“Late for the sky” ジャクソン・ブラウン

2011-05-23


JB

Jackson BrowneLate For The Sky” 特集』

M.      The Road And The Sky 
 

1曲目にお送りしたのは、1974年のそのアルバムから、
B面のオープニングナンバー The Road And The Skyです。
思いっきりウエスト・コーストなナンバーですよね!

ちなみに、浜田省吾さんの事務所の名前は“Road & Sky”。
この曲から取られているのは明らか!ですよね。
そう。浜田省吾さんは、Jackson Browneの大ファン。
『愛の世代の前に』というアルバムでは、思いっきりこの
Late For The Sky
のジャケットをパロっています。

M
     Fountain Of Sorrow    

さて、次にお送りしたのは、1974年のそのアルバムから
Fountain Of Sorrow(悲しみの泉)”です。

コーラス、本当に美しいですよね。
左チャンネルで、地味ながらも、
本当に素晴らしいギタープレイを続ける
デヴィッド・リンドレーも素晴らしいですね!

『完璧な恋人というものは、完璧な愚か者に見える。
 愛という幻想は、本当に危険だよ。』
 と歌う独特の愛の表現は、今でもとっても新鮮ですね。

さてさて、ジャクソン・ブラウン。
現在62歳。ドイツ生まれ、アメリカ・ロス育ちの
シンガーソングライターです。

若くから、作詞作曲の才能は高く評価されて、
アマチュアの頃から、バーズ、リンダ・ロンシュタット、
イーグルスなど、
そうそうたる面々に曲を提供して、
業界内では知る人ぞ知る存在でした。

そんな彼の才能を特に買っていたのが、あの
“デヴィッド・ゲフィン”
CSN、イーグルス、エアロスミス、ニルヴァーナ、
ガンズ&ローゼズ、ベックなんかを
スターダムにのし上げた、やり手ですね。

そんな彼が、ジャクソン・ブラウンにかける意気込みは
半端じゃありませんでした。
彼のために、アトランティックレコードから金を出させて、
新レーベル:
アサイラム・レコードを設立。

遂に、1972年。ジャクソン・ブラウンは、遂に主役!として、
レコードデビューします。

M
     Walking Slow   

次にお送りしたのは、1974年のそのアルバムから、
Walking Slow”です。

“ゆっくりのんびり行こうぜ!俺が死んでも、
 誰かが頑張ってくれるよ!”

という、とんでもなくポジティブになれる曲です。

そして、この曲の通り、比較的のーーんびり活動をスタートした
ジャクソン・ブラウン。

1972
年のデビューアルバムから、“ドクター・マイ・アイズ”
という
シングルヒットが出ますが、アルバムはまるで売れず。
翌年のセカンドアルバム『FOR EVERYMAN』も全然売れず。

ジャクソン・ブラウンは、一部の評論家からは大絶賛されますが、
実際、地味――、なアーティストとして、日陰の存在でした。

ジャクソン・ブラウンを愛してやまないレーベルオーナーの
デヴィッド・ゲフィンからも、

『次回作品にはもう、予算も時間もかけられないよ!』

とプレッシャーをかけられる始末。

そんな、ちょっとした四面楚歌の中、制作されたのが、
このサードアルバム『Late For The Sky』。だったようです。

金がないから、有名なセッション・ミュージシャンじゃなくて、
いつも一緒にツアーを回っていて、気心知れているバックバンドを使う、
というコスト削減策も行いました。

そして、それがバッチリはまります。

質素で堅実なプロデュースが、逆にジャクソン・ブラウンの
奥深い詩の世界、メロディーを際立たせます。

Late For The Sky”は、徐々にアルバムチャートを上昇。
遂に、ミリオンセラーとなります。

M
     Late For The Sky   

お送りしたのは、1974年のそのアルバムから、
オープニングを飾るタイトルナンバー
Late For The Sky”です。

あの、ニューヨークの影を描いたデニーロの映画
『タクシー・ドライヴァー』で
使われていた曲ですね。

ラジオネーム・エレファントさんも、そこで知ったそうで・・・。
ザ・ニューヨーク!という映画で、西海岸の代名詞!
みたいなJackson Browne
使われているのも驚き!ですが、
それがバッチリはまっているのもすごいですよね。

まぁ、それくらい、ジャクソン・ブラウンの音楽は、
既にジャンルを超えた、
普遍性を伴っていたんでしょうね。
大人が抱える、癒えることない孤独を歌ったこの曲と、
タクシードライバーのデニーロ演じるトラヴィスの心の闇、
ピッタリシンクロしますよね。

さて、この“Late For The Sky”で、一気に
シンガーソングライターブームの
急先鋒、
大人気アーティストとなったジャクソン・ブラウン。
その後は、妻の自殺・・・など悲劇も訪れますが、
音楽活動自体は順調。

1976
年のアルバム『プリテンダー』、
1978年の『孤独なランナー』など
大ヒット作品を連発して、
1980年の『ホールド・アウト』では、
遂に全米ナンバー1を記録します。

同時に、社会的な活動も積極的に行っています。

1979
年には、スリーマイル島の原発事故に抗議の意味を込めて、
NO NUKES』といった反原発イベントを企画したり、
アパルトヘイトに抗議する『サンシティ』に参加したり・・・

と、音楽で意思表示するだけでなく、
実際に行動するアーティスト、としても知られています。

昨年には、シェリル・クロウとのジョイント・コンサートで
来日しましたね!

強いメロディーと言葉。

彼の音楽は、今でも心の深くに響きます。

M
    For A Dancer