エディー・コクラン特集!
2012-02-19
『悲劇のロックヒーロー!“エディー・コクラン”特集』。
M. HALLELUJAH, I LOVE HER SO
1曲目にお送りしたのは、1959年にリリースされたエディー・コクランの
11枚目のシングル【ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー】です。
オリジナルは勿論、レイ・チャールズ!ビートルズもカバーしてましたよね!
まだまだ、R&B、ジャズ、そしてR&Rの線引きがあいまいな時代。
まぁ、そもそも線引きなんて必要ないですけどね。
歌いっぷりはかなりジャジーでソウルフルですよね!
M. SITTIN' IN BALCONY
M. C’MON EVERYBODY
さて、次にお送りしたのは、エディー・コクランのファーストヒット!
“SITTIN' IN BALCONY”、そして、もーーー、これは名曲中の名曲!
1958年のシングル“C’MON EVERYBODY”です!
UFO、ハンブルパイ・・・などなど、様々なアーティストがカバーしてますが、
日本でいえば、布袋さんでしょうね。
布袋寅泰さんのアルバム『GUITARHYTHM』に収録されたバージョンが、
日本では一番有名かもしれません。
さてさて、今日の主役:エディー・コクラン。
1938年、アメリカ・ミネソタ州のアルバート・リアという小さな街に
生まれました。5人兄弟の末っ子、として育った彼は、12歳の時に学校の
オーケストラに加入。トロンボーンを担当するうちに音楽に目覚めて、
家にあったギターをいじりだして、それこそどこに行くときもギターを
肌身離さず持っていくような少年に育ったようです。
1951年には、一家でカリフォルニアに移住。
そこで音楽仲間を見つけて、カントリーバンドを始めた彼は、
あの!ビッグギタリスト:チェット・アトキンスのプレイに衝撃を受けて、
プロミュージシャンになることを決意!
恐らく、その憧れからチェット・アトキンスと同じグレッチのギター(6120)
を使うことになるんでしょうね。もちろん、ブライアン・セッツァーが
同じモデルを使っているのはコクランの影響。
1955年.ハンク・コクランと共にコクラン・ブラザーズを結成。
遂に、レコードデビューすることになります。
M. SKINNY JIM / EDDIE COCHRAN
M. SOMETHIN’ ELSE / EDDIE COCHRAN
次にお送りしたのは、1956年にリリースされたエディー・コクラン名義での
ファースト・シングル“スキニー・ジム”、そして、1959年、
10枚目のシングルで、代表曲!“SOMETHIN’ ELSE”でした。
もろ、ロカビリー!って感じですが。
でも、昔の人、本当に上手いですよね。一発どりで全員がこのグルーヴ!
本当に鍛えられてます。すごい。
さてさて、さっきの話の続きです。
1955年.ハンク・コクランと共にコクラン・ブラザーズを結成して、
遂に、レコードデビューすることになったエディー・コクラン。
<ちなみに、この相棒のハンク・コクラン。エディーにルックスも似ていますが、
ファミリーネームが同じなだけで、まったく血縁関係はないそうです。>
ここからどんどんカントリーシーンでビッグに!というところですが・・・
ちょーーどそのころ。
アメリカの音楽シーンをひっくり返すようなスーパースターが生まれるんですね。
そう。エルヴィス・プレスリーです。
白人のカントリー、ポップスといった要素と、黒人のR&Bを融合した
新たな音楽は<ROCK AND ROLL><ロカビリー>と呼ばれて、
“常識に縛られる”大人たちからは猛バッシングを喰らいますが、
若者はみな、その新たな音楽、人種の壁を乗り越えた新たなサウンドに
心酔していきます。
エディー・コクランもそんな一人。
結成したばかりのカントリーユニットよりも、彼の心は<ROCK>に
魅せられていくんですね。
M. TWENTY FLIGHT ROCK
M. JEANIE, JEANIE, JEANIE
M. SUMMERTIME BLUES
さて、次にお送りしたのは、1957年にリリースされたエディー・コクランの
4枚目のシングル“TWENTY FLIGHT ROCK”、そして、
1958年にリリースされたエディー・コクランの5枚目のシングル
“ジニー・ジニー・ジニー”、
<エディー・コクラン・マニアのストレイ・キャッツも定番曲にしてました。>
そして、コクランといえばこれ!
バンドでセッションするときの超定番ナンバー!!
THE WHOのカバー、そしてRCサクセションの衝撃のカバーでも有名な
“サマータイム・ブルース”でした。
さてさて、さっきの話の続きです。
1955年.コクラン・ブラザーズとしてデビューしますが、
その後、あの!エルヴィス旋風で、一気に音楽がロックへと傾く中で、
完全にロックに心を奪われたエディー・コクラン。
1956年には、R&R、ロカビリーのソロシンガーとしてマイナーレーベルから
デビューすることになります。ただ、なかなかヒットには恵まれません。
そんな中で、ラッキーなオファーが届きます。
映画『女はそれを我慢できない』の中での演奏シーンへの出演依頼です。
エルヴィスに扮して“TWENTY FLIGHT ROCK”を演奏するこの
10代の若者に業界中がビックリ!一気にメジャー契約を手にして、
ヒットシングルを連発。特にアメリカ以上に、イギリスでの人気が高く、
それこそ、若かりし日のビートルズの面々、ストーンズの面々に
多大な影響を与えました。
世界中からコンサートの依頼も殺到。
エディー・コクランは、新世代のロカビリーヒーローと呼ばれるように
なっていきました。
そして、1960年4月16日です。
イギリスツアー中に、婚約者と、シンガーのジーン・ヴィンセントと同乗していた
タクシーが雨の中で事故を起こして、エディー・コクランのみが死亡。
享年21歳。
前年にはバディー・ホリー、リッチ―・バレンス、ビッグ・ボッパーという
3人のR&Rスターが飛行機事故で亡くなったという、悲劇があった翌年の
出来事でした。
アメリカの次の世代を引っ張るR&Rスターが、一気にいなくなってしまった
1959年と1960年。
彼らが生きていたら、その後の音楽シーンはガラッと変わっていたかも
しれません。
M. BLUE SUEDE SHOES
M. EDDIE’S BLUES