東京探訪 山手線一周ぶらり旅 神田~東京編|旅人:井門宗之

2012-06-01

 

ある日の神田駅南口。
鼻に傷を付けた長身のカメラマンとヒゲメガネ、
元劇団員の作家と明け(業界用語で徹夜明け)の仕事をこなしてきたDが談笑していた。

 

サリー「オレ、眠くならない様に、今日は飯食ってません!

 

どうだ、このYAJI魂。
徹夜明けというただでさえ不健康な身体に、更にムチを打って働こうとするD。

 

サリー「あぁ、でも俺ここ何カ月が仕事始めてから1番楽しいかもなぁ…。」

 

どうだ、このYAJI魂。
寝てない飯食ってない、なのに楽しい
完全なドMではないか!?

 

ミラクル「俺も今日は寝てない日~♪へへへ。

 

どうだ、このYAJI魂。
昼間の神田駅でマイナス自慢が始まったのである!

 

テツヤ「俺、名前テツヤ♪へへへ。」

 

どうだ、このYAJI魂。
全く面白くないのに取り敢えず言ってみるだけは言ってみるのだ!
しかもこの場合、名前がテツヤなのを言うのではなく、
鼻の頭切り傷が出来たその理由を話すのが先決ではないのか?

 

 


「鼻に傷のある男テツヤ」(ちょっと分からないかな)

 

 

しかしもう始まってしまったのである。
このメンバーの中で健全な生活を送っているのは井門Pただ一人。
最近は息子が起きるので、毎日朝5時には起きているという健康っぷり。
何とかこの健康体で不健康な3人の色を薄めたいのだが…。
そんな事を考えながら薄曇りのロケはスタートした。

 

 



 

 

今回のぶらり。
ミラクル吉武がちょいとばかし策を練ってきたようだ。 


旅の始まりに渡されたのは江戸時代の街の様子が分かる「古地図」。
ちょうど現在の神田~東京のエリアを記したものである。
恐らくこの策も新戦力のコバヤシ氏に対して、 


何とか存在感を出したいという想いからだろう…。

 

 

ミラクル「普段とちょっと違うでげしょ?へへへ。」
井門「確かにこれを見ながら回るって、タモ●倶楽部みたいだもんね。」
サリー「あとほら、ぶらタ●リみたいっすね。」
ミラクル「そ…そんな事ないでげすよ…。オリジナルでげす。へへへ。」

 

 

ちなみにこの辺りの区画は、実はそんなに江戸時代から変化していない。
大名屋敷があったのと、空襲でもそれほどの被害を受けなかったというのが理由の一つ。
なので古地図を見ながらでも、現在の地形と頭の中でリンクさせる事は出来るのだ。

 

 

ミラ「あれ?おっかしいなぁ…。」
井門「どうしたんですか?」
ミラ「いや、最初に行く場所なんだけど…。あれ?道が…。」 


サリー「迷ったんすね?
ミラ「いや、あの、道がね…。へへへ。」

 

 

早速迷ってしまったのだが、
我々は別にいきなり神田から離れた訳ではない。
神田駅の西口商店街の辺りをウロウロしているだけなのである。
『初めてのおつかい』でも迷わない程度の距離しか歩いていない。
しかも目指している場所が【神田におけるパワースポット】だと言うのだから…。

 

 

井門「大丈夫ですか??僕らパワースポットに行くのに迷うなんて…。」
ミラ「きっと大丈夫でげすよ!あっ、ほらあったあった!」 

 




駅から歩いて1分の距離ですが、なぜか5分以上かかった「佐竹稲荷神社」

 

 


ビルの谷間に佇む「出世不動尊」

 

 

 

 

神田駅からすぐの場所にあるのが『佐竹稲荷神社』と、

出世不動尊』。
こちらの二つとも霊験あらたかな立派な神様。
吉武メモメモによりますと、この辺りは1682年の大火で焼失するまで、
秋田・佐竹藩の江戸上屋敷があったと伝えられ、
佐竹稲荷神社はその藩邸の鬼門除けに建立したそうです。
現在は、火災から守る「火伏(ひふせ)の神様」、
そして「商いの神様」として、また「神田の守護神」として、
内神田の地域の方々に愛され守られているとか。

