが少ないんだよなぁ。
大通りに挟まれている筈なのに、路地がこんなに狭いのは何故なんだろう?
そんな事を考えながら歩いていると、久保氏がこんな事を言い始める。
久保氏「なんで百人町って呼ぶか分かる?」
井門「ん? 確かに、普通に呼んでたけど変な地名だよね。」
久保氏「今からその謎を知っている人に会いに行くから。」
とは言え、実はまだ朝も8時台(苦笑)待ち合わせの時間まで少し時間がある。
我々は珍しく、優雅に朝のコーヒーを飲んで時間まで待ったのでありました。
そうそう、朝のコーヒーは大久保通り沿いの●ックで飲んだのですが、
朝8時台だと言うのに、既にかなりのハングル語が飛び交っているのね。
やはり新大久保は日本最大級のコリアンタウンなのだなと実感。
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百人町の謎を知っている方と待ち合わせたのは「皆中(かいちゅう)稲荷神社」という神社。
この辺りの総社として代々この地を守っている神社なのですが、
なんせ神社の名前が【皆=みんな】【当=あたる】ですから、
今ではギャンブルや宝くじが当たる御利益に授かれる神社として大人気!
取材日は土曜日だったのですが、いや~、朝も早い時間から参拝客が(笑)
明らかに土曜競馬に出陣するであろう御仁が、仲間と連れだってお参りに来ていました。
きっとあの方々はその日、いい馬券を当てたでしょうね!
ここで待ち合わせをしていたのは、江戸幕府鉄砲組百人隊保存会の事務局長:泉毅さん。
実はこの大久保という地域、江戸時代に鉄砲と深い関わりがあった場所なんです。
江戸時代には「鉄砲組百人隊」と言う江戸城を守る警備隊がいました。
江戸城を守る=将軍様を守ると言う事ですが、有事の際はそれが鉄砲組の役目だった。
ところが時は太平の世・江戸時代。なかなか仕事も無いまま、鉄砲組はその職に就いていたそうです。
その鉄砲組の組屋敷があったのが、この大久保の地と言うわけ。
百人組の組屋敷があった事からこの地域を【百人町】と呼ぶようになったそうです。
ちなみに皆中稲荷の名前も、鉄砲組の与力が夢枕にお稲荷さんが出てきて、
射撃の腕が百発百中になった事にちなんで、いつからか「皆中のお稲荷」と呼ばれたとか。
そして【職安通り】と【大久保通り】という大きな通りに挟まれているにも関わらず、
路地が物凄く細くて入り組んでいる理由に関しても・・・、
泉「この辺りの道路や区分けは、江戸時代から変わっていないんですよ。
百人組が暮らしていたから、安全性の面で中に沢山の人が入って来られない様にしたんでしょう。」
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百人組の仕事内容で興味深かったのは将軍の警護のお話。
もしやむなく将軍が江戸城を逃げ出さなくてはならなくなった時、
甲州街道は将軍が甲府へと逃げる逃走経路になったそうなのです。
ちょうど僕らが仕事をする半蔵門から出てきて、甲府まで。
鉄砲組百人隊は将軍を警護しながら、八王子の鉄砲隊の所まで運ぶのが仕事だったそう。
ただやはり太平の世の中で鉄砲隊の仕事も無く、
低賃金で食べられなくなった鉄砲隊は内職をする事も多々あったとか。
ただその内職で栽培した【つつじ】が評判を呼び、以来この地の名産になったそうです。
この辺りの学校の校章につつじが使われる事も多いそうですが、
何よりも【新宿区の花】って【つつじの花】なんですよね!
それもこれも全て鉄砲組百人隊のお陰なのだから、歴史って凄いです。
ちょっとした不便から始まった内職が、未来にこんなに太く繋がってるんですもん。
ちなみに江戸幕府鉄砲組百人隊保存会の活動は今年で50周年。
この日は僕も歴史と伝統ある火縄銃を持たせて戴きました! 相変わらずのへっぴり腰だ・・・。
泉さんから皆中稲荷神社の御利益のある絵馬を戴き、神社を後に。
そう言えば、ここから50mくらいで山手線・新大久保駅に着いちゃうね。
どうするのかなぁ、とソワソワしていると、
久保氏「はい、こっから職安通りまで戻りまーす。」
うん、やっぱり(笑)
一旦我々は職安通りまで戻り、山手線の内側・東側をぶらりする事にしました。
こちらはもう看板から飛び交う言葉から、韓国語ばかり!
