復興の礎…平泉、世界遺産決定!|旅人:中田美香

2011-07-01



「ジョ、ジョウドシソウ」・・・って、いったい#%&#&%???

 

「平泉の文化遺産」が、6月26日に世界文化遺産に登録されたのを受け、今回のYAJIKITAの旅が決定した。

 

2007年にも平泉を取材させて頂いているこの番組としては、今回の世界文化遺産登録は、まさに悲願である(2007年10月20日27日オンエア。旅人は今泉清保さん)。

 

そんな中、「浄土思想」に関する知識はゼロに等しく、半ばちんぷんかんぷんなワタクシが「平泉」の旅人を担当させて頂きました。
しかも、自らの志願で・・・。

 

「平泉」は、ワタクシにとって長い間、訪れてみたい場所の一つだった。
幼いころ、金色堂の写真に無性にココロ惹かれた。
「平泉」がどこにあるのかもわからなかった当時、自分のカラダの倍ほどもある日本地図をパァ~ッと広げ、位置を確認。
京都からかなり離れた場所にあることに、衝撃を覚えた。

 

恥ずかしながら当時ワタクシは、日本の由緒ある豪華な神社仏閣は、そのほとんどが京都に在るものだと勝手に解釈しておりました・・・ガクッ。
日本地図を前に、まだ見ぬ東北の地に、憧れの思いを馳せた。

 

まず、YAJIKITA一行は、祝賀ムードに包まれる平泉世界遺産推進室にお邪魔した。
室長の千葉秀樹さんは、今年5月、室長になられたばかりの方だ。
お話をお伺いすると、2008年の登録延期を受けてから、改めて推薦書を作成したその過程における道のりを振り返り、携わったスタッフの方々へ労いの言葉をかけられました。

 

 

 

 


平泉町世界遺産推進室の室長 千葉秀樹さん




 

 

「平泉」の素晴らしさをお訊きすると、室内に貼ってあった金色堂のポスタ―の前に立たれ、柱の細部に至るまで細かく施された螺鈿の素晴らしさなどを熱く語って下さった。

 

さらには、世界遺産には登録されていないご自身のお気に入りスポットまで、嬉しそうに教えて下さった。

 

とにかく、登録された5つの史跡をじっくりと巡ってもらいたいとのこと。
そこで、我々も世界遺産に登録された5つの史跡をひとつひとつ巡ることにした。

 

ご一緒して下さったのは、古都ひらいずみガイドの会の佐藤勍司さん。

 

 

 




古都ひらいずみガイドの会、佐藤勍司さん






最初に足を運んだのは、藤原基衡が造営した「毛越寺」。
朱塗りの御本堂に安置されたご本尊様、薬師如来を参拝したあと、風雅な平安庭園をのんびりと散策。
極楽浄土を地上に表現したこの庭園は、緑に溢れ、敷地いっぱいに池が広がっている。

 

佐藤さんによると、かつては、庭園に入る前に大きな門があり、正面に本堂が、そして三重塔が借景になっていたそうだ。
庭園入口に今も残る12個の大きな石をみると、かつての門がいかに立派なものであったかが想像できる。

 

入口から庭園を眺め、多くの伽藍が立ち並んだ時代に思いを馳せながら、ふぅ~と深呼吸・・・。不思議と穏やかな気持ちになれる空間だ。

 

 

 

 

 


在りし日の毛越寺




世界遺産 毛越寺の庭園







「毛越寺」の東側には、同じく文化遺産に登録されている「観自在王院」が隣接している。
奥州藤原二代基衡の夫人が造営したというこちらの遺跡も、やはり「毛越寺」と同じように、大きな池が中心となった浄土式庭園だ。

 

かわって、車で「金鶏山」の麓へ移動。
「山頂までは、たったの100メートルくらいだよ~」とスタッフに説明され、よゆー気分で登り始める。
けれども、山の中腹から山頂にかけては、かなりの急勾配で、ツ、ツライ~。
「聞いてないよぉ~」
ぜぇ~ぜぇ~、はぁ~はぁ~、ぜぇ~ぜぇ~、はぁ~はぁ~∞

 

やっとの思いで山頂の鳥居をくぐる。
見えてきたのは、360度グルリ、山山山山山山山&緑緑緑緑緑緑緑>やっほーい!