 

もう一つの「出世不動尊」ですが、
もともとは江戸城内にあって御三卿の一橋徳川家の、
表鬼門除けとして祀られていたと言われています。
「出世」とは、相撲取りが不動尊に願を掛けたら出世をしたというのが
きっかけと伝えられていますが、その力士の名は不明だそうです。

 

 

いつもの様にスタッフが「ちっ、まだやってんのかよ!」と苛立つ程お参りをした井門P。
出世不動尊と言われてお参りしない手はありません。 


ちなみに言うと、ミラクルもここだけはしっかりお参りしていました。

 

神田駅前にはいくつかの飲屋街があるのだが、
我々のぶらりコースも例にもれず飲食店ひしめく通り。
ロケは平日の昼過ぎからだったのでまだお酒の雰囲気では無かったのだが、
何せこちらのDは寝ても食べてもいない男…。
目が徐々に血走ってきている。
その証拠に目の前をスカートの短い女の子が通ると、尻尾を振ってついていこうとする。

 

 

ミラクル「サリー!ハウス!」
サリー「わんわん。…って言っておけば良いすか?」
ミラクル「…え、えぇ。それで…良いでげすよ。へへへ。」

 

 

今日も仲の良いYAJIKITA一行である。
商店街を抜けて行くと今回の軍師:ミラクル氏が立ち止まった。
どうやら江戸時代の名残がこの辺りに名前としてあるらしい。
その名残はビルの名前だと言うのだが…。

 

 

ミラクル「目の前のビルの名前、何て書いてある?」 


井門「えぇと、鎌倉河岸ビル?」
ミラクル「そう。河岸って名前が付いてるけど、目の前は道路だよね?」
井門「確かに船着場な訳ではないですよね。」
ミラクル「江戸時代、この町は水運で栄えたのは知ってるでしょ?
実はここにも河岸があって、江戸城の石垣を作る為の石が鎌倉から運び込まれたんだ。 


古地図見てごらん。河岸って書いてあるでしょ?」
井門「あぁ、本当だ!この辺りは今は埋め立てられたけど、昔は水路だったんですね。」

 

 



 

 

外堀通りを渡り、目の前に首都高が見えるそのすぐ下に橋が架けられている。 


その橋の名前が鎌倉橋。関東大震災の復興橋の一つだ。
鎌倉橋という名前は、さきほど出てきた通りで鎌倉河岸に因んでいるのだが、
この橋の欄干にあるプレートには気になる言葉が記されていた。
――『1944年 日本本土市街地への空襲が始まる。』――
東京は戦争で様々な被害を受けた街だが、この鎌倉橋もその一つらしい。
橋には米軍の空襲での機銃掃射の跡が、大小30も残っているという。 

 







 

 

鎌倉橋も現在は車の往来も多く、上は首都高、下は川。
歩いて渡る人の数も少ない橋である。
しかし、実際に歩いて近付いてみれば、そこには歴史が深く刻まれているのだ。

 

 

井門「東京には日本橋もそうだけど、こういった戦争の傷跡が残る橋が多いですね。」
ミラクル「そうだね。こういう橋の歴史は知っておきたいよね。」

 

 

しかし今回のぶらりはレアである。 


何がレアかと言いますと…神田-東京間って歩かないエリアだもの(笑)
しかも日本橋の方には行かず(この采配も流石はミラクル)、
ビジネス街である大手町の方から東京駅を攻めるというのだから…。

 

 

ミラクル「だって日本橋は前にやったでしょ?
歴史にだってちゃんと触れたでしょ?そんなメジャーな橋は行きません。」
井門「じゃあ、一体どこへ?」
ミラクル「橋は橋でもちょっと違う橋を取り上げるのが、僕の個性?」
サリー「その橋ってなんて橋なんですか?」 


ミラクル「ふふふ。知らないだろうなぁ。常磐橋!」 


井門「あ、それ日本橋架橋100年の回で取り上げた。」
サリー「えぇっ!!マジすか?ダメじゃないっすか!」
ミラクル「え?メルシーが作家の時に取り上げちゃったの?
あいつ、ちょっとは残しておけよな!」

 

 

 


日本橋編でも登場した常盤橋…再び見参!

