東京探訪 山手線一周ぶらり旅 高田馬場~目白編|旅人:井門宗之

2011-05-14



ある晴れた日の東京。
駅前のロータリーにはこの春新生活をスタートさせた賑やかな学生の姿。
夢と希望に満ち溢れているのだろう、ささいな事で大声で笑っている。
青春と太陽が眩しいここは、大学や専門学校の数が多い事で知られる高田馬場駅前。
この駅はJR高田馬場駅の他にも、西武新宿線、東京メトロ東西線と3本の駅が交差する。
(JRのみの乗車人数でも1日におよそ20万人っていうから、東京って凄いなぁ…。)

 

 

 

 

 


高田馬場駅





 

 

 

 

その高田馬場駅前に、何やら不審な人影。

 

「お・おれ、もう滑りたくないよぅ!*前回のぶらり参照」と、駄々をこねるヒゲ眼鏡。
「世の中の幸せそうなカップルに不幸を!」と、シュプレヒコールを上げるのっぽ。
「若いから可愛いってわけぢゃないのよ!」と、熟練の色香を振り巻く美女。
「お・重いっす。慶吾さんのプレッシャー並です。」と、今日も重い機材を抱える色白。

 

駅前を往来する人々も、何やら不審な一行の姿に脅えた表情さえ浮かべている(わけ無い)。 


そうです、この不審な一団こそ何を隠そうYAJIKITA一行
*旅日記で書かれている時点で何を隠すも無いもんだ。
奇しくも前回の新大久保~高田馬場間と同じメンバーでの集合なのであります。
すっかり都内ロケが板に付いたメンバー。
中でも身長190cm以上のD:サリーに至っては、

 

サリー「おれ、山手線ぶらりのお陰で、東京の細かな地図が頭に入る様になりました!」

 

などと、山手線のロケに感謝までする様になっている。
むふふ、これはPとしても願ったり叶ったり。
このまま彼等は都内班として…ゴスッ!!!!(何かで殴られる音)
……さ・さぁ、気を取り直して。
今回のロケはここからぶらりと、高級住宅街目白までを進むのであります。
何せかんせ近くに専門学校だの大学だのの多い高田馬場。
飲食店の数も半端なものでは無く、道を歩けば学生か呼び込みチラシを配る人に当たるほど。 


『学生のエネルギーまじパねぇっす!』とはチャラ…いや、サリーの言。
まずは駅を出ると、高架下に何とも巨大なイラスト壁画が現れた。
ここJR高田馬場駅の電車発車・到着音は、あの国民的漫画【鉄腕アトム】のテーマ。
これにはちゃんと理由があって、高田馬場に手塚治虫先生のプロダクションがあったからであり、
あの鉄腕アトムを作った科学省が高田馬場にあるという設定だからなのである。
なのでJR高田馬場駅に降り立つと、誰もが10万馬力のアトムになれる…気がする、と。
そう思ってYAJIKITAの面々を見てみると…、
誰もが睡眠不足&生っ白い顔をしている…。 


うん、みんな制作現場で働いてるな!って顔してるゾ!
ちなみに将来制作の仕事がしたい方は、睡眠不足・栄養不足は当たり前、
でも「誰より面白い物を作りたい」って向上心は持ち続けなくては勤まらない。過酷です。

 

話が完全に逸れてしまいましたが、手塚先生やアトムにゆかりがあるというので、
高架下の巨大イラスト壁画も、それはそれは豪華な手塚作品キャラの共演!!
ブラックジャック、三つ目がとおる、リボンの騎士、メルモちゃん、ひょうたんつぎetc.
高田馬場に通う学生さんにとっては当たり前の風景でしょうけど、
手塚作品ファンとしては一度は押さえておきたい場所なのではないでしょうか?

 

 

 

 

 




ここに写ってるキャラの名前全部言えますか?











