復興の礎…岩手、陸前高田・大船渡の今|旅人:中田美香

2011-06-24



ドーン!と空に向かってまっすぐに伸びた一本の松の木。
陸前高田の景勝地「高田松原」で唯一残った“奇跡の一本松”の前に、私たちは立っていた。


スタッフ一同、コトバもなく、ただただその木が伸びるその先の天を仰ぎ、しばし(おそらく相当長い時間)立ちつくした。

 

 

 

 


奇跡的に残った一本松




 

 

いつもはスタジオのナレーションを担当しているワタクシ。
そのスタジオを飛び出し、今回の旅先はあの大震災の爪痕からなかなか復興のゴールが見えない、岩手県の陸前高田市と大船渡市。

 

この取材に入る前から心に決めていた。
たとえ、気持ちが折れそうになっても、目の前に映る風景をしっかりと直視し、自分の足で地を歩き、その空気を体感し、そのありのままの風景を伝えようと・・・。

 

それが、私たちが出来るひとつの支援のカタチだと信じて・・・・。

 

「復興の礎」と題し、宮城県に続いて「ヤジキタ」なりの視点で今を伝えます。

 

陸前高田の高田松原には、かつて7万本もの松の木々が広がり、その周囲には、もちろん“街”が存在していた。
しかし、現在は海岸線がどこにあるのかも判別がつかない。
360度見渡しても、なにもない。
時折、ポツン、ポツンと倒壊したコンクリートのビルの壁や骨組みが残っているだけ。

 

そして、奇跡の一本松は海水を大量に浴びてしまい、紫外線の集中攻撃を受け、ついには葉が赤茶色に変色してしまっていた。

 

この“復興のシンボル”である奇跡の一本松を立ち枯れにするわけにはいかないと、保護に向けた動きも始まっている。

 

私たちが向かった時には、大きなクレーンが木の横に置かれていて、このクレーンで根元に鉄板を打ち込む工事が行われていた。土中にたまった海水を汲み出すそうだ。

 

 

 




一本松が枯れないよう塩分を抜く作業






さらに、高田松原の再生を目指す活動をスタートさせている方々もいるという。

 

そこで今回は、この松の木同様に強い生命力をもって、街の再生や復興に向けて孤軍奮闘している方々の姿を追った。

 

まずは、創業204年という歴史を誇る八木澤商店を訪れた。

 

本社も工場も全て流されてしまったという八木澤商店は今、委託生産をメインにしながら一関市に仮の営業所を設けて営業している。 

 

 

 

 

 


一関市にある仮店舗






九代目に就任したばかりの河野道洋社長は、まだお若い。
けれども、その眼差しは使命感に燃え、静かな闘志を感じさせる。 

 

 

 

 

 


八木澤商店 河野通洋社長






「震災発生時から今まで時間の感覚があまりないんです」と話して下さった河野社長。
それだけがむしゃらに前進していらっしゃるからなのだろう。

 

醤油作りに不可欠な“もろみ”が流され、絶望的と思われたなか、もの凄い早さで開業。
復興への大きな一歩を踏み出している。

 

その要因をお訊きすると、笑顔でこうおっしゃった。
「はなから辞める気なんてないですから」。

 

また「陸前高田の街は壊滅したと言われています。でも、この街は必ず復興します!」。
なんとも力強いそのおコトバから、河野社長の善良の心根と、底力を感じた。

 

八木澤商店では、7月15日からは気仙味噌の赤と白、特級濃口醤油が岩手県外に販売開始される。そして8月1日より、ホームページも再開予定とのこと。ちなみに、新入社員もすでに受け入れていた。

 

 

 




現在、出荷再開した「八木澤商店」の醤油と味噌






一関市を後にした私たちが次に向かったのは、大船渡市の盛町だ。
車で移動をしていると、海岸から15キロ以上離れたところで、ガラリと景色が変わった。
潮の香りもなく、海から遠く遠く離れているように感じるこの場所まで大津波の爪痕が残っていたのだ。

 

ここでも、街がすっぽりなくなっていた。
複雑な思いを胸に、大船渡市に入る。

 

大船田市盛町では、8月6日(土)と7日(日)の両日、恒例の「盛町七夕祭り」が開催される。

 

さっそく、実行委員長の水野公正さんを訪ね、事務所にお邪魔すると、やはり地震の影響で壊れた外壁の修理が進められていた。
くす玉などが所狭しと置かれた中でのおハナシとなった。

 

明治時代から続くという伝統行事だが、あんどん山車が損壊し、流されてしまったところが殆どだそうだ。

 