 

 

ここでもミラクル発動!
常磐橋がダメならってんで、そのまま呉服橋方面へと向かったところ…。

 

 

井門「あれ、この碑は何だろう?」

 

 

 



 

 

 

たまたま出て来たのが(たまたまって言っちゃった)、
江戸時代に迷子になった時にどうしていたのか?を表す石標。 


これが一石橋の迷子しらせ石標でございまして。
江戸時代って今と当然違って子供にGPSなんか付けられないですし、
携帯だって当たり前だけど持たせられなかった。
でもよく考えてみると、百万都市の大江戸において子供が迷子になったらどうするのか?
現代だってデパートや遊園地なんかで子供はしょっちゅう迷子になっている。
迷子センターが、じゃあ当時あったのか?
そんなものは当然無かった訳です。
そこで役に立ったのがこの「迷子しらせ石標」!
要は迷子になった子供の似顔絵をこの石標に掲げておいて、
知ってる人はその情報を更にここに掲げる、と。
GIVE&TAKEなシステムなんですね。
この石標も江戸が人口の多い街だった事を表す一つの証拠みたいなもんで。

 

 

ミラクル「古地図を見ながらこういう歴史的な石標を見ると、
さらに気持が上がってくるでげしょ?へへへ。」
井門「まぁ、確かに。」
サリー「でも…偶然ですよね?」
ミラクル「いやぁ、良かった良かった!
これで常磐橋のくだりが使えなくてもOK!へへへ。」

 

 

ちなみにこの「迷子しらせ石標」は安政4年1857年に建立された物だそうです。
当時は日本橋のこの界隈も盛り場だったので、迷子も多かったのですね。
多かったと言えば、江戸の町にはそれなりに犯罪も多かった。
そりゃそうです。現代日本だってこれだけ人が犇めいていれば犯罪も起こる。
まぁ、今と違うのは江戸時代の方が他人への想いやりがあったという事でしょうか。
それを言い始めたらキリが無いので、その罪の話です。 


江戸時代に罪を裁く場所…と言えば「町奉行所」。
皆さんも御存知、江戸には北町奉行と南町奉行の二つの町奉行所があった。
南町奉行所は今の有楽町の辺り、
そして北町奉行所は今の東京駅八重洲北口付近にあったというのです。

 

 

ミラクル「南町奉行で有名な人と言えば…知ってる?」
一同「えっと…誰だっけ?」 


ミラクル「(満面のどや顔で大岡越前に決まってるじゃない!
もう、みんな歴史を知―らーなーすーぎーっ!」

 

 

歴史好きミラクル氏の真骨頂、ゴール近辺でようやく発揮!
そんなミラクル氏が勢いそのままで言ってきたのが、
北町奉行で有名な人は??というクエスチョン。
皆さんはお分かりです…よね?ドラマにもなった超有名人。 


遠山の金さん!その人であります。

金さんの本当の名前は遠山左衛門尉景元。
ドラマになるぐらいですから、まぁ庶民から愛されたお奉行さんだった。
ちなみにこのお奉行さんという役職、どれぐらいの権限があったか?というとこれが凄い。
裁判官・警視庁総監・都知事の3つを兼ね備えたくらいの権限を持っていたってんです。
かなり地位としては上って事になりますね。
そんな金さん、刺青を入れていたのか?
これって今の大阪市の職員の話にも少~しだけ、かぶる…のかな。
いや、時代背景が違い過ぎるのでかぶらないか。
遠山の金さんの桜吹雪に関しては、本当に彫っていた・いない等、諸説あります。
なので自分だけの金さん像を想像して楽しむのが、きっと一番楽しいんだろうなぁ。

 

 

ミラクル「それでね、その北町奉行所の跡がこんなオフィス街にあるの!」
井門「えっ!?だってもう東京駅も近いし、
高いビルしかないし、オフィス街過ぎて我々が浮いてるぐらいですよ!」
ミラクル「そこのトラストタワーってビルの横、はいそこ曲がって。」
一行「だってそこって、ビルとビルの間の路地…」
ミラクル「はい、黙ってついておいで!!」
一行「…は・はい!!」

 

 

いきなりリーダーシップを発揮し始めたミラクル氏。
歴史物が彼をそうさせるのか、はたまた実はこの男、リーダー性があるのか…。
まさにビルの谷間をずんずん進んでいく。 

 




まさにビルの谷間…。こんなところに?

