長崎冬の灯りの祭典~ランタンフェスティバルぶらり裏歩き~|旅人:井門宗之
2011-02-25
前回の放送で長崎リスナーの皆さんから、
「初めて井門さんのYAJIKITA聴きました!」とのコメントが多数寄せられました。
生放送とも違う、しかも何やらデレデレと嬉しそうな井門の声に、
長崎の皆さんには鮮烈な印象を与えたのではないかと、ビクビクしています。
しかもこの旅日記がやたらと長い。もうこれは名物のようなものなのですが、
妻に「旅日記書いたから見て!」と言っても、「今は集中力が無いから。」と断られる始末。
OAのレポートなのに集中力が無いと最早読めない、というのは読み物としてどうなのか!?
それでもお付き合い戴いている皆さんには、今日も感謝なのであります。
*twitterで呟く時は 「#yajikita」を付けて、ぜひ!
さて前回に続いて今回もランタンフェスティバル特集!
開催期間は既に終了してしまいましたが、その余韻を楽しみながらのYAJIKITAでございます。
今回は【ぶらり裏道歩き】と題して、ちょっと目線を変えたランタンの楽しみ方を御紹介しましょう!
…と何気なく旅日記が始まりましたが、実は滞在2日目は怒涛の1日だったのです…。
まぁ、旅日記の場合はOAの様にしっかり構成された内容ぢゃない、
いわゆるYAJIKITAの裏側をお見せする性質のものですから(誰が決めた!?)
しかも今回のOAテーマが【ぶらり裏道歩き】でしょう?
旅日記だってちょっとは【YAJIKITA裏日記】でも良いんぢゃないかと…。
あれ、ミラクル吉武氏が「大丈夫か!?」って顔になってるなぁ。
いや、ある意味これはYAJIKITAスタッフの活躍譚なのです!
僕ぁ、今回の旅でこのスタッフの素晴らしさを目の当たりにして心強く思ったもの。
事の発端は前日の夜でございます。初日の取材を終えて晩御飯の最中でした。
長崎の郷土料理をオッサン4人でつつきながら、吉武氏と横山氏が不安そうな顔をしております。
横山「明日の軍艦島取材、この天候だと厳しいかもね。」
吉武「何せ波の高さが0.5m以下、風速0.5m以下が上陸の条件ですから…。」
長崎の夜は少し小雪がちらついておりました。
実は2日目の午前中から午後にかけて【軍艦島】の取材日程を入れていたYAJIKITA。
と言うのも以前からYAJIKITAでは【軍艦島】取材の計画を立てており、
今回ランタンの取材をするのなら何とか日程に組み込もう!と言う話になっていたのです。
しかもYAJIKITAスタッフの中、既に2名が軍艦島上陸を果たしているという、
少数スタッフでお馴染みのYAJIKITAの軍艦島率の何と高い事でしょう(笑)
出発前の会議では上陸組のメルシー・クボ氏とサリーから、天候に関する注意を促されます。
メルシー「軍艦島は上陸出来る可能性、半々ぐらいに考えておいた方が良いよ。」
サリー「でも上陸した時の高揚感はパねぇっす!」
出発前の会議からそういう注意を受けたので、横山・吉武両氏も情報収集に余念がありません。
その結果が「波の高さが0.5m以下、風速0.5m以下…」という話に繋がっているのです。
小雪が舞う長崎の夜、翌日の天気について我々はとにかく祈る事しか出来ませんでした。
*あっ、ちなみに【メルシー・クボ】についてですが、
飲みの席で久保氏を【メルシー・ボークー】と誰かが言った所から、
久保氏のコードネームがメルシーとなった…と(どうでもいい…ですか…?)。
はい、一夜明けて。
朝、目覚めると船の汽笛が聞こえます。
「あぁ、ここは間違いなく長崎なんだ。」と実感しながら、大切な事を思い出します。
“汽笛が聞こえるって事は船が出られる天候なのか!?”
