東京探訪 山手線一周ぶらり旅 巣鴨~駒込編|旅人:井門宗之

2011-10-22



人は見た目でどれぐらいの印象が決定するのだろう?
「ボロは着てても心の錦」という歌謡曲もあったが、
21世紀の今は“そうは言ってもやっぱり錦も着ていたい”と思う人の方が多いのだろうか。 


モヒカンしてても、アナウンスは立派」ではダメなのだろうか。
*アナウンスもさして立派ではない。
とは言え土曜日の午前中、巣鴨駅前に陣取るYAJIKITA一行は、
やはり巣鴨の人々からすると違和感満載なのだ。
久々の参戦で喋る気満々のミラクル氏(今回はソメイヨシノで事件を起こす。)、
山手線ぶらりならお任せ、仏の横山D、そして井門Pまではお馴染みなのだが…。
カメラマンである。いつもは慶吾や久保田君なのだが、今回初参戦のこの男!
てっちゃん!

 

上背もありスリムなカメラマン風情であるのだが、 


なんとこの男…23歳だというではないか!?かーっっ!!
23歳という事は西暦1988年生まれ。ソウル五輪の年に生まれた計算になる。 


私が小学校を急いで帰宅しベン・ジョンソンの走りに感動していた頃に生まれたのだ!
岡村靖幸がベン・ジョンソンで証明済みな頃に生まれたのである(謎)。
本当のダンス・チャンス・ロマンスは自分次第だぜ、なのである(謎は深まるばかり)
とにもかくにもこの布陣で進むは『巣鴨~駒込編』。
こうした理由で、土曜日の午前中から巣鴨駅前で待ち合わせをしていたのだが・・・、
さすがは巣鴨であります。駅前のガードレールに座りこんでゴザを広げ、

 


CDプレイヤーアンプ強引ぎ、
演歌のCDをまるで路上アーティストの様に手売りするおじさんを発見(しかも他人の)。
もう、ベン・ジョンソンで証明済みなのであります(謎は極まった)。
この巣鴨感を胸に抱いて、我々は勇んで駒込へと歩き始めたのだ!!

 

我々がまず向かったのは六義園。
ここは都内の二大庭園の一つと数えられ(もうひとつは小石川後楽園)、
春夏秋冬どんな季節でも多くの人で賑わう大庭園なのであります。

 

 

 

 

 


六義園入口


 

 

 

巣鴨の駅から歩いてきて大体10分かからない位の場所で六義園は“見えてくる”のですが、
そこから入口までのまぁ遠いこと遠いこと。レンガ造りの壁を横目にぐるりと歩いて、
その間にてっちゃんと仲良くなってようやく入口。
取材日は連休の初日という事もあって、かなりのお客さんの数。 


ここでお話しを伺ったのは六義園副センター長:萩谷知也さん!
萩谷さんのお話しが面白いんです!淡々と語るその端々に歴史への造詣の深さが滲み出る。

 

歴史は好きだけど、毎回どや顔で語るミラクルとはエラい違いだ!

 

 

 

 


はい、仕事モードゼロのミラクル(吉武氏)。








まずはこの広大な敷地が一体どんな場所なのか聞いてみよう。

 

 

萩谷「ここは徳川綱吉の家臣・柳沢吉保の下屋敷なんです。
下屋敷ですから別荘の様な場所ですね。なのにこの規模という事は綱吉の寵愛を受けていた証拠です。」
井門「六義園という名前はどんな意味で付けられたんですか?」
萩谷「吉保は非常に文化的教養のあった方で、
この庭園は和歌や漢詩など文化的見立てが散りばめられています。
庭園の名前の由来も古今和歌集の「六義(むくさ)」から取られているんですよ。」
井門「歴史や時代劇だと悪人って感じですけどね~(笑)」 


萩谷「ある側面では悪人ある側面では名君
というのは歴史の世界ではよくある事ですね。」

 

 

なるほど、萩谷さんの仰る通り。 


ある側面では「痛い!鈴木さぁーん!痛い!(注:1)」と辛さで悶絶していても、
ある側面ではしっかりとしたレポートもやり抜く(注:2)その名DJぶりを発揮する男もいるのだ。
*1=前回の激辛の旅参照。2=被災地応援SP参照。

萩谷さんに江戸時代の古地図を見せて貰ってから、六義園の散策スタート!