 

 

そして見つけた、北町奉行所跡。 

 




ひっそりとプレートがありますよ。

 

 


ちょっと気持ち悪いですよね。謹んでお詫び申し上げます。(スタッフ一同)

 

 

 

実際にこの場所にお白州があって、
実際にこの場所で遠山の金さんが名裁きを見せていた。
近代的なビルの谷間で江戸時代に想いを馳せるって、何か良いです。
江戸時代の風景は失われてしまったけれど、
古地図を見れば確かにここに奉行所はあったんだもの。

 

 

ミラクル「井門、変わってしまったものばかりでもないぞ。 


昔の姿取り戻した建物だってあるんだ。」

 

 

東京のターミナルステーション:東京駅。
およそ760万個の赤レンガを使用した、日本最大の駅舎である。
この駅舎が2006年から往年の姿を復元すべく工事を進め、
なんと今年の6月3日に駅施設の一部が開業。
今年の10月にはステーションホテルも開業するなど、
まさに当時の姿が蘇りつつあるのだ。

 

 

 





 

 

我々はこの東京駅をかつての姿にするよう尽力した、 


「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」多児貞子さんにお話しを伺った。

 

 

多児「私も昔、丸の内で働いていて、
赤レンガの東京駅を毎日眺めていたんです。」
井門「東京駅を壊すなんて計画もあったんですか?」
多児「ちょうどバブルの頃でしょうね。
ここを壊して大きなビルにしようって計画もあったみたいです。」

 

 

東京の一等地である。
バブルの頃はそんな声が上がってもおかしくはないだろう。
そしてその証拠に東京駅を囲むように、周りの建物は新しい時代の物ばかりだ。

 

多児「この会の活動も20年以上ですから、
いまのこの復元された東京駅の姿を見る事なくして亡くなってしまった方もいるんですよ。」

 

 

いま僕と多児さんの目の前には屋根を真新しい銅板で化粧され、
3階部分が復元された新しい(懐かしい?)東京駅の姿がある。
“西陽が差すと更に美しいんです”そんな風に話す多児さんの横顔は、
何だか少し誇らしげだったのであります。 

 




多児貞子さんと東京駅バックに…。

 

 

江戸の風情を残す神田から、
東京の無機質さをある意味で最も体現する東京までのぶらり。
普段はなかなか歩かないこのエリアを歩いてみて、
一つ見つけた事がある。

 

ここは江戸時代から今に至るまで、
東京という街が何を変えて、何を作ってきたのかが分かる場所なのだ。
時代の中で江戸が東京になった、その変遷が見えるぶらりだったのだ。

 

それを思うと今回ミラクル氏が用意してくれた古地図!
これが意外と良いスイッチになってくれたのかもしれない。
歴史があって、尚且つ変化を遂げた場所で開く古地図。
もし皆さんの中でこの場所を同じ様に歩く方がいらっしゃるなら、
古地図を眺めながらのぶらり、かなりおすすめですよ。

 

そして…あぁ、もう先が見えてきたなぁ。 


東京の先は有楽町。そして…ついに新橋なのだ。
もうここまで来たら、この先に何が待っているのか!?みたいな感じぢゃない(笑)
街を歩きながら、その隅々までをしっかり眺めて、
東京という街がどんな街なのかを見極めるつもりである。
最初の旅日記に書いた、自分の中での疑問。
これにちゃんとした答えが出るのか。 


ぶらりのプロとして(笑)、今からとても楽しみだ。

 

 

 


YAJIKITAスタッフには肌に合わないオフィス街

 

 


あ…確かに…。これだもん。