平氏の雄!平清盛のゆかりの地を訪ねて…。|旅人:井門宗之

2012-01-06



井門「そう言えば最近、ミラクルさん得意の歴史物やってないね。」 


慶吾「チャンマン(*)ちょっと勢い無くしたんじゃないの?」*ミラクル氏の事。
ゴルッチ「そうだそうだ、パンナシ(*)!」*ミラクル氏の事。 


ミラクル「おいおい、俺を甘くみてもらっちゃ困る。来年の大河は何だ?」
一同「………はっ!?」
ミラクル「もう企画、考えてあるんだぜ! 

 


今度のヤジキタは平清盛ゆかりの地広島だ!!

 

 

という訳でございまして、偉そうに言った割には大河に乗っかるっていうね。
いやいや、それもYAJI魂なので我々は年明けも前を向いていきます!っていうね。
今回は広島のリスナーさんもHPを御覧になっていると思いますので、 


チームYAJIKITAの愉快な仲間達も改めてご紹介しましょう。
まず番組の要…とは言えスタッフからは何も尊敬されていないP:井門。*今回は旅人でもあります。
放送作家:ミラクル吉武!(いつも旅先で奇跡を起こす事から、こう呼ばれる。)
D:仏の横山!(どんな時でも動じない。ただ、とあるロケで録音機材を車に踏まれかけた時に動じた。)
カメラマン:慶吾!(チームきっての唐揚げ好き。太っちょでヒゲ。)
YAJIKITAメンバーは他にもいるのですが、今回の広島メンバーはこの4人。 

 


何せミラクル氏歴史好きったら、 


ドラえ○んどら焼き好きと同じ位なのだ。
YAJIKITAの企画会議でネタに困った時、
「ミラクルさ~ん!何とかしてよ~う!」と言うと、大体決まって、 


ミラクル「歴史~~!!」とネタネタポッケから出してくるのだ。 


そして今回、彼がネタネタポッケから出したのが平清盛だったのであります。
平清盛は言わずとしれた、来年の大河ドラマの主人公。
その人物像は皆さんも歴史の教科書で習ったと思います。
がしかし、どんなイメージを持たれていらっしゃるでしょうか?
――平氏が栄華を極めた、その全盛期に頂点に君臨していた人物――
――平氏にあらずは人にあらず、その時代を作り上げた暴君――
あまり良いイメージはひょっとしたら無いかもしれません。
でもよく考えてみると、平氏の歴史は源氏に負けてから語り継がれているもの。 


源氏の歴史は勝者歴史ともとらえる事が出来る。 


穿った見方をすれば、イメージ操作だっていくらでも出来るのではないか?
近年ドラマ等で描かれる平清盛は、僕らが持っていたマイナスイメージとは違うものも多い。
せっかく大河で描かれる清盛です。彼が残した歴史を探訪すべく、我々は広島へと向かいました。

 

 

今回はミラクル氏がどうしても乗りたかったボーイング787で往復です。
飛行機の出発時刻でそれに気付いたあるスタッフは悔しがり、 


ミラクルの奇跡は今回これで使い果たしたとまで予言したのですが、
よもやその予言が見事(?)的中するとは、この時は誰も予想出来なかったのです…。
えっ?ボーイング787の乗り心地ですか?
僕の座席がCAさんの前だったので、ある意味たのしかったデス。へへへ。

 

 

 

 

 


ボーイング787


 

 

 

――広島空港に到着――
慶吾「あー!空港にいきなり牡蠣のポスターがいっぱい…(じゅるり)」 


ミラクル「今回のロケは2週目が牡蠣三昧だからね。その辺は抜かり無し!
一同「ははぁ~(平伏す)」

 

早速レンタカーを飛ばした我々一行(運転手:ミラクル←平伏されたのに…)。 


まずは廿日市市の宮島行きフェリー乗り場からロケスタートなのであります。

一応ここで喋り手っぽくオープニングトークをかます井門P

普段は緩く喋っているので、レポータートークが空々しい

 

 

 

 


左から…ケイゴ、横山D…、もんい~








井門「目の前は瀬戸内の海。広島名物:牡蠣筏が凪いだ海にいくつも浮かんでおります。
遠くには山々が、そしてそれを雲間から太陽の光が照らしまるで水墨画の世界。
平安の昔にもこの景色が広がっていたのでしょうか?」…etc.

