震災から1年~ボランティア支援の現状~|旅人:井門宗之
2012-03-15
いつも変化球のYAJIKITAを期待している皆さん、
今回のYAJIKITAはど直球である。
(いつも変化球かと言えばそんなではないのですが…)
あぁ、驚きの声がPCの前から聞こえてきますね。
そうです、YAJIKITAと言えば冷たいカレーをホカホカご飯にかけて食べるのが好きな男がP。
そんな男が陣頭指揮(言うほどの事は何もしていない)を執る番組である。
その男が宣言する「ど直球」とは…。
もちろん今回も前回の旅に引き続き、被災地の現状を取材するわけですが、
今回はチームYAJIKITAの全員がボランティア活動を行うのです!
そしてその場所は仙台市から車で1時間程の場所、七ヶ浜町。
七ヶ浜町は我々が震災後初めて東北に入った時に、一度来ている場所である。
津波により甚大な被害を受けたこの町の姿に、当時はスタッフの誰もが言葉を無くした。
それをミラクル氏は覚えていたのだろう…。
今回の取材行程がメールで届いた時、なんの迷いもなく「ボランティアで1本!」とあった。
その気持ち、しっかりと受け止めようじゃないか!
そして俺達チームYAJIKITAも、何か被災地のお役に立とうじゃない!
今回の我々は取材にいくという気持ちと同じくらい、
何かお手伝いがしたい!という気持ちを胸に七ヶ浜町に向かった。
震災後2カ月経った「七ヶ浜」…。
まずボランティア活動に参加するには、ボランティアセンターに登録しなくてはならない。
朝9時30分に登録開始との事で、我々は【七ヶ浜町災害ボランティアセンター】に向かった。*3月11日より名称が「浜を元気に!七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター」に変更。
公民館のすぐ近くにあるセンターは、入口を入るとすぐに受付のテーブルが置かれ、
休憩所があり長靴を置く場所があり、全国各地から届いた大きな寄せ書きがあり、
地元の子供達から届けられたメッセージカードがあり…。
その中を人がひっきりなしに動いている、というイメージだ。
ボランティアセンターの方もそうだが、全国から集まったボランティアの方々もかなり目立つ。
年齢も明らかに大学生という子達から、年配の方まで様々という感じ。
我々も受付で名前を書いてさっそく登録。
僕がボランティア保険への加入を済ませていると、
横で同じ様に登録をしようとしている仏の横山氏(50代)に係の方が一言。
「大丈夫ですか?疲れてませんか?」
うん、横山氏、まだ何もしていないですからね(笑)
それを後ろでゲラゲラ笑っているカメラマンの慶吾(太っちょ)。
チームYAJIKITAの中で最も体格の良い男・慶吾は、ご想像の通り体力自慢でもある。
昨年の上高地トレッキングで一人だけ『本気の格好』をしてきた男でもある。
お話しを伺ったボランティアセンターの方も慶吾の身体を見て、
明らかに“頼もしい…”という表情を見せてくれる。
井門「慶吾、君の力がついに発揮される時だぞ!」
慶吾「へへへ。俺、実は腰を痛めてるんでげすよ。へへへ。」
何とも頼りないチームYAJIKITAではあるのだが、
この日はボランティアセンターの取材に来たメディアとして、
集まった100人近いボランティアの皆さんの前で、何と井門Pの挨拶が。
挨拶する井門P…。
どうやらボランティアの皆さんの中には、
何度も参加している“リピーターさん”という存在がいらっしゃるらしく、
この日もマッチングの時に毎日参加しているボランティアさんの紹介などがあった。
そうそう、この「マッチング」という作業なのだが、
これは登録したボランティアさんを何の仕事に振り分けるかの作業だ。
10時から行われる全体ミーティングの中で、
ある人はハガキの整理、ある人は畑の整地、ある人は引っ越し作業等に振り分けられている。
ちなみにこの日は前日に大雪が降った為、
ボランティア作業の大部分が「除雪」になった。
天候に左右される事が多い、外でのボランティア活動。
集まった人達もマッチングによって様々な作業に振り分けられている。
係「それではボランティア活動の前に、ここで身体を動かしましょうか!」
何やら皆さんが間隔を空けて身体をほぐし始めた。
これはもしや前回の放送で取材した、あのラジオ体操が始まるんぢゃないか!?