まさに異国の印象を受けますが、ここが日本最大級のコリアンタウンなのです!
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トッポギの屋台があったり、ドン・キホーテにもハングルが並んでいたり、
色とりどりの看板は夜に来ると更に異国感が増すというもの。
それでも10年前にはちょっとディープ過ぎて、夜の一人歩きは怖かったそうです。
確かに僕が大学生の頃は「新大久保」って名前も頻繁には出てこなかったなぁ。
我々は様々なお店が並ぶ中で、24時間年中無休の【韓国広場】さんへ!
ここは要するにスーパーマーケット。軒先に野菜や果物が並んでいるが、
辛い旨い韓国ラーメンセットという箱が韓国感を醸し出している(笑)ここは韓国か!? と錯覚する。
中に入ると丁度忙しい時間だったらしく、店内はお客さんでいっぱいだ。
レジが数台並ぶ横には、新鮮な野菜が所狭しと並んでいる!
店長の趙碩済(チョ・ソクジャ)さんにお話しを聴いてみた。
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趙さんによると、実際のお客さんは現在7割が日本人だそうで、
皆さん珍しい韓国の食材を求めていくそうです。韓国料理ってブームの火が消えずに定着しましたからね。
店内を見渡すと、珍しい細長い【韓国カボチャ】、【唐辛子辛口200g】298円、高麗人参も!
白菜の横にはキムチになりそうな食材がやっぱり定位置にあるのね(笑)
他にも【韓国式のり巻き】の【キムパプ】、お惣菜コーナーに並ぶのは【トッポキ】。
【えびせん辛口】(!?)、チャンジャ、袋入り乾麺もやっぱり【辛ラーメン】が大人気。
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でも何より驚いたのは、壁一面のキムチ冷蔵庫。
全部で20種類近くのキムチがたっぷりと冷蔵庫で冷やされている。
取材中も次から次へとお客さんが手にしていくので、扉が閉まる暇が無い(苦笑)
趙さんも照れ笑いをしながら、日本人のお客さんが増えている事を喜んでいました。
韓国とは色々繊細な問題も抱えてはいるが、こうして庶民の食文化で見ると、
笑顔と友好で溢れていたりするのです。
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『韓国との笑顔と友好』と言う意味で言えば、最近はやはり音楽でしょうね~。
僕も別番組の中でK-POPを紹介するコーナーをやっていますが、
特に去年の韓国ガールズグループの台頭は凄かった。
最近はまた色んな問題が出てきてはいますが(勿体ないね)、
皆さんも随分と韓国音楽を身近に感じているのではないでしょうか?
実は新大久保にはそんなK-POPの発信地として【聖地】と呼ばれる場所がいくつかあります。
我々はその中の一つ、【コリアプラザ】にお邪魔する事にしました!
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こちらのお店には日本語字幕の無い韓国映画のDVD、FTIslandなどのサイン色紙、
ユン・シユンのパネル、ドラマのOSTも沢山並びます(勿論どれも大人気)。
あっ、忘れちゃいけないヨン様のカレンダーもしっかり押さえている。
ヨン様のカレンダーの前でこっそり「眼鏡市場…」と呟くも、誰にも気付かれず…。
それにしても店内の女子率高い、ほぼ9割は女子なのであります。
韓国テレビ番組のDVDレンタルや、チマ・チョゴリのレンタルなんかもやってる。
まさに韓国の芸能文化のカリスマ発信地なのであります。
こちらでお話を伺ったのは【コリアプラザ】のマネージャー、竹内吉将さん。
唯一の日本人スタッフとの事でしたが、やはり相当の韓国音楽事情通。
ここは同じ番組で喋る韓国通・森藤情報を多用せねば(要は“しったか”ね)
イ・モン「やっぱり日本にもテルミーシンドローム到来ですかね(どや顔で)。」
竹内「おぉ、よく御存知ですね。確かに新たなテルミーシンドロームはきそうです!」
よっしゃ!!(あとでちゃんと森藤にはメールしておきましたから…)
しかし竹内さんのお話を聞けば聞くほど、日本と韓国の音楽事情は違うようですね。
まずマーケットの規模が日本に比べて小さい(人口約五千万人)。
それとCDのそもそもの価格が安いので、利益が出にくい。
そもそも海賊版が横行しているので、CDが売れない。
韓国のアーティストが日本を活躍の場として来るのは、自然の摂理なのかもしれない。
日本だけじゃないですよ、中国やアメリカをセールスの拠点として活躍するアーティストは、
そのマーケットに合った売り方をしっかりすると言います。
CDが売れない売れない、と悩む日本のメーカーも、戦略として学ぶ事は多くなるでしょう。
これかも韓国の新たなグループが日本で活躍するのは間違いありません!