一度は開催自体を諦めたそうだが、そこに安城七夕まつり協賛会から支援の声があり、開催を決定。
やろうよ、という周りの声にも後押しされて。

 

水野さんも「準備がとても楽しいんです」とニコニコとしてらしたのが印象的だった。

 

 

 

 

 


盛町七夕まつり実行委員長 水野公正さん




 


自粛ムードも高まっているけれど、明治時代から続く“まつり”を通して、人は様々なカタチで癒され、復興ムードが盛り上がっていくことは間違いなさそうだ。

 

今年は、安城との夢のコラボレーションで、きっと今までの慣例に決してこだわらない、参加型での華やかなお祭りになりそう。想像するだけでワクワクしてくる。

 

かわって、三陸地方を代表する銘菓「かもめの玉子」を販売する「さいとう製菓」の本社にお邪魔することに。

 

 

 

 

 


被災を免れた かもめの玉子の
「さいとう製菓」工場




三陸地方の銘菓「かもめの玉子」







三代目の斉藤俊明社長は、お会いした瞬間から周囲に笑顔をもたらしてくれるような、あったかい方だ。

 

さいとう製菓は、今回の大津波で2階建ての本社ビルは波にのまれ、直営5店舗もすべて被災してしまった。

 

しかし、社員を路頭に迷わせるわけにはいかないと、すぐに再起を決意、三陸で一番早いスピードで再建に向けて動きだし、すでに生産も80%まで復活してきているという。

 

斉藤社長のおコトバからは、雇用の確保はもちろん、震災後の東北・大船渡復興にむけての道のり、未来にむけて今すべきことが確実にイメージできているように感じた。

 

「復興の先導役」になりたいとおっしゃる斉藤社長は、まさに本来のリーダーのあるべき姿を示して下さっていると感じた。

 

 





「かもめの玉子」のさいとう製菓の齊藤俊明社長







取材を終えて、海岸沿いを車で走っていると、2階建ての本社ビルが突如として現れた。
「かもめの玉子」と書かれた看板がしっかり残るものの、建物は倒壊し、2階部分まで全て流さた後で、建物の骨組しか残っていない。
玄関付近には手書きの現在の本社の地図が残されていた。

 

 

 




本社ビルは、津波の被害に…。




創業当時の看板ががれきの中から見つかった





 


最後は、復興の一歩を踏み出すために「一本松プロジェクト」を立ち上げた、代表の菅野修さんにお会いするために、避難所となっているスポーツ施設「サンビレッジ高田」にお邪魔した。

 

避難所の玄関内には他の避難所との行き来などが出来るバス停が設置されているほか、裏口には仮設住宅の建設がスタートしていた。
中には、大きなテントが張られ、プライバシーがしっかりと守られている。

 

こちらの避難所では、ボランティアの手を一切借りず、自分たち自らの手で日々生活している。
それぞれに役割を持ち、館内は清潔に保たれ、幾分和やかな雰囲気があるように思えた。

 

そんななかスタートした一本松プロジェクトとは、奇跡の一本松に元気をもたらし、松林を再び復興させたいという思いのもと、スタート。

 

避難所にいる方々がコツコツと手作業で様々なグッズを制作し、販売。その売上の一部を一本松の保護と松林の復興支援に充てるというプロジェクトだ。

 

何度も作り直してデザインを決めたというグッズは、携帯ストラップや、軍手を利用した動物人形、タオルで作ったマフラーなど、機能的かつ可愛らしいグッズの数々だ。

 

 

 




一本松プロジェクト  菅野修代表
(首に巻いているのはタオルマフラー)




メンバーの皆さんの手作り「ぐんぐん」と「松りん」





 


黙々と作業する女性たちの姿。

 

今この瞬間も、避難所での暮らしを余儀なくされている方々がいるということを、日々の生活の中で思い出すことが大事だと思う。

 

今回の旅で出会った方々は皆、震災発生直後から何とかしなければと動き出してらっしゃる方々ばかり。
その行動力には本当に頭が下がるし、生きていくんだというパワーに満ちていた。

 

 

 

 

 


陸前高田の皆さんの思いがつまった言葉…
「がんばっぺし」




陸前高田の被災状況(2011・6・13)





 


「地元への愛、東北への愛」を強く強く感じた。

 

こんなにもあったかくて、力強い方々がいる限り、この街は必ずや復興する。
何年後になるかはわからないけれど、近い将来復興を遂げた際にはこの街は、今以上に魅力的な街になっているに違いないと確信した。

 

一日も早く平常の暮らしを取り戻せるよう、あらゆるカタチでの支援が必用。

 

今回の取材を通じてあなたに「私にもなにか出来るコトがある」と感じて頂けたなら、とても嬉しいです。