難攻不落の城・・・小田原攻めの真実。|旅人:安田美香

2011-04-22

 

 

わっしょーい!36歳ママさん旅人、安田美香でございます!
育児で疲れた心と体をリフレッシュするべく、東京駅から電車に飛び乗ったヤジキタ・小田原の旅。

 

後半は、『小田原名物・かまぼこ食い倒れの旅!』
…ではなくて(笑)、小田原といえば忘れちゃあなりませぬ!そう、名城・小田原城へ向かいました。

 

実は小田原市のお隣りの町、二宮で生まれ育った安田にとって、小田原城は幼いころから慣れ親しんだ場所。幼稚園や小学校の遠足はもちろん、家族と、友人と、友達以上恋人未満の男子と(ムフフ!)、何度も訪れてきました。お城の周りには子ども向けの遊園地などもあり、お散歩したり、お弁当を食べたりと、憩いの公園になっているのです。


特に人気だったのが、ゾウのウメ子。今回も、「まずウメ子に会いに行こう!」…と思ったら、一昨年62歳で亡くなったとのコト。小田原周辺に住む子どもたちにとっては特別な存在でした。ありがとう、ウメ子…。

 

そんな時の流れを感じながら、旅を共にして下さる小田原城天守閣学芸員・諏訪間 順さんとの待ち合わせ場所へ。

 

「ようこそ、小田原城へ。小田原城は、1496年頃に北条早雲が大森氏から手中に収め、それ以降北条氏五代、約100年にわたって拡張し、関東の首府として発展を続けました。堀や土塁を中心とする土造りの中世の城郭と、瓦葺きの天守閣や櫓・石垣を持つ近世の城郭の両方が共に残されていて、全国的にも珍しいんですよ。さあ、難攻不落と言われた城へ、ご案内しましょう」。

 

 

 









 

 



まず諏訪間さんに案内されたのは、馬出門(うまだしもん)。
「ここが小田原城の正面玄関です。正規の登城ルートのスタート地点は、馬出門なんですよ」。…そうだったんですね。地元民なのにわたくし、知りませんでした…。



 





お堀にかかった橋を渡り、白壁に灰色の瓦屋根をかぶった木の門をくぐると、あれ?目の前はお堀になっていて、ちょっと戸惑う。左手を見ると、もう一つ門があるので、ああ、こっちか…とすぐに左へ曲がる。うーん、進路に違和感を覚える。


「この門は二の丸正面に位置する重要な門です。敵の歩みを乱すために、こうしてクランクを作っているんですよ」と諏訪間さん。
なるほど、どーりで。勢いよく門を破ったら、お堀にドボン!なのだ。

 

そこから馬屋曲輪(うまやくるわ)という、城内に馬を留め置くための施設があった広場を通り、住吉橋を渡って、銅門(あかがねもん)へ。うわぁ、珍しい! 門の大扉がピカピカの銅で出来てる!まるで10円玉を集めて作ったような輝きだぁ…。

 

けっこう歩いたが、天守閣はまだ見えない。さらに橋を渡り、石段を上がると立派な門が見えてきた。
「これは常盤木門(ときわぎもん)です。本丸の正面にあり、重要な防御拠点だったので、他の門に比べて大きく堅固に造られているんですよ」と諏訪間さんが教えてくれる。
確かにスゴイ重厚感だ。門の至る所に小窓があり、今にも弓矢が飛んできそうなピリッとした雰囲気に、城の中心に近付いてきたのを実感する。

 

本丸に入ると、樹齢約400年の巨松(おおまつ)がお出迎えしてくれる。いよいよ天守閣がお目見え!わぁー、キレイ…。思わずウットリしてしまう。桜の花びらが舞い散る中、スーッと可憐にそびえたっている天守閣は、とても女性的な感じがする。
















 

 

 

 

ひんやりとした天守閣の中には、ズラリ歴史資料が展示されている。


「小田原城の城や町を囲む堀と土塁のうち、一番外側にあるものを総構(そうがまえ)といいます。なんと周囲約9kmもあるんですよ」と、諏訪間さんが小田原攻囲戦要図で説明してくれる。

 





 

 

 

永禄年間に、上杉謙信や武田信玄に攻撃を受けてから城の守りを固め、1590年豊臣秀吉によって、あの“小田原攻め”が行われた際には、城下を周囲9㎞にわたって堀と土塁で取り囲む総構を築き、守りを固めたというからスゴイ。


しかし9kmって…?ムム、巨大すぎて想像が追いつかない。…と思っていたら、天守閣の最上階に出て、そのスケールの大きさを思い知らされた。


諏訪間さんが指さした総構えのラインは、はるか遠く。ええー!?北は八幡山から、南は海岸線に至るまでグルリと小田原の街全体を囲んでいるじゃあ、ありませんかっ。学校で習ってはいたものの、こんなに広大だったとは知らなんだ…。スゴイよ、総構!