皆さんも第2、第3のKARAを見つけてみませんか?
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さぁ、こんな感じでどっぷり韓国に染まって、店を出たあたりで井門は目を細めながら、
韓流スター、イ・モンスを気取る。モン様の誕生だ。
久保氏「よし、ぢゃあモン様よ。本場の韓国料理を食いにいこう!」
モン様「アンニョンハセヨ!」
新大久保の事情通・久保氏の言うところでは(もう今回は“新大久保氏”でよくない?)、
最近の韓国料理屋さんはオーナーが日本人だったり、
どっぷり観光地化の影響で、あまり質の良く無い韓国料理を出す店も増えたそうな。
そんな中でこれから僕らが向かうお店は【韓国の家庭料理】をリーズナブルに楽しませてくれるらしい。
久保氏も既に常連の風情らしく、オモニがとても良い人だとしきりに話してくれる。
久保氏「昨日もロケハンで来て随分一緒に飲んぢゃったよ。」
これは頼もしい。あの“土湯温泉の悪夢”が蘇らない事を願うばかりなのです…。
我々は久保氏の先導で【職安通り】と【大久保通り】を結ぶ路地へと入りました。
こういう路地こそ10年前は危なくて夜道は一人で歩けなかったはずなのに、
今では右も左も韓国料理の店や韓流アーティストのグッズショップばかり。
電柱にもハングルが目立っているのが凄い。
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職安通りから路地に入ると、も~日本とは思えない! |
昭和と平成の狭間にある様な建物群の中に、日本と韓国が線引きをしっかりしながらも共生している。
何となくそのバランスは危うい様に感じてしまうのですが、
それでも韓流スターのグッズショップ前で黄色い声を上げている女子を見ると、
「あぁ、この街は随分と変わったのだなぁ」と思わざるを得ないのです。
言い換えると“危うさ”の質が変化していったのかもしれません。
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大久保通りも、連日すご~い賑わい! |
僕らは不思議な混沌の中を抜け、目指す【美名家】という店に向かいました。
【大久保通り】沿いの店構えだが、初めてのお客さんは入りにくいかもしれない。
だけどこのお店こそ、ラジオは初登場の韓国料理店!
肝心の入り口は雑居ビルの2階にあり、1階には料理の写真やお客さんの写真が並ぶ。
久保氏曰く「ほんっとにオモニ(女将さん)がアットホームで居心地いい!」のだそうだ。
横山氏と僕、古田君はそんな久保氏の言葉に後押しされる様に、階段を昇った。
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(恐る恐る扉を開けながら)
イ・モンス「こんにちは~、お邪魔しま~す!」
オモニ「あぁ、お帰りなさい!」
僕らを満面の笑みで迎えてくれたのは權美名(クォン・ミナ)さん。
来日して25年、この新大久保の移り変わり…というか東京の移り変わりをど真ん中で見てきた人だ。
だからなのかもしれない、全てを包んでくれそうな明るさがある。
オモニ「おぉ、久保さん。よく来たね! 昨日はあれから真っ直ぐ帰ったの?」
久保氏「いやぁ、けっこうウロウロしちゃってさ。あっ、お茶頂戴。」
オモニ「はいはい、いま持ってくるからね。」
久保氏とオモニのやり取り、完全に常連さんぢゃないですか!
