東京探訪 山手線一周ぶらり旅 目白~池袋編|旅人:井門宗之

2011-05-21



池袋の名前の由来を知っているだろうか?僕は知らない。(えっ、知らないの!?良いの?)
なので早速調べてみた。疑問は調べる、それDJの基本であります。よし、wikiだ。(えーっ??)
*基本的に公の放送などで、wiki情報を扱うのは好ましくありません(不確かな為)。
冗談はさておき、豊島区などのHPを見てみると池袋の地名の由来となった【池】が、
元​池​袋​史​跡​公​園​にあるそうな。では【袋】は?と言うと、これが嘘の様な本当の話、【梟】なのだ。
池があって、そこには梟が住んでいた事から、地名は【池袋】と言うのだとか。
まぁ、地名なんてそんなものなのかも知れない。

 

今回のYAJIKITAは前回の旅の終着駅【目白】から、その【池袋】までの旅。
ロケ日は風の強い、とある日曜日の午前中。
目白駅前はすぐ隣に学習院大学があるのだが、この日は大学生の数も流石に少ない。
その代わり何かの説明会が学校内で行われているらしく、
スーツを着たお母さんと子供がわらわらわら~っと出て来た。
何となく大人びて見える子供達を横目に、今回のロケも前回と同様の子供じみたメンバーである。
D:気温の高さにパンツの裾をまくり出した、チャラいぞサリー!!
作家:母校がすぐ近くな為、大学から出てくる学生に先輩風をびゅうびゅう吹かせるりんちゃん!
カメラ:ちょっと遅刻した事をみんなに詰られる、久保田君!
旅人:妻の妊娠で以前よりも全てにおいて仏様の境地、いもんP!

 

 

 

サリー「井門さん、今日もいつにも増して神々しいです。」
いもん「ふむふむ、スタッフの幸せが私の幸せ。南無。」

 

 

 

 

 


目白駅からスタート!天気いいですねー。





 

 

 

 

ここ目白は言わずと知れた学習院大学のお膝元。
学生の質は井門Pが卒業した某M大学とは全く違い、どこかお上品。
もともとは華族の為の学校だっただけに、その由緒は正しいのであります。

 

 

 

りん「いやぁ~懐かしいですね、この辺り!
よく飲み過ぎて××××したり…えへへ。」

 

 

 

…まぁ、もちろん色んな学生さんはいるわけで…。
学生の質は何となく違えど、大学の周りにはやはり学生街ならではの光景もあります。 


大衆酒場、カラオケ、牛丼屋、ファーストフード店、そして学生街の喫茶店
♪きっみとよっく、この店にきたものさ~♪
なんて言うかね、ガロは凄いバンドだったと思うのですよ。
この曲のコーラスアレンジなんかも70年代に一連の流れはあったとは言え、秀逸。
歌詞もね、何だか時代の匂いを感じさせる。
時代を切り取っている、その時代の匂いがちゃんとする歌詞を書くアーティストって、
昔はちゃんといたんだよなぁ。いや、アーティストはそうじゃないとなれなかった。
現在の歌詞は確かに主人公の日常がどんな人間でも分かる様に説明されてはいるけど、
今の時代の特徴を抒情的に切り抜いた楽曲は少ない気がします。だからどうしたって話なんだけど。
はい、このゾーンは【井門の一口コラム】では無くて【YAJIKITA旅日記】でした…。
元に戻りましょう、学生街の喫茶店だった。

 

 

実は目白にもちゃんと【学生街の喫茶店】然とした喫茶店が存在するのです。
では学生街の喫茶店の定義とは何なんでしょうか? 

 


1:午前中に学生の姿はあまり見かけない
2:だけどモーニングはある。
3:喫煙はOK。
4:薄暗い。
5:珈琲が美味い。

 

他にも沢山要素はあれど、この5つはマストではないだろうか。
そして目白駅前にこのマストを満たした老舗の喫茶店が存在するのだ。
駅の改札を出て、目の前の横断歩道を渡り左に。
うっかりすると見過ごしてしまいそうな狭い入口から、地下に降りる階段がある。

 

 

ここが学生街の喫茶店伴茶夢(ばんちゃむ)の入口なのだ!

 

 

 

 

 




バス停の目の前にある入口




お店へと続く階段もいい雰囲気!