しっかりと高田馬場ゆかりの手塚作品達を拝んだら、続いてはその横にある小道に入ります。
まぁ、何の変哲も無い駅前の商店街なのですが、ここの賑わいも凄い。
道の両側には所狭しと地元の小さな居酒屋から、チェーン系の大きな居酒屋、
コンビにから定食屋まで飲食店がひしめき合っています。この商店街が『さかえ通り商店街』。



 

 

 




パーソナリティーよりもカメラ目線な男・サリー





 

 







丁度、企業のセミナーでもあったのでしょう。
リクルートスーツを着た初々しい女学生たちが(表現古っ)、
笑顔に夢を膨らませ「キャッ、キャッ」言いながら我々の横を通り過ぎるわけです。
そんな娘達を見ながら井門も自分の若かりし頃を思い出し、微笑ましく思うのでした。

 

 

久保田「いまの娘、可愛いっすね!」
サリー「いや、久保田君それは趣味が悪いよ。あっちでしょ?」

 


今回のヤジキタには煩悩の塊が二人ほどおります故、どうかよしなに。

 

 

りん「高田馬場には色んな専門学校がありますけど、物凄く大きな音楽の専門学校もあるんです。」
井門「ギターをちょっとかじっていたので知ってる!ESPさんだ!」
りん「正確にはESPミュージカルアカデミーでございます。」

 

 

“ESPミュージカルアカデミー”

その歴史は古く、今年の4月でESP学園として創立25周年を迎えた音楽の専門学校です。
楽器を教えるだけでは無く、調律、クラフト、イベント、PA、マネジメント等、幅広く指導。
かく言う井門もギターにのめり込んでいた高校生時代、
ESPさんの学校資料をちらりとチェックした事があるほど。
僕ぁ、道産子なんですけどね、その噂は北海道まで轟いていた…と言う事になるのです。

 

 

りん「ちょっとそこの路地を入って、学校にお邪魔しましょう!」

 

 

促されるままに路地を入ると、そこもまたディープな世界が広がっている。
まさに“これぞ路地”の雰囲気なのだが、どうも異彩を放つ看板が目に付いた。
【山手卓球】。昔ながらの卓球場がこんな繁華街の片隅にあるとは!
イメージで言うと松本大洋さんの漫画【ピンポン】に出てくる【タムラ】みたいな。
ここの取材は完全にダメ、という事だったので気になる方は遊びに来てもいいかも…?
【山手卓球】を越えると両サイドには【しげおばさんの店】や、【ひさご】、
はたまた【つかさ】などレトロな名前の小料理屋や中華料理屋が並ぶ。

 

 

 

 

 

 

 


なんともレトロな雰囲気の山手卓球





 

 







さかえ通り商店街から進むと、路地を入って少しだけ坂を昇る感じになるのだが、
進んでいくと奥の方から、いよいよ若者達の笑い声が聞こえてきた。
【若者】という言葉に敏感なりんちゃんの先導で進む我々を迎えてくれたのは、
ありあまるエネルギーの消費先をまだ知らず、“青春”のど真ん中にいながらその良さに気付かない、
でも真っ直ぐ何かに進むパワーはどの世代よりも強いという、 


THE 若者!!(父ちゃん羨ましくて泣けてくらぁ…) 


さすが音楽の世界を目指しているだけあって、髪の毛の色もカラフルだ(笑)
でもその自己主張はたまらなく“彼等の今”を感じさせるんだよなぁ。
こちらESPミュージカルアカデミーさんの校舎は何号棟もありましてね、
その一つ一つがかなりの大きさなんです。
商店街の路地を越えるとまさに本館に到着するのですが、 


その前には沢山の若者(*夢を追いかける目のキラキラが…パねぇ!
しかも恐らくはこの4月から入学した子達もいーっぱいいるでしょう?
ちょっとだけ初々しさを感じたり、どことなくぎこちなさを感じたのはそのせいかな?
何だか良いパワーを貰いながら、我々は本館の中へと入っていったのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 