 

 

 

 


副センター長 萩谷さん


 

 




少しすると開けた場所に出る。

目の前にはシダレザクラの大木が…。

 

 

 

 

 




 

 




3月から4月にかけてまるで覆い被さってくる様に桜の花をつける枝垂れ桜は名物の一つ。
勿論今はその姿を想像するしかないのだが、春の姿が一気楽しみになるくらい迫力がある。
そして迫力があると言えば、そこからまたすぐの場所にある広大な池。

 

 

 

 

 




 

 

 

この六義園は明治に入って三菱財閥の創業者:岩崎弥太郎が買い取ったという。
“龍馬ぁ~!鳥かご買うてくれや~!”の人ですね。
その後、東京市のものになったのだが、 


なんと東京大空襲の被害を受けていないというのだ。

 

なので庭園内の至る所に往時の姿を偲ばせる、何か特別な雰囲気がある。
*昭和28年には特別名勝に指定。

 

 

ミラクル「いやぁ~、何だか地方にロケに来たみたいな解放感だね!」
いもん「本当ですね~!気持良いなぁ・・・」
横山「確かに東京じゃないみたいだね!」
てっちゃん「撮影のし甲斐があります!」

 

 

普段は東京での仕事である種の抑圧を感じている一行。
広大な景色に都内ロケだと言う事を束の間忘れさせて貰ったのだ。
あぁ、でもここを訪れる人が多いのは、ひょっとしたらそういう理由からかもしれない。
都内でありながらその喧騒とは離れた場所に存在する。
そこにいる事によって、日常からの解放を味わう事が出来る。
庭園の歴史がそうさせるのか、この場所を愛した人達の想いがそうさせるのか、
なんにせよヤジキタも思う存分この庭園の景色を楽しんだのであります。

 

 

 








 




萩谷「庭園の全ての配置は全て文化的背景に根ざしている。
吉保の教養の高さが窺いしれますね。」
一行「ここは歴史をよく勉強してくると、どんどん面白くなるでしょうね?」
萩谷「私も毎日何かしらの発見がありますから!」
一行「副センター長ですらそうなんですね!?」

 

萩谷「だから六義園はとても楽しいですよ!

 

 

 

 

 




 



横山「なんか取材1件目から随分濃厚なお話しが聞けたね。」 


井門「普段のミラクルさんブッキングならあり得ないですね。」
てっちゃん「えっ、そうなんですか?」
井門・横山「そうだよ。ホラ、顔見てごらん。 


順調な仕事ぶりに慣れて無い顔してるでしょ?」 


てっちゃん「あ、本当だ。」

 

 

後ろでミラクル氏がぼそぼそと何か言うのを尻目に、
我々は巣鴨・駒込のぶらりを続けていったのであります。
この辺りは大きな通りにも面してながら、でもそこで営業しているお店は個人商店が本当に多い。
古きよき下町の個人商店が、ちゃんと町に息づいているのです。

 

 

井門「良い雰囲気ですね~。あの中華料理店、ショーケース以外店内を確認する物がないもの。」 


ミラクル「実はこの辺り、ソメイヨシノの発祥なんだよ!」
一行「うっそーーーーー!!」

 

 

ソメイヨシノと言えば日本を代表する桜の木であります。
ヨシノって付くぐらいですから、 僕なんかは奈良の方がその発祥だと信じて疑いません。 


それは横山さんもてっちゃんも同じで、何せミラクルの言う事ですから。 


そんな事を言いながらミラクルへの疑惑の視線を投げかけていた時、前方にある橋が。 


ほほう・・・「染井橋」とな。・・・何を!?染井橋??