入口横にはサンプルの並ぶガラスケースがある。それを横目に地下へと降りていくのだ。
取材時間は午前10時頃。そう、モーニングの時間である。
ドアをカランと開けると、店内からは何とも言えぬ香ばしい珈琲と煙草の香り。
僕は煙草は数年前に辞めたのだが、喫茶店の煙草は嫌いでは無い。
むしろ、珈琲の香りと相まってどこかわくわくする匂いに変わる(ような気がする)。
レトロな喫茶店は禁煙にしないで欲しいんだよなぁ。
それは最早セットであり、文化なのだから。後からきた【禁煙当たり前の世の中】が、
その文化をまるで【とんでもない】ものの様に言うのは筋が違う気がするのだ。
無理にスタイルを変えた瞬間に、そのお店の影は薄くなり、
人の記憶からも簡単に消えてしまう。貫く事は難しいが、貫いた先にいる味方は誰より強い。
【伴茶夢】の匂いは、だからどこかワクワクする。
学生時代に単位の事に脅えながら、それでも授業をさぼって珈琲を飲んだあの店を思い出すのだ。

 

こちらのお店は創業35年。僕よりも少しだけ先輩だ。
目白にあって、長年若者達を見守ってきた老舗。
僕らは薄暗い店内に入り、背の低い椅子に腰を下ろした。
ここでお話しを聞かせてくれたのは、10年ほどここの店長を務める内藤明さん。

 

 

 

内藤「通ってくる学生さんも変わりましたよ。
ウチのお店がチェーン店と決定的に違うのは“会話”をするという事です。」

 

 

 

なるほどなぁ。
昔、NYの喫茶店に行った時の話。
座って注文しようとしたら、いきなり『今日は寒いわね?あなた、元気?』なんて聞かれた。
外国では当たり前の風景であり、日本の古き良き喫茶店でもこんな会話は成立していたのだ。
学生街の喫茶店には名物店長やスタッフがいたりして、学生に色んな事を教えてくれる。
その会話がまた楽しいのであり、お店の個性ともなっていくのだが…。

 

 

 

内藤「その学生自体、カフェイン離れで少なくなったんです。
今の子達はあまりこういうお店で珈琲を飲まないんでしょうね。」

 

 

 

目白の学校に通う学生さん達に言いたい。チェーンの珈琲ショップなんてのは、
歳をとってから行ったって感想も印象も変わらんぞ。
でもこの古き良き店は、学生時代に行っておくべきなのだ。
本物の珈琲の味も、学生時代の青春の青臭さと相まって、一生の思い出になるのだから。
木目調の内装も、サイフォンも、珈琲豆の箱も、ちょっと低い椅子も机も、
全てが【伴茶夢】の個性なのであります。何とも居心地が良い。

 

 

内藤「モーニング、召し上がっていきますか?」
井門「ぜひ!」

 

 

珈琲とホットサンド(同じプレートにサラダ)のモーニング。
このホットサンドも香ばしくて、中がちょっとだけトロリとなっているのが良い。
口の中が適度にしょっぱくなってきたら、酸味と苦みが絶妙な珈琲で流し込む。
僕らが座る場所のちょっと先からは、どことなく甘い煙草の煙。
そうか、この雰囲気を楽しめる様になったら大人なんだ。
例えば新入生を大人にするのは、ちょっと先に入学した先輩である。
しかしその先輩達もあまり珈琲を飲まなくなってしまった。必然、お客さんの数は減る。
すると、老舗の珈琲店などは徐々にその数を減らしてしまう。
いつの間にか、学生街には子供を大人にしてくれる【装置】としての店が少なくなる。
学生が昔よりも子供になった気がするのは、こういう背景もあるのかもしれない。

 

 

りん「すみません、私にもモーニングを下さい!懐かしくて…。」

 

 

嬉しそうに、旨そうに、ホットサンドと珈琲をすする【先輩】りんちゃん。
そうか、彼女はちゃんとこの街に大人にしてもらったんだなぁ。
内藤さんにお話しを伺った後、しっかりスタッフ全員美味しい珈琲を堪能したとさ(笑)



 

 

 




店内はとてもレトロ




店長の内藤さんです。






モーニングきましたー!!




