東北応援スペシャル! 会津の歴史と福島の底力|旅人:井門宗之

2011-08-06



ラジオDJとは・・・
言葉に出来ない物を言葉にし、対象の想いを乗せながら第三者に伝えられる者。
自分が受けた感動や喜びをただ膨らませて喋るのではなく、
リスナーさんに疑似的にその場にいたかの様な錯覚を起こさせる情景描写が出来る者。
時には本気で怒り、時には涙を流して悲しむ者。
誰よりも本気で楽しむ者。そして、誰よりも本気で悩む者。
心の真ん中に、いつまでも熱さを持っている者。

 

僕がどうしても会いたかったラジオDJが福島にいました。
それがふくしまFMアナウンサー:中村哲郎さんです。
東日本大震災発生後、声を枯らしてリスナーさんに沿岸からの避難を叫び続け、
不眠不休で、安否情報や避難所の情報を出し続けました。
僕と中村さんの繋がりは実は古く、
それこそ金曜日の朝の生放送を担当していた頃からだから、もう5年以上。
福島のオススメ情報を元気いっぱいに教えてくださる中村アナが出演すると、
その後は福島FMのリスナーさんから数えきれない程のメッセージが寄せられたもんです。 


あれは震災から2週間ほどが過ぎた頃でしょうか。
中村アナに無理をお願いし、福島の状況を電話で伝えて貰おうという事になりました。
迎えた本番当日。いつもの様に中村さんを呼ぶと、
スピーカーの向こうから返ってきたのは、いつもとは違う憔悴した中村さんの声でした。
休む事なくリスナーさんに情報を伝え続け、喋り続けた人の声でした。
それでもその時の状況を分かり易く、しかし悔しそうに話していた中村さん。
僕はあの時の中村さんの声が、今でも忘れられません。

 

それからしばらくして、お互いメールで熱い文章のやり取りをしながら、
中村さんとは必ず福島でお会いするという約束をしていた井門。ついにその夢が叶う日が来たのです。

 

――ヤジキタで福島の観光地を御紹介し、なんとか観光客に福島に戻ってもらいたい。――

 

ついに念願のヤジキタ福島取材が決まりました。
ただ福島の取材をするなら、僕はどうしても中村さんと二人で旅がしたい。
スタッフや当の中村さんに話を持ちかけると『是非!』という有難く、温かい言葉。
こうして我々ヤジキタ一行は7月某日、福島県会津若松へと旅立ったのです。

 

 

福島は私めが喋っておりますOH! HAPPY MORNINGのリスナーさんが非常に多い場所。
はっきり言って、行く前から物凄く楽しみでした。(ステッカーもいっぱい持っていったのよ)
中村さんも電話で言うのです…。

 

 

中村「いやぁ~、福島のリスナーさんは井門さんの番組物凄く聴いてますから!」

 

 

 

やべぇ、超プレッシャー…。いやいや、そうは言っても広い福島。
“そうそうリスナーさんに会える訳ないよ”、とタカを括っていた所…。

 

 

リスナー「会津若松駅前で収録中の井門さんみ~っけ!by Twitter」

 

 

しっかり見つかっていたのです(笑)
今回の旅は強行軍の為、なかなかリスナーさんに会う機会も少ないと思い、
その代わり出来る限りTwitter上でどこにいるのかを明確にしようと呟いていた井門P。
すると熱い福島のリスナーさんがその行動を追ってくださったのです!
*当日いろんな場所でお会い出来たリスナーさん、有難うございました!!
もちろん、熱いのはリスナーさんだけじゃない。
会津若松の駅前で、いよいよこの方とご対面です!!

 

 

 

ふくしまFM 中村哲郎アナウンサー(主任)

 

 

 

 

 


初2ショット!






そして駅前から収録開始!