きっと久保氏のお陰でラジオ初登場にも関わらず、出演を快諾してくれたんだね。
イ・モンス「オモニ、久保氏とは付き合い長いの?」
オモニ「えっ? あぁ、そうね。今日で4回目?」
一同「えぇぇぇぇえええっっ!!?」
そうなのです、久保氏とオモニは最近知り合って意気投合したと。
でもね、驚く僕らにオモニがこんな事を言いました。
オモニ「仲良くなる人とは初対面でも気が合う。
何回会っても仲良くなれない人っているでしょ? 友情は会った回数じゃないのよ。」
オモニの言葉はまるで正しくて、きっとこの人の清らかな心がお客さんを寄せるんですね。
しかも寄せられるのは一般のお客さんだけぢゃないようで…。
僕らが通された部屋は小さな個室になっているんだけど、ここが凄い。
部屋の壁一面にはSS501やFT islandのポスターが貼ってありまして、
後ろの壁にはサインもあるわけです。韓国のアーティストや有名人も来るのか聞くと、
SS501ヨンセンとキュジョン、FT islandのホンギが来たというではありませんか。
しかもオモニ、ホンギとは仲良しらしくライブにも必ず足を運ぶんですよ。
それもあって、ファンの間では店のこの個室が聖地になっているそうです…。
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色んなお話を伺うのも良いのですが、なんせ一日中歩いてお腹空いた!
僕らは早速【美名家】自慢の料理の数々を戴くことにしました。
まず出てきたのは次から次へと攻めてくる小鉢の数々。
ナムルや様々な種類のキムチが出てくるのですが、何とこれサービスなのです!
本場韓国ではお通しの様にサービスの小鉢が出てくるのは当たり前。
しかもここのキムチは、何とオモニ特製の自家製キムチ。
新大久保の韓国料理屋さんで、自家製キムチを出してくる店も随分減ったそうです。
そんな話を聴きながらキムチを噛み締めると、ちゃんと野菜の旨味がして、ピリっと辛くて。
珍しいキムチで言うと『チョンガキムチ』。
チョンガとは韓国語で独身男性を指すわけで、小さな大根のキムチなんですが…。
それが男性のアレに似ている、という事でチョンガキムチ、と。説明しながらオモニ爆笑。
何だかネタっぽくなってしまいましたが、大根の辛みとキムチの辛さが絶妙でした!
他にも自慢の料理が次から次へと出てくる出てくる。
写真も併せてお楽しみ下さい!
ポッサム …豚の三枚肉の塊と牡蠣をスパイスを入れて味付けしたもの。)
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カルビチム…骨付きカルビを蒸したもの。
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ネギ海鮮チヂミなどなど。
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僕らが「旨い旨い」と言いながら食べていると、厨房から今度は何やら不思議な物が。
見た目は【ゴマ豆腐】のような寒天状のものだが…、
実はこれドングリを擂り潰して煮固めたゼラチン状のもの(恐らく寒天か何かで固めた)!
作ってくれたお母さんも途中で様子を見に来て「(韓国語で)どう、美味しい?」と聞いてくる。
恐らくは韓国の家庭料理の一つで、自慢の逸品なんだろう。
僕らが「マシソヨ~!」と言うと本当に嬉しそうに目を細める。
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久保氏「折角オモニがいるんだし、井門も韓国語を習おう!」
そう言えば韓国語って数える程しか言葉を知らない。
でも最近はK-POPの影響もあって韓国語を学ぶ人も増えているとか。
これは国際派DJとして習わない手は無い(苦笑)
何と我らが軍師:久保氏は前日の夜にこの店に来ていた常連さんに、
色んな韓国語を教えてもらいながら問題を作ってきたと言うではありませんか。
面白い物を最初から作ろうとして、色んな準備を怠らない。
これがYAJI魂(ヤジこん)なのであります(久々に出たね)。
久保氏が作ってきたのは、白いフリップの表と裏に韓国語と日本語が書いてある物。
回答者の井門Pに韓国語(片仮名で読み方が書いてある)を読ませて、
“日本語ではどういう意味なのか?”を当てる言語ゲームであります。
それではここで皆さんにもいくつか問題を出してみましょうか!
まずはこちら!
잘 먹겠어요 (チャル モクケッソヨ)
さぁ、何だか分かりますか?
ヒントは【ご飯を食べる時の言葉】です。
はい分かりましたね? 正解は…【いただきます】でした。
続いて第2問です! ヒントは【優しさへの言葉】です。
고맙습니다 (コマプスムニダ)
はい、これは知っている方も多いかもしれません。
正解は…【ありがとうございます】でした。
続いてはノーヒントでいきましょう! こちら!