とても立派なESPミュージカルアカデミー本館





 







校舎のロビーにまず並ぶのは、ESPを卒業してプロになった先輩アーティストの写真。
その中にはあのEXILEのATSUSHIの写真も並んでいます。
こうしてプロの世界で大活躍する先輩の写真が並ぶのは、在校生にすれば心強いだろうな。
夢へ進む力の大きさ、才能、技術、そりゃプロのミュージシャンになるのは大変な事。
だけど、間違いなくこの学校から階段を昇っていった先輩がいるという事実は心強い。
僕も自分の大学から沢山の著名人を輩出している事が、ちょっとだけ心強かったりするもの。
もちろん、ほとんどの部分で個人の能力が必要にはなってくるけど、でも最高の御守りではないか!
夢を目指すど真ん中の学校の中にいて、何やら我々の心も熱くなってきたぞ。
今なら“DJになった理由”を語りながら、朝まで酒が飲めそうだ(笑)

 

…しかし、そんな我々の心を更に熱くさせる人物がこの学校にはいらっしゃったのです。 


その方こそ、ESPミュージカルアカデミーの松本慎二さんであります!
松本さんはこの学校で様々な事を学生に教えてこられ、
更に現在もベースを本職とするプロのミュージシャンなのです。
いかにもミュージシャン然とした佇まいながら、大きな声でよく笑ってくださる。
この日もある高校の生徒達にESPの説明をしに行ってきたばかり。

 

 

松本「工業科の生徒達だったんだけどさ、やんちゃな奴らの態度が分かり易いのよ!
でもさ、こっちが音楽の話をしたら目を輝かせて前のめりになってくるんだよね。
あいつら、すげー可愛くてさ!やんちゃな奴らほど可愛いんだ!はははっ!」

 

 

僕らはロン・ウッドの写真が掛けられた部屋で、学校の歴史などをお伺いしていった。
この界隈にあるライブハウスも、元はESPの持ち物だった場所も多いという。
松本さんの他に広報の上村さんという方も一緒にいてくださったのだが、
*上村さんのTシャツが『LAガンズ』だったのに、涙が出ました…。
上村さんも一見クールなのだが、喋り出すと松本さんに負けず劣らずの熱さ!
忌野清志郎さんの最後の生演奏がESPで行われた事(2008年のふぁんくらぶ祭)、
様々な外国のロックミュージシャンが学校を訪れる話など、話題が尽きない。

 

この学校には将来プロの場で!と願う生徒さんが大勢いる。
ただし、プロになるには相当な厳しさもあるのは間違いない。
僕も学生の頃にバンドを組んで“いつかプロに!”なんて夢を見ていた時期がある。
全曲オリジナルでライブもやっていた。でも自分には音楽で食っていく才能が無いと、諦めた。
諦めたのも自分の選択なので後悔はしていない。
僕はその代わり、アーティストの想いを代弁するDJになろうと決めたからだ。
何年も何年も生徒さん達を間近で見続けている松本さんは、
簡単ではない道を進む生徒さん達にどんな言葉をかけているのだろう?

 

 

松本「確かに簡単な道ではありません。
卒業後も音楽のプロでは無く、違う道に進む生徒も沢山います。
だけど僕は一つだけこう言うんです。“一生楽器は続けろ”と。
別の仕事をしても良い、幸せな家庭もいつか築くでしょう。
だけどこの学校を卒業したからには、例えば楽器を学んだ奴なら楽器は一生続けろと言うんです。
歳を重ねていったとしても、続けていれば何らかの形で世に出る可能性もある。
卒業して何年か経ってから世間に音楽を発表する機会に恵まれるかもしれない。
だけど、その時に楽器を弾けなかったら、そのチャンスすらやって来ないんです。
ESPを卒業したからには、僕は生徒達は一生ミュージシャンであると思ってますから。」

 

 

 

