にほんのうたプロジェクト~東北の被災地小学校を巡る~|旅人:中田美香

2011-09-02



♪は~るの~おがぁわ~はさらさらいくよ~♪

 

ん?季節はまだ春ではないって!?
いやいや。
春の歌は、なにも春だけのものでないんですヨー。
ココロが春!なときは、いつだって口ずさんで良いんです!

 

この素敵なメッセージは、映像作家の佐藤佐吉さんが、童謡「春の小川」をモチーフに制作されたショートムービーの中に込められている。

 

年齢を問わず、思わず口ずさんでしまう歌・・・。
いつだって、家族やお友達と、一緒に唄える歌・・・。
そんな、日本に古くから伝わる童謡や唱歌“にほんのうた”を子供たちに語り継いでいく「にほんのうたプロジェクト」という活動がある。

 

音楽家・坂本龍一さんの呼びかけで、日本を代表するアーティストが結集し、様々な“にほんのうた”を唄い、4枚の素晴らしいアルバムが生まれた。
さらに、これらの楽曲をモチーフに、映像クリエイタ―陣がオリジナルのショートムービー“にほんのうたフィルム”を18作品制作。
このショートムービーを全国の小学校や各種イベントとコラボレーションしながら、会場で上映会やワークショップなどを実施するのが「にほんのうたプロジェクト」の主な活動だ。
イメージ的には、いわば、現代版の“紙芝居”といったところだろうか・・・。

 

ワタクシ、個人的にこの「にほんのうたプロジェクト」の大ファンでもある。
そんな中、今回、東北の被災地の小学校を巡り、子供たちと歌を唄うワークショップを実施すると聞き、これは是非「YAJIKITA」で取材したーい!と旅人を自ら志願したのだ。

 

そこで、今回の「YAJIKITA」は「にほんのうたプロジェクト、東北キャラバン」に密着!
これまで番組で伝えきれなかった被災地の小学校、子供たちの現状をリポートするとともに、東日本大震災からおよそ半年が経過する現状を取材した。

 

 

最初に向かった先は、宮城県にある石巻市立橋浦小学校。
車が小学校に近づくと、突然道路がボッコンボッコンし、車中でスタッフ一同、ぴょんぴょん飛び跳ねてしまう。

 

この小学校の周辺は、直接津波の大きな影響は受けてはいないが、やはり大震災の影響で道路が崩れ、舗装がまだ進んでいないのだ。

 

 

 

 

 


石巻市立橋浦小学校


 

 

 

 

校内に入ると、土のグラウンドが広がり、その奥に校舎が見えている。
何だか懐かしい雰囲気の学校。
子供たちの元気な声が漏れ聞こえてくると、気持ちが高まってきた。

 

体育館に全校生徒およそ100人近くが集められ、劇団SETの良田麻美さんの進行によって、いよいよ上映会がスタート!
子供たちは、食い入るように映像を見て、無邪気な表情で、大笑いしたり、驚いたり。
そんな子供たちの表情を見ていると、何故か涙がとまらなくなってしまう。

 

 

 

 

 




インタビューに答える橋浦小学校の子供たち


進行役の劇団SETの良田麻美さん







震災後、周囲の大人たちに気を遣い、子供なりに色々なコトを我慢し、耐えてきたと思う。でも、歌を唄う子供たちの姿は、無垢な表情をしている。

 

この日は、「あめふりくまのこ」「春の小川」「この道」「青い眼の人形」と4曲の映像を交え、最後に「あめふりくまのこ」を一緒に合唱した。
最初は、少し戸惑っていたのか、声もまだまだ小さくて、心配になる。
でも、良田麻美さんの元気いっぱいのMCで、徐々に緊張の糸がほぐれ、瞳をキラキラさせながら合唱に加わっていく。

 

にほんのうた実行委員会・委員長の佐藤啓さんが、「“にほんのうた”の魅力は、何と言っても年齢や性別を超えて歌い継がれる点だ」と話をしてくださった。

 

そのおコトバ通り、終了後に子供たちに感想をきくと、「たのしかった」「おばあちゃんに教わった歌があったのが嬉しかった~」と語る。

 

石巻市立橋浦小学校の小山敦夫校長によると、震災後、石巻市立橋浦小学校は、相川小学校、吉浜小学校の3校が合同になって勉強しているそうだ。
3つの小学校あわせて、大震災で犠牲になった児童は11人。
「震災直後は、子供も大人もテンションが高い。それが少しずつ平常に戻る、6月~7月頃から心のケアが必要になる」そうだ。


大震災を経験し、3つの小学校がひとつになり、子どものたちの心の変化は我々の想像を遥かに超える。そんな中、“にほんのうた”を全校生徒で唄うことによって、どんなメッセージが伝わったのだろうか?
小山先生いわく、「つらいトキ、嬉しいトキ、人は歌を唄う。きっと“にほんのうた”には、コトバに出来ない多くのコトを伝える力があるのでは」。

 

 

 


石巻市立橋浦小学校の小山敦夫校長


 

 



昔から伝わる日本の童謡・唱歌に触れると、とても切ない気持になったり、とても懐かしい気持ちになったりと、ココロが刺激されるコトが多い。
それはまさに、「先人たちがコトバに出来なかった、コトバにならなかった様々なメッセージが宿っているからなのかもしれないな・・・」、フトそんな思いがした。

 

今回、キャラバンの旅の途中、ちょこちょこと足を延ばして、東北の被災地を取材した。
その一つが、震災から2ヶ月経った石巻の現状を取材した際に訪れた、石巻駅前のB級グルメの名店――「石巻やきそばのたこやきくるるん」さんだ。

(この旅の模様は、こちら。)

 

 

今回、ココを3ヶ月ぶりに訪れた。
二度蒸し製法により、焼く前から茶色い色の麺が出来上がり、石巻焼きそばの特徴である「茶色い麺」ができる。
ワタクシ、スタジオで紹介しながら一度食べたい!と思っていたが、今回、やっと念願叶って、石巻やきそば&たこ焼きをぺロリ!!!