慣れない映像収録に、
ちょっと緊張気味の中村さん






 

 

 

 

中村「井門さん!本当にこの度は福島に来てくださって有難うございます!」
井門「中村さん!やっとお会い出来た…(感涙)こちらこそ、無理を言ってすみません!」

 

 

数年前から知っていた中村さん。
でもね、実はお会いするの、今回が初めてだったんです…(驚)
ただ僕が想像していた通りの人柄、風貌で。
優しさがこんなに身体全体から出ているアナウンサーさんはなかなかいないんぢゃないだろうか?
初めてお会いしたのに、すぐに懐に飛び込めるような錯覚を起こしてしまう。
だから思わず、喋る口調もくだけたものになってしまう。
レポートも二人でボケたり、突っ込んだりを遊びながらしてしまう。
そうすると、本当なら喋りはあっち行ったりこっち行ったりしがち。でも、それが無い。
何だか結局は、座りが良い場所に落ち着いてレポート出来ていたりする。
不思議だったな・・・。
そう言えば後から今回のD:横山氏とメルシー久保氏に言われました。
“井門君と中村さんって、何か波長が似てるんだよね。”って。
さぁ、主任!いざ会津の旅を満喫しましょうか!

 

僕らは今回、福島県の中でも会津若松を旅の地に選びました。
それには理由があって、会津の象徴ともいえる鶴ヶ城の天守閣が今年リニューアルしたからなんです。
そしてこの鶴ヶ城の歴史こそ、会津の人々の底力を教えてくれる場所でもあるのです。
会津若松の駅から車で少し走ると、鶴ヶ城が見えてきます。
城壁の美しい白さと、赤瓦のコントラスト。そして城内に溢れる豊かな緑。
なんとも上品なお城ではありませんか。
やはり旅人がオッサン2人な分、城は美しくないと(笑)
駐車場に車を止めると、夏の会津からは蝉の鳴き声がしました。
この城と歴史を共にしてきた偉人達も、この城内で蝉の声を聞いたに違いない。
それぞれの時代で、馳せた想いは違うでしょう。
何故ならこの城の主は葦名家⇒伊達家⇒蒲生家⇒上杉家⇒蒲生家⇒加藤家⇒保科家⇒松平家、と、
なんと8度に渡り変わっているのです。
それだけ歴史の中で重要な位置づけとされてきた鶴ヶ城。
中村さんと僕に丁寧に鶴ヶ城を案内してくれたのは、ボランティアガイドの中野まさ子さん。
日本全国を旅して回ると、各地のボランティアガイドの方にお世話になる事が多い。
そしてガイドの方は知識も豊富でとにかく明るい方ばかりなのですが、中野さんもまさに!

 

 

 

 

 

















リニューアルされた鶴ヶ城の赤瓦は明治時代に解体される前の姿を模していると言う。
100年以上の時を経て、今の姿に戻ったという事になるのであります。
ちなみに天守閣に乗る鯱は、復元工事を担当した企業の会長から寄贈されたもの。
身体は銀箔で覆われ、牙は金。目には何と2カラットのダイアモンドが埋め込まれている!



 

 

 

 


歯は金、瞳はダイアモンド。
聖子ちゃんの歌がこんなところで現実に!




黒瓦と赤瓦の違い。
赤というよりエンジ色に近いかな。






 

 




中村「凄いですね~!」
井門「いくらするかね…。」

 

2人とも高そうな物には分かり易く畏敬の念を抱く(笑)
そんな2人を促しながら、中野さんは僕らを城の中へと案内してくれた。

 

 

 

 

 

 


門番の兵隊さんと記念撮影しちゃいました!





 

 




鶴ヶ城は入口から天守閣まで、塩蔵を除くと5層構造になっている。
現在はそれぞれの層で歴史の展示を見る事が出来るのだが、 


二層の【楽しみながら学ぶ江戸時代の会津】で中村さんがスパーク
ここは体験ゾーンになっていて、姫様の着物を羽織る事が出来るのだが…

 

 

スタッフ「これは中村さんでしょう!?」 


中村「えぇ!?これ、着ますか?着ますね!着ましょう!

 

 

さすがは主任、決断力が早いのである。
そして着物を羽織った中村さんの写真が…コレだ!1、2、3…

 

 

 

 

 

 

 


中村さん、姫にドレスアップ中!




そして姫を待つ、殿様井門の元へ…。






「近ぅ寄れ」「殿、それはいけません…」
「まぁいいでないか…」
気色悪いコントが続きます。




ワッ! カメラ目線だ! 
夢に出てきそう~~~っ!