良い先生なのだ。
僕は話を聴きながら、松本さんに教えて貰える学生さんの幸せを想った。
10数年、ここから巣立っていった学生さんを見守ってきた松本さん。
ATSUSHIに関してもやんちゃだったけど、音楽に対する気持ちの強さは尋常では無かったと言う。
持って生まれた才能はどうしようも無いかもしれない。
でも技術は努力でついてくる。せっかくついてきた技術を夢の強さで補えれば、
ひょっとすると“才能”と良い勝負が出来るのでは無いだろうか。
松本さんのお話しには、未来へ期待させる“明るさ”が詰まっている様な気がした。

 

 

井門「僕もここで、何か楽器を教えて貰う事は可能でしょうか?」
松本「勿論ですよ!行きましょう!」

 

 

僕らはロン・ウッドに見守られながら、教室へと移動した。
通された場所は何とも懐かしい机と椅子が並ぶベーシックな教室。
唯一僕らの記憶にある教室と違う部分は、正面にベースアンプとベースが2セットある事だ!
先程も書いたが、松本さんはプロのベーシスト。
生徒に教える熱きベーステクニックを、YAJIKITAのマーカス・ミラー(嘘です)、
井門宗之にも教えて貰おうではないか!!!*上から目線だな、おい。

 

とは言ってもベース初心者の井門は、ドレミファソラシドを弾くのみだったとさ…(笑)
もちろん松本先生の渾身のベース演奏にも酔わせて戴きましたよ♪

 

 

 

 

 





ベースを基礎から教えて頂きました




松本さん演奏中!!





 










井門「いやぁ、今日は本当に有難うございました!」
松本「とんでもない!あのっ、最後に一言だけ!一言だけ良いですか!?」

 

 

 

色んな方にインタビューしてきたが、
最後に一言と言う場合、その大体が何かの告知という事が多い。
なのでこの時、僕も何かESPの告知を忘れてたのかなぁ、なんて思っていた。すると…。

 

 

松本「夢がある人は、絶対に夢を諦めないで下さい!
夢を追い続けて下さい!」

 

 

松本先生は最後まで、熱さをもってインタビューに応えてくれました。
メッセージはきっとこれからプロを目指そうとする人達の心に届いたでしょう。
松本さん、上村さん、貴重なお話しを有難うございました!!
外に出ると沢山のESPの生徒さん達。
外まで送りにきてくれた松本さん達に元気に挨拶している。何だか良い光景だ。
しっかりと熱さをもらって、ぶらりは先へと進みます。

 

 

本来ならば高田馬場から目白の駅前までぴゅーんと行きたい所ですが、そこはぶらり。
学校を出てから【新目白通り】へと出て、進んでいくと何やら僕らに熱視線を向ける眼差しが。
どうも小学生らしい金太郎さんみたいな男の子が、
サリーが僕に向けるマイクや久保田君のカメラを気にしている。
最初は僕らが後ろにいたのだが、彼を追い越した途端、速度を上げこちらをチラチラ。
どうも初めて見る取材風景に興味津津らしい(笑)
これが僕の様な地方の子供だったら「ねぇねぇ、何やってんの?」と容赦なく聴いてくる。
だいたいYAJIKITAの地方ロケはそうだった。 


栃木ではスタッフの陰謀でレモン宗之とも呼ばれたっけ。
でも都内ロケで子供に遭遇しても、そんなにガツガツはこないのが東京の子供。
この子もきっと「何やってんだろうなぁ、きになるなぁ。でも聞くのは恥ずかしいなぁ。」
ぐらいの事を思っているんだろうと、スタッフ全員が思っていた、その矢先…

 

 

 

 

少年「何やってるんですか?

 

 

 

キタ━━━(゚) ━━━!!