 

 

うん。やっぱり空々しい…
個人的にはフェリー乗り場のすぐ横に宮島ボートレース場があって、
そちらの方が萌えたのだが…(朝の番組のパートナーがボート絡みの仕事をしております)。 


いやいや、しかしここから向かうのが1996年にユネスコの世界遺産に登録された、 


宮島(厳島)なのである。フェリーに乗船すると俄然、テンションも上がる。 


しかもここは日本三景の一つ。
皆さんは厳島神社、ご覧になった事はありますか?
僕自身も随分と小さな頃に来た記憶しかなくて、当然「凄い」なんて昔は思いませんでした。 


むしろフェリーを降りたら物凄く近い場所に鹿いっぱいいて
そちらの方がテンション上がった(笑)
あれからおよそ25年。井門も今年で35歳。
いや、鹿は今でもこの島にはいっぱいいるんですが、
やはりフェリーから厳島神社の大鳥居が見えた時のテンションの上がりっぷりったら…。そりゃもう。
朱塗りの大きな鳥居(何と高さ約16m、棟の長さ23.3m、主柱まわり約10m)が、

 

どーんと海中から聳える様に立っているんですもの。

 

 

 

 


フェリーから厳島神社を眺める


 

 




いやぁ、ちょっと感動したし、驚きました。
でももっと驚いたのは、年末(取材時)にも関わらずフェリーのお客さんの多い事。
特にこの時期にイベントが行われているわけでも無いんです。 


なんだけど、やっぱり大河の清盛効果は徐々に出始めているんでしょうね。
あと世界遺産に登録されているだけに、外国人観光客が多かったです。
テンションの高い一行を宮島桟橋で迎えてくれたのは、 


宮島観光ガイドの横山忠司さん

 

 




 

 

なんせこの宮島のスペシャリストですから、色んなお話しをお伺いする事が出来ました!
いくつか面白いというか、凄いエピソードを御紹介しましょう。
厳島神社に向かって歩いていると、大きな石燈篭が出てきます。 


これが二位殿燈篭って言うんですね。
二位殿って言うのは、清盛公の妻:時子さんです。うん。
その時子さんが壇ノ浦の合戦で幼い安徳天皇と共に入水し亡くなった話は有名ですが、 


時子さんの厳島への想いが強かった為に、その亡骸がここに流れ着いたというのです。

 

 

横山「壇ノ浦ですから、今の山口ですよ。そこから潮の流れでここに辿りついた。 


亡骸は神泉寺仮安置され、供養されたそうで、
この砂浜も亡骸が流れ着いた場所は、清める為に掘り返したと伝えられております。」
井門「なのでここに石碑が残っている、と?」
横山「その通りです。」

 




 

 

平氏の宮島への執念というか、その念は凄まじいものがあった。
京都・六波羅、神戸・福原と並び称される宮島厳島。
そもそも御創建は推古元年(593年)だそうで、かなり古くからあった。
ただそれを朱塗りの見事な寝殿造りに造営したのが平清盛公。
その後は平氏の氏神として厚く信仰された訳ですが、 


清盛公自身も文献に残るだけでも10数回厳島詣でを行っているそうです。
なぜ清盛公は厳島神社を見事に造営したのか?
それにはある老僧との出会いがあったと言うのですが…。

 

 

横山「夢か現か、老僧に清盛公は言われたんですね。
“厳島神社を修理すれば、平氏は官位において並ぶ者が無いほど繁栄を極めるだろう。”と。」
井門「それで思いきって作っちゃった、と?」 


横山「はい、清盛公40歳頃の話でしょうか。」

 

 

なんと言う事でしょう!?
わずか40歳ぐらいにして、ここまで立派な神社の造営が出来てしまう…。 


そんな話を横山さんから聴いていると、横で項垂れる40代前半が一人。

その名をミラクル吉武(今年42歳)。

 

 

吉武「そっかぁ、清盛は俺と変わらない年齢でこんなの建てちゃったんだー。」
井門「こんなのとか言わないの!」
仏の横山「大丈夫だよ、チャンマンだって専門学校で先生やってるぢゃない?」
慶吾「そうそう、若い子に色んな事を教えてるぢゃん?げへへ。」

 

何故か厳島神社ミラクル氏慰めるYAJIKITA一行。
そんな姿を観光ガイドの横山さんも、目を細めて眺めていらっしゃる。
いやいや、慰められている場合ではないのです。
宮島には見所がまだまだいっぱい! 