 

 

 

 

 

 

 

 

 


で、いつものように、お約束で僕も着るハメに…。





 




いやぁ…想像以上に二人が気持ち悪くて(笑)
*中村さん、ごめんなさい…。
その他にも当時の鉄砲や刀を(共にレプリカ)持つ事が出来たり、

 

 

 

 

 









 






江戸時代の甲冑展示や会津の風物、また戊辰戦争の錦絵など見所が満載なのです。
個人的にはやっぱり二層で着物を羽織って写真を撮る事をオススメします(笑)
そんなこんなで中野さんの非常に分かり易いガイドのもと、ついに辿り着いた天守閣。
階段を昇った先に僕らの目に飛び込んできた世界は、素晴らしいものでした。

 

 

 

 

 












 






中村「うわ~!凄い眺めだなぁ…。」
井門「ここから会津が、まさに一望出来ますね。」
中野「お二人とも、ほら。良く見てくださいね。
このお城よりも高い建物が無いでしょ?景観の配慮から、城より高い建物はここには無いのよ。」
2人「ほぇぇえ・・・本当だ・・・。」

 

思わず天守閣からの景色に息を飲む我ら二人。
歴史の偉人達と、いま僕らは同じ景色を共有しているのだろうか。
そんな想いにどっぷり浸っていると…、

 

 

中野「はい、じゃあ天守閣から見た景色で一句どうぞ!

 

 

 

中野さんは無茶ぶりの魔法を唱えた!
井門は固まった。中村は固まった。

 

 

井門「ぢゃあ、中村さんどうぞ!

 

 

井門は責任転嫁の魔法を唱えた!

井門の身体から毒が消えた。中村は立ち尽くした。
…とまぁ、天守閣の上でひと悶着あったのですが(笑)
肝心の一句に関しては…旅日記では敢えて書きません~!えっ?聞きたい?
いやいや、きっと鶴ヶ城の天守閣に登ったら、皆さんの口からも自然と一句こぼれてきますから、
僕らの一句よりも“いつか詠むであろう、アナタだけの一句”の為に、ここは…ねぇ?(逃げた)

 

 

 

 

 





無茶ぶりに弱いのがバレバレ。中村さんも僕も表情が凍ってる!(笑)





 

 


しかし鶴ヶ城の天守閣から眺める会津若松の風景の美しいこと。
街から眺める鶴ヶ城の白さもまた美しいんですよ。
だけど、360度に広がる町並はここからしか望めないわけですから。
やはり、殿さま気分というものに浸りたくなってきます。
“ふふふ。福島は沢山リスナーさんもいらっしゃるし、気持ち良いなぁ…”
殿さま気分の井門は少しだけ調子に乗り始めていた、その時!

 

お客さん「あの、ラジオで喋ってた人でしょ?

 

 

 

キタ━━━━━━━━━━━━━━━━(゚)━━━━━━━━━━━━━━━━!!!!!!

 

 


Twitterで呟いていただけあって、ここまでリスナーさんが来てくださったんだ。
鶴ヶ城の天守閣でリスナーさんとの対面なんて、何か美しいぢゃないですか!
中村さんと井門は、握手の一つもする気まんまんで声の方を振り返ると…

 

 

お客さん「ガイドの方、この前AMで声を聴いたの!分かり易かったわぁ~。」
中野「あらやだ、有難うございますぅ~!」

 

 

 

ウワァァ━━━━━━━━━━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━━━━━━━━━━ン!!!!

 

 

 

BGM C.I.-「北の国から/さだまさし」
…父さん、僕らは天守閣で少しだけ期待してたわけで…。
まさか、中野さんが先にリスナーさんに声をかけられるとは、思ってもみなかったわけで…。
東京帰ったら、また地道に頑張ろうと思ったわけで…。 - BGM F.O.

 

(笑)なんちて。
あっ、福島の皆さん御安心下さいね!!
僕らはこの後、しっかりとリスナーさんの熱烈歓迎を受けましたから!
*ついでに言うと、夜もそのお陰で美味しいお酒が飲めました。

 

中野さんのガイドのお陰で、我々は会津の歴史に少しだけ深く触れる事が出来ました。
そして、会津の方がその歴史をいかに誇りに思っているのかが分かりました。
鶴ヶ城を出た後、城内の敷地をぐるりと案内してもらった一行。

 

 

敷地内には茶室の【麟閣】があります。

 

 

 

 

 


「茶室麟閣」と庭園




三千家の家計図。クリックすると大きくなるよ!