 

 

 

何とこの少年、気遅れなど微塵も感じさせる事なく、我々に質問してきたのです!
しかも人懐っこい笑顔でどんどん質問を投げかけてくる。
何してるんですか?どこにいくんですか?これ映ってますか?
おうおう、オジさん達は嬉しいよ。
この世知辛い東京砂漠の中で、坊やみたいな純真無垢な子がいたなんて。
この坊やの名前はヒロト君と言い、小学2年生になったばかりだと言う。
東京の小学生、すっごく礼儀正しいです…小2なのに、ちゃんとした敬語!!
何でも児童館に向かう途中とかで、手には児童館で遊ぶと捺してくれるスタンプカードを持っている。

 

 

 

りん「ねぇ、おとめ山公園って知ってる?」
ヒロト「あ、知ってます!入り口が二つあるんですよ!
えーと、あそことあそこで…(指を差して示してくれる)」

 

 

 

おとめ山公園とは、武蔵野の面影を残す自然林。
古くは江戸時代からの歴史がある由緒正しき場所で、
折角だから“ぶらり”してみようと選んだ場所でもあったわけです。
近くまで来たのを良い事に、ヒロト君に場所を聞いてみる頼り無い大人達…。
結局YAJIKITA一行は【おとめ山公園】の入口まで、
二年生になったばかりのヒロト君に案内されたのでありました。
でもまさか、高田馬場から目白の間で人情に触れるとは思わなかったなぁ。
しかも途中で地域パトロールのおじいちゃんやお母さんと遭遇。
明らかに不審な我々も色々と突っ込まれるかなぁ、と思ったのですが、全然そんな事もなく。
だってどう見たって明らかに不審なわけですよ。
ヒゲ眼鏡でよく喋る男、身長190cm以上でマイクを握る男、
カメラと物凄く重そうな機材を抱えた男に、女性一人。
その集団がちょっとぽっちゃりした男の子を連れて話してるんですよ。こりゃ、危なそう。
でもそのおじいちゃんと女性も、ヒロト君が挨拶すると、

 

 

「こんにちは~!」

 

 

なんて僕らにも笑顔を向けてくれるのです。
*もちろん説明しましたよ。ラジオの収録でこの辺を歩いて回ってるんです!って。
地域の繋がりが強いんでしょうね。そして、ちゃんと子供達を守れる範囲に大人が沢山いる。
そんな繋がりはくだんの【おとめ山公園】でも実感する事になったわけで…。

 

 

 

 

 





ヲトメとおとめ山公園





 

 







この【おとめ公園】がどういう場所かと言いますと…、はい、りんちゃんどうぞ!

 

 

 

りん「はい、公園のあるこの辺り一帯は、 江戸時代おとめ山と呼ばれていました。
江戸時代ここは将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止の意味の
「御留山(おとめやま)」から起こった名と云われています。
公園として整備されたのは昭和44年(1069)。
園内は武蔵野の面影を残した自然林に囲まれています。
なんと湧水を利用したせせらぎがあり、ホタルの飼育もされてるんですよ。」

 

 

 

はい、良く出来ました!(笑)
この辺りでは昔から地域の人々に愛されてきた公園。
ヒロト君との出会いが、この辺りの地域の人の優しさを予感させる。
その人達が愛する公園なのだ、まず間違いあるまい(何がだ)。 


そして…予感的中! 


公園に入るとすぐに入り口近くの小川で、 


おじいさんとお孫さんがザリガニ釣りをしているではないか!? 


*マッカチンと喜ぶりんちゃん!
まぁ、小川と呼ぶのも憚られるほどの小さなものなのだが、
そこを覗きながら棒の先につけた糸にサキイカを吊るし、
おじいさんや子供達が一生懸命ザリガニを釣っているのであります。
東京の下町にこんな風景があったのかもしれないけど、
僕は最近の東京でこんな風景に出合えるとは思ってもみませんでした。
ノスタルジーというのとは違う、何だかホッとする風景がそこにはあって。

 

 

井門「ザリガニ釣りはいつもしているのですか?」
おじいさん「いえいえ、娘に孫を預けられたので、今日はたまたまです(笑)」
井門「でも何だかのどかで良いですね、ザリガニ釣りなんて。」
おじいさん「えぇ、遊びでこの子達に先輩面出来るのは、これぐらいですから!

