東京バブルストーリー|旅人:小川もこ

2011-12-10



久しぶりに、ヤジキタに帰ってまいりました 小川もこです!

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、東京都内を巡る旅。
しかも、キーワードは「バブル」

 

むむ?!?!
バブルといえば。
おおよそ20年前。
あの やったら日本が元気だった時代、タクシーが全然つかまらなくて、
湯水のようにお金を使っては、マンションなどの不動産を投機目的に購入、
また、そこまでのお金が無い人は、車や絵画などを財テクの名の下に買い漁ってた、
あの頃。

 

何を隠そう、小川自身もバブルに踊らされた一人ではあるのだ。

 

そう。。。あの頃。。。。(遠い目)

 

東京の地価は 天井知らずの値上がりを続け、
今、買っておかないと絶対 自分の持ち家を手に入れることはできなくなる。。。
そんな強迫観念にかられ、小川家は それまでの賃貸生活から抜け出すべく
あちこちの不動産物件を見て廻り、なんとか見つけた現在の住まいの拙宅マンション。
購入したのは 今から20年前。
そう。まさにバブル絶頂=最高値の時でありましたぁ。。。
その後におとずれた「バブルの崩壊」

 

すべての価値が瓦解したのは、申すまでもありません。

 

残ったのは、多額のローン。なんとか返済したものの

 

あな、おぞましや。
うたかたの夢。と笑って済ませたい「バブル」。
それをキーワードにするんですかいぃ?

 

一抹の不安を覚えつつ、

 

まずは、この日本総 浮かれポンチだった バブルなる現象を
専門家に分析、解説していただこうではないかと やってきました都内某所。
お話を伺うのは、国際値切リストとしてテレビ・ラジオ・新聞・雑誌その他で大活躍を続ける、
流通ジャーナリストの金子哲雄さん。

 

バブルとは・・・1980年代終盤から1990年代初期までの数年間に日本で起こった、
資産価格の上昇と好景気、及びそれに付随して起こった社会現象。
1985年のプラザ合意により円高による不況を心配した政府は、金利緩和を打ち出した。
金利が下がることによってお金を借りる人が増え、流通も増え
結果、カネ余り時代と呼ばれた空前の好景気となったというわけ。

 

使い道が なく持て余したお金を人々は、どのように消費していったのか。
いろいろわかりやすく、お話いただきました。

 

バブル時代、金子さんはまだ学生で、車を乗り回し、
ホテルをキープして遊ぶような輩を羨みこそすれ、決して自分で実践することはなかったとか。

 

多分、放送には乗らないと思うけど、
リッチな連中が 羽振りの良い遊びをしているであろう某ホテルの前を通るとき、
「ここが災難に襲われればいいのに。。。」
と、ふと、独り言ちたりしたとか。
シニカルに、でも、ユーモアたっぷりにおっしゃる金子さんは、
やたら人間味があって、キュート♪でした。

 

 

 



 





ちなみに。ダイエットに成功されて、この半年間で12kg痩せてスレンダーになられたそうです。ネクタイは とっても高級品に見えるけど、値切った商品290円♪
すんばらしい♪
肉を排し、ベジタリアン的食生活と、よく歩く健康的な毎日を過ごしていらっしゃる金子さん。
実践する人。ストイックな生き方を体現している言葉は、とても説得力がありました♪

 

さて。そんなこんなのバブルに関するミニ知識を身につけて、
まずはやってきました、東京 山手線の田町駅。

 

 

 

 

 







 




今や、すっかりオヤジたちの集う居酒屋など建ち並ぶ なかなかに活気ある街ですが、
バブルの頃、芝浦の倉庫街は「ウォーターフロント」と呼ばれ、
六本木とは一線を画した巨大ディスコやLIVE HOUSEが次々と作られたのでした。
そのウォーターフロントの最寄り駅が、ここ田町駅なのです。

 

この駅前から、夜の帳が降りるやいなや、ジュリ扇と呼ばれた羽飾りのついた扇子をもって、
超ミニスカの“ワンレン・ボディコン”姿の若い女性たちが、
ぞろぞろと、ぞろぞろとディスコ目指して行ったのねぇ。。。

 

さて。あの時代のバブリーな建物は、今、どうなっているのでしょか?