長崎2日目、ランタンの取材は夕方。午前中は軍艦島の取材。
10時には長崎港へ行き、船に乗って軍艦島上陸を果たすのが今日のスケジュール。
午前10時過ぎ、我々は当然船の上にいなければいけない時間だ。
ミラクル吉武「いやぁ、どうしよう…。」
横山「高島まで行ければ何とかなるんぢゃ…。」
慶吾「腹減った。」
何と我々はホテルのラウンジにいたのだ。
恐れていた通り低気圧の影響で波が高くなり、この日の船は全便欠航だと言う。
今回のYAJIKITA長崎エディションは3週分のOA予定。
2週はランタン取材、もう1週が軍艦島の予定。
という事はそう…、業界用語で言う所の取材が1本飛んだのであります。
急遽ラウンジを作戦対策本部とし、案を練るYAJIKITA一行。
恐らく披露宴に参列するのであろう、綺麗なドレスを身に纏った女性達が、
この【どんより感】を身体いっぱいで表現しているオッサン4人を不審な目で見ている。
と、ここでミラクル&横山氏の口から驚くべき情報が飛び出した!
ミラクル「まぁ、こんな事もあると思ってたから、
他のツアーについても調べてあるんだけどね!」
横山「そうそう、このツアーだとこんな切り口で取材出来るよね!」
慶吾「腹減った!」
井門「お…おぉ…!」
流石は百戦練磨のYAJIKITAであります。こんなハプニングにも全く動じず、次の手を考えてくる。
こうして無事にランタン前に、とあるツアーの取材許可を戴いたYAJIKITAの旅。
目指す場所は【長崎まちなか龍馬館】。今日の移動始めはチンチン電車であります!
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長崎市内は古き良きレトロな路面電車が走っている。
歴史は古く1915年から開通していると言うから、長崎ッ子の自慢の一つでありましょう。
決して大きくもなく、速度も速いわけではないのですが、
これに乗りながら長崎の街を眺めていると、全ての景色が優しく見えてくるのが不思議だ。
ゆっくりと市街を走る電車から一旦降りて、目指す【龍馬館】は浜の町にありました。
実は我々が取材申請をしたツアーというのが、【長崎さるく】のツアー。
長崎は歩いて回ると様々な物が見えてくる一大観光名所。
ツアーガイドの方の丁寧な解説と、実際に歩いてこの街を見て回る事により、
観光客の方により一層長崎を楽しんでいただく…という魅力的なツアーなのです!
【さるく】とは前回の旅日記にも書いた通り、【ぶらぶら歩く】の長崎弁。
(社)長崎国際観光コンベンション協会さんが行っているこの【さるくツアー】は、
【通】【遊】【学】の3種類から選ぶ事が出来て、全部で50程度もコースがあるのです!
ミラクル吉武「やっぱり長崎と言えば、龍馬のコースですよね?」
横山氏「間違いないね、しかも“さるくツアー”の中で一番人気なんでしょう?」
どんな時にも動じない2人の姿が頼もしいったらない。
かくして我々は【長崎さるく】ツアーの中から、
【龍馬が見上げた長崎の空~風頭から亀山社中跡、そして寺町へ~】に参加しました!
このツアーに参加したのはおよそ15名ほど。皆さん龍馬ファンとお見受けします。
何故ならツアーが始まってから、観光ガイドさんへの個々の質問がなかなか鋭い。
ガイドさんも地元の方で、その立て板に水のガイドは僕も舌を巻くほど。
名前も福見千松さんというから、なんともめでたいお名前ぢゃないですか!?
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福見さんの御案内で【さるく】コースは、
上野家の墓地(上野彦馬が眠ります)、平成元年に建てられた坂本龍馬像、
亀山焼窯跡、若宮稲荷神社、亀山社中資料展示場などなど。
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この亀山社中資料展示場がなかなか面白いのです。
中には亀山社中のメンバーの写真や歴史などが展示されているのですが、
坂本龍馬のパネルを原寸大に引き延ばした物があり、横に立って背くらべが出来る。
龍馬の身長が176cmで当時の日本人男性が150cm位と言いますから、当時でもかなり大柄です。
さっそく意気揚々と横に並ぶ井門P。私の身長は180cm、並べば勝つのは知っている…。
余裕の表情を浮かべながら比べると…わかっちゃいるけど、井門Pの勝利!!