 

 

ね?何だか良いでしょ?
一生懸命ザリガニを釣ろうと川を覗く子供達。
釣りあげるタイミングを一生懸命教える優しいおじいさん。
釣ったザリガニを入れたバケツに躓いて転びそうになる子供。
そして釣った時のキラッキラの子供の笑顔。
この触れ合いが出来ただけでも、今回のぶらりの意義はあったのではないかと思います。
だからその後に「おとめ山」の展望台にいた若いカップルにサリーが悪態をついていたなんて…。
とてもぢゃないけど、ここでは言えません!!(あっ、言っちゃったね。ま、良いか。)
でも【おとめ山】の頂上から見た景色も、緑に囲まれた展望台も、本当に心地良かったですよ!

 

 

 

 

 





ザリガニ釣りの真っ最中!




立派なザリガニ!!





 

 






そんなこんなで無事に下山したYAJIKITA一行。
頂上にいたカップルに未だ怒りの収まらぬサリーに井門Pが助言する。

 

 

 

井門「サリー、そんな時はカルシウムだ。」
サリー「まじっすか?牛乳っすか?」
井門「あぁ、牛乳だとも。」
サリー「牛…乳…。」

 

 

 

明らかにカルシウムが足りてないサリーに、牛乳摂取の助言をする仏の井門P

するとサリーは必死になって自販機を探すようになる。
自販機を見ては【牛乳無ぇな!】と怒るサリー。
そこで仏の井門Pがまたもや助言を。

 

 

 

井門「いいですかサリー。君にカルシウムが足りていれば、そんな言い方はしなかったよ。」
サリー「言い…方…?」
井門「そうだとも。カルシウムが足りていれば、例え牛乳が売っていなかったとしても、
“あぁ、牛乳はここには無いのか。残念ですね。”と言えるのですよ。」
サリー「井…門…さま。」

 

 

 

ついに新目白通りで見つけた天竺(コンビニ)で、
有り難い御経(牛乳)を手にする事が出来た孫悟空(サリー)。
隣の三蔵法師(りんちゃん)も新たな御経(パピコ)を持って悟りの境地である。
一気に元気を回復したYAJIKITA一行は続いて、「目白文化村」と呼ばれた一帯を目指しました。

 

実は大正時代、中落合の辺りに「目白文化村」と呼ばれる高級住宅街がありました。
まぁ、今でも高級住宅街ではあるので、その発端となった理由を説明しましょう。
あの「田園調布」が、東急グループによって「パリ」を目指して作られた高級住宅街なのに対し、
こちらは、西武グループによって作られた「ビバリーヒルズ」を目指して作られた住宅街。
西洋風の家が立ち並び、テニスコートやクラブハウスも備えたセレブな街。
現在、当時の建物はほとんど残っていませんが、当時の面影は今も若干残っているのです。
当時の建物が残っていないのは、東京大空襲が原因です。
目白文化村も様々な人の夢を乗せながら、志半ばで焼け野原となってしまいました。
そんな中、今も残る貴重な史蹟的建造物が、目白文化村建設当時から残る【門柱】です。
この【門柱】は現在もあるお家の現役の門として活躍しているのですが、
間違いなく当時からこの場所に建っていた物。
確かに近くで見てみると、焼け焦げ痕等も見受けられます。
住宅街の中、やはり不審な我々でしたがこの【門柱】を確認していた時に、
思いっきり御屋敷内の犬に吠えられてしまったので、いそいそと退散(笑)

 

 

 

 

 


住宅地の中にひっそりある古き門柱




道の階段にある手すりもレトロ!