정 문 종 지 (チョンムンチョンチ)
これはさっさと正解にいきますが、
正解は…【井門宗之】でした! チョンムンチョンチて…。
さてフリップが出て僕がそれを読む、という事を繰り返しながら、
オモニには発音を直されたり丁寧に教えて貰っていたのです。
ところが、次の言葉を言った途端にオモニが大爆笑するではありませんか。
「?」となる井門P。待て待て、何が面白いんだ?
オモニ、これは僕が言うと韓国の方はどんな反応を返してくるんですか?
オモニ「いやぁ、“そうなんですか?”って聞かれると思いますよ(笑)」
笑いが止まらない様子のオモニ。そして久保氏も横山氏も古田君も笑っている…。
僕が喋った韓国語は少し長めのもの。
나는 남자를 좋아합니다
(チョヌン ナムジャルル チョアハムニダ)
あっ、いまPCの前の韓国語が分かる方が笑ってる!
そうなんですよ、僕はねこれを大声で言わされたんだ。
正解は…【僕は男性が好きです】だったのです…。
あ~、なるほどね。井門のこの中性的な感じが何とも言えない雰囲気を醸している、と。
確かに入社してからというもの、私にはそういう噂が付きまとっておりましたわ。
結婚してからは随分とその炎も沈静化したものの、昔から付き合いのあるスタッフは、
未だに井門=中性的説を酒の肴にして喜んだりしている。
ここで声を大にして言わせて戴きましょう!
違うわっ!!
こちとら正真正銘のストレートだわい。
ストレート過ぎてちょっと渋い紅茶のようだぞコンニャロー(意味不明)。
とまぁ、こんな風に笑いが絶えない取材だったわけですが、
僕らも取材とは言え珍しいマッコリなんかを沢山飲ませていただきました。
するってぇと、いつの間にか知ってる声が聴こえてくる。
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中田「遅くなってごめ~ん!」
はい、ここで美香さん登場(笑)
実は新大久保にはよく出没している美香さんが、韓国料理の取材と聞き付けやってきたのです!
おっさん4人に花を添える天下の中田美香!
オモニ自慢の韓国料理をつつきながら、新大久保の夜は更けていったとさ…。
オシマイ。
とは・・・いかないのね・・・。
そういや、まだエンディングの収録が終わってないもんね。
我々は重い腰を上げて店を後にし、一路新大久保の駅へと向かいました。
*店を出る時もオモニが外にまで出てくれて、僕らが見えなくなるまで手を振ってくれました。感謝。
冬の寒さも温かい韓国料理で心も身体もポカポカのYAJIKITA一行。
もうどうせだから、エンディングに美香さんも登場させよう、と(笑)
本編を聴いて戴いた方は、山手線ぶらり史上初めて2人でのエンディングが聞けたと思います。
美香さんも言ってましたが、
新大久保と言う街は、街全体が本当に人懐っこくて温かい所でした。
だけどそれは昔からこの街が【コリアンタウン】として、
人と人が肩を寄せ合って暮らしていた歴史があるからぢゃないだろうか。
確かに今は韓国ブームで、街には若い女性も沢山集まる様になってきた。
そしてそんな人達にも、この街の人は温かく接してくれる。
だけど僕らは想像しなければならないと思うのです、
何故ここで暮らす人たちがこんなに優しいのか? 人に温かく生きているのか? を。
街の姿をきちんと知ると、街での楽しみ方が分かってきます。
今回のぶらりで僕はまた一つ“東京の街の遊び方上手”になりました。
そして頭の中の“新大久保”という地図が、しっかり立体的に出来上がりました。
【東京探訪 山手線ぶらり旅】は、こうやって東京を立体的にしていく旅。
そしてついに、次回の【ぶらり】は山手線の半分に到達します!
次回OA日は3月の予定! 今度はここから【高田馬場】を目指します!
早稲田大学で有名な高田馬場では何が待っているのか?
大学生の頃、一瞬だけアナウンスの専門学校に通っていた井門。
思い出の地で一体何を見つけるのか!? 乞う、ご期待っ!!
≪オフショット≫
新大久保駅前でエンディングを録り終えた後の、ヨッパライ2名!
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