そうなのです!ここ七ヶ浜町のボランティアセンターでも、
作業の前に必ず「おらほのラジオ体操」をやってから持場に向かうのです!
前日の取材で「おらほのラジオ体操」を体験済みの我々。
相変わらず横山氏の身体は硬かったのだが、朝から身体の隅々まで動かせて気持ち良い!
しかも東北の言葉でされる掛け声は、やっぱりどこか温かい!
ボランティの皆さんと「おらほのラジオ体操」
係「ラジオの皆さん、皆さんは公民館の方へお願いしまーす!」
YAJIKITA「はーいっ!!!」
ボランティアセンターからほんの少しの距離に、公民館がある。
我々の他にも男性ばかりが総勢10名強、こちらに派遣されたのだが…。
ここでの作業を教えてくれたのが、七ヶ浜町教育委員会生涯学習課の鈴木歩さん。
鈴木「作業時間は10時30分から14時30分までです。間にお昼の休憩を挟みますよ。
そして、肝心の何をやっていただくか?ですけど、ここに臨時図書館を作って貰いたいんです!」
全員「おーっ!!」
鈴木「ここのスタッフは女性が多いので、男性の力が必要なんです!」
全員「おーっっ!!!」
鈴木「こちらの体育館は大体バレーボールコート一面分の広さですけど、
ここに本棚を30くらい、本は全部で数万冊移動したいです!今日の作業で!」
全員「お…おーっ!!!」
YAJIKITAスタッフに説明する七ヶ浜町教育委員会の鈴木歩さん
こうして始まった「臨時図書館」作り。
体育館のコートには本棚が無造作に置かれ、本は別の部屋で眠っている。
まずはブルーシートを引きはがし、本棚を並べていくのだが…何せ本棚が大きい。
鈴木さん達、職員の方々がどこに何を置くかの設計図をあらかじめ作ってくれているのだが、
一つの本棚は男性2人~3人でようやく運べる物ばかり。
全部で何十という数の本棚なので、これがなかなか骨のある作業なのだ。
しかし集まったボランティアの方々も、町の人達に早く本を読んでもらいたくて一生懸命。
額にはみんなじんわりと汗をかいている。
本棚を並べ終えると、なんとなく図書室っぽくなってきた!
あとはここに本を入れるだけなのだが、それでもその数は数万冊。
これも一筋縄ではいかなかったんだよなぁ…(笑)
皆で必死にやっていたら、あっと言う間に昼休憩の時間になっていた。
僕らは一旦、受付をした場所に戻り、様々な人に話を聞いてみる事にした。
その中には大学生のグループがいたり、
今回始めて横浜からボランティアに参加する女性がいたり、
それぞれ動機は違えど、目的は「被災地の為に何かしたい!」という想いが強いようだ。
しかしどこのボランティアセンターもそうなのだろうが、
ボランティアの現実は少しずつ厳しいものになってきている。
我々は町議会議員を務める遠藤久和さんにもお話しを伺った。
遠藤「まずは七ヶ浜町が第一次産業に従事されている方が多いという現実があります。
この町は津波で大きな被害を受けました。
畑も田んぼも津波でダメになってしまったんです。」
井門「という事は、今は波を被った畑や田んぼを元に戻す作業が多いんですか?」
遠藤「そうですね、除塩をしないと作物は作れませんので。
ただし畑はまだしも、田んぼが厳しい状況です。まずすぐに稲を植える事は出来ないでしょう。」
井門「では畑の除塩からになりますね?」
遠藤「本当なら今日もその活動があったんですけど、
昨日の雪でどうもならなくなってしまいましたからね(笑)
でもボランティアの皆さんの力は本当に大きいんですよ!」
井門「ボランティアの数自体はどうなんですか?」
遠藤「震災直後から本当に沢山のボランティアの方に助けて戴きました。
ただ、最近は報道も少なくなったからか、数は減少傾向です。
まだやらなくてはならない事が山程あるのに、圧倒的に人の手が足りて無い。
高速道路料金が無料でなくなるのも、致命的なんです。