いただきます。





 

 







おいおい、ぶらり初っ端からなに寛いでんじゃい!と憤っている皆さん。
僕もそう思うのですが、りんちゃんがノスタルジーに浸りたい…って。
何せ【ぶらりシリーズ】は歩きますから、勢いを付ける為のものだと思って下さい…。
僕らは再び駅に戻り、学習院横の道をひたすら歩きます。
壁の向こうは名門・学習院大学。中から部活の威勢の良い掛け声も聞こえてくる。

 

 

 

りん「学校の中にも名所が沢山あるんですよ。
例えば…乃木希典ゆかりの【乃木館】とか、
堀部安兵衛が血刀を洗った伝説から名前が付いた【血洗いの池】とか。」

 

 

 

何やら穏やかでは無いが、高田馬場には堀部安兵衛の伝説も残るわけで、
そんな池がこの場所にあっても不思議ではないのであります。
…と、ロケで歩いた時はそんな風に思ったのですが、後日調べてみるとその話は創作だとか(笑)
学習院大学に通う文学青年達が面白おかしく創ったんですね。
でも地元に残る歴史的人物を引き合いに出して、ただの池に意味を持たせる想像力、大したもんだ。

 

 

サリー「あのギャル、ギャルっぷりがパねぇっすよ!」

 

 

本日も煩悩の塊が我々一行におります故、どうかよしなに…。
煩悩が反応したギャルが立っていた辻を曲がり、ずーっと坂を下っていった我々。
続いて目指すのは【目白】の名前の由来となった場所であります。 


目白の名前は目白不動尊というお寺にその由来があるわけなのですが、
この【目白不動尊】中国の五行思想に起因しておりまして、
東京には【目白】の他に【目黒】【目青】【目赤】【目黄】の四つの不動尊があるのです。
これは東京で暮らす人も知らない人の方が多いんじゃないだろうか?
【目黒】までは知っていても、「赤、青、黄」って…。 


サンバルカンぢゃないんだから。

 

 

【目白不動尊】までは長い坂道でした。
住宅街の中にある立派なお寺が、お不動様のいらっしゃる【金乗院】。
もともと目白不動堂は今の場所から東へ1キロ進んだ文京区関口駒井町にあったそうだが、
昭和20年戦災で焼失してしまったと言う。その為、金乗院に合併し今に至るのだとか。

 

 

 

 

 

 

 


立派な御門です。




そして立派な本殿





 

 







本尊目白不動明王は江戸三不動(目白・目黒・目赤)の第一位、東都五色不動の随一として名高い。
目白不動明王の御姿は右手に剣、左手はそれ自体が炎、という御姿。
これはあの弘法大師さまが作ったものと言われ、非常に由緒正しき像なのであります。
不動明王は「一切の人を救うまではここを動かじ」という神様です。
僕らも目白不動明王にお参りをしながら、

 

 

 

山手線一周を終わらせるまでは、編成から動かじ。

 

 

 

との想いを強くしたとさ。*僕らの一存で決まるわけはありゃしません…。
編成にすがりつきたい想いを強くした我々一行は、ぶらり旅を先へと進みます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 


不動堂は上にあります。




中には立派な不動像が!





 







りん「はい、都電乗りますよー。」
スタッフ「おー!」

 

 

え~っ!!!
山手線ぶらりぢゃないの?何、その“違う乗り物に乗って良いんだ”っていう久保方式!

 

 

りん「だって、久保さんだってやってますよね?
井門「いや、そうなんだけどここは真っ直ぐ池袋で良いんぢゃないの?」
りん「久保さんもやっているのに?」
井門「確かに、確かにそうなんだけど…」
りん「良いから行くよ、このポンコツひげ眼鏡。」

 

 

りんちゃんに押し切られる形で乗り込んだのが、歴史ある都電荒川線。
ヤジキタでも以前『都電荒川線の旅』を取り上げたが、何せ歴史が長い。
明治44年から走る都電は、世田谷線と共に都内に残る路面電車なのである。
荒川区の南千住にある「三ノ輪橋停留所」から「早稲田停留所」までがその区間なのだが、
りんちゃんや、これに乗るのだから結構な距離を稼ぐのかな?

 

 

 

りん「学習院下停留所から乗って、隣の鬼子母神停留所で降ります。」
井門「えー!!」

 

 

 

まぁ、歴史ある都電に乗るのも【目白~池袋】エリアならでは。
そう考えれば、1駅だけ都電を利用するのもおつなのかもしれません(ちょっと強引?)