 

田町駅を出発し、田町駅前交差点の少し先を左折して、芝浦運河沿いを
ジュリアナ東京を目指して歩いていきました。

 

 

 

 

 

 



運河沿いは、こんなふうに整備されて、お散歩コースとしても素敵です。
この河岸の整備や、運河に沿って林立するマンションやオフィスビルは、
ほとんどがバブルのあとの産物のようです。
きっと20年前は、こんなに整ってなかったでしょう。

 

実は、私 小川は バブルの頃は、もう、ヒルアヴェを担当していて、
いわゆる夜な夜な遊んだ、、というよりは、
仕事の取材やイベント参加でこのウォーターフロント地区を訪れた くち。
この辺の地理的な環境も、こんなんだっけ???と、あまりよく憶えていない。
そこで、当時、テレビ局のAPをやっていて、何かとこのあたりを飛び回っていた、
放送作家の久保くんと あーだこーだとバブリーな想い出話に花を咲かせつつ、
ぶ〜らぶら ぶ〜らぶら 歩いていくと。

 

外車の販売店に到着。
ここが ジュリアナ東京のあったビルの正面でした。
ジュリアナ東京の正式名称は、
「JULIANA'S TOKYO BRITISH DISCOTHEQUE IN 芝浦
(ジュリアナズ・東京・ブリティッシュ・ディスコティーク・イン・芝浦)」。 


実は、その営業期間は1991年5月~1994年8月。
3年ちょっとの、ほんとに短い間だけだったのですねぇ。
ここが出来た91年は、時すでにバブルの終焉を迎えようとしていた頃。
日商岩井とイギリスのレジャー会社・ウェンブリーの共同出資によるものです。
呼び物は、3000人収容という巨大さ。でっかいシャンデリアと、高さ130cmのお立ち台。
深夜TV番組のトゥナイトなんかで、毎夜、取り上げられてましたねぇ。 


開店時のコンセプトは、
「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」。
これは、バブル時代の最先端だったディスコ「芝浦GOLD」への、
アンチテーゼとして立案されたようです。
でも、お立ち台がマスコミに大々的に取り上げられるにつれ、
次第に「ボディコン・イケイケ」路線へと変わっていきました。 


ジュリアナ熱と共に次第に衣装が過激になっていくにつれ、
その光景を目当てに入場する男性客も増えていき、
ついには警察の指導が入って、1993年11月にお立ち台は撤去されたのです。

 

あぁ。。。

 

ちなみに、「コギャル」という言葉は、ここが発祥の地なんですって。
ナンパ集団ゲッターズ、ジョン・ロビンソン、ハイパーテクノ、荒木久美子(荒木師匠)、
ボディソニック音響などキーワードもいろいろ。
エイベックス発展のきっかけとなり、
あの巨匠、三波春夫さんもここでライブをおこなった…などなど、伝説に事欠きません。

 

さて、今のジュリアナは…と大きなビルの前を進むと、いきなり連なった真っ赤な鳥居が。

 

 

 

 

 

 

 

壁面には、なぜかエスニックな金ピカ仏陀のモニュメント。
なんだかね。。。(^_^;) 鳥居とそぐわない雰囲気。

 

「芝浦妙法稲荷神社」昭和48年8月8日創建。とあります。
ジュリアナで踊る前に、こんなところで、お参りした娘たちは 果たして当時、いたんだろうか。。。

 

そして。
あら、まぁ。なんと!!