 

「おいすぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

「石巻やきそばのたこやきくるるん」のご主人、伊東建則さんは震災後、周りの殆どのお店が閉店している中、いち早く店を開けた。
半年が経過した石巻周辺は、まだまだシャッターを閉めているお店も多い。
「復興」というにはまだまだ道のりは遠い。
でも、観光客も少しずつ増え始めているという。
石巻駅前にあるスーパーが7月中旬にオープンし、買い出しに訪れる多くの人で賑わい、駐車場は満車状態。
なんでも、食材などはここで購入する以外、近郊に店はないそうだ。
駅前とは言え、建物のダメージが多く、オープンできない店も多く、まだまだ時間がかかりそう。

 

 

続いて訪れたのは、岩手県にある大船渡市立甫嶺小学校。

 

 

 

 


大船渡市立甫嶺小学校









こちらも震災後、近くにある越喜小学校と崎浜小学校が合同になって学んでいる。
甫嶺小学校は、震災の時…津波は目の前5メートルまで押し寄せたというが、校舎は無事だった。


一方、越喜小学校は、校舎ごと津波に流されてしまう。
当時、越喜小学校で授業を受けていた子供たちは、先生たちとともに避難し、全員無事だった。
まだ避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされている子供たちも多いなか、今回3つの学校それぞれから6年生にインタビューさせて頂いた。

 

 

 

 


にほんのうた実行委員のひとり(最年少の澤田くん)


 

 

どんな風に質問すれば良いのだろう?なんてオドオドする中、子供たちが元気な声で「こんにちは!」と教室に入ってきた。ホッ。
震災後、3つの学校が合同になった感想をきくと「友達が100人出来ちゃった!嬉しい」という反応。
あっけらかんとしたその反応にコチラが驚いてしまう・・・。

 

 

 

 

 


左:崎浜小学校6年生の小西貴斗くん。
中央:甫嶺小学校6年生の及川大輝くん。
右:越喜小学校6年生の三浦大暉くん。



 



最後に2学期の目標をきくと、子供たちは「受けている支援に対する感謝の気持ちを忘れずにこれからの日々を過ごして行きたい」と話をしてくれた。

 

今回、にほんのうた実行委員会のスタッフの中に、越喜小学校を卒業した片山さんという方がいた。
朴訥としていて、いつも穏やかな表情をしている方だ。
片山さんの実家は震災で被災し、家は流されてしまったという。

 

ワークショップの中では、卒業生として子どもたちの前に登場し、ひとことひとこと…熱く語りかけたり、生徒の中で同級生のお子さんを見つけるとすかさず話しかけたりと、アットホームな雰囲気だったのが印象的だ。

 

 

 


甫嶺小学校のOB 片山さん


 



甫嶺小学校を後にし、今回の旅でどうしても立ち寄りたかった場所へと移動した。
そこは、前回の「YAJIKIYA」の旅で、取材をし、社長へのインタビューもさせて頂いた、さいとう製菓「かもめの玉子」本社があった場所だ。


(前回の旅の模様はこちら。)

 

 

大船渡市内にある本社ビル周辺は、津波が押し寄せ、街そのものがなくなった。
建物の骨組みや外壁が残っているだけで、中は津波の爪痕が生々しく残る。
今回再び訪れると、建物は半分以上が取り壊されていて、更地となり、より殺風景な景色となっていた。
がれき撤去のトラックが頻繁に行き交い、クレーン車が常に動いている。

 

東京で生活をしていると、忘れてはいけないと意識していても、日々の暮らしに追われ、この現状を頭の片隅にしまい忘れてしまっていることがある。
でも、この場所に立つと、大震災の影響を受けたまま復興しきれないでいる人々の表情が浮かぶ。情けないが、改めてこの地に来て、震災の大きな爪痕に気づかされる。

 

キャラバンの道中、あの“奇跡の一本松”の横も通った。
岩手県陸前高田市の高田松原で東日本大震災の津波を受けて唯一残った「一本松」だ。
取材した当時、人々が口々に「海水によって枯れてしまうのではないか」と心配する声をきいた。その後、木の周りの土を入れ替えたり、幹を補強したりと手当が施された。
今回、空に向かって真っ直ぐにそびえ立つ松の木を見たとき、全国の人々の思い、祈りが通じていることを実感した。

 

今回の取材で初めて気仙沼漁港にも足を運んだ。
大きな苦労、多大な努力の中、いち早く漁を再開したこの場所には、車が溢れ、多くの人が魚を食べに、魚を購入しに来ていた。
私たちも3日前に水揚げが始まったばかりのサンマやカツオを堪能。
脂がのって、最高に美味しかった。

 

改めて、今回の旅を通じて、震災から半年が経過しようとしているのに、著しい変化が見えない街の姿にどこかもどかしさを感じることが何度もあった。
でも、子供たちの笑い声、元気いっぱいの歌声に接して、大きな力をもらった。

 

古来から人々によって伝承され、いまも唄い継がれている“にほんのうた”とは、人のココロのスゴく敏感で優しい箇所を無意識に刺激するのかもしれない。

 

にほんのうたの力強さを実感した、意義ある旅だった。

 





「にほんのうたプロジェクト、東北キャラバンの皆様」


 

 

●今回の旅の映像は、にほんのうたホームページからどうぞ。
http://www.nihonnouta-caravan.com/info/



●にほんのうたについては、こちら。
http://www.nihonnouta-caravan.com/