 

 

 

 

 


世界遺産 金鶏山への急な坂道




世界遺産 金鶏山 頂上







平泉の街全体を見渡せる金鶏山は、平泉の街づくりの基準となった象徴の山なんだそうだ。
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置し、東へまっすぐに線を引くと、その延長線沿いに「無量光院跡」がある。

 

そこで、まっすぐ東に向かって車を走らせ「無量光院跡」を目指す。

 

藤原秀衡が建立した「無量光院」。
いまでは土塁や礎石が残るのみで、ひっそりとした雰囲気が漂っていた。
春と秋のお彼岸の時期、西側に金鶏山を望み、そして沈む夕陽は、それはそれは美しいそうだ。

 

かつて、「無量光院」は京都の平等院鳳凰堂を模し、平等院鳳凰堂よりもひとまわり大きく建てられていたそうだ。
そのエピソードを聞き、フト、幼いころに日本地図を広げたコトを思い出した。

 

平泉と京都とのあいだは、かなりの距離がある。
当然、奥州藤原氏の時代に平泉の人々が京都まで足を運ぶことは出来なかっただろう。
佐藤さんが「奥州藤原氏は、平泉に京都を再現すると同時に、京都を超える街をつくろうと思ったのではないか」と話して下さった。

 

勝手ながら、幼いころにフワッと湧いた疑問がなにかしっかりと繋がったような思いになり、少しだけ誇らしげな気持ちになった。

 

 

 




世界遺産 無量光院跡




平等院鳳凰堂を模した無量光院のイメージ







最後は、平泉観光のハイライトともいえる「中尊寺」。
今回の旅の過程でも大きな目的のひとつといえる「金色堂」へと急ぐ。

 

樹齢300年の杉の樹に覆われた月見坂で、英気を養い、いざ「金色堂」へGO!

 

 

 

 

 


世界遺産 中尊寺




 


新覆堂を前に、期待がグングン高まる。
初めてみる金色堂・・・(重要文化財でもあり、館内は撮影禁止になっていた)。

 

それはもう、煌びやか。
眩いばかりに金箔が貼られ、輝きに満ち溢れている。

 

ご本尊の阿弥陀如来像のなんとも穏やかな表情と気品に圧倒される。

 

ただ眺めているだけで、優しく穏やかな気持ちにさせてくれるから不思議だ。
かなりの時間、ワタクシぼぉ~っと眺めていたみたい。
周りを見渡すと、スタッフは皆、お堂の外で待機していた・・・トホホ。

 

 

 

 

 


世界遺産 金色堂






平泉の名所には、すでに建物が現存しない遺跡も多い。
今回の旅でご一緒して下さった佐藤さんのわかりやすい解説によって、奥州藤原氏が栄華を極めた黄金文化の様子がよりリアルに想像できた。

 

また、短い取材時間の中でも、佐藤さんのご案内により、あちこちに歴史遺産のある平泉を効率よく巡ることもできた。
感謝、感謝です。

 

 





鎌倉時代建立の旧覆堂(重要文化財)







奥州藤原氏が、平和への祈りを込めて築いた平泉。
敵や見方に関係なく、御霊が浄土世界へと導かれるように、死後も現生も穏やかな日々が過ごせるようにと、まさに理想の世界を描いて街がつくられたのだ。

 

5つの史跡を自分の足で巡り、少しだけ"浄土"という言葉の意味を理解出来たような気がする。

 

『震災からの復興』。
奇しくも時期が重なった世界遺産登録。
藤原氏のメッセージは、いまの日本国民に重要な意味合いをもたらすように感じた。