ステッペンウルフ!! “BORN TO BE WILD”

2011-07-17


ステッペンウルフ

『ハード・ロックのルーツ!
   ステッペンウルフ デビューアルバム
  “ワイルドで行こう” 特集』。

M.    
スキー・スキー   /  STEPPENWOLF   

1曲目にお送りしたのは、1968年のそのアルバムの
オープニングナンバーで、
彼らのデビューシングル
“スキー・スキー”です。

スキスキスー!!と歌う曲!!
まさに細川ふみえのスキスキスーの元ネタがこんなところに!!

そして、68年にこのへヴィーサウンド!!!すごい!!

M
   EVERYBODY’S NEXT ONE    

さて、次にお送りしたのは、1968年のそのアルバムの
2曲目。
EVERYBODYS NEXT ONE”です。

ね!かっこいいでしょ?
ギターの壁、そこに見事に絡むファズギターのリード。
そして、ピアノとオルガンのセンスのいいフレーズ。
そして重心の低いリズム隊。
魅力的なボーカルとコーラス。

最高ですよね。

さてさて、ステッペンウルフ。
アメリカの60年代後半、フラワームーブメント&ヒッピー文化とか、
ベトナム戦争の反戦の気運を象徴するようなバンド・・・ですが、
実は、なんとカナダのバンドなんですよね。

意外っ。

しかも、リーダーのジョン・ケイはドイツ人。
第2次大戦で父を亡くした彼は母と共に故郷の街(東ドイツ)
を脱出して、
西ドイツに移り住みますが、その後カナダへ移住。
その際に栄養失調で視力が極端に悪化するなど、
かなり過酷な少年時代を過ごしました。

そんな彼を救ってくれたのが、チャックベリー、
ビル・ヘイリーなんかのR&R
そして、カナダ移住後に知ったブルースやC&Wでした。

とにかくロックにのめり込んでいったジョン・ケイ。

ハイスクール時代には、“絶対プロミュージシャンになる!!”
と心にきめたそうです。

M
HOOCHIE COOCHIE MAN    

次にお送りしたのは、1968年のそのアルバムから、
ブルースのスタンダードのカバー“HOOCHIE COOCHIE MAN
でした。

マディー・ウォーターズなんかと比べたらかなり荒削り!
でも、そこがいい!!

さて、さっきの話の続きです。

ドイツを脱出してカナダに移り住んだジョン・ケイ。
ロックにのめり込んで、高校卒業後にシンガーとなった彼は、
1965年カナダ・トロントでスパローというバンドを結成。

なんと翌年には、TVに出演して注目を浴びてレコードデビューします。

しかし、全く売れず。

1967年にはバンドは解散してしまいます。

“カナダにいちゃダメかも!アメリカンドリームをつかむためには
本場アメリカに行かなきゃ!”

と思ったかどうかは知りませんが、ジョン・ケイはスパローの
お気に入りメンバー2人を
連れてカリフォルニア:LAに渡ります。
そして、現地で2名のメンバーを加えてバンドを結成。

バンド名は、ドイツの文学者ヘルマン・ヘッセの本のタイトルから
拝借して
“ステッペンウルフ”と名付けられました。

そして、あっという間にレコード契約。
1968年に、今日特集しているアルバム“ワイルドで行こう”を
リリースしました。

そして、セカンドシングルが運命のこの曲だったんです。

M
BORN TO BE WILD    

次にお送りしたのは、1968年のそのアルバムから、
問答無用の名曲。
映画『イージーライダー』のオープニングナンバーとして使用されて、
全米2位の大ヒットとなった“ワイルドで行こう”です。

ホント、、、テンションあがりますよね!!!
バイク好きの人、たまんないんじゃないでしょうか?
この曲で、バイクのコトを“へヴィ・メタル”と呼んだこと。
そしてこのへヴィーな音楽性と相まって、ステッペンウルフは
へヴィメタル、ハードロックの元祖!なんて言われ方もしますよね。

ブルースをとにかくハードに演奏したこの音楽性は、
当時とにかく衝撃的だったんでしょうね。。。

さてさて、この曲の大ヒットで、一気にスターダムを駆け上がった
ステッペンウルフ。
ヒッピー文化が流行して、既存のポップス・グループを否定する
ラディカルなバンドが
求められていた中にバッチリはまって、
最高のスタートを切りました。

“ベトナム戦争停戦のためのコンサート”も
若者の圧倒的な支持を得ながら定期的に開催。

戦争で父を失い、故郷を追われたジョン・ケイだからこそ、
リアリティもあったんでしょうね。

まさに、ステッペンウルフは60年代後半のアメリカを代表する存在。
時代の申し子、でした。

そして、70年代に入るとあっという間に枯れていきます。
72年にはいったん解散。
その後は、再結成なども行いますが、
脚光を浴びることはありませんでした。

ただ、その存在はロックのヒストリーの中で、
輝き続けています。

M
  THE PUSHER   /  STEPPENWOLF