東京探訪 山手線一周ぶらり旅 秋葉原~神田編|旅人:井門宗之

2012-05-23

 

山手線ぶらりのロケにはセンスが問われる。
通常の旅サイズに+アルファで「ぶらり」がくっ付くからだ。
この「ぶらり」がクセ者で、ただ町をぶらりしてもそんなに面白い物には出会えない。
だからこそ土地勘やロケハンが必要だったりするのだが…

 

…とある会議のひとコマ…

 

 

井門「そろそろ山手線ぶらりも終盤戦だねぇ。」
横山「まぁ、ここから先も濃い町が続くからね。」
ミラクル「これは取材の仕方を考えないと大変だ…(もはや負け戦のよう)」 


小林「あ、僕の地元外神田なんで次のぶらりはやらせて下さい。」 


全員「た…頼もしい…!!
ミラクル「ム・ムギィ…(ハンカチを噛みながら)」

 

 

そうなのである。 


YAJIKITAの申し子とも言うべき新作家のコバヤシ氏、
地元が外神田という江戸っ子なのだ。
*ちなみに「外神田」とは現在の秋葉原辺りを言う。
そして今回の「山手線ぶらり」は【秋葉原~神田】エリア。
我々は地元っ子・コバヤシ氏に案内されながら、
明治~昭和の匂いを探しにぶらり旅を開始した!!

 

 

 



 

 

秋葉原はこの日もオタクの町として賑わっていた。
アニメ・ゲーム・アイドル・メイド、etc.
町を訪れる人はどの人も「目的がはっきりしている顔」で歩いている。
ネオンや電子音に溢れたこの町は、平成の東京をしっかりと体現しているのかもしれない。

 

 

 



 

 

しかしそんな平成の東京からほんのちょっと歩くだけで、

そこに明治の東京がいきなり顔を覗かせる。 


それが万世橋万世橋駅だ。

 

 

 





 

 

 

中央線の快速が入る線路の下、煉瓦造りの何とも風情のある建物がある。
これがその昔実際に存在した「万世橋駅」の駅舎なのだ。
この万世橋駅、開業したのは1912年(明治45年)であり、
初代の設計は、かの辰野金吾。
辰野金吾と言えば東京駅の赤レンガ駅舎を設計した事でも有名だが、
確かに万世橋駅のデザインを見てみると…なるほど、と思う。
明治時代に作られたこういう建築を見ると建築萌えしてしまう井門。
実際に駅としてはいつ頃まで使われたんだろう?

 

 

コバヤシ「この駅舎は関東大震災で焼失したり色々あったんだけど、
昭和に入ってからも駅として機能していたんですよ。昭和18年に廃止されてます。」
井門「おぉ、さすが地元っ子!」
コバヤシ「万世橋界隈なんかは江戸時代から非常に発展していましたから。
その名残で旧町名には町を形成した“職人”の仕事名が付けられたんですよ。」

 

 

 





 

 

秋葉原駅から神田駅へ向かうには避けて通れない場所。
平成から明治へとタイムスリップする旅のスタートに、万世橋はある。
現在の万世橋は昭和5年に架け替えられた物だが、
原点は江戸時代まで遡るそうだから舞台装置としては最高なのであります。
ちなみにこの万世橋駅、開業したのが明治45年ですから、
大正3年に開業した東京駅よりも2年早く開業していたんですね。
*2006年まで交通博物館として一部駅舎は利用されていました。

 

神田川に架かる万世橋を渡りまして、
一行は神田駅の方へ…って言ってもこの辺りの住所「神田須田町」だったりして。
もはやエリアは神田エリアとなっているんですが、今回は神田エリアを中心にぶらり。
学生だった頃、この辺りはまだまだ僕の散歩コースでした。
御茶ノ水の大学に通っていたんで、この辺りまでカレー食べに来たりしてたなぁ。
地方出身者の自分にとって「神田にいる」って事だけで、何だか大人になった気分で。
ぶらりしながら通り過ぎた「トプカ」もそんなカレー屋さんの一つ。
今回はただ通り過ぎただけでしたけど、
このエリアは美味しい食べ物屋さん(しかも老舗の)が本当に多い。
その老舗の一つにお邪魔しました!

 

 

 



 

 

神田まつや」さんと言えば、言わずもがなの老舗蕎麦屋。
まだ夕方だと言うのに店に入ると「うわぁーん」と反響するかの様な賑々しさ。
蕎麦で一杯飲んでいるお客さんで、店内既に満席なのです。
でもこの何とも言えない忙しい雰囲気って良いんだよなぁ。
お客さんで溢れているのに、店員さんの応対もどこまでもスムースだし。
しかも独特の反響で、賑わいも煩い賑わいではなく、柔らかい賑わいに感じる。
これも老舗の木の温もりが成せる技なのだろうか?