 

ジュリアナ東京があったところは。

 

 



 




今は 倉庫というか 駐車場というか、ガランとした空間になっていました。

 

なんてこったい。

 

ここに、一世を風靡したディスコがあったこと、この周辺の皆様は
ご存知なんでしょかねぇ。。。

 

 

 

 

 

 



ジュリアナ東京と同じビルに入っていたボーリング場は、今もなお ありました。
屋上にぽつんと突っ立つボーリングのピンのオブジェが なんだか 昭和 してます。。。

 

がっかりしつつ、今度はライブハウスのインクスティック芝浦ファクトリーのあったところへ。
ここは、オシャレなイベント空間で、小川的には 織田裕二さんのコンベンションパーティーで、
織田さんと 目と目を見つめ合って握手したのが忘れられない想い出。
ずんずん入っていくのは、マンションに囲まれた路地。倉庫があるねぇ。。。
そして。
あれ???・・・・なんにもない。
インクスティックもすでに跡形もなく 跡地は、ただの空き地然とした
やはり、駐車場になっていました。

 

 










 




となりに お見合い写真や宣材写真を撮る撮影スタジオらしきものがあったけど。
ほんとに、それだけ。

 

まったく。建物のかけらもない。

 

呆然。
です。
なんにも なくなってしまうんやぁ。またぞろ、20年という歳月の移ろいを 実感するのでした。

 

気をとりなおして、運河を渡り、今度は芝浦GOLDへ。
ここはマンションの一階。

 

 

 









 

 


おや、人が たむろしてる。
今は、Studio Cube 326という 小さなライブハウスになっているみたい。
ガラス越しに覗ける店内は、そのリハーサルの真っ最中でした。

 

栄華を極めた地であることを 知ってか知らずか、LIVEの始まりを待つ青年たちは、
皆、思い思いに携帯電話とにらめっこしてましたぁ。

 

ぶぅ〜らぶら ぶぅ〜らぶら、、、
JR田町駅方向ではなく、新交通ゆりかもめ「芝浦ふ頭駅」へ。
(芝浦のウォーターフロントは、今はここが最寄駅!)

 

 

 

 




 

 

 

ここから望むレインボーブリッジは、切り取られた一部だけなのですが、
夕景にくっきりと浮かび上がり、なんだか映画のワンシーンのよう。
考えたら、この美しい橋も、バブルの後に出来たんでしたね。

 

 

 




 

 

 

レインボーブリッジと小川。実はこの時点で、けっこう疲れてます。
カラ笑顔の小川です。

 

こうなったら、もう あそこに行くっきゃない!

 

汐留で大江戸線に乗り換えて、私が青春を燃やした 六本木へGO!だわ。

 

 

 




 

 

 

今や六本木のランドマークとなった六本木ヒルズ、その下には、クリスマスツリー。
今年は、真っ赤な三角錐に金のリボンが巻かれたようなデザイン。
バブル時代の大ヒットドラマ「東京ラブストーリー」を2011年の今に設定したなら。
多分、赤名リカと完治の待ち合わせ場所は ここになっただろうね。でも。。。

 

 

 




 

 

 

六本木といえば、待ち合わせの聖地は、六本木交差点のアマンド前です。
今も、人待ち顔の人々でごった返しているのは、バブルの頃と一緒だけど、
アマンドは改築されて、とても綺麗なビルとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

ついでに、ハードロックカフェの美しき外観を。
右側にキングコングがぶら下がってるのは、人目を引きますねぇ。

 

バブル期に、小川が遊んだ場所といえば、実は、六本木スクエアビルなのだ。
地下2階地上10階建ての雑居ビルですが、
最盛期には、1階と4階以外のすべてのフロアがディスコ!
なかでも、「ネペンタ」と「ギゼ」が、当時、オシャレな店ってことで、
この2店にワンレン・ボディコンに身を包んで 小川も何度か通ったものです。
女子には無料券が配られ、男子は必ず女性同伴じゃないと入れないので、
入り口で、一緒に入ろうと 見知らぬ女子に声をかける男たちが ひきもきらず居たっけな。
さて。
あのバブルの殿堂、バブリーな摩天楼は、どうなっているのかぁぁぁ〜〜???

 

確かめる前に閑話休題♪

 

バブル期の美味しかったもの ちょいと ふり返ってみましょう。

 

時は好景気に浮かれていたからね。海外で遊ぶ人も多々居たし、
行った気分を舌で味わおうと、イタリア料理に脚光当てた「イタメシブーム」や、
東南アジアの味が「エスニックブーム」となったのです。

 

そのエスニックの一大ブームを巻き起こした元祖の店が、今も人気店として営業中!
よ〜し、訪問!