まぁどんな事でも、勝利するのは気持ち良いのです。
ところが、人が勝利に心地よくなっている時に、
慶吾「背だけはな…。」
と太っちょが水をさす。くっ…こいつは…。
ギャラ下げるぜよ~ぅ!!(器が小さ過ぎ)
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他にも途中で長崎名物のハタ(凧)を作っていらっしゃる、
小川凧店の見学があったり(御主人:小川暁博さん)、福見さんにハッサクを貰ったり。
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恐らくは龍馬が見た長崎の景色を僕らも堪能する事が出来ました。
風頭公園に建つ坂本龍馬像は腕を組んで長崎港を見下ろしています。
龍馬の実像にもっとも近い像と呼ばれるこの像の、何ともりりしいこと。
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【日本の夜明け】
坂本龍馬の時代にはそんな言葉が飛び交ったのだろう。恐らく。
【夜明け前がいちばん暗い】という言葉がある。
つらい時を越えれば、必ずその先には明るい未来がある、そんなニュアンスの言葉だ。
だとすると、現在の日本はどうだろうか。
守るものが何であるかをはき違えた人間達が、国民の上に立ち右往左往している。
龍馬の時代から一回りして、いまは夜明け前。
いや、いつ朝が来るか分からない真夜中なのかもしれない。
坂本龍馬が変えたかった日本の姿に、今の日本はなっているのだろうか?
長崎さるくの龍馬ツアーを体験すると、何となくそんな事まで考えてしまいます。
さて、龍馬ツアーを廻った風頭公園。なんせ山の上にあります。
そしてこの日は軍艦島ツアーが全便欠航になる程の風の強い日。なんせ寒ぃ…。
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YAJIKITAメンバーで唯一暖かそうなのが、歩くコタツ:慶吾くらいなもの。
我々は歯がガチガチ言うのをこらえながら(吐く息は真っ白であります)、
一路風間アナ・石井ちゃんに合流すべく【浜んまち会場】へと向かいました。
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山の上から街の中心部までも、賑やかな通りを歩いて30分程度。
道の両側にはまだ灯りの灯っていないランタンが並びます。
【浜んまち会場】で二人の美女と合流したら(こういうこと書くから怒られるんだね)、
いざゆかん食い倒れの屋台グルメ満喫さるく!!!
色々食べ歩いたので、ここからもミラクル写真館でご覧下さい!
*ミラクルさん、気の利いたキャプション付きでお願いしますよぅ~!
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はぁ、写真見ているだけでお腹が空くなぁ…。
ハトシは食べた事の無い食感だったのですが、揚げシュウマイの様で最高!
角煮まんじゅうは、言わずもがなの旨さとジューシーさで、長崎おでんもあっさりで旨かったなぁ。
お腹もばっちり一杯になって(それが証拠に慶吾が嬉しそう)、
今回の“ランタンは裏道ぶらり”ですからディープな回り方をしますよぅ。
みなさん、七福神詣でって御存知ですよね?
お正月に七福神が祀られているお寺を順番に参拝して、その年の福を祈願するもの。
実はこのランタンの会場にも、その七福神詣でのようなものがあったのです。
それが唐人屋敷会場の【ロウソク祈願四堂巡り】。
メインの湊公園会場からすぐ歩いた場所にあるのが、この唐人屋敷会場。
そもそも唐人屋敷とは、鎖国時代に中国から貿易の為に長崎に来た人達が暮らした場所。
いわゆる当時の中華風の長屋といえば良いでしょうか。
唐人屋敷のあった場所はいまでも残っていて、その面影も至る所に感じることが出来ます。
約9400坪の土地に2000人もの収容能力があったとか。
ではこの【ロウソク祈願四堂巡り】とは一体なんなのか?
これは唐人屋敷にある4つの御堂、“土神堂”“天后堂”“観音堂”“福建会館天后堂”、
この4つを全て巡ってロウソクを1本ずつ御供えすると願いが叶う、というもの。
ちなみに一つ一つの御堂に由緒ある神様が祀られていて、
それぞれが市指定の史跡などに指定されているんです。歴史もある。
土神堂=日本に渡ってきた中国の人々が、故郷から遠く離れた唐人屋敷での無事な暮らしを祈願して、
元禄4年(1691年)に土神様をお祀りした御堂。
天后堂=中国南京地方の人々が、航海の無事を祈願して、元文元年(1736年)に航海安全の神様、
天后聖母(媽祖様)をお祀りしたもの。また関帝も祀られているので関帝堂とも呼ばれる。
観音堂=観世音菩薩と関帝が祀られている御堂。観世音菩薩は慈悲深く、子供を抱いている。
また関帝はそろばんの発明者とも言われ、商売繁盛の神様として祀られている。
福建会館天后堂=福建会館は明治元年(1868年)、福建省出身の貿易商達の経済団体として創設。
福建会館天后堂はこの団体によって建てられ、航海安全の神様:天后聖母がお祀りされている。
それぞれの御堂は距離的にもそんなに離れているわけではないのだが、
唐人屋敷敷地内の通りの風情が物凄く素敵なんです!