これは国がもっとなんとかしてくれないのか、そう思います。」
2012年3月の段階で被災地支援の高速道路使用料無料化は3月31日までとなっている。
あと少しで被災地の状況が好転するとは到底思えない中で、
支援の為の高速道路料金無料化はもっと継続出来ないものなのか…。
これがあったから、近隣からも被災地支援に入り易かったのは間違いないのに。
同様の危惧はボランティアスタッフの竹中さんも仰っていた。
集まるボランティアの方々の心は純真だ。
それは「被災地を、被災地に住む方々の暮らしを元通りにするお手伝いがしたい」という心。
そして勿論、ボランティアの方々にもそれぞれの生活がある。
それぞれの生活がある中で、それでもここで作業をするのだ。
支援したい心があるのに、高速道路料金の話など、
どうしても行政サイドがブレーキをかけているとしか思えない事もある。
季節だって少しずつ春を迎えるのだ。
人の心にも早く花を咲かせたいではないか。
様々な人の話を聴いて俄然やる気も出て来たチームYAJIKITA。
体育館に戻り午後の作業を再開した。
本棚の設置も終わり、後は書籍を中に詰めていく作業。
今回のミッションは「とにかく本棚と本をこの場所に設置する」なので、
綺麗に並べる作業はまた別の日に別のボランティアさんにやってもらう。
見えない誰かにバトンをしっかりと渡す作業なのだ。
とは言えあまりに無茶苦茶では後の整理も時間がかかるので、
ジャンル別、あいうえお別にはしっかりと分けていく。
奇しくも井門が担当した本は「子供向け絵本」などなど。
自分にも小さな子供がいるので、本を整理しながら、台車で運びながら、
七ヶ浜の子供達の喜ぶ姿を思い浮かべていたら、作業時間が本当に楽しかった。
いや、相当な重量ですよ、相当な数ですよ。
それでもここで作業するボランティアの皆さんは、一様に笑顔なのだ。
そして徐々に本棚に本が並べられていく…。
ついにその時はやってきた。
男性ボランティア10名強に女性職員3名で、
たった4時間で数万冊の本を片付けた。
始める前と始めた後の体育館の姿があまりに違い過ぎて、
僕なんかは泣きそうになりましたよ…。
だいたい普段生活をしていて、「図書館を作る」事なんて絶対に無いと思うんです。
そんな貴重な経験を、先に生まれる笑顔の為にさせて貰った。
鈴木「本当に有難うございました!!
今日中に出来たら良いなって思ってたんですけど、
実際に出来るなんて…凄いです!皆さんのおかげです!」
僕らはこの時に思った。
よく被災地でボランティアをすると、逆に元気を貰う事が出来と聞く。
それはきっとこういう事なんだと思う。
本気で困っている人を助けた先にある、心からの喜び。
“有難う”がこんなに響く事はない。
被災地には沢山の悲しみがあって、それは今でも拭い去る事は出来ないんだけど、
でもここにはまだまだ助けて欲しい人達が物凄くたくさんいて、
しかもそれは実は大勢でやれば物凄く簡単に助ける事ができて。
その先には必ず被災地の方々の笑顔があるのだ。
多くの被災地が同じ状況なんだと思う。
ボランティアの数は圧倒的に足りてない。
物資の支援はもうどこも足りているようだ。
いま被災地に足りないのは、人の手で行う支援。
0が1に転じていない被災地の、
マイナスを0に戻す作業がまだまだ必要なのだ。
そして我々はこの旅の最後に、奥松島にある民宿へ向かった。
奥松島は大浜・月浜の海水浴場があり、稲ヶ先公園あり、新浜岬あり、
風光明媚な美しい場所だ。しかしこの土地も津波で甚大な被害を受けた。
覚えていらっしゃる方も多いと思うが、この場所は小さな半島のようになっている。
そして津波によって内陸とこの場所を繋ぐ橋が倒壊し、一時期は陸の孤島となった。
「かみの家」さんのHPを見ると、
「かみの家観光再生プロジェクト」というページを見る事が出来る。
そこには、こんな記述が。(以下HPから抜粋)