 

ここは、西麻布の交差点

 

 

 

 

 

 

 

ホブソンズのアイスクリームも、当時大ブームで、店の前に長い列ができていたものです。
ここ、西麻布で遊ぶ際の、待ち合わせのメッカね。

 

この西麻布の交差点から青山ベルコモンズへ抜ける青山墓地沿いの外苑西通りを
通称、「キラー通り」といいます。
命名者は、南青山4丁目にブティックを開店したコシノジュンコさん。
この通りの交通量と渋滞の激しさからつけたとか。

 

そのキラー通りに面してあるのがこの店。

 

 

 

 

 

 

 

モンスーンカフェ西麻布

 

そうです。エスニックブームの火付け役となった店。
当時も今もテッパンの人気メニューは、この2品。

 

 

 

 

 

 

 

タイ海老トースト と ゴイクン(ベトナム風 生春巻)、ドリンクはグアバジュース。
このタイ海老トースト、たっぷりの油でじっくり揚げたパンに、
海老をふんだんに使ったペーストを塗り、さらにオーブンで焼くという、
なかなかに手の込んだ料理です。
ハチミツの入ったスイートチリソースにディップしていただくと、もう〜幸せな味♪
生春巻は、海老と鶏肉と野菜がたっぷり、手づかみで食べるサラダでっす♪
これもピリ辛酸味ソースにつけて食す。さっぱりと、おいひい♪
さらに、トムヤンクンも♪

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな素焼きの土鍋で七輪に乗って登場〜♪テンション上がります。
有頭海老と、こんもり散らしたパクチー(香菜)が、酢っぱ辛いスープとあいまって、
最高に、旨い♪
幸せだなぁ。。。
西麻布店の東谷佳店長(左)と
西麻布・表参道センター統括リーダーの久保信二さん(中)にお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

さぁて。
小腹を満たしたところで、いざ、我が青春の聖地、六本木スクエアビルへ
れっつらご〜♪

 

あれ?
あれれ??
あれあれ????

 

あの高いビルがない。跡形もなくなっているぅぅぅ。
ただのコインパーキングになってましたぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

青春の残像が跡形も無くなってしまっていることに、失意のズンドコ。泣く小川。
打ちひしがれ。全身から、やる気が失せてます。

 

その様子を見て、あまりに哀れと思ってか、佐々木ディレクターから優しい言葉が。

 

「もこさん、デスコでフィーバーフィーバー♪行きましょう〜」

 

なにぃ?

 

どうやらね。青春プレイバックな場所が週に一度、まさに、今夜あるらしいのだ。
そこへ このまま行くぞ! と言われて、俄然、元気が満ちてくる私。

 

単純な奴である。

 

今日は水曜日、時刻は夜の10時。場所は、六本木交差点から飯倉片町方向へ歩き、
ドン・キホーテのちょっと手前、バブルの頃には 森永LOVEがあったビルの5F。

 

あの「マハラジャ六本木」が再び復活! しかも!!
毎週水曜日の夜は「マハラジャナイト」と銘打って、バブルの頃の名曲ばかりをセレクトしての、
懐かしのウエンズデイナイトフィーバーが繰り広げられているというのです♪

 

踊る空間が「ディスコ」から「クラブ」となって久しい昨今、どんなバブリーな世界が
そこにあるのか。。。!

 

こりゃ〜潜入レポするっきゃないね!

 

エレベーターを降りるなり、いきなりテレビの取材クルーに遭遇。

 

おや、なんと。テレビ東京の「ジョージ・ポットマンの平成史」の取材が入っていたのでした。

 

なぜ、人はTwitterでつぶやくのか?
の疑問を解く「カルボナーラなう」編が、やたら面白かったので、
すっかりファンとなってしまった番組であるが、ポットマン教授とご一緒できるとは。。。
勝手なシンパシーを感じて、にっこり微笑みかけるも、相手はなんのことやら…。
でも。微笑み返してくれたけどね。



潜入する前に、バブル期を知るオーソリティーの方にインタビューを決行!