 

「安田さん、あの辺りが一夜城のあった所ですよ」

 

諏訪間さんが向こうの山の中腹を指さして教えてくれた。…って、ええぇ?…近い!すぐそこじゃないですか、一夜城っ。…こんな間近に突然敵の城が現れたら、そりゃあもう慌てるハズ。北条側にとってはかなりの威圧感だっただろうなぁ。






 

 

 

「上から見てるだけじゃなく、総構に行ってみましょう」と諏訪間さん。

 

天守閣を降りて、車で約15分。緑の木々が生い茂る山の中、一見切通しのようにも見えるが、確かに堀だこれは!今も総構が残っているとは知らなんだ…。堀底を散策してみると、その空堀の深さを体感できる。試しに堀の横壁を登ってみるが、スゴイ傾斜であっという間に滑り戻ってしまう。


現在はだいぶ土をかぶってしまっているが、当時は関東ローム層の地質を生かして、もっと硬くてツルツルしていたとのこと。これは落ちたらひとたまりもないぞ。しかしまあ、こんな深さの堀を延々9㎞も造ったのかぁ…。コツコツと土塁を積む、まじめで堅実そうな北条氏の顔が浮かんできた(←これは安田の勝手な空想ですのであしからず)。強大な秀吉の権力から、堀をめぐらすことで小田原を守ろうとしたんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

「北条側から見た“小田原攻め”が、何となく想像できましたか?では、豊臣側の石垣山へ登ってみましょう」


そう案内されたのが、石垣山一夜城跡。


「1590年、豊臣秀吉が小田原北条氏を約18万の大軍を率いて包囲し、その本営として総石垣の城をこの山に築きました。秀吉が築城にあたり山頂の林の中に堀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って城壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城の将兵が一夜のうちに城が出現したと思ったという伝承から、石垣山一夜城と呼ばれるようになりました」と諏訪間さん。


でも、実際は延べ4万人が動員され、完成まで80日が費やされたそう。…いやいや、たったの80日ってすごい速さですけど!

 

実は安田…一夜城も小学校の遠足で来たけれど…正直、芝生の上で皆でお弁当食べた記憶しか残っておりません(笑)。

 

こうしてあらためて訪れてみると、これがおもしろい!400年以上経過したいまでも、当時の面影をいたる所に感じるコトができるのだ。

 

 

 









 

 

 

大きな石がゴロゴロと転がっている中、本丸への道を登る。この石たちは、野面積(のづらづみ)という、自然の石を加工せずに積み上げる手法を使って当時積み上げられていたそう。まだ崩れていない石垣も何ヶ所かあって、職人技を目の当たりにすることができる。お城ならではのクランクの多いくねくね道を登っていくと、息が切れそうになる頃、大きな広場にでた。

 

「ここが本丸があった場所です。面積はおよそ7500㎡もあり、標高は約257mの高さにあるんですよ」と諏訪間さん。
わぁー、広い!本丸だけでのこの広さって…本格的な城じゃあないですか。小田原攻めのためにパパっと造ったお城だと思っていたら大間違い。秀吉はここに淀君や千利休、能役者を呼び寄せ、茶会まで開いていたというから驚きだ。

 

本丸の東北側からは眺望が開け、足柄平野から丹沢の山々、相模湾から房総半島まで一望できる。もちろん、あの小田原城も見下ろせる。秀吉はここから、氏政・氏直父子を見ていたのかぁ。

 

あれ?でも不思議…。小田原城からは近いと思ったのに、ここ一夜城からだと、小田原城が遠く見える。…これは、心の余裕の違いなのだろうか。攻め見下ろす側の秀吉と、守り見上げる側の北条氏。どんな思いで、お互いを見ていたのだろうか。

 

 

 









 

 

「一夜城に来たら必ず見て行ってほしいのが、井戸曲輪(いどくるわ)です。ここを見落して帰ってしまわれる方が多いので」と諏訪間さん。石段を下りて行くと…水の抜かれた巨大なダムが出現!いわゆる井戸を想像してたら大間違い。とにかく大きい。谷地形になる所を塞ぎ止めるように周囲に石垣を積み上げて、その底に井戸を造ったものだそう。

 

井戸の底まで降りていくと、今もわずかながら水が湧き出ている。井戸の底から見上げた景色は、これまた壮観。たった80日で、こんな大きなダム(井戸)を造るなんて…。私は、秀吉という人に恐ろしさを感じて、ブルッと身震いした。時を超えて、これでもかといわんばかりにその巨大な力を見せつけられてる気がしたのだ。アッカンベーをしてニヤリと笑う秀吉の顔が浮かんできた。

 

「小田原の名物、地元の食材を使った“小田原丼”も、堪能して帰って下さいね」とおススメしてくれる諏訪間さんと別れて、私たちは帰路についた。


私は車の中で、しばし呆然としていた。感動していたのだ。教科書で習った単なる知識でしかなかった“小田原攻め”が、色づいて私の中で動き始めていた。何度も訪れていたハズの小田原が、全く新しい土地に感じる。

 

そして、私たちのお腹も限界だった。腹が減っては戦ができぬ…。小田原駅の近くで、しっかり小田原丼たいらげて帰りました(笑)。

 

 

 

 









 

 

 

みなさんもぜひ、小田原城と一夜城の両方を巡ってみて下さい。1つの戦いに挑む、両者それぞれの思いが胸にしみてきます!