千畳閣五重塔などなど、この小さな島にいくつもの歴史的建造物が。

 

 




 

 

そしてついに我々の前に姿を現した、嚴島神社
朱に白、海の青に山の緑。
それら全てが合わさって、もはや芸術の域なのです。

 

 













 

 

 

祈りの為に、この巨大で芸術的な神社を造営した清盛の威光の凄さ。
もはや我々、溜め息しか出ません。 


ちなみにこの嚴島神社、社殿のうち6棟国宝で、 


11棟国の重要文化財に指定されております。
圧倒的な美の中に入っていく小汚いYAJIKITA一行。
中にも平家物語にまつわる卒塔婆石と康頼灯籠など、見所が満載。

 

 

横山「嚴島神社は歴史を知って中を回ると、こんなに面白い場所はありません。
ぜひちょっとドラマで予習してから、遊びに来て下さい!」

 

 

ちなみに宮島桟橋にはガイドのチラシなども置いてありますから、
それを見ながらゆっくりお散歩してみるのもオススメですよ! 


今回は登りませんでしたが、ロープウェーで弥山に登るのも良いみたい。
…とガイドの横山さんに、そろそろ締めのお話しを伺おうかな~と思っていた時、 


どうもミラクル氏の動きがおかしい
相当しょっぱい顔をして、手に持った何かをしきりに気にしている。シオシオになっている。 


そう!ついにここでミラクル発動!なのであります。
基本的にYAJIKITAのHP用画像は作家さんが撮影している。
そういう訳で今回もミラクル氏が、自慢のカメラでパシャパシャと写真を撮っていたのだ。
何と言っても今回の取材先は日本三景の一つであり、世界遺産の宮島でございます。 


至る所に重文クラスの建物がごろごろしているが故、デジカメ出し入れが忙しい。
ミラクル氏もシャッターチャンスを逃すまいと、いつもより本気で撮影しておりました。
最近は年齢の為、食生活にも随分気を使ってダイエットを始めたミラクル氏。
確かに出会った頃と比べると、言葉の端々に「アレ」とか「ナニがアレして」が増えた。
若さは徐々にですが、確実に衰えていっていたのかもしれない。 


でもまさか、ジャンパーポケット位置間違うなんて…。
恐らく何か自分の中でシャッターチャンスを見つけたのでしょう。
華麗にデジカメのシャッターを押し、颯爽とそれをポッケに仕舞おうとした瞬間…。 


無情にもポッケ外側するするする~っと。そしてそのまま地面に。
後に残されたのは、液晶が綺麗にひび割れたデジカメと、シオシオのミラクル氏。 


まさか宮島にシオシオの実があるなんて、僕は思わなかった。
放送作家:ミラクル吉武氏は、この瞬間から、 


シオシオの実を食べたシオシオ人間になってしまったのだ。 


そんなミラクル氏の最初の必殺技は…

 

 

ミラクル「慶吾動画から画ちょうだい。」
ギア2!!!!!!!! プシュー!!!!!!

 

かつてはそのバラエティの豊かさからドラ○もん並、とまで言われたミラクル氏のネタネタポッケ。 


しかしもはやそのポッケには、液晶割れたデジカメしか入ってない…。
ひょっとしたら、今回の旅日記はいつもより画像が少ないかもしれませんが、
それはこういうハプニングがあったからです。御了承下さいまし。

 

 

さてさて宮島を後にした我々が次に向かったのが、呉。
この呉にも平清盛にまつわる場所がいくつもあると言うぢゃないですか!
シオシオのミラクル氏を含む我々は、そんなこんなで呉駅前で新たな助っ人と待ち合わせ。 


その方とは…呉観光ボランティアの会:会長の山元利成さんであります。
どうしても清盛と言えば厳島神社のイメージが強いのだが、ここ呉にも様々な伝説はある! 


伝説だもの。やっぱり歴史上しっかりと文献が残っているものよりも、
口伝えで伝説として残っている方がワクワクするではありませんか。
私もいつかは伝説を残してみたいですね(はいはい)。
山元さんがまず我々を連れてきてくれたのが、高島台公園という場所。
呉駅前から車でおよそ15分程の場所だが、ここが随分登る。登る。
そして登り切った場所は流石の見晴らし!!呉の街並と瀬戸内の海が気持ち良いくらい広がっている。

 

 




 

 

そしてこの山にこそ、清盛の伝説の一つ「清盛の日招き」があるのだー!
*伝説だと「だー!」とか言いたくなるね。
確かに我々が立っている場所には立派な清盛像が建っている。
山元さん曰く、これも最近になって芸大の教授がきて色の塗り直しをしたそうな。

 

 




 

 

それでそれで、日招きですよ。
初めて聞く言葉でもありますので、なんのこっちゃ?という感じなんですが、
山元さんは非常に分かり易くその伝説を説明してくださいました。

 

山元「清盛公が惚れた女性がいたんですよ。」
井門「なになに!?いきなり女性絡みの話になるんですか??」
山元「あらゆる権威を手に入れた清盛でも恋心だけはどうにもならなかった。 