 

 

 

 

 





復刻デザインの都電も走ってます。




乗るのはこっち。





 










普通運賃は大人160円、子供80円。
ちょうどレトロなイベント車両が入ってきたので、僕ら一行も乗り込みます。
都電荒川線が他のJR等と違うのは、地元民利用率の高さだろう。
乗った瞬間に生活の匂いみたいなものがするのだ(それは勿論良い意味で。)
たった1駅だけの移動とは言え、鬼子母神停留所に着いた時は、
我々全員すっかり地元に馴染んだ気になっていた。

 

 

 

 

 





都電なう。




まるで合わせたかのような色。





 

 







先程の学習院大学近辺に比べると、物凄く下町感の強い【鬼子母神】界隈。
停留所からすぐが鬼子母神の参道になっていて、その入口には古本のフリーマーケットも行われている。
懐かしい漫画の数々や、雑貨を扱うお店。どの店先にも笑顔が溢れている。
その先に立派なケヤキ並木があるのだが、その雰囲気がとても良いのです。
大きなケヤキ並木のお陰で参道は薄くグリーンのベールがかかったようで、
そこからの木漏れ日が本当に優しい。

 

 

 

 

 





駅前の鬼子母神参道





 

 






りん「この近くに手塚治虫先生が暮らしたアパートがあるんです。」
井門「えっ!?トキワ荘?」
りん「いいえ、並木ハウスと言います。」

 

 

 

ケヤキ並木から路地をすぐに折れると、道の奥に古いは古いのだがお洒落なアパートがある。
背の高さよりちょっと低いくらいの石塀、白壁だがバルコニーの手すりは味のあるグリーン。 


“古い時代に欧米に憧れて作られた”という印象を強く感じるここが並木ハウス
手塚先生が暮らしたアパートはまぎれも無くここなのです。
実際にまだアパートとしての機能は果たしており、現在も沢山の方が暮らしてます。
僕らはこちらの大家さん砂金宏和さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 


大家の砂金さんに話を伺います。




手塚治虫先生の暮らした「並木ハウス」





 

 

 

 

 

 


建物自体は砂金さんのおじい様が建てられたらしく、並木ハウスは昭和28年の建物だという。
もちろん耐震補強もしてあるので、まだ人が住む事が出来るというのだ。

 

 

 

井門「今はどんな方が暮らしているのですか?」
砂金「CMプロデューサーやフリーのカメラマンさんが、事務所代わりにしてます。
だから半分以上の方は週に1、2回ここで寝泊まりするスタイルでしょうかね。」

 

 

 

広くても6畳。トイレとシャワールームは共同。
しかし都心からのアクセスは間違いなく良いし、何より手塚治虫が暮らしたアパートだ。
それだけで何か暮らしてみたくなるではありませんか?

 

 

 

井門「気になるのは家賃ですが…?」
砂金「4畳半の部屋で安い所だと、大体3万円くらいですかね?」

 

 

 

なんと3万円?てっきり“手塚先生が暮らしたアパート”というプレミアが付いてるんだと思った。
聞けば手塚先生の部屋は流石にプレミアが付いて若干高いのだと言う。
*それでもびっくりするぐらい安いっすよ。
手塚先生がいた頃の名残をそのままに遺す、門柱に取り付けられた【並木ハウス】のプレートを横目に、
我々は実際に空いているお部屋を見せてもらう事が出来た。
木の扉を抜けると廊下があり、左右にこれまた焦げ茶色の扉が並ぶ。
扉の向こうは個人の部屋なのだが、鍵穴が“懐かしい形のアレ”なのだ。
建物の中身も随分モダンに感じる。砂金さんのおじい様は随分とお洒落な方だったんだろう。

 

 

 

砂金「そうですね、昭和28年に“ハウス”って付けちゃうくらいですから。」

 

 

 

内装を見ても古びた感じがしないのは、砂金さんがちゃんと手を加えているからだ。
前に不動産業者と話をしていた時に言われたのは、
建物の築年数は見た目の古さと直接かかわってくるが、
それよりオーナーがどれだけちゃんと手を加えるかによって、建物の見た目が変わってくるという事。
そして並木ハウスが今でも生き生きとここに建っているのは、オーナーの愛情なのだろう。
先代の大家さんは砂金さんのお母様になるのだが、
手塚先生がご飯を食べに来た話や、お風呂が無い事を手塚先生が気にしてらした話、
編集者が手塚先生の部屋の前に陣取って動かなかった話など、お母様から聞いた話として教えてくれた。

 

 

 

 

 




年季を感じる表札が!