 

 

 



 

 

居心地が良すぎて思わず長居してしまいそうになるが、蕎麦屋で長っ尻は禁物。
我々がお話しを伺ったのは店主の小高登志さん。
御歳80歳の店主はしかしはっきりとした口調で老舗の歴史を教えてくれました。
ちなみに「まつや」の公式HPによると、その詳しい歴史は以下の通り。

 

『明治17年 福島家の初代 市蔵氏が創業。
その後2代を経て、関東大震災後、小高家の初代 政吉が継承しました。
2代目賢次郎はそばの製法技術を「魚藍坂の藪そば」の出身で、
後の大森梅屋敷藪そばの創業者 関谷作太郎氏に学びました。
小高家3代目の登志は前述「蕎風会」にて「神田藪そば」の先代、
「上野蓮玉庵」の先代、「神田錦町 更科」の先代等々、
老舗の錚々たる方々にそば打ちの技法並びに営業のノウハウを学び、
その集大成が現在の「神田まつや」の姿と云えます。
つけ汁は下町のなごりとも云える少し濃い目に仕上げてあります。
因みに機械製麺を全部「手打ち」に切り替えたのは昭和38年のことでした。』
(公式HPより抜粋)

 

歴史的な話もさることながら、
やはり僕が興味を持ったのは作家の故・池波正太郎先生とのエピソード。
池波正太郎好きなら「神田まつや」の名前にピンとくる人は多いと思います。
何と言っても池波先生の食にまつわるエッセイに何度も登場するのが「神田まつや」。

 

小高「私にとっても池波先生大恩人です。」

 

 

 



 

 

小高さんは何かを噛み締めながら、そう仰っていました。
今回見る事は叶わなかったが、池波先生からの手紙も残されていると言う。
お客が店の味を育てる事もあるのだろう。昔の時代は特に。
現代ではそういう事は少なくなってしまったのかも知れないが、
それでも老舗「神田まつや」は代々受け継がれてきた味を厳しく守り抜いている。
今度は仕事抜きで食べに来ます!

 

 

 


「神田まつや」小高登志さん、ありがとうございました



 

今回は神田エリアをぶらりなYAJIKITA ON THE ROAD。
「神田まつや」さんの近くにも、古くからの名店が犇めいているんだよなぁ。

 

 

 


神田やぶそば / お蕎麦

 

いせ源 / あんこう料理

 

 

 

今は確かにビルに囲まれているけど、
雰囲気は周りのビルの方が気を使ってるっていうか…。
風情のある古い建物なんだけど、そのどれも存在感が凄い。
神田須田町の辺りは散歩として見て回っても5分くらい。
だけどその5分くらいの中に、 


歴史が凝縮されているのだから、やっぱり凄い。
この一角、全部保存してくれないかなぁ(笑)

 

 

 

竹むら / 甘味処
ぼたん / 鳥すきやき

 

 

 

町の風景から歴史の流れを感じている今回のYAJIKITA。
21世紀の現代に、江戸や明治の色合いが差し色の様に入ってくる。
それが神田エリア。
だから普通に町歩きをしていても、思わぬ物を発見出来てしまったりもする。
須田町を後にした我々は靖国通りを渡って、神田多町へ。
そこで発見したのが【神田青果市場発祥の地碑】。

 

 

 





 

 

これは知らなかったなぁ。
何でも神田は徳川幕府の御用市場の一つで、駒込、千住と並び、
江戸三大市場の随一だったと言われていたとか。
ちなみにその広さですが、およそ4万9500㎡。 


これがどの位の広さかと言うと、東京ドームよりも広い
*調べたら東京ドームの面積はおよそ4万6755㎡だそうです。

 

関東大震災で壊滅したものの、復興を遂げた後は【東洋随一】となり、
その後は秋葉原西北、そして大田区へと移転していったそうです。
となると、この辺りは空襲も免れているエリアですし名残の建物とか無いのかな…。

 

 

コバヤシ「風情のある建物、残っているんですよ。ほら、そこにも!」
一同「えっ?どこどこ??あーっ!!」

 

 

 



 

 

淡路町に存在感ある佇まいで今も残るのがこのお店。
【栄屋ミルクホール】さんです。
こちらのお店、1945年オープンの軽食処。
最初はミルクホールってなくらいで喫茶店のようだったそうですが、
ラーメンの評判が良くなり、今では東京でもラーメン好きには有名なお店になっているのだ。

 

 

井門「でも閉まっているね。」
佐々木「そうですね。」
コバヤシ「このお店、結構閉まっている事が多くて…。」

 

 