惚れたって言っても清盛公一方的片想いでね…。」 


井門「はぁ~っ!!切ない!山元さん、瀬戸内景色霞みます…。」 


山元「その女性が言うわけですよ。“私を落としたければ、音戸の瀬戸を開け”と。
元々小さな船ぐらいなら通れた場所なんですけど、大型船になると駄目な場所でね。 


そこを開削しろというわけです。しかもたったの1日で。」 


井門「相当などSですね。その女は。」 


山元「いやぁ、清盛公嫌いだったんでしょうね。たぶん。」 


井門「はぁ~っ!!切ないっ!!山元さん、瀬戸内の…(ry」

 

 




 

 

という訳で惚れた女の為に一大事業を1日でやらざるをえなくなった清盛。
我々が立っていた場所から瀬戸内の海を見下ろし、あれこれと指示を出していたのでしょう。
取材に訪れた日も、大きな船がこの場所を行き来しています。
現在はその上に大橋も架けられて、交通の要所である事が一目瞭然。
その場所の往来を良くする為に、いかに女絡みであってもやり遂げた清盛の政治力は凄い。
ですよね、山元さん?いまこうやって音戸の瀬戸が出来ているって事は、成功したんでしょ?

 

 

山元「そうです。それでここで日招きの伝説が出てくるのですよ!」

 

 

流石の清盛もここを1日で開削するのは難しかった。
しかし惚れた女との約束は1日でここを開くというもの。
男に二言があってはならない。どうも清盛という人は、公家文化がまだ力を持っていた時代に、 


既に男らしい武士の心を持っていたとみえる。
徐々に暮れていく瀬戸の太陽。
清盛は焦った。この太陽が沈んでしまう前に、工事を完了させなくてはならない。 


こうなったらもう意地である。肩書とかそういうものは関係ないのである。
時の権力者、清盛。彼に出来ない事があってはならない。
清盛は徐に杖をつきながら、一番見晴らしの良い岩の上に立った。
そして沈みゆく太陽に向かって扇子を扇ぎながら、大声でこう放ったのである。

 

 

清盛「戻れ~いっっ!!!!
*駒野選手の闘莉王選手の真似を思い出すといいね。

 

 

すると何と言う事でしょう!
沈みかけていた太陽がみるみる戻るではありませんか!?
先程まで西日が山際に消えかけていた、その景色が一変。
時間が元に戻っていったというのです。
驚いたのは周りの人間でしょう。まさか太陽を戻すなんて思わなかったんだから。
下手すれば「あ~あ、こりゃ計画も失敗だから、今日は早く帰って酒でも飲めるわ」ぐらいに、
思っていたかもしれません。そんな折に、太陽が戻っちゃうんだから。慌てますね、当然です。 


しかし清盛はこれを好機と見て、工事を進める。結果一日での開削に成功した、というんです。

 

 

井門「良かったですね。これで晴れて清盛公はその女性を落とした、と。」 


山元「いやぁ、それが…。船で迎えに行った時に、事もあろうかその船から身投げしましてね。」
井門「まさか亡くなったのですか?」 


山元「はい、残念ながら。結局清盛公とは結ばれなかった…、と。」
井門「はぁ~っ!!切ない!山元さ(ry」

 

 

しかしここで重要なのは、清盛フラれた事ではなく、 


清盛が太陽戻した事であろう。要はそんな逸話が残るぐらい、権勢を誇っていたのだ。
そして実はこの場所に、未だにその清盛公が太陽を戻した場所がある。 


日招き岩。

 

 




 

 

ここで私も思いっきり瀬戸内の海に叫ぶも、何も変化はなく。
やっぱりまだまだ伝説を残すぐらいまではいってない、とそういう事でしょうな。うん。
僕らが取材した時もスロープやトイレの工事を行っていたので、
恐らく大河ドラマが始まって盛り上がる頃にはこの公園も綺麗に整備されているでしょう!楽しみ!