 

レジデントDJのDJ Jannyさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

イケメンのお兄様です。
バブル期、系列店の「キング&クイーン」でDJやっていらした、
ディスコの生き字引と呼んでも過言はなかろう! なかた。
マハラジャの歴史をわかりやすく説明してくれました。

 

==《 君は マハラジャを 知っているか??? 》===
マハラジャとは・・・1982年8月大阪ミナミに1号店をオープンして以降、
北は札幌から南は九州・沖縄まで日本全国に展開した高級ディスコチェーン。
なんと、最初の店は、大阪だったのねぇ。。。

 

1984年12月に7店目の店舗として東京都港区の麻布十番にオープンした、
事実上の旗艦店舗となる『マハラジャ麻布十番店』が社会的現象と呼ばれるほどの人気を博し、
その後最盛期には全国に数十店舗を展開。1989年にはハワイのホノルルにもできたのです!
その後、バブルの崩壊と共に、マハラジャ人気も下火となり、
1997年に麻布十番店が、98年には最後のマハラジャ、横浜店が閉店したのですが、
なんと昨年、2010年11月に、元「六本木キング&クイーン」があったこの場所に
「マハラジャ六本木」として復活したのでした!
特徴は、とにっかく、ゴージャス♪
大理石を使用した絢爛豪華な内装、コンサートホール並みの音響効果に特殊照明、
ホテルマン並みのきめ細やかな接客、高級レストラン並みの本格的な料理、
そしてガラス張りのVIPルームの登場と、芸能人も利用したことから評判を呼び、
まさに、バブル期に、一大ディスコブームを作り上げたとのこと。

 

汚い格好やノーネクタイでは中に入れない、いわゆるドレスコードや、
「お立ち台」を始めたのも、このマハラジャは最初だったのねぇ。

 

お話を聞いてるうちに、身も心もウキウキそわそわしてきました。
完全に気分は、20年前にタイムスリップしています。
入るエントランスにコインロッカーが。
そうだった、そうだった♪踊る時に荷物は邪魔だからロッカーに預けていたっけ。
そして、金ピカのドアを開けると。
じゃーーん。
七色のムービングライトがきらめき、真ん中には、お約束のミラーボールも鎮座ましましている、
まさに 正しいバブル時代のディスコがそこにありましたぁ。

 

 

ダンスフロアにある、この金ピカの象がトレードマークね。

 

 

 

 

 

 

 

踊っているのは、おそらくバブル期に青春まっただ中であったであろう、
それなりに落ち着いた年代(!)の男女が多いような。
何人かで揃ってパラパラを躍っているメンバーもいたぞ。
その中のお一人、妙齢のご婦人にインタビュー。
なんと、この「マハラジャナイト」の水曜日の夜の常連で、
もう、10回以上来ているとか♪あの頃に戻れるから嬉しいと。
いいっすねぇ。

 

気持ち、わかる♪
ではご一緒に〜♪盛り上がって踊っちゃうワタクシ。

 

ついには、お立ち台にまで。奥に見えるのはターンテーブルに挑むDJ Jannyさん。

 

 

 

 

 

 













 

 

 

踊り疲れて、オーダーするのは、はちみつトーストとモスコミュール。

 

 

 

 

 

 

 

観よ、この迫力♪
ぶ厚い食パンの中に賽の目の切れ目を入れたバタートーストにハチミツたっぷりかけて、
さらにさらに! バニラアイスクリームを載せるという
まさにスイーツの女王的風格の「はちみつトースト」。
これも、マハラジャから誕生したのです。
うーむ、ば〜ぶりぃぃ〜♪

 

当時の飲み物は、このモスコミュール(ウォッカのジンジャードライ割)か、
バイオレット・フィズとか、カカオフィズとかだったぁ。
最近、フィズって見ないよねぇ。。。カクテルでも流行り廃りってあるんでしょうね。

 

いわゆるVIPルームと呼ばれる奥の間仕切りした空間は、
ガラス製の玉すだれのようなもので仕切られ、これまた、バブリー♪

 

親子や外国人のカップルも。
聞けば、マハラジャナイトの夜だと知らないで、フラっと入ってしまったそう。
レディー・ガガとか かけて欲しかったなぁと言っていたけれど、それは是非、
再度、別の曜日に来てくださいませ〜〜。