土日祝はお休み、平日も午後7時までの営業ですので、観光でいらっしゃる方は要注意!
そんなこんなで一行がトボトボと歩いていると…。

 

 

井門「あっ!また何とも良い風情の建物じゃないですか。」
コバヤシ「こちられっきとした民家で、今も普通に住民の方が暮らしているんですよ。」

 

 

 



 

 

こちら【松本家住宅主屋】と言いまして、
昭和6年に建築された震災復興町屋になります。
元々はわさび問屋の店舗兼住宅。
我々は恐る恐る(だって民家って言うからさ)引き戸を開けて中に入りました。

 

 

 





 

 

我々を明るく迎えてくれたのはこちらの松本佳子さん
地元っ子ならではのお話しを教えてくださいました。

 

 

松本「この辺も昔は家よりも古い家がいっぱいあってね。
でもバブルでビルがどんどん建っちゃって、皆いなくなっちゃいました(笑)」
井門「確かにこちらのお家も、ビルとビルの間って感じですもんね。」
松本「バブルの頃にうちもね~、引き払っていれば…(笑)」
井門「でも残してくださったからこそ、こうして僕らも取材に来れたんですから!」
松本「暮らしていると、それはそれで大変なのよ~。」

 

 

松本家の様な外観の家も無くはないのだが、
それでも神田のこの辺りは都心でも一等地に数えられる。
バブルがきっかけで様々な文化も失ってしまったのだろう。

 

 

松本「それでもこの辺りに住んでいた人は、
神田祭になると戻ってきたりするのよねぇ(笑)」
井門「やはり下町っ子には祭が特別な事ってことなんでしょうね。」
松本「もっと外からこの町に来て欲しいんですけど…。
そうした人がこの町に定着する様に、色々としてはいるんですけどね。」

 

 

僕らは無責任に風情のあるこのお家を「へぇ~」「凄いなぁ」等と感心するだけだが、
町の良さを守り続けていく事の苦労も大変なものなのだろう。
松本さん!出来る限り、無理のない限り、お家を残して下さいね!
*ちなみに国の登録有形文化財に指定されています。

 

 

 


松本佳子さん、ありがとうございました

 

 

コバヤシ「もうちょっとで神田駅に着きます。」
井門「本当に今回は短い距離でしたね。」
コバヤシ「それでもう一軒、僕が好きで通っているお店があって…。」
井門「どうせあれだろ?アキバ城みたいなやつだろ?」 


コバヤシ「違うわ!ほら、あそこの甘味屋さん。」

 

 

 



 

 

こちらも神田で地元に愛される甘味屋さん。

しかもお持ち帰り専門の甘味屋さんの福尾商店
道路に面してあんみつやくずもちが並ぶ陳列ケースがあり、
奥はそれらを作る工場になっている。
ちょうどお忙しい時間帯でありながら、 


お店の福尾聡恵さんがお話しを聴かせてくださった。

 

 

福尾「こちらで使っている天草は、全て伊豆七島の物を使っているんです。」
井門「丁寧にお仕事をされているんですね。」
福尾「お店の奥に大釜があって、そちらで毎日作っているんですよ!」

 

我々は店頭で美味しそうに並んでいたくず餅やあんみつを買い込んで、
仕事なのか何なのか分からない満足感いっぱいでお店を後にあとにした我々…(笑)
福尾さん!お忙しい中、騒々しい面々で失礼しました!

 

 

 

福尾聡恵さん、ありがとうございました

 

 

気付けば薄暮の時間帯。
我々は徐々にネオン煌めく神田駅付近にいた。
この辺りのネオンは色合いが秋葉原のそれとはまったく異なる。
いわゆるサラリーマンの聖地的な雰囲気がぷんぷんなのだ。

 

 

井門「今日は何人のサラリーマンがネクタイをおでこで締めるかね(笑)」
コバヤシ「そういう雰囲気ありますよねぇ。」

 

 

神田駅前に来ると何故か懐かしい、昭和の歓楽街の匂いが残っている。
「居酒屋」って言うのでは無く、「酒場」って雰囲気の店が並ぶ。
秋葉原駅前が平成。
そこから江戸、明治、大正の建物を巡り、
最後は昭和後期の香りを残す神田駅。
駅の間を歩くだけで、この区間はタイムスリップが出来る。
それも色んな時代を経験しながら。
しかしその中で暮らしているのは、
時代がいかに変わろうともその芯は全くぶれる事の無い神田っ子達。
神田の町は、間違いなく今も彼等の心意気で守られていた。

 

山手線1周ぶらりの旅。残りはわずか3.5km。
次はここから大ターミナル駅の東京駅を目指す!
果たしてそこには何が待っているのか!?
次回のぶらりもお楽しみに!!

 

 

 


あんみつは、美味しくいただきました!