並ぶドアの小ささ、分かりますか?





 

 

 

 

sakin「imaのところ空いている部屋は1階のここだけです。どうぞ!」

 

 

 

通されたのは1階廊下の突き当たりの部屋。
左側は階段になっていて、扉の右側は大きな窓になっている。
味のあるドアノブをひねると、目の前には水色と赤のモザイクタイルの流し台。
流し台自体は新しい物が設置されていて、余計にモザイクタイルをモダンに見せてくれる。
右手が4畳半のフローリング。左手(外側)にも右手(廊下側)にも大きな窓があるので、狭く感じない。

 

 

 

砂金「随分と補修工事をしましたから…。次は手塚先生がいた2階の部屋に行きましょう!」

 

 

 

空き部屋の隣にあった階段を昇る。
木造のギシギシという何とも“心地よい古い音”がする。
手塚先生もこの階段を上り下りしていたんだなぁ、なんて思うとちょっと良い。
2階に上がって目の前にはシャワールーム、そして奥に伝説の手塚先生の部屋であります。
2階の東南に位置する部屋は6畳で2面採光だった為、日当たりはばっちりだったとか。
この部屋に現在暮らしている方は、どんな気持ちでいるのだろう。
もちろん、現在進行形で人が暮らしているアパートの為、見学するには許可が必要。
僕らも生活の邪魔にならない様にそそくさと外に出ました。
すると2階のバルコニーの窓がガラっと開いて、住民の方が顔を出します。
聞けばこの方も週に1、2回こちらを仕事場として使っていらっしゃる方だとか。
ふむふむ…セカンドハウスに【並木ハウス】なんてお洒落な暮らしも良いかもしれない。
出来もしない妄想を抱えて、YAJIKITA一行は砂金さんとお別れしたのでした。

 

 

 

 


手塚先生の住んでいた部屋の前で。




入口ポストの横にはアトムのポスターが!





 

 

 

 

 

 

井門「いやぁ、凄かったね。何だかとても貴重な経験をしたよ。」
りん「せっかく参道に来たのですから、鬼子母神にお参りに行きましょう。」

 

 

 

並木ハウスから歩いて数分。
日曜日の鬼子母神は境内で【物作り市場】が開かれていてとても賑やかだった。
鬼子母神は安産・子育の神様と言われているが、そもそもは恐ろしい伝説を持っている。

 

 

 

りん「インドの神様なんですけど、昔は子供を食べちゃう怖い神様だったんです。
それを見かねた御釈迦様が鬼子母神の子供を一人隠しちゃう。」
井門「どうなったの?」
りん「人の子供は食べる癖に、自分の子供が一人いなくなると鬼子母神の悲しみは尋常じゃなかった。
御釈迦様がそこで鬼子母神を諭すんです。一人いなくても悲しいだろう、って。
お前に子供を食べられた親の気持ちが分かるか?って。
それで改心して安産・子育の神様になる事を御釈迦様に誓ったんです。」

 

 

 

神様の成り立ちはそれぞれ面白いが、鬼子母神の由緒も興味深い。
なので「鬼子母神」という漢字は、正確には「鬼」の角の部分を書かない。
角の無い鬼で「鬼子母神(漢字変換出来なくてすみません)」なのであります。

 

 

 

 

 

 


境内の入り口。




本堂です。井門Pは熱心にお参りしてました。






ね、「鬼」の字に角が無いでしょう?