 

 

 

 


この麟閣は千利休の息子:少庵が蒲生氏郷の為にしつらえた物と言われている茶室。
何を隠そう、この城を【鶴ヶ城】と命名した蒲生氏郷は、千利休の利休七哲の一人。
時は天正19年、秀吉の怒りにふれ死罪となった千利休。
弟子の筆頭でもあった氏郷は利休が編み出した茶の湯の道を途絶えさせる事を恐れ、
なんと息子の少庵を会津に匿い、秀吉に【千家再興】を願い出ました。
その願いが聞き入れられ、少庵は京都へと戻り、千家茶道はその子:宗旦に引き継がれたのです。
そしてそこから、武者小路千家・表千家・裏千家の三千家が興され、今に伝えられている…と。

 

 

中野「という事は、蒲生氏郷が少庵を匿わなければ、
今の茶の湯は無かったかもしれないんですよ!」

 

 

誇らしげに、そして明るい笑顔で会津への愛と誇りを語ってくれた中野さん。
会津に来る際は歴史を少し探ってから来ると、物凄く楽しくなる事も教えてくれました!
あっ、忘れちゃいけない、可愛らしい会津弁も有難うございました!

 

 

 











 

 

 

鶴ヶ城を後にした我々一行は、ソースかつ丼の名店でランチをし、
そこを出てからリスナーさんと感動の対面をし(笑)

 

 

 

 


会津名物 なかじまの「ソースかつ丼」!





 

 

 

 

 

続いて向かったのが会津の伝統工芸の名店。

山田民芸工房

 

 

 

 

 

 









 

 

 

会津には赤ベコや絵ろうそくなどの工芸品が沢山あります。
その中でも先日レディー・ガガが来日した時に、溝畑観光庁長官がプレゼントしたのが、
一番歴史の古い【起き上がり小法師】なんです!
しかもガガにプレゼントした起き上がり小法師は【山田民芸工房】の物だと言うではありませんか!?
我々は御主人の御歳82歳:山田利正さんにお話しを伺いました。

 

 

山田「あの時は驚きました。大きな黒い車が突然現れて、
起き上がり小法師の話を聞いていったかと思えば、ガガさんにプレゼントするっちゅうから。」
井門「レディ・ガガは御存知でした…か?」
山田「恥ずかしながら、知りませんでした(笑)」

 

 

 

 

 





いや、それはそうだろう。
小法師一筋70年以上の山田翁がガガを知っている方が凄いのだ。
それからはトントン拍子に(というか長官が買って行かれたのだが)ガガの元に小法師が。
お店の中にはガガに贈られた物と同じ小法師を販売している。
そのどれも愛嬌があって可愛らしい顔をしているのだ!

 

 

山田「どの小法師も違う顔してるでしょ?全部手描きだから、顔が少しずつ違うんです。」

 

 

確かに店内には大黒天と恵比寿様の小法師や、野口英世の小法師、
大きさも大小様々の小法師が置いてあるのだが、全てちょつとずつ顔が違う。そしてそれが個性だ。

 

 






こちらがガガにもプレゼントされた
オーソドックスな「起き上がり小法師」




他にも、野口英世とか…






白虎隊とか…




新選組なんていう小法師も。











山田「小法師の歴史は、もともと内職で作られていた物なんだけど、
転んでも必ず起き上がるって、縁起物として家庭に置かれる様になったんですよ。」
井門「会津の家庭にはかなりの確率で置いてあるんですか?」
山田「全てとは言えないけど、たぶんどこの家にもあると思います。
会津の歴史は何度でも立ち上がってきた歴史。会津の人の気質に合うんですよ。

 

 

小法師が会津で愛されている理由が分かった気がした。
そしてこの小法師、ここ山田民芸工房さんではその絵付け体験が出来るという!

 

 

井門「ぢゃあ、折角なんで僕が中村さんをイメージして絵付けしますよ。
その代わり中村さんは僕をイメージして小法師に絵付けして下さい!」
中村「あ~、それは良いアイデアですね!ぢゃ、さっそく始めますか!?」

 

 

渡されたのは真っ白な小法師。
ここに絵筆で思うままに色を付けていくのだ。
僕は中村さんをイメージして、中村さんは僕をイメージして。
ここに二人の想いがこめられる!

 

 

お互いをどう思っているのか、分かるのだ!