 

 

 

 

 

 


さらに我々が再び“ぶらり”していると、何やら香ばしい匂いがしてきます。
これが町の製油所、【小野田製油所】さんなんですね。
実はこの【小野田製油所】も昭和7年に建てられた、目白文化村を彷彿とさせる建物。

 

 

 

 

 




時代を感じさせる門構え




ごま油のいいにおいが漂ってます!





 

 

 

 

今回、取材を御受け戴けませんでしたが、こちらのごま油は絶品なんでしょ、りんちゃん?

 

りん「そうなんです!小野田製油所では薪の火で煎って御影石の重みで絞る、
江戸時代からの伝統的な「玉締法」を採用しています。なので、生産量も少なく、
ほとんどが手作業によるもの。夏場の工場内は40℃を超える苛酷な労働環境ですが、
その味は絶品で、料亭などで使われているとか。直接小売りはしてないらしいです、残念。」

 

 

ちなみに作家のりんちゃん、超が付く料理上手です。独身です。
誰か貰い手がいたら、YAJIKITAのHPメールフォームからどうぞ!(笑)
さて冗談はさておき(冗談なのか!?)、目白文化村の名残を探した我々は、
続いて【落合文士村】という文化人が多く集まっていた一帯にやって来ました。

 

 

 

 


ちょっと文士崩れっぽい雰囲気の井門P





 

 

 

 

 

 

そこで見つけた三角屋根のアトリエは、日本を代表する洋画家・佐伯祐三の物。 


今は新宿区立佐伯公園の中に当時のアトリエが保存されており、
佐伯祐三アトリエ記念館として一般の方も楽しむ事が出来ます。
都心の中の小さなオアシスの様な雰囲気を醸している記念館。
ここでは学芸員の宮沢聡さんにお話しを伺いました。

 

 

宮沢「佐伯は30歳と言う若さで亡くなるまで、2度パリへ行きました。」

 

 

1898年~1928年に亡くなるまで、日本の画壇に影響を遺した佐伯祐三。
24歳で1度目のパリ渡航をしてから、2度目の渡航は亡くなる1年前。
ところが渡航先のパリで持病の結核が悪化、精神的にも不安定だった佐伯は、
遠い異国の地パリで30年の生涯を閉じる事になるのです。

 

 

 

 

 

 


佐伯祐三氏・・・・イケメン!!




下落合を描いた作品





 

 

 

 

宮沢「記念館には絵のレプリカしかありませんが、アトリエで往時を偲ぶ事が出来ます。」

 

 

光が大きく入る様に採られた窓からは、緑の美しさと春の陽射しが注ぎ込む。
落合で暮らしていた当時の佐伯は、この落合の風景を作品として遺した。
佐伯が見た風景と同じ景色は、いまもこの街に残っているのだろうか?
いや、人の心の温かさは昔も今も変わっていないに違いない。

最近はお客さんもそんなに多くは無いですよ、と宮沢さんが仰っていたのだが、
我々が取材している時も何組かがこの中を覗きに来ていました。
文士村や文化村は散歩ルートもいくつかあるので、歩いて回るのもオツですよ。

 

 

 

 


学芸員の宮澤さんと




とんがり屋根の素敵なアトリエ





 








宮沢さんとお別れし、我々は高級住宅街:目白を駅へと向けてぶらり。
目白通りは車通りも多く、スーパーや飲食店なども沢山あるのだが、
一本通りへ入るとこれまた凄い豪邸が軒を連ねているのであります。

 

 

井門「サリーや、どうしたらこの辺りに一軒家を建てられるのかね?」
サリー「いや、何か悪い事しなきゃ無理ですよ。」
井門「そうか、…ニヤリ(邪笑)」

 

 

悪い企みといった所で、それがお金に替わる訳でもなく、
一生懸命何かを成し遂げた人だけが、きっと成果を生むのだなぁ、と実感したのでした。
そして続いて向かったのが、あまり悪い事ばかり考えてると怒られる場所。 


【目白聖公会】

 