 

 

 

 

サリー「い・井門さん。俺達から井門さんに御守りをプレゼントさせて下さい。」
りん「ぜひ奥さんのために!」

 

 

 

私事ではありますが、現在妻が妊娠中。
それを気にしてくれたスタッフが、安産・子育の神様【鬼子母神】の御守りを買ってくれるというのだ。
しっかりとお参りをした後、みんなで選んで買った御守りがやたら嬉しかったなぁ。

 

 

 

サリー「僕らはこれぐらいしか、出来ませんから…。」
りん「奥さんに元気な赤ちゃん産んで欲しいですから…。」

 

 

 

いつもこんなに旅日記ではネタにしているのに…何て良い奴らなんだ。
ごめんよ、みんな!もう旅日記のネタにはしない…わけないね(邪)
ヤジキタのネタ出しが安産になる様に、そして我が妻が母子共に健康で出産出来る様に、
そんな事をお参りしながら【鬼子母神】を後にした我々一行。
鬼子母神の裏手から出て来たのだが、その目の前には何ともモダンな建物がある。 


【東京音大】

 

1963年に設置された、日本の私立音楽大学の中で最も古い歴史を持つ音大。
創立からなんと100年以上経過しているというから、伝統ある大学なのです。

 

 

 

 


スタイリッシュな校舎!





 








ちなみに“りんちゃんメモ”によりますと、卒業生に淡谷のり子、春日八郎、黒柳徹子、松下奈緒など。
ひょっとしたら中からピアノの音なんかも聞こえてくるかなぁ、なんて思ったんですけど、
取材日は日曜日だったので僕らはここをスルーして、池袋を目指し進んでいったのです。

 

 

ちょうど【東京音大】を過ぎたあたりから、立派なお寺の境内に入ってきました。 


こちらのお寺がシーズンになると桜の名所となる法明寺
御由緒はHPに以下の内容で記されております。

 

 

『当山は嵯峨天皇の代の弘仁元年(西暦810年)、真言宗の旧跡で威光寺として開創されました。
『東鑑』第1巻に「武蔵国威光寺者。依為源家数代御祈祷所。院主僧増円相承之僧坊寺領。如元被奉免之」
云々とあり、その古い歴史を物語っています。
後の正和元年(1312年)、宗祖日蓮聖人のお弟子で中老僧の一人、日源上人が日蓮宗に改宗、
威光山法明寺と寺号を改めました。以来、伝灯48世、約700年の歴史を刻んできました。
その間、徳川3代将軍・家光公より御朱印を受け、代々将軍家の尊崇を受け、
折りごとに多くの寄進を受けています。24世日宏上人の代には、内大臣西園寺公晃卿より、
緋紋白袈裟と乗輿(じょうよ)等の寄進を受け、宗門弘通の道場として耳目を集めました。
近年に至り関東大震災で本堂が倒壊、46世一妙院日龍上人が昭和7年に再興しています。
しかし昭和20年戦災により全山焼失、47世一味院日厚上人が昭和34年に本堂を再建、
さらに昭和37年客殿庫裡を竣工しました。昭和43年現山主一厚院日悠上人を中心に、
鐘楼ならびに山門の復興も完了、ほぼ寺内の偉容を旧に復しました。』(HPより抜粋)

 

 







緑豊かな法明寺。











ちなみに同じ境内の奥に『開運威光稲荷尊天』を見つける。ここがなかなかの風情。
いくつもの鳥居を抜け、狐様の奉られた本堂へ。匂いも草や土、緑の強さが際立つ。
都内にありながら異空間に迷い込んだ錯覚すら覚えてしまった。

 

 

 

 

 

 


異空間へといざなう入口。




長い鳥居の道を抜けるとお稲荷さんが!





 

 

 




しかも、この辺りは一歩出ると、もう住所は南池袋なのであります。

 

 

 

今回の旅は閑静な目白から、賑やかな池袋への旅だった。
徐々に街の音が変わっていく様子、目に見えて街の色が変わっていく様子、
それはまるで魔法の様な行程だった。
街から街への移動に、ここまで色の違いを感じさせてくれる場所も少ないかも知れない。
それは緑が黄緑になって黄色に変わっていく、という生易しい変化では無い。
白がいきなり黒に変わってしまうような、多少強引な変化でもあるのだ。
だがしかし、この変化を受け入れるのも東京の懐の深さ。
次の街【池袋】は、懐が深くなくては絶対に形成しえない街である。
大学があり、風俗店があり、芸術劇場があり、飲食店があり、高層ビル群があり…。
この街でYAJIKITAは何を目にする事になるのだろう?
次回の【山手線一周ぶらり旅】もお楽しみに!!
*今回の歩数は都電を使ったからかな?6973歩でした!

 

 

 

 

 

 


にぎやかな池袋駅前。




白Tに浮かぶスケ乳首を隠す井門P