 

先日の一周年記念のイベントパーティーでは、岡本夏生嬢もご来店で、盛り上がったそうな。

 

なんだか。
気分は、すっかりアゲアゲになって、お店をあとにしたのでした。

 

ふぅ。。。バブルの足跡を訪ねた旅。これにて 終了です。

 

 

 

 

 

 

 

 

取材した夜のTwitterに書いた記述はこれ。
「番組取材終了なう。携帯電話の歩数計によると小川の今日の歩数は12486歩!
移動距離にして8kmちょっと。
芝浦のぐるぐる巡りが効いたなぁ…(>_<)足がボロボロになりつつ、
バブルへGO! の空 間&時間旅行は、いろんなことを感じさせてくれた。」

 

その
いろんなこととは。

 

まず。
単純に。

 

ほんっと、景気の良い時代だったよなぁ。ってこと。
今から考えると 夢のような時代。
お金のなる木があって、どこからか わんさかわんさか湧いてきて、それを享受しなきゃ損みたいな。あらためて、その時代の日本の経済力に 敬意の念を抱いてしまう。

 

エスニックブーム イタめし 高級外車 絵画 マンション 不動産 ゴルフ会員権
DCブランド ディスコ 貸切イベントパーティー 私をスキーに連れていって etc…
高級なもの、高価なもの、
お金を出して手に入れられるものを求め続けようとする心から生まれたあれやこれや。
バブリーだったと 断罪して終わらせるには惜しい文化が 百花繚乱。
そこに大輪の花を咲かせていた。

 

しかしながら。
その実像は、なかった。

 

虚像に踊らされていたのだ。ということが、あとになってわかる。
あの時代の象徴であったものたちが、まさに泡のごとく、蜃気楼であったかのように、
今や雲散霧消。
その残像を求めて今回の旅で訪ねたものの、姿を消してしまったものも多かった。

 

虚しかったよ。

 

そのあとにやってきた「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われる
不景気の時代。こんなに長く低迷するとは 世の経済学者も予見していなかったろう。

 

 

実体を伴わないものを、人々は信じなくなったよね。

 

でもね。バブル経済も、最初は急激な円高から、内需拡大へと向いたからこそ始まった。

 

ってぇことは。今の円高をみるとだ。。。!

 

来年あたり。そろそろ来てしかるべきなんだ。

 

好景気の風が。波が♪

 

流行も 経済も あざなえる縄のごとく 繰り返しやってくる。

 

だから、あの陽気な景気の良さが また振り子のように戻ってくる可能性だって、有りやしないか?全く同じバブリーなものは戻らないかもしれないけれど、振り子は戻る。
景気も戻る日がやってくる。

 

それがやってきたとき
今度こそは、泡には終わらせない。

 

さらに。今年、日本は 大変哀しい出来事を経験してしまった。

 

2011年3月。
東日本大震災という、未曾有の大災害を経験した私たちは、
ほんとうに大事なものを 今一度 見つめ直すことになったと思う。

 

人間の内面、本質を見つめ直す
暗黒、挫折、傷心の日々を経たからこそ、
もっと確固たる経済の基盤を構築しなおす機は熟してきているはず。

 

今回の取材は、感じさせてくれた。
あの時代へのオマージュと 来たる日々への期待と 警鐘と 教訓を。。

 

心踊る愉しさ 美味しさ 喜びを得るばかりが「旅」の醍醐味ではない。

 

経験させてもらったからこそ 知った 考えた 今回の旅に 感謝。

 

だから「旅」はやめられないんだな。

 

次は どんな旅へGO! となるか。それを考えるとワクワク。
ふふ。この時点で、もう旅は始まっている。

 

また次回 お会いできるのを 楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

来る2012年が
あなたにとっても わたしにとっても 希望に満ちあふれていますように。
どうぞ よいお年を。

                                           2011年12月 吉日 小川もこ

 

 

≪オフショット≫


見た目はまさにバブリ~!  マハラジャ六本木のVIPルームにて。

タイトルは「MOKO(もこ)とMOET(モエ)」