ランタンの灯りに導かれるようにして歩く裏通りの、何とも異国情緒豊かなこと。
長崎はヨーロッパから入ったレンガの文化もあり、御堂もレンガ造りだったりして。
YAJIKITA一行も【土神堂】の入り口で500円のロウソクを購入し、巡りました。
御堂の中に入っていくと、目の前には沢山のロウソクが並んでいます。
手前には太い種火となるロウソクが立っていて、皆さんそれから火を貰うんですが、
ランタンの人出と相まって立てられたロウソクの数もかなりのもの。
その灯りがゆらゆらと御堂の中を照らしていて、さらに気分は異世界へと運ばれていきます。
こんな世界の中で願い事をすると、何だか叶いそうな気分になる左右され易いP。
井門「みなみちゃんは何を願ったの?」
風間「ふふふ(笑)内緒デス!」
なんていう絡みで更に鼻の下が伸びる井門P。ゴンッ!!(石が当たる音)
す・すみませんでした風間アナファンの皆様…。
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| 天后堂 |
| 福建会館 |
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しっかりと番組の発展も祈願して、続いて向かったのは孔子廟。
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孔子廟は今年から新たにランタンの会場になった場所。
場所は湊町会場からさらに南へと行ったところ。大浦天主堂などが近いでしょうか。
通りを歩いていると、夜の暗さの中パーッと明るい場所が見えてきます。
まるで日本じゃないみたいな朱色の門、巨大な中庭、そこに並んだなんと72体の等身大の賢人像。
しかもこの賢人像は中国で彫刻されたと言うぢゃありませんか!?
目の前には大きな大成殿があり、その中に孔子像が祀られています。
井門、風間アナ、そして石井ちゃんとその中へと入っていくと…。
中国線香の煙と香りが立ち込める中、孔子像は安置されていました。
長い線香は独特の香りを放ち、一層ここの異国感を強めています。孔子像の存在感も凄い。
僕も線香を手に取り、儒教の祖である孔子様へしっかりとお参りをしてきました。
隣を見ると、今回の取材で獅子奮迅の働きをしている(笑)石井ちゃんが一生懸命お祈りをしています。
井門「そんなに必死で何を祈ってるの?」
石井「いやぁ、頭良くなるかと思って!」
FM長崎さん。この子を採用した事は大正解だったと、YAJIKITA一行の総意でございます。
御祈りをしっかりと済ませて、続いては…と思っていたところに、
なんと中庭で翌日の【媽祖行列】のリハーサルが始まったのです。
てっこ振り(悪魔払いの舞なのです)、じゅん風耳、千里眼の舞が太鼓の響きと共に繰り広げられる。媽祖様をお送りするための厳かな舞、太鼓の激しさとは別の静かな美しさがそこにはありました。
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“ぶらり”しているとこういう想定外のハプニングがあって良いですね。
ランタンフェスティバルにはタイムテーブルもあって、
地図と共ににらめっこしながら各会場を回るのが一番ポピュラーなのかもしれません。
でもある程度見たいものだけ決めておいて、あとはのんびり回るのも楽しいです。
地元の方との触れ合いや、商店街の隅々まで見てみる。
すると賑やかだけでは無いランタンフェスティバルの姿も見えてきます。
孔子廟をあとにした僕らが向かったのは、まさにそんな場所。
最後は【興福寺】です。
商店街の一本も二本も裏手にあり、回りは住宅街と言っても良いくらい。
僕らの声が響くぐらいの通りを静かに抜けていくと、突如現れる巨大な寺が【興福寺】。
ここは赤寺、南京寺とも呼ばれて親しまれている【黄檗宗】の寺院。
隠元禅師が日本に伝えたインゲン豆発祥の地でもあります!
中に入ると、その荘厳さは言葉には出来ないくらい。
息を飲むとはこの事か…と、静かな迫力にYAJIKITA一行は圧倒されてしまいました…。
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今回はランタンフェスティバルの2回目。裏通りぶらり散策をしてみました。
長崎の街は、まさにぶらりするのに最高の街。
そしてランタンの期間中は、そのぶらりもより一層ロマンチックなものに変えてくれます。
是非来年のランタンフェスティバルは、歴史とロマンを探しに、
裏道をゆっくり“さるいて”みて下さい!!