そうです、何を隠そう教会であります。
こちらは目白駅のすぐ近くにあって、かなり大きな教会。
その組織の成り立ちについては公式HPに明るいので、以下を参照して下さい。

 

『目白聖公会は、日本聖公会に属するキリスト教の教会です。
日本聖公会とは、日本で3番目に大きな教会です。東京には全部で32の教会があります。
目白聖公会はJR山手線・目白駅下車、徒歩5分の目白通り沿いにあります。
その通りに馬車が通っていた1918(大正7)年6月、
病院の建物を改造し最初の礼拝が始まりました。2008年には創立90周年を迎えることができました。
現在のロマネスク様式の聖堂は、1929(昭和4)年に建立されました。
戦災からも免れ、東京の聖公会の教会中唯一の戦前からの建物になりました。
1985年に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から、
百年余り前に造られた美しいステンドグラスの寄贈を受けました。
中でも聖堂二階正面の「聖家族」の輝きは、日中は太陽の光を受け礼拝堂内に、
夜は内側からの照明によって道行く人々に教会の存在を語りかけています。』(以上HPより引用)

 

こちらでお話しを伺ったのは、司祭の鈴木祐二さん。
ステンドグラスも美しい礼拝堂で、鈴木さんの経歴についても教えてくださいました。

 

 







商店街にあると思えない立派さ!




鈴木牧師と一緒に











鈴木さんは50歳の時に仕事をセミリタイヤし神学校に入学、そこから牧師になった経歴の方であります。
当日は奥さまと共に迎えてくださったのですが、鈴木さんかなりの愛妻家。
牧師となった自分の人生を支えてくれた奥さまへの感謝をしきりに口にしておりました(笑)
ステンドグラスがこの聖公会にやってきたエピソードも驚き。

 

 

鈴木「イギリスの修道院が無くなる、というので日本から日本聖公会の人間が英国に向かったのです。
すると歴史的価値のあるステンドグラスの行くあてがまだ無いと言う。
それなら目白聖公会に持っていこうと言う話になったのですが、
ちょうどステンドグラスを国外に運び出した直後に英国の文化財を守る法律が成立したのです。
要は“歴史的価値のある美術品などは国外に持ち出してはいけない”というような内容の。
間一髪で国外への運び出しに成功したものの、今度はステンドグラスのサイズに不安が出ました。
持ち出したは良いが、目白聖公会の礼拝堂に上手く嵌まるのか?枚数は丁度良いのか?など、
様々な不確定要素が発生してきたのです。ところがここで奇跡が起きました。
目白聖公会にステンドグラスを持ってきたところ、まるでそれが今までそこにあるのが当たり前の様に、
全てのステンドグラスがサイズから何からぴったりと嵌まってしまったのです!
“こんな事があるのか”と、当時誰もが驚いたと言います。」

 

 

 

 

 

 


美しいステンドグラス




うっとりするような繊細さです。





 

 

 




美しいステンドグラスに囲まれた礼拝堂は地域住民の皆さんにも愛され、
今では教会でバザーを催したり、様々な地域貢献もされている様です。
ここにも素敵な地域の繋がりを見る事が出来ました。鈴木牧師、有難うございました!

 

 

今回の高田馬場~目白の旅は、人の温かさに触れる旅。
暮らしている人と、その街が持つ歴史が作り上げてきた【街の温度】を実感した旅でした。
歩いていると、少しずつ街の音が柔らかくなっていく様な、そんな気もしたんです。
高田馬場と池袋に挟まれた、東京の静寂。
その静寂の中には、確かな人の温もりがあり、街の温かさがありました。

 

 

 

 

 

 


目白駅に着いたんだ、俺・・・・。





 

 

 

 

 

 

次回のぶらりは、ついに来た池袋を目指します! 


この街は静寂とは無縁ですから(笑)いったい僕らをどんなハプニングが待っているのか!?
東京探訪山手線一周ぶらり旅「目白~池袋編」、どうぞお楽しみに!!