「東松島市宮戸月浜地区は日本三景松島の外洋部にあたり、
松島湾内最大の島で現在は陸続きになっております。
この地は特別名勝「松島」、日本三大渓「嵯峨渓」、国史跡「里浜貝塚」、
国指定重要無形文化財「えんずのわり」と豊かな自然に囲まれ、
史跡・伝統文化のある地区であります。 温暖な環境で、農業・漁業・観光が地区の産業で、
年々体験観光も増加しており、今後に期待しておりました。」
そこに来て、あの震災である。
幸いな事に「かみの家」さんはそもそも高台の上にあったので、
建物は津波被害を受けなかった。しかし地震の被害は受けている。
他の民宿は軒並み津波に飲み込まれ、観光資源で生計を立てていた奥松島の方々は途方に暮れた。
そんな中で「かみの家」の御主人:小野勝見さんはまさに先頭に立って、
奥松島の再生に奔走し続けたのである。
「かみの家」から下は壊滅状態に…。
小野「震災からこれまで、沢山のボランティアの方に助けて貰いました。
それでようやく昨年の11月13日より営業も一部再開出来るようになったのです。」
井門「当初はどんな状態だったのですか?」
小野「もう目の前まで瓦礫の山でした。そして橋が落ちたので、陸の孤島になったのです。
ただこの辺は民宿が多かったので、そんな中でもまだ食料は少なくなかったとは思います。」
小野さん自身も、とは言え、自宅、作業所、倉庫を津波で失った。
そんな中、一日でも早く観光資源を復興させる為、ひいては奥松島を救う為、立ち上がったのだ。
観光資源豊富な奥松島、その魅力はやはり…
小野「海の資源です。地元の人達、まぁ漁師が多いんですけど、
その人達が漁師料理で生活を立てていて、その全体をお客さんに提供する事によって、
また観光が盛り上がると思うんです。外洋に面しているので、すぐ目の前にアワビやウニがいる。」
そして復興の為のプランもしっかりと立てていらっしゃるようだ。
小野「早急に復興する為には、旧月浜のエリアをどうするか?そこが問題でした。
この地域はそれぞれの業者が独立採算制で観光業をやっていた。
でも震災で何もかもが無くなった今だからこそ、観光は全ての業者が連動して動くべきだと思う。
そして、その準備は整ってきたんです。
5月のGWにここを訪れたお客さんが色んな体験が出来る様に、本格的にオープンします!」
力強くそうお話ししてくださった、小野さん。
実はこの夜、チームYAJIKITAも「かみの家」さんにお世話になった。
その夜に出たお食事の旨かった事と言ったら…。
スタッフ間で人気だったのは、「ワカメのしゃぶしゃぶ」と「毛ガニ」
小野さん、1日も早く奥松島の観光が元に戻る事をお祈りしています。
「民宿かみの家」のご主人・小野勝見さん
今回の旅ではYAJIKITAスタッフ全員がボランティアに参加し、色んな事を感じた。
そこには「1年が経過したとは言え、やる事が山積み」という現実もあった。
誰もが心のどこかで1年経てば、少しは前に進んでいるのでは?と考えるだろう。
しかし前には進めても、元に戻るにはあまりに時間がかかる程の被害を受けたのだ。
それが、東日本大震災という自然災害だったのだ。
震災から1年が経過し、僕はYAJIKITAのTOPページにも書きました。
まだまだ僕らには、皆さんに聞いて欲しい声、見て欲しい場所があります。
これからも、少しでも皆さんに被災地に関心を持ってもらう為に、
2012年も被災地取材を続けていきます。
行く度に発見とか、実はとっても良い笑顔に出会えるんだよなぁ。
色んなものを探しに行く旅、きっとそれはどこへ行ったってそうなんだけど。
なので皆さん、ここから先のYAJIKITAも宜しくお願い致します。
復興に向けて、この番組が少しでも被災地のお手伝いが出来ますように。
そして出来れば皆さんも、これから先も被災地へ関心を持って戴きますようお願い致します。