 

 

ミラクル「ふふふ。だから言ったでしょ?この辺りは昔、染井村と呼ばれていたんですよ!
だから、この辺りがかの“ソメイヨシノ”発祥で、
ちゃんと今もソメイヨシノの並木があるんだよ!」 


一行「それは凄い。ぢゃあ、その並木に向かってみようぢゃないの(疑いの目)。」

 

 

~歩く事、およそ10分~

…なかなかソメイヨシノに会えない。
おいおい、吉武。ソメイヨシノなんてどこにも無いぢゃねーか。

ミラクル「いやいや、だってあなた達ほんのちょっとしか歩いてないでしょ!? 


あっ、あっ、あっ、あったあった!!あそこにあるでしょ?ホラ、1本!」 


一行「おい、俺達は並木があるって聞いてるんだぞ。」
ミラクル「 ショボ━━━━━━━━━━━━(´ω・`)━━━━━━━━━━━━

 

~歩く事、そこから3時間~

 

ソメイさん1本見つけてからしばらく。
おい吉武、一体どうなっていやがるんだ? 


ミラクル「いやいやいや、おかしいな。ネットの地図で確認したんだけど…。 


あっ!!なるほどなるほど~。道間違った!
一行「 ショボ━━━━━━━━━━━━(´ω・`)━━━━━━━━━━━━

 

~そこから歩く事、一昼夜~

 

一行はもう限界に達していた。
仏の横山氏が本物のホトケになろうとしている…。
おい吉武、何がソメイヨシノの並木だ?やっぱり適当な事を…? 


ミラクル「ほら!!ここよ、ここ!!

 

 

路地の角を曲がると一行の前には右手に墓所、左手に住宅街という道が出てきたのだが、
そこが確かにソメイヨシノの並木になっているのだ。

 

 

 

 

 





(道に迷い、サクラ並木の写真撮るの忘れていました byミラクル)
そのかわりに…「染井神社」でお茶を濁させてください。



 





もちろん季節外れなので一輪の桜だって咲いちゃいないのですが、
ここに春になると満開のソメイヨシノが咲き誇るのかと想像するとなかなかに楽しい。
そうなのです、旅は違う季節への想像力を働かせる事も、その旅を楽しくさせる大事な装置なのです。
当然発祥となったソメイヨシノは現存していませんが、
接ぎ木をしていくソメイヨシノの性質を考えると、
ここにある中の一本にそのDNAが受け継がれているのかなぁ、と。
そんな風に夢想するのも、何だかロマンチックですよね。 


はっ!いかんいかん。ミラクルの術中にハマるとこだった。


ほら、ミラクルがこっち見て“どや顔”してる。

 

 

 

 

 





悪人顔再び


 

 


なる程、確かに豊島区のHPにもちゃんと書かれてあるではありませんか!?
「ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの園芸種との交配種といわれ、江戸末期から明治期に、染井(現在の豊島区駒込)の植木屋が吉野桜の名で全国各地に売り出し、のちに染井吉野と名付けたものと言われています。」(豊島区HPから抜粋)

 

その後、ぶらりを続けていると出て来た繁華な商店街。 


その名も「染井銀座商店街」と…あっ、またミラクルが“どや顔”してるなぁ。
更に行くと気になる名前の商店街も出てきました。

 

なになに??『しもふり商店街』??

 

 

 

 

 


しもふり商店街


 

 

 

 


実は駒込にあるこの商店街、全国的に有名なあのキャラクターが住む町として有名なのです。
そのキャラクターとは…浅見光彦!!