 

山元さんの案内で続いて向かったのは、音戸渡船
上から見ていた音戸の瀬戸を渡る船着場です。
何だかいいですね、船着場。これを現在も通学や出勤の足に利用している方々がいらっしゃる。
船着場と言ってもなんせ向こう岸まで渡るだけですから、簡易的なもの。
時刻表なんかはありません。ここで待っていれば、向こうからやってくるんです(笑)
料金だって大人70円。おばちゃんが船着場にいてね、お金をほいと払う。
取材した日も向こう岸から自転車と一緒に渡ってくる中学生らしき男の子がいました。
我々も男4人で待っていると、向こうから「ポンポンポン」というのんびりしたエンジン音。
決して大きくない船が、僕らを迎えてくれます。
裸電球に少しくたびれたベンチ。
音戸の瀬戸をこれで渡るなんて、何だか風情があって良いです。
山元さんも乗船券売り場のおばちゃんに気軽に声を掛けています。
「これから忙しくなりそうだね!」「そうだねぇ。」
清盛が始まって、そのブームが訪れれば、この渡船も賑わいをみせるのでしょう。
日本一短い定期航路。 


そのすぐ傍に実は清盛公を祀った【清盛塚】がありました。 


ここにも清盛公にまつわる伝説が…(おぉ、これはまた楽しみだ)

 

 




 

 

山元「音戸の瀬戸はね、潮の流れが非常に早い場所なんです。 


しかも岩礁があったりして、そこと潮がぶつかって渦潮になる。
今は掘削してそういう事はなくなりましたけど、清盛の時代はそれは大変なものだった。」
井門「となるとここを船で渡るのは、いかな清盛と言えど…」
山元「そう!惚れた女性に会いに行く時も大変な渦潮だった!」
井門「あ~、彼女に会いに行くのもここを通ってたわけですもんね。」 


山元「はい、ここで伝説登場です!」
井門「キタ-------*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*-------!!!!!

 

 

想い人に会いに行こうとした清盛公。
ところが渦潮が邪魔をして、なかなか船が進められない。 


イラつく清盛公
恐らく周りの人間に当たった事でしょう。あの渦潮、何とかなんねーのか!?と。
お付きの人間もあの手この手を試みますが、何をしても相手は天候。どうにもなりません。
早くあの娘に会いたい、でも会えない。 


何故なら目の前には恋の障壁、にっくき渦潮
ついにキレる清盛公。えぇい!こうなったら儂が何とかしてやろうぞ!
周りの制止を振りほどき、渦潮の近くに歩み寄った清盛公。
何をするのか、と思った次の瞬間…。

 

 

清盛「でぇぇえいっっ!!

 

 

平氏の栄華の礎をたった一人で築き上げた清盛。
それはそれは眼光も鋭かったでしょう。
その清盛が、彼女に会いたい一心で、その力の全てを発揮して、 


物凄い形相渦潮睨みつけたのです。
すると何と言う事でしょう…。 


それまでまるで荒獅子の様に暴れていた渦潮が、 


ピタリ静まったではありませんか!?

 

 

山元「これを清盛のにらみ潮と言います。」
井門「ははぁ~(平伏す)」

 

 

清盛の力をまざまざと感じさせられた我々は、
続いて目の前にあった「音戸の瀬戸ドラマ館」にも移動。
ここも清盛ブームが起これば物凄い人が来るんだろうなぁ。
1階のお土産屋さんには美味しそうな物が一杯です!地元の物が沢山。
そして我々は山元さんのコネクションを使って(笑)、
すぐ近くにある【清盛】という地酒を作る酒蔵へも突撃!
物凄くお忙しい時間帯にも関わらず、皆さんよくしてくれました。
お酒「清盛」もしっかりゲット!!

 

 




 

 

すっかり清盛の虜になった我々は、ここではたと気付くのです。 


あれ、清盛のイメージ随分変わってるぞ!?って。
旅日記の冒頭でも牡蠣ました、いや書きました。
――平氏が栄華を極めた、その全盛期に頂点に君臨していた人物――
――平氏にあらずは人にあらず、その時代を作り上げた暴君――
「そんなイメージを皆さんはお持ちじゃないですか?」って。 


ところが取材を進めていくにつれて、もっともっと人間清盛が浮かび上がってきたのです。
惚れた女の為に無茶をする清盛。
⇒結果、これも貿易の為のルート作りとして上手く機能。
若くして安芸の守になった清盛。
⇒様々な文化を地方で醸成させる事に成功。 


何よりも彼がいたから平氏は繁栄した。
そうです、平清盛という人物は政治や文化におけるその剛腕ぶりから、
いくつもの逸話や伝説が作られた大人物という事になるのです。
現代の世であれば、大政治家だったわけです。
彼が生きた時代が風雅な【平安の世】というのも、彼の人物像を曲げてしまった要因かもしれません。
もし清盛の様な人物が【幕末の世】にいたら、もしくは【昭和初期】にいたら。
日本史は随分と様変わりしていたでしょう。
そしてそう思わせる物語を、清盛は持っているのです。
今回の旅で見えて来た新たな【平清盛】像。
今年の大河でどの様に描かれていくのか?そして、どんな物語を見せてくれるのか?
2012年、平清盛から、目が離せません!!