 

 

 

 

 

 


絵付けはじめて2分経過!




10分経過!





 




そしてついに、完成!!

 

 

井門「ぢゃあ、せーので小法師を正面に向けましょうか?」

 

中村「分かりました!では、せーの!!

 

 

 

 

 







南キャンの山ちゃんにも似ているような…。





 

………………。 


俺、青っっ!!

 

 


中村「いやぁ、井門さんのイメージは“アバンギャルド”なんで。
あと、唇が特徴的ですよね!井門さんは情に篤い人特有の唇の厚さを持ってる!」
井門「しかし、青いなぁ…。僕は中村さんが小金を持ってそうなイメージだったので(笑)
と言うのは冗談で、やっぱり元気なイメージだったので!黄色を中心にしました!」

 

 

最後はお世話になった師匠:山田さんとも記念撮影。
山田さんはこんな事も仰ってました。

 

 

山田「今年は原発の影響もあって、ここを訪れる修学旅行生の数が0なんです。
会津は大丈夫なので、色んな人に来て貰いたい。
元気を出していても、誰も来なきゃどうしようもないんです。
倒れて起き上がった先に、誰かがいなきゃ、起き上がっても何も出来ない。
どうか、皆さん、会津に来て下さい。小法師を見に来て下さい。」

 

 

 

 

 

 


山田さん、ありがとうございました!





 

 

 

山田民芸工房を後にした我々は、
最後のパートを録りに飯盛山へと向かった。
飯盛山は言わずもがな、白虎隊が自刃した山である。
白虎隊が眠る場所から鶴ヶ城を眺め、この旅の収録を終えた。
中村さんは旅の最後、こんな風に結んでくれました。

 

 

中村「福島の人が何度も立ち上がって来た事は、歴史が証明しています。
福島の人は必ず立ち上がるんです!だから是非、皆さんも福島に来て下さい!」

 

 

そうなのだ。
山田民芸工房の山田さんが仰っていた通り、
福島は必ずこの困難を乗り越えて立ち上がるだろう。
しかし、立ち上がった先に誰もいなければ、その先が大変なのだ。
そして立ち上がるには、誰かの支えが必要不可欠なのだ。
原発の問題で福島の観光地等は軒並み風評被害に苦しんでいる。
震災があってから今まで、リスナーさんの多くもボランティアなどに出かけただろう。
また募金活動を通じて、被災地支援をしている方も多いことと思う。
しかし中には高齢や若過ぎる為、お手伝いしたくてもなかなかボランティアに行けない方も多い。
どうだろう、そんな方々は復興し始めた被災地の観光地に行ってみては?
風評被害で苦しむ土地を訪れて、地元に帰ってから、その土地の良さを周りに伝えるのだ。
現地で感じた“1”を、誰かに伝えて“10”や“100”にするのだ。
そして、再び被災地の“かつて観光地だった場所”に人を戻すのだ。
観光しに行くのも、立派な支援である。
山田民芸工房さんで小法師の絵付け体験をしにいくのも、支援の一つなのだ。

 

被災地の復興にはまだ時間がかかりそうだ。
特に福島は原発の問題もある。
だが、それを皆で協力しながら進める事によって、少しでも時間は縮むのだ。
「どうせ一人が動いたって、小さな一歩だろ?」とは思わないで下さい。
動かないと、一歩も進まない。進まないより、一歩でも進んだ方が良い。
誰もが一歩を踏み出せる。
だったら、その一歩は“観光”という形で踏み出してみませんか?
あなたの笑顔は、あなたが思うより凄い力を持っていると、僕は信じています。

 

 

中村さん。
お会い出来て、本当に良かった。
今度は東京で、ゆっくり飲みましょう。
旨い酒を安く飲ます店、知ってるんです。
そこでじっくりラジオの話をしましょう。
お互い、きっとまだまだ熱い話が出来ますよね。
ああ、その頃は僕も親になっているかな。
すみません、親ばか話にも付き合って下さい。
勘弁して下さい、奥さんとのノロケも、たっぷり聴きますから。
またお会い出来る日を楽しみに。
親愛なる福島のラジオDJへ。

 

ラジオDJ 井門宗之

 

 

 

 

それでは引き続き、

ふくしまFM中村哲郎アナウンサー(主任)旅日記でお楽しみください!!