 

 

御存知の方も多いのではないでしょうか?
作家:内田康夫さんの人気推理小説の主人公が浅見光彦。
その浅見光彦が住むという設定なのが、ここ駒込の西ヶ原なのです。
なんと毎年春頃には「霜降銀座商店街」と「染井銀座商店街」を中心とするウォーキングイベント、
「ミステリーウォーク」が開催されているのですが、その参加者数が凄い。
「名探偵★浅見光彦の住む街」実行委員会:中村歌子さんにお話しを聞いてみると…

 

 

中村「はい、今年は4万人の方にお越し戴きました。
一行「なんという人気でしょう!?」

 

 

 

でも、このミステリーウォークがこれだけの盛況を記録するにはちゃんと理由があるのです。
参加者には小冊子が配布されるのですが、この小冊子が凄い。
さまざまな謎が記されたミステリー手帖になるのですが、 


ちゃんとショートストーリー仕立てになっていて、しかも内田康夫先生監修
ファンにとっては堪らないんだろうなぁ。
ですからウォークラリーに参加する人は、
この小冊子を片手に、周辺や商店街の店先にあるヒントを探し歩き、謎を解く…というわけです。
謎解きを楽しみながら、内田先生の小説に登場する施設やお店、
名所旧跡めぐりができるそうですよ!

 

中村「商店街自体は小さいのですが、
それぞれのお店で買い食いなんかも楽しんで戴きたいですね!」
井門「だってさっきから美味しそうなメロンパンを売っているお店や、焼鳥の香りが…。」

 

中村「あのお店はお肉屋さんの焼鳥ですから、美味しいですよ~♪」

 

 

 




「名探偵★浅見光彦の住む街」実行委員会 中村歌子さん


 

 

 

実はこの商店街から少し歩いた場所に、
浅見光彦シリーズの中に登場するお団子屋さんがある。
まさに古き良きお団子屋さんという風情で(横は神社ですよ!)、
ガラスケースの中にみたらしや豆大福やお稲荷さんが並べてあるのだ。
店の雰囲気が懐かしい御婆ちゃんの家に来た様で、物凄く安心する。

 

お店の名前は『平塚亭 つるおか』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作品中には【大福おばちゃん】として登場する、鶴岡八恵さんが笑顔で迎えてくれました。
鶴岡さんは御歳86歳(取材時)。物凄くお元気で、自慢の逸品を我々に紹介してくれます。

 

 

 

鶴岡「豆大福もぜーんぶ豆からこだわって作ってるんですよ。
お得意様もそうですけど、内田先生の本を読んで来て下さる方も多くて。」
井門「じゃ、写真撮って下さい!なんて言われるんじゃないですか?」
鶴岡「こんな御婆ちゃんの何が良いのかしらねぇ(笑)
喜んで撮っていってくださるのよ~。あっ、みたらし団子と豆大福、食べてみて下さい。」

 

一行「いっただっきまーす!!」

 

 

 

 

 

 









 

 

 

豆大福の柔らかさったら…。
みたらし団子の柔らかさったら…。
これぞ日本の懐かしい正調和菓子の味!!
大福おばちゃん、有難うございました!

 

 

 

 


気さくな…大福おばちゃん


 



一行は平塚亭のほぼ目の前にある旧古河庭園を散策。

 

 




























今回の旅はやっぱり人情に触れた旅だった気がする。
それは歴史が育んだ人情。
自然や文化を愛した人達がこのエリアには沢山いたのだ。
そしてそのどこか詩的な風情は、今もこの場所に残っている。
その詩的な風情に、我々は溶け込む事が出来たのだろうか?
否、我々の姿は巣鴨を出発した時と変わらず、町に溶け込む事はなかった(笑)
溶け込む事は無かったが、居心地が悪かったわけではない。
外からきたものを寛容に受け入れつつ、だがどんな人が来ても町の色は失われない。
それが下町の底力。
染井吉野が満開になったら、またこの街に来ようと思うのだ。

 

 

 

 

 


エンディング収録の地…